タリオンの町 14
その夜。
しおなぎ亭の部屋で、ルナは一人、窓の外を眺めていた。
ミアとレオには、少し考えたいからと先に休んでもらっている。
昼間、ジェームズから告げられた国王からの誘い。
そして先ほどリアムから聞いた、自分がすでにフィールズ家の籍を外れているという事実。
考えなければならないことは、ずいぶん単純になった気がした。
家のためにどうするべきかではない。
リアに迷惑をかけないためにどうするべきかでもない。
「私は、どうしたいんだろう」
ルナは膝の上で手を組んだ。
王都を出てから、いくつもの町を歩いた。
知らない食べ物を見つけ、料理を作り、失敗しながら新しいことを覚えた。
アルミヤでは青葉草を使って料理を作った。
カロンでは孤児院の子どもたちと出会った。
サラスではムギボを作り、ハッカソウの使い方も見つけた。
そしてタリオンでは、前世で学んだ知識が人を助けることにつながった。
無属性でも、自分にできることはあった。
今回のことで、王家からもそう思われたのかもしれない。
だから国王は、自分に会いたいと言っているのだろう。
今の自分が王都に戻れば、以前とは違う目で見られるのかもしれない。
「でも……」
ルナは呟く。
「それって、帰りたい理由じゃないよね」
今さら認めてもらうために、王都に戻りたいわけではない。それよりも、旅をして知ったことの方が心に残っていた。
まだ行ったことのない町がある。
見たことのない景色がある。
知らない食材も、知らない料理も、きっとたくさんある。
もっと見てみたい。
もっと知りたい。
そして、自分でもいろいろなものを作ってみたい。
そう考えるだけで、少しわくわくする。
ルナは窓の向こうを見る。
夜のため海までは見えない。
けれど、その先にはエレンジア王国がある。
「……うん」
ようやく気持ちが決まった。
「王都には行かない」
国王に会いたくないからではない。
フィールズ家に戻りたくないからだけでもない。
自分は、このまま旅を続けたい。
それが、今の自分の答えだった。
そして、もう一つ。
「リアにも、ちゃんと話さないと」
以前の自分たちは、お互いに思っていることを言わなかった。
それで、知らないうちに少しずつ距離ができてしまった。
もう同じことはしたくない。
除籍が終わったこと。
王都には戻らないこと。
このまま旅を続けたいこと。
今度は、自分の口から伝えよう。
「明日、話そう」
そう呟くと、ルナはようやく窓辺から離れた。
今度の選択は、誰かに決められたものではない。
自分で考えて、自分で選んだものだった。
◇◇◇
翌日の昼。
午前の治療が一段落した頃、ルナたちは教会を訪れていた。
「リア」
廊下を歩いてきたリアに声をかけると、リアはすぐに笑顔を浮かべた。
「ルナ。来てたんだね」
「うん。もうお昼でしょ?」
「ちょうど休憩に入るところだよ」
「だったら、一緒に食べない?」
リアは嬉しそうに頷いた。
「もちろん」
ルナは後ろにいた二人を振り返る。
「それと、レオのこともちゃんと紹介しておこうと思って。ミアも久しぶりだし、一緒に食べよう」
最初にミアを見る。
「ミアのことは知ってるよね」
「うん」
「お久しぶりです、リア様」
「久しぶりですね、ミア」
フィールズ家にいた頃、ミアはルナ付きの侍女だった。
リア付きではなかったものの、お互いに顔も名前も知っている。
「ミアは、私が家を出るって言った時に、一緒に行くって言ってくれたの」
リアは少し驚いたあと、ミアに微笑んだ。
「ルナと一緒にいてくれて、ありがとう」
「え……」
ミアは戸惑ったものの、すぐに嬉しそうに笑う。
「私こそ、ルナと一緒に来られてよかったです」
それからルナは、もう一人に顔を向けた。
「こっちがレオ」
「は、初めまして」
いつもより少し硬い声に、ルナが笑う。
「緊張してる?」
「してない」
「してるよね」
「……少しだけな」
観念したように答えるレオに、リアも小さく笑った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今日はただ一緒にお昼を食べるだけですから」
「……分かりました」
その返事も、まだ少し硬かった。
四人はそのまま昼食を囲んだ。
最初こそレオには緊張が残っていたものの、食事が進むにつれて少しずついつもの調子に戻っていく。
王都を出てからの旅のこと。
アルミヤでルナが料理を始めたこと。
ミアが初めて魔物を倒した時のこと。
「ルナ、本当に料理してるんだね」
「結構してるよ」
「今度、私も食べてみたいな」
「じゃあ、また会った時に作るよ」
「約束ね」
前世の記憶については、まだリアには話していない。
ミアとレオもそれを分かっているため、そのことには触れなかった。
四人で話していると、時間はあっという間に過ぎていく。
やがて、リアが席を立った。
「そろそろ戻らないと」
「リア」
ルナも立ち上がる。
「今日、治療が終わったあとって時間ある?」
「治療のあと?」
「うん。ちょっと話したいことがあるの」
リアは一瞬不思議そうにしたものの、すぐに頷いた。
「分かった」
「じゃあ、終わる頃にまた来るね」
「うん」
リアはそう答えて、少し嬉しそうに笑った。
◇◇◇
