ナキールの町 1.
これまでリアムを「エレンジア王国第三王子」と表記していましたが、兄アーサーの即位に伴い、以降は現在の立場に合わせて「王弟」と表記します。※設定上の立場を分かりやすくするため表記変更です。
ナキールの港に船が着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「着いたー!」
船を降りたミアが、大きく伸びをする。
その隣で、ルナも目の前に広がる景色を見渡した。
港には大小さまざまな船が並び、荷を抱えた人たちが忙しそうに行き交っている。
少し離れた場所では、漁から戻ってきたばかりなのか、船からいくつもの木箱が運び出されていた。中には銀色に光る魚がぎっしりと詰まっている。
潮の香りに混じって、どこからか魚を焼くような匂いも漂ってきた。
「タリオンとは、また雰囲気が違うね」
ミアが楽しそうに辺りを見回す。
「うん」
ルナも頷いた。
タリオンも同じ港町だった。
けれど、あの町に着いた時は船員病が広がっていて、町をゆっくり見て回る余裕などなかった。
だから今度こそ、港町を楽しみたい。
市場にも行ってみたいし、どんな魚が獲れるのかも気になる。
見たことのない食材だってあるかもしれない。
そう考えるだけで、自然と足取りが軽くなる。
「ルナ、先に宿を探すか?」
レオに声をかけられ、ルナは我に返った。
「あ、その前に……」
ルナは少し迷ってから、近くにいたマシューに視線を向けた。
「マシュー、少し相談してもいい?」
「ああ。どうした?」
ルナは声を少し落とす。
「宝石を一つ売ろうと思ってるんだけど……」
「宝石?」
ナキールに着くまでの船の中で、三人で相談して決めていたことだった。
王都を出る時、ルナは私物の宝石や装飾品をいくつか持ち出していた。
これまでの旅費も、その一部を売った金で賄っている。
冒険者としての収入もあるが、ルナたちはまだ駆け出しだ。
タリオンでは船員病への対応に追われ、依頼もほとんど受けられなかった。
すぐに困るほどではないものの、これから知らない国を旅するなら、余裕があるうちに手持ちを増やしておきたかった。
「うん。でも、エレンジアのお店は全然知らないから、どこで売ればいいのかなって」
「なるほど」
マシューは少し考えてから頷いた。
「それなら俺も一緒に行こう」
「え? お店を教えてもらえれば大丈夫だよ」
「それなりの金額になるだろ。慣れない土地なんだし、一人で行く必要はない」
言われてみれば、その通りだった。
ルナは素直に頭を下げる。
「ありがとう。……じゃあ、お願いしてもいい?」
「ああ。ナキールなら、信用できる商会に心当たりがある」
「さすがマシュー」
横からリアムが感心したように言う。
「お前が旅先で急に素材を売りたいだの研究道具を買いたいだの言い出さなければ、俺も各地の商会に詳しくなる必要はなかったんだけどな」
「……それは関係ないだろ」
「あるだろ」
即座に返され、リアムが黙り込む。
その様子にミアが笑った。
「じゃあ、まずはそこに行ってみようか」
ルナがそう言うと、五人は賑やかな港をあとにして歩き出した。
◇◇◇
港を離れた五人は、マシューに案内されて商会に向かった。
大通りに面したその商会は、ナキールでもそれなりに大きいらしい。
店内には布や装飾品、見慣れない工芸品などが並んでいた。
マシューが一緒だったこともあり、話はすぐに進んだ。
ルナが取り出した宝石を店員が慎重に確認し、提示された金額をマシューにも確かめてもらう。
問題がないと分かると、ルナはその金額で買い取ってもらうことにした。
「これでしばらくは大丈夫そうだね」
受け取ったお金をしまいながら、ルナはほっと息をつく。
「ああ。とはいえ、旅を続けるなら使いすぎない方がいいな」
「うん。依頼もまた受けないとね」
「そういえば、宿はもう決めてるのか?」
商会を出たところで、マシューが尋ねた。
「まだ。着いてから探そうと思ってたから」
「それなら、さっき商会の人に聞いておいた。ここからそう遠くないところに、評判のいい宿があるらしい」
「どんな宿?」
ミアが興味を示す。
「『海鳥亭』っていうところだ。元漁師の主人が家族でやっていて、食事も評判がいいらしい。息子は今も漁師をしてるから、新鮮な魚が食べられるそうだ」
「新鮮な魚!」
ミアがぱっと顔を輝かせる。
ルナも思わず反応した。
「そこにしよう」
「決まるの早いな」
レオが呆れたように笑う。
「だって、港町に来たんだよ? せっかくなら魚が美味しいところがいいじゃない」
「まあ、それはそうだけどな」
商会で教えてもらった道を進み、しばらくすると目的の宿が見えてきた。
大通りから少し離れた場所に建つ、二階建ての宿だった。
