タリオンの町 15
それから数日後。
タリオンは、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
そして、王都から来ていたリアたちも帰還することが決まった。
「明日の朝、出発することになったの」
その話を聞いたのは、出発を翌日に控えた夕方だった。
「……そっか」
分かっていたことだった。
リアたちはタリオンの治療のために派遣されてきたのだから、状況が落ち着けば王都に戻る。
それでも、実際に聞くと少し寂しい。
「ジェームズ殿下たちも一緒に?」
「うん。神殿から来た神官様たちもみんな」
「そっか」
せっかく、またリアと話せるようになった。
昔のように名前を呼び合えるようになった。
それなのに、もう別れの日が来る。
「明日、見送りに来てもいい?」
「もちろん」
リアはそう答えて、少し寂しそうに笑った。
翌朝。
ルナたちは、リアたちを見送るため町の入り口まで来ていた。
王都に向かう馬車が並び、神官たちが出発の準備を進めている。
「ノエルさんもお元気で」
「ありがとうございます。ルナ様もどうかお気をつけて」
「うん。ありがとう」
ペトロにもこれまでのお礼を伝え、ミアとレオもそれぞれ挨拶を済ませる。
やがて、出発の準備が整った。
「ルナ」
リアが戻ってくる。
「うん」
二人は向かい合った。
昨日から何を話そうか考えていたはずなのに、いざその時になると言葉が出てこない。
「……元気でね」
「ルナも」
「ちゃんと休むんだよ。リア、頑張りすぎるところあるから」
「それはルナもでしょう?」
「私は大丈夫」
「昔、熱があるのを隠して倒れたのは誰でしたっけ?」
「……昔の話でしょ」
ルナが顔をしかめると、リアがくすくすと笑った。
つられて、ルナも笑う。
「あの、ルナ」
「何?」
「渡したいものがあるの」
リアが小さな箱を取り出した。
中から現れたものを見て、ルナは目を見開く。
「……これ」
淡い紫色の、小さな花を模した髪飾り。
見間違えるはずがなかった。
家を出る時、部屋に置いてきたものだ。
「どうして持ってるの?」
「ルナがいなくなったあと、部屋で見つけたの」
リアは髪飾りを見つめる。
「ずっと持ってた」
そして、ルナに差し出した。
「ルナに持っていてほしいと思って」
ルナはすぐには受け取らなかった。
家を出る前日の夜。
この髪飾りを手に取ったことを覚えている。
「どうして置いていったの?」
リアに聞かれ、ルナは少し迷ってから答えた。
「……持っていこうとは思ったんだよ」
「そうだったの?」
「うん。でも、持っていったら何度もリアのことを思い出すと思って」
「私のことを?」
ルナは少し困ったように笑う。
「あの時は、それが怖かったんだと思う。会ったら、家を出られなくなるかもしれないって思ってたから」
ルナは静かにリアを見る。
「だから置いていったの」
「……そっか」
「でも」
ルナは差し出された髪飾りに手を伸ばした。
「今度は持っていくね」
「うん」
リアが嬉しそうに笑う。
それから、自分の髪に触れた。
そこには色違いの髪飾りがついていた。
「私も持ってるから」
「今日つけてたんだ」
「うん」
ルナも笑った。
「今の髪だと、前みたいにはつけられないけど」
「また伸びたら使ってね」
「うん。そうする」
離れていても、二人が姉妹でなくなるわけではない。
今度は、そう思えた。
やがて、出発を告げる声がかかった。
「リア」
「うん」
「また会おうね」
リアの瞳が少しだけ潤む。
それでも、笑顔で頷いた。
「うん。また会おう」
リアは馬車へ向かい、途中で一度振り返って手を振った。
ルナも手を振り返す。
馬車がゆっくりと動き始める。
遠ざかっていく馬車を、ルナはミアやレオと並んで見送った。
寂しくないわけではない。
それでも、もうこれが最後だとは思わなかった。
ルナは手の中の髪飾りをそっと握る。
「……またね、リア」
◇◇◇
その頃、王都では——。
フィールズ子爵夫妻が、王宮に呼び出されていた。
二人には、呼び出された理由に心当たりがなかった。
リアがタリオンへ派遣されているため、その件かとも思ったが、神殿からではなく王宮から直接呼ばれたことが気にかかる。
案内された部屋で待っていると、やがて国王が宰相を伴って姿を現した。
二人はすぐに立ち上がり、深く頭を下げる。
「フィールズ子爵、ならびに夫人。ただいま参りました」
「うむ。座るがよい」
