タリオンの町 13
タリオンで長く続いていた船員病の問題は、ようやく収束の兆しを見せ始めていた。
その知らせは通信の魔道具を通じて、王都にも届けられていた。
王宮の執務室で、国王は宰相から渡された報告書に目を通していた。
「タリオンは随分落ち着いてきたようだな」
「はい。治療を待つ重症者はすでにおらず、新たに症状を訴える者も減っているとのことです」
「そうか」
国王は安堵したように息を吐いた。
「リアたちもよくやってくれた」
「ええ。神官たちとともに連日治療に当たっていたそうです」
「初めて王都を離れての派遣だったが、よい経験にもなっただろう」
国王は満足そうに頷き、報告書をめくる。
「それで、原因についても手がかりが見つかったそうだな」
「はい。食事との関係が強く疑われております。以前から船員の間で知られていた船員病についても、同じ原因である可能性が高いとのことです」
「なるほど……」
国王は少し考えたあと、報告書の一箇所に目を止めた。
「それに気づいた者がいたのだったな」
「はい」
宰相は手元の書類を確認する。
「ルナという十五歳の少女です」
「ほう。その少女はタリオンの住人か?」
「いいえ」
宰相は少し間を置いた。
「リア様の双子の姉、ルナ・フィールズ嬢です」
「……リアの姉?」
「以前、属性判定の後にご家族で登城された際、陛下も一度お会いになっています」
「ああ……」
国王はもう一度報告書に目を落とした。
以前、王宮で一度顔を合わせているはずだった。
けれど、その時のルナのことはほとんど記憶に残っていないらしい。
「では、リアと一緒にタリオンに行っていたのか?」
「いえ。リア様は神殿から派遣されておりますが、ルナ嬢は冒険者二名と行動をともにしているとのことです」
「冒険者?」
国王が不思議そうな顔をする。
「子爵家の令嬢が?」
「詳しい事情までは、今回の報告には記されておりません」
「まあ、その話は戻ってきてから聞けばいいだろう」
国王は特に深く追及せず、再び報告書を見る。
「それより、この年齢で誰にも分からなかった病の原因に気づいたというのは興味深いな」
「患者たちの食生活に共通点があることに気づき、ラバヌイの実や食事の改善を試したそうです」
「なるほど」
国王はわずかに笑った。
「一度、本人から話を聞いてみたい」
「ジェームズ殿下に伝えましょうか?」
「ああ」
国王は頷く。
「無理に連れてくる必要はない。本人が構わないのであれば、王都に戻ったら顔を見せてほしいと伝えてくれ」
「承知いたしました」
宰相が一礼する。
この時、国王はまだ知らなかった。
ルナがすでにフィールズ家を除籍され、正式に平民となっていることを。
◇◇◇
その日の夕方。
教会での手伝いを終えたルナは、ミアとレオとともに宿に戻ろうとしていた。
「ルナ嬢」
後ろから呼ばれ、足を止める。
振り返ると、ジェームズがこちらに歩いてきていた。
「ジェームズ殿下」
「少しいいでしょうか?」
「はい」
ミアとレオが少し離れたところで待つ中、ルナはジェームズと向き合った。
「今日、王都から連絡がありました」
「王都からですか?」
「ええ。タリオンの状況については、こちらから随時報告していましたから」
そこまでは不思議ではなかった。
けれど、続いた言葉には思わず目を瞬く。
「その報告を読んだ父上が、あなたに会いたいと言っています」
「……私に?」
「ええ」
ルナは戸惑った。
「今回の病について、直接話を聞きたいそうです」
「でも、私は……」
自分一人で何かをしたわけではない。
「リアたちが治療してくれて、孤児院の人たちや町の人にも協力してもらって……」
「それも伝わっています」
ジェームズは静かに答える。
「それでも、最初に食事との関係に気づいたあなたから話を聞きたいのでしょう」
「……そう、ですか」
国王に会う。
そう考えただけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
「リア嬢たちが王都に戻る際、もしあなたも来る意思があるなら、同行してほしいとのことです」
「王都に……戻るんですか」
ルナは思わず海の方に目を向けた。
海を渡れば、目的地にしていたエレンジア王国はもうすぐそこだ。