入口に掲げられた看板には、大きな鳥と波の絵が描かれている。
「ここみたい」
ルナが扉を開けると、すぐに明るい声が飛んできた。
「いらっしゃい!」
出迎えてくれたのは、四十代ほどの女性だった。
「泊まりかい?」
「はい。三人で泊まりたいんですけど、部屋は空いてますか?」
「もちろん。何泊の予定だい?」
「まだ決めてなくて……とりあえず三日くらいで」
「それなら大丈夫だよ」
女性はにこやかに笑った。
「私はローサ。主人と一緒にこの宿をやってるんだ。何か困ったことがあったら遠慮なく言っておくれ」
「ありがとうございます」
ルナたちはローサに宿泊をお願いすると、まずは荷物を置くため、案内された部屋に向かうことにした。
荷物を置いて一階に戻ると、リアムたちはまだ待っていた。
「この後、時間ある?」
リアムに尋ねられ、ルナは首を傾げる。
「あるけど、どうしたの?」
「せっかくだし、何か食べに行かない? まだ少し早いけど、昼も船で軽く食べただけでしょ」
確かに、時刻はまだ夕食には少し早い。
けれど朝から船に揺られていたこともあり、言われてみればお腹は空いていた。
「時間は平気なの?」
ルナはマシューを見る。
「出航は日暮れだから、その前に食事くらいできるだろう」
「それに、タリオンの調査があんなに早く終わったのは、ルナたちのおかげでもあるからね。今日は俺がご馳走するよ」
「え、いいの?」
「うん。好きなもの食べて」
その言葉に、ミアが嬉しそうにルナを見る。
「ルナ、行こう!」
「うん」
五人はローサにおすすめの店を教えてもらい、宿を出た。
訪れたのは、港からほど近い賑やかな店だった。
店先にはその日に獲れた魚や貝がずらりと並び、客はそこから好きなものを選んで、自分たちの席で焼いて食べるらしい。
「自分で焼くんだ……!」
店員から説明を聞いたルナは、すぐに並んだ魚に目を向けた。
大きな魚を切り分けたものもあれば、手のひらほどの小魚もある。
殻のついた貝や海老に似たものまであり、どれも新鮮そうだった。
「どうしよう。どれにしようかな」
「好きなもの食べていいって言ったでしょ」
リアムが笑う。
「そうだけど、全部は食べられないし……」
ルナは真剣な顔で魚を見比べる。
「こっちも美味しそう。でも、この貝も気になる……」
「ルナ、これも食べてみようよ」
「それも気になってた!」
ミアと二人で次々と選んでいく様子を、レオが呆れたように眺めていた。
「食べ物のことになると本当に楽しそうだな」
「まあ、いいんじゃないか」
そう言ったマシューも、どこか楽しそうだった。
やがて選んだ魚介類が運ばれてくると、五人は中央の焼き台を囲んだ。
網の上に魚や貝を並べる。
しばらくすると魚の脂が落ち、香ばしい匂いが立ち始めた。
「もう食べられるかな?」
「まだじゃないか?」
「こっちの貝は開いてるよ」
「ミア、それ熱いから気をつけろよ」
そんな話をしながら、焼き上がったものから皿に取っていく。
ルナが焼いた魚を口に運ぶと、ふっくらとした身から旨味が広がった。
「美味しい……!」
タリオンにいた時も魚を食べることはあった。
けれど、こうして何も気にせず食事そのものを楽しむのは久しぶりな気がする。
「そういえば、リアムたちはこの後すぐ王都に戻るんだよね?」
「うん。この後の船で出るつもり」
「王都まで六日くらいかかるんじゃなかった?」
ルナが不思議に思って尋ねると、リアムは首を振った。
「それは陸路だけで行った場合だよ。ここから船で王都に近い港まで行くんだ。五、六時間くらいだったかな?」
リアムがマシューを見る。
「天候次第だが、そのくらいだな。そこから馬車で一日ほどだ」
「そんなに違うんだ」
ミアが驚く。
「陸路だとかなり迂回するからな。船を使えばだいぶ短くなる」
「じゃあ、私たちもそっちの方がいいのかな?」
ルナが考えていると、レオが首を振った。
「俺たちは急いでないだろ。それに途中の町にも寄るって話してたしな」
「あ、そっか」
王都に早く着くことが目的ではない。
せっかく初めての国を旅するのだから、いろいろな町を見てみたい。
「それなら馬車でいいかな」
そう答えながら、ルナは次の魚に手を伸ばした。
その時、テーブルの端に置かれている小さな瓶が目に入った。
「これ、何だろう?」
中には茶色がかった液体が入っている。
「ああ、それガルムだよ。魚から作った調味料」
リアムが何でもないことのように答えた。
「魚から?」
「確か、魚を塩に漬けて作るんだよ。ナキールじゃよく使われてるな」
「へえ……」
ルナは少量を小皿に出し、匂いを確かめてみる。
独特の強い香り。
覚えのあるそれに、ルナの目が大きくなる。
(これ……魚醤だ!)