促され、二人は緊張した面持ちのまま腰を下ろした。
国王は向かいの席に座ると、手元に置かれた書類に目を落とす。
「今日そなたたちを呼んだのは、ルナについて確認したいことがあるからだ」
「……ルナ、でございますか」
父の表情が、わずかに強張った。
「ああ」
国王は書類を開く。
「先日、タリオンから報告が届いた。町で広がっていた病について、原因につながる手がかりを見つけた者がいるとな」
父も母も黙って続きを待つ。
「患者たちの食生活に共通点があることに気づき、ラバヌイの実や食事の改善を試したそうだ。すでに多くの者に改善が見られ、町の状況も落ち着き始めている」
「それは……何よりでございます」
父が答える。
国王は小さく頷いてから、続けた。
「その者の名が、ルナだ」
「……え?」
母が思わず声を漏らした。
「ルナ……と申しますと……」
「リアの双子の姉だ。以前はルナ・フィールズと名乗っていたそうだな」
二人の表情が固まる。
「ルナが……タリオンに?」
母が呆然と呟いた。
「知らなかったのか?」
国王が尋ねる。
父は一瞬ためらってから、静かに答えた。
「……はい。家を出てから、所在は分かっておりませんでしたので」
「そうか」
国王はそれ以上追及せず、書類に視線を戻した。
「今回の功績について確認するため、ルナについて調べさせた。それで、すでにフィールズ家から除籍されていることが分かった」
宰相が一枚の書類を手に取る。
「手続きが完了したのは、つい先日のことです」
「……はい」
父が小さく答えた。
「では、現在ルナはフィールズ家の令嬢ではない、ということで間違いないのだな」
「はい」
国王はしばらく父を見たあと、静かに尋ねた。
「どういう事情だった?」
父は一度、隣の母に視線を向ける。
母は俯いたまま何も言わなかった。
「属性判定のあと、娘が屋敷からいなくなりまして……」
「家を出たのか」
「はい」
「理由に心当たりは?」
父は答えに詰まった。
短い沈黙のあと、やがて口を開く。
「娘には、属性がありませんでした」
そこで宰相が静かに補足する。
「陛下も、リア嬢の光属性が判明した翌日にフィールズ子爵一家をお呼びした際、一度お会いになっております」
「……ああ」
国王は少し考え、ようやく思い出したように頷いた。
あの日、国王の目に強く映っていたのは、四十年ぶりに現れた光属性のリアだった。
その隣にいたルナについては、ほとんど記憶に残っていなかった。
「それで?」
促され、父は続きを話す。
「無属性では今後、よい縁談も難しいと考えまして……お披露目式が終わったあと、修道院へ入れることを考えておりました」
「本人も了承していたのか?」
「……いえ」
「では、まだ伝えていなかった?」
「はい」
国王はわずかに眉を寄せた。
「その話を知り、家を出た可能性があるということか」
「……おそらくは」
母の手が、膝の上で僅かに動いた。
「その後、捜索はいたしました。しかし見つからず……家を離れたまま戻る様子もなかったため、除籍の手続きを進めました」
父がそう言い終えると、部屋に短い沈黙が落ちた。
国王はすぐには何も言わなかった。
やがて、手元の報告書に視線を落とす。
「そうか」
それだけ答える。
「では現在、ルナはフィールズ家とは関係のない平民として暮らしているということだな」
「……はい」
父の声は先ほどよりも小さかった。
「タリオンからの報告には、ルナの名が何度も出ている」
国王は書類をめくる。
「最初に患者たちの食事に目を向けたこと。孤児院で確認を重ねたこと。ラバヌイの実や食事を試したこと。神殿側も、その考えをもとに対応を進めているそうだ」
父も母も黙って聞いていた。
「長く船乗りたちを苦しめてきた病だ。まだ原因が完全に確定したわけではないが、もしこのまま改善が続けば、今後は同じ病で苦しむ者を減らせるかもしれん」
「…………」
母がゆっくりと目を伏せる。
家にいた頃のルナを思い出しているのだろうか。
勉強も礼儀作法も、与えられた課題はきちんとこなしていた。
母が厳しく教えれば、何度でも繰り返した。
けれど、属性がないと分かったあの日から。
その先に何ができる娘なのかを、考えようとはしなかった。
父も険しい表情のまま、報告書を見つめていた。
しばらくして、口を開く。
「陛下」
「何だ」
「もし可能であれば……除籍を取り消すための手続きを申請することはできますでしょうか」
国王が父を見る。
「取り消す?」
「はい」
父は言葉を選びながら続けた。