その日の夕方。
治療が終わる頃を見計らって、ルナはもう一度教会を訪れた。
しばらくすると、廊下の向こうからリアが歩いてくる。
「ルナ、お待たせ」
「ううん。治療、お疲れさま」
「ありがとう」
二人は教会を出ると、並んで歩き始めた。
夕暮れの町には仕事を終えた人々が行き交い、遠くから港の賑やかな声が聞こえてくる。
「それで、話って何?」
リアに聞かれ、ルナは少しだけ黙った。
もう気持ちは決まっている。
だから、最初からきちんと話そうと思った。
「私ね、昨日リアムさんから聞いたことがあるの」
「リアムさんから?」
「うん」
ルナはリアを見る。
「フィールズ家の除籍手続き、もう終わったんだって」
リアの足が止まった。
「……え?」
「正式に終わったみたい。だから今の私は、もうフィールズ家の令嬢じゃないんだって」
リアはしばらく何も言わなかった。
「……本当に、終わったんだ」
「うん」
「……ごめん」
「何でリアが謝るの?」
ルナは思わず聞き返した。
「私、手続きを始めたって聞いてたの」
「……そうだったんだ」
「でも、何もできなかった。止めてもらうこともできなかったし、ルナに知らせることもできなくて……」
リアは俯く。
「そのまま、本当に終わっちゃった」
「リア」
ルナは少し困ったように笑った。
「それはリアが謝ることじゃないよ」
「でも……」
「除籍を決めたのはリアじゃないでしょ?」
リアが黙る。
「それに、私は自分で家を出たんだよ。修道院に行きたくなかったし、これからどうするかを誰かに決められるのも嫌だったから」
ルナは続ける。
「だから、リアが止められなかったことを謝る必要はないよ」
「……うん」
「それにね。今は、これでよかったと思ってる」
「……本当に?」
「うん」
少なくとも、後悔はしていない。
「旅に出て、いろんなことができたから」
「そっか……」
リアはまだ少し寂しそうだったものの、やがて小さく頷いた。
「それでね」
ルナは続ける。
「私、王都には行かないことにした」
「……そう」
「家にも戻らない。まあ、もう戻る家でもないんだけどね」
少し冗談めかして言うと、リアが困ったように笑った。
「このまま旅を続けたいの」
ルナは前を向いたまま続ける。
「旅をしてる間、すごく楽しかったの。知らないものを見たり、料理を作ったりして……もっといろんなところに行ってみたいって思った」
そこでリアを見る。
「だから、エレンジアに行こうと思ってる」
「……エレンジアに」
「うん。ミアとレオも一緒に行ってくれるって」
リアはしばらく何も言わなかった。
やがて、少し寂しそうに笑う。
「……やっぱり、帰らないんだね」
「うん」
「何となく分かってたの」
「え?」
「ルナ、旅の話をしてる時、前よりずっと楽しそうだったから」
リアは少し俯く。
「だから、家に戻ってきてほしいとは言わない」
「リア……」
「本当は、寂しいけど」
その言葉に、ルナも胸の奥が少し痛んだ。
「私も寂しいよ」
「……本当?」
「当たり前でしょ」
ルナは苦笑する。
「せっかく、やっとちゃんと話せるようになったのに」
「うん……」
「でも、もう会えないわけじゃないから」
リアが顔を上げる。
「また会える?」
「もちろん」
「約束だよ?」
「うん。約束」
リアの表情が少し明るくなった。
しばらくして、リアが静かに口を開く。
「ルナ」
「何?」
「私は、ルナがやりたいことをしてほしい」
まっすぐルナを見る。
「寂しいけど……ルナが自分で決めたことなら、応援したい」
「……うん」
ルナは頷いた。
「ありがとう、リア」
リアも笑う。
「それなら、殿下のところに行こう」
「一緒に来てくれるの?」
「もちろん」
二人はそのまま、ジェームズのもとに向かった。
◇◇◇
「王都には行かない?」
「はい」
ジェームズを前に、ルナははっきりと答えた。
「せっかく声をかけていただいたのに申し訳ありません。でも、私はこのまま旅を続けたいと思っています」
「エレンジアへ?」
「はい」
ジェームズは少し黙ってルナを見る。
それから、隣に立つリアに視線を向けた。
「あなたも、そのことは聞いているのですか?」
「はい」
「それでいいのですか?」
リアは少しだけ寂しそうな顔をした。
それでも、しっかりと頷く。
「ルナが自分で決めたことですから」
ジェームズは二人を見比べ、やがて小さく息を吐いた。
「分かりました」
「ありがとうございます」
ルナは頭を下げた。
「父上も、あなたに一度会って話を聞きたいと言っているだけです。王都に来るよう命じたわけではありません」
「はい」
「ですから、あなたの意思はそのまま父上に伝えておきます」
「お願いします」
ジェームズは少しだけ表情を和らげる。
「それと、タリオンの件は助かりました」
「みんなが協力してくれたからです」
「……そうですね。そのことも含めて報告しておきます」
「はい」
話を終え、ルナとリアは部屋を出た。
廊下に出たところで、リアがルナを見る。
「これで決まりだね」
「うん」
ルナは頷いた。
王都には戻らない。
フィールズ家にも戻らない。
海を渡り、エレンジアに向かう。
今度は、誰かに決められた道ではない。
自分で選んだ道を、これから進んでいくのだ。