試しに焼いた魚にほんの少しつけて食べてみる。
「……美味しい」
「気に入った?」
「うん。これ、他の料理にも使えそう」
前世で使ったことのあるものとは少し香りが違う。
それでも、魚を塩漬けにして作るという製法も、この独特の旨味もよく似ていた。
焼き物だけじゃない。炒め物やスープにも使えるかもしれない。
あとで市場でも探してみよう。
そんなことを考えていると、向かいに座っていたリアムが口を開いた。
「そういえば、ルナたちはしばらくナキールにいるの?」
「うん。そのつもりだけど」
「どれくらい?」
「まだちゃんとは決めてないよね?」
ルナがミアとレオを見る。
「一週間くらいはいてもいいんじゃない?」
ミアが答える。
「俺もそれくらいでいいと思うぞ。急ぐ理由もないしな」
「じゃあ、そのくらいかな」
「その後は?」
「少しずつ王都の方に向かおうと思ってるよ。途中にも町があるんでしょ?」
「うん、いくつかあるよ」
「だったら、そこにも寄ってみたいな。せっかくエレンジアに来たんだし」
「色々見たいよね!」
「うん。どんな食べ物があるのかも気になる」
ルナとミアが楽しそうに話し始める。
「一週間くらいか……」
リアムはそう呟くと、どこか嬉しそうに笑った。
食事を終えて店を出る頃には、空が少しずつ夕暮れの色に変わり始めていた。
リアムたちが乗る船の出発までは、もうそれほど時間がない。
ルナたちはそのまま二人を見送るため、港に向かった。
昼間と変わらず、港には多くの人が行き交っている。
その中を進んでいくと、これから出航する船が見えてきた。
「じゃあ、俺たちは行くね」
リアムが足を止める。
「うん。気をつけてね」
「二人とも、いろいろありがとう」
ルナに続いてミアも頭を下げる。
「タリオンでは世話になったな」
レオがそう言うと、マシューは小さく笑った。
「それはお互い様だろ」
乗船を知らせる声が聞こえ、リアムとマシューが船に向かう。
けれど数歩進んだところで、リアムが振り返った。
「じゃあ、またね」
当然のように告げられた言葉に、ミアが笑う。
「王族とまた会うことなんてあるのかな?」
「確かに」
ルナもくすっと笑った。
「次にもし会うとしたら、王都に着いてからかな」
「さあ。どうだろうね」
リアムが意味ありげに笑う。
その横で、マシューが小さくため息をついた。
レオはそんな二人を見て、わずかに眉を寄せる。
「……まさかな」
「レオ、どうしたの?」
「いや、何でもない」
振り返ったルナに、レオは首を振った。
やがてリアムたちを乗せた船が、ゆっくりと港を離れていく。
三人はしばらくその姿を見送ってから、宿に戻ることにした。
「ねえ、明日は市場に行かない?」
歩き始めてすぐ、ミアが言った。
「行きたい。さっきのガルムも探してみたいし」
「他にも面白いものがありそうだよね」
「うん。せっかくだから、ゆっくり見て回ろう」
「朝から行く?」
「もちろん」
楽しそうに話す二人の後ろを、レオがついていく。
潮風の吹く道を歩きながら、ルナは明日のことを考えていた。
どんな食材があるのだろう。
どんな料理が食べられるのだろう。
今度こそ、港町を思いきり楽しめそうだ。
そんな期待を胸に、三人は海鳥亭へと帰っていった。