「ルナはまだ十五です。このまま一人で旅を続けるより、家に戻った方がよいのではないかと……」
「そう思うのか」
「……はい」
国王は少しの間、何も言わなかった。
「今回の報告が来る前にも、そう考えていたのか?」
父の言葉が止まる。
「…………」
答えはなかった。
国王はそれ以上責めることなく、静かに息を吐いた。
「いずれにせよ、手続きはすでに完了している」
「……はい」
「それに、私はルナ本人に一度話を聞きたいと伝えた」
父と母が揃って顔を上げる。
「だが、王都に戻るつもりはないそうだ」
「戻らない……?」
母の声がわずかに震えた。
「ああ。このまま旅を続けると返事があった」
二人は何も言えなかった。
家を出たあと、どこで何をしていたのか。
誰と行動していたのか。
何を考えていたのか。
自分たちは、何も知らない。
けれどルナはすでに、自分でこの先の道を決めている。
「でしたら……」
父が慎重に口を開く。
「私から一度、ルナに話を——」
「話をすること自体を止めるつもりはない」
国王は静かに言った。
「だが、今後どう生きるかを決めるのは、もうフィールズ家ではない」
父が黙る。
「そなた自身が除籍し、ルナは平民となった。家に戻るのか、旅を続けるのか。それを決めるのは本人だ」
「……はい」
父はゆっくりと頭を下げた。
「承知いたしました」
母も隣で、小さく頭を下げる。
国王はそんな二人を見ながら、呆れたように息を吐いた。
「まったく……。なぜ、そのような娘を手放したのだ」
静かな部屋に、その声が響く。
傍らに立つ宰相は何も言わなかった。
以前この部屋で、ルナが無属性だと知った途端に関心を失ったのが誰だったのか。
そして今、ルナの才を知った途端に評価を変えているのが誰なのか。
国王は最後まで、そのことに気づく様子はなかった。
◇◇◇
リアたちを見送ったあと、ルナたちはしおなぎ亭に戻った。
リアから受け取った髪飾りは、なくさないよう鞄の中にしまってある。
「俺たちも、そろそろ出発するか?」
レオが尋ねる。
「そうだね。船の運航も戻ってきてるみたいだし」
いよいよエレンジアに向かう。
そう考えたところで、ルナはふと動きを止めた。
「……あ」
「どうしたの?」
「忘れてた」
「何を?」
「青葉草のこと」
少し前、ノエルから聞いた話を思い出す。
アルミヤでは、『幸運のスープ』を食べた者の中から、以前より調子がいい、疲れにくくなったという声が出ているらしい。
「結局、何でなんだろうな」
レオの言葉に、ルナも考え込む。
「私もずっと気になってたんだけど……」
「もしかしたら、それってラバヌイのお茶と同じじゃない?」
不意にミアが言った。
「え?」
「最初に試した時。少ししか飲んでなかった人より、ちゃんと何回も飲んでた人の方が早く元気になったでしょ?」
「……あ」
ルナは目を瞬いた。
確かにそうだった。
同じものを口にしていても、摂る量が少なければ十分な効果が出ない。
「普通にスープへ入れる時って、何枚かちぎって入れるくらいだったよね?」
「そうだな。青葉草ばっかり入れたりはしない」
今までも食材として使われていた。
けれど、一度に使うのはほんの少しだった。
幸運のスープでは、それまでよりずっと多く使っている。
さらに——。
「すり潰してるのも関係あるのかも」
「すり潰すと違うの?」
「細かくした方が消化しやすくなって、身体に吸収されやすくなることがあるの」
前世で栄養について学んでいた時にも、調理方法によって消化や吸収のされ方が変わることは習っていた。
「もしかして……」
ルナは考えながら呟く。
「青葉草って、私たちが知らなかっただけで、元々栄養価が高いんじゃないかな」
「薬草としては何の効果もないって言われてるけど?」
「薬としての効果がないことと、栄養がないことは別だよ」
「そうなんだ」
ミアが納得したように頷く。
その時、ルナの頭に以前から考えていたことが浮かんだ。
孤児院の子どもたちのおやつ。
手に入りやすい材料で、安く作れること。
お腹に溜まること。
子どもたちでも作れること。
「青葉草なら、その辺にも生えてる」
「うん」
「お金もほとんどかからない」
「うん」
「それで栄養もあるなら……」
ルナの表情が明るくなる。
「使わない手はないよね」
ミアが笑った。
「また何か思いついた?」
「うん。ちょっとだけ」
エレンジアに行く前に。
まだ一つだけ、やっておきたいことがあった。