王都を出て、いくつもの町を通って。
ようやくここまで来た。
今さら、また王都に戻る。
すぐに頷くことはできなかった。
「これは命令ではありません」
ジェームズが続ける。
ルナは顔を上げた。
「父上も、無理に連れてくる必要はないと言っています。会えれば話を聞きたい、というだけです」
「……断っても、よいのでしょうか?」
「ええ」
ジェームズは迷わず頷いた。
「すぐに答えを出す必要もありません。タリオンを発つまでにはまだ時間がありますので、よく考えてください」
「…………」
ルナは少し黙ったあと、頭を下げた。
「では……少し考えさせてください」
「分かりました」
ジェームズはそれ以上何も言わなかった。
◇◇◇
宿に戻ると、ルナはミアとレオに先ほどの話を伝えた。
「王様がルナに会いたいって?」
ミアが驚いたように聞き返す。
「うん」
「どうするんだ?」
レオに尋ねられ、ルナは首を振った。
「……分からない」
ジェームズからは、命令ではないと言われている。
断っても構わないとも。
それでも、相手は国王だった。
「私だけのことなら、断ってもいいのかもしれないけど……」
「何か気になるの?」
ミアに聞かれ、ルナは膝の上で手を組む。
「私が断ったことで、お父様たちが何か言われたらどうしようって。それでリアにまで迷惑がかかったら嫌だなって」
「リア様に?」
「うん」
勝手に家を出た自分が、さらに国王からの誘いまで断る。そのことでフィールズ家が問題視されれば、聖女候補であるリアにも影響が出るかもしれない。
「……だから、もう少し考えた方がいいのかなって」
何が正しいのか、まだ分からない。
その時だった。
部屋の扉が叩かれる。
「はい」
レオが扉を開ける。
そこに立っていたのは、リアムとマシューだった。
「こんばんは」
「リアムさん?」
ルナが驚いて立ち上がる。
「急にごめん。少し話したいことがあるんだけど、今いいかな?」
「話?」
「うん。できれば三人に聞いてほしい」
いつもより少し真面目な様子だった。
ルナはミアとレオを見る。
二人も頷く。
「どうぞ」
二人を部屋に招き入れる。
リアムは椅子に腰を下ろしたものの、すぐには口を開かなかった。
「……どうしたんですか?」
「いや、どこから話そうかなと思って」
リアムは少し困ったように笑った。
「まず、俺のことから話すよ」
「リアムさんのこと?」
「うん」
リアムはルナたちを見る。
「ナキールから調査に来たって話は本当。俺はエレンジアの魔法研究所に所属してるし、今回も調査のためにタリオンに来た」
一度言葉を切る。
「でも、身分については黙ってた」
「身分?」
「俺の正式な名前は、リアム・エレンジア」
ルナが目を瞬く。
聞き覚えのある国名と同じ家名。
「もしかして……」
「うん」
リアムは少し困ったように笑った。
「エレンジア王国の第三王子」
「…………」
部屋が静まり返る。
三人は思わずマシューを見る。
「本当ですよ」
「ええっ!?」
最初に声を上げたのはミアだった。
「王子様だったんですか!?」
「一応ね」
「一応って……」
レオも驚いたようにリアムを見る。
ルナは立ち上がりかけたが、リアムがすぐに手で制した。
「今まで通りでいいよ」
「でも……」
「町では身分を伏せて調査してたんだ。ジェームズにも最初から許可はもらってる」
「だから、ラバヌイ茶のことも殿下に?」
「うん。調査中に分かったこととして、必要な範囲で共有してた」
「そうだったんですね……」
驚きはしたものの、リアムが今日ここへ来た理由は別にあるらしい。
表情が少し真剣になる。
「それで、ここからが謝りたいこと」
「謝る?」
「俺、《鑑定》のスキルを持ってるんだ」
「鑑定……」
「普段、人に使う時には本人の許可を取ってる。でも——」
リアムはまっすぐルナを見る。
「ルナに使った」
ルナの表情が止まった。
「……私に?」
「うん。リアと似てることに気づいて、確かめたくなった。それで、許可も取らずに使った」
リアムは頭を下げる。
「すぐにやめたから、見えたのは名前と属性だけ。でも、勝手に使ったことに変わりはない。本当にごめん」
ルナはすぐには答えなかった。
隣では、ミアとレオも険しい表情になっている。
「それで、ルナ・フィールズって名前を知った。それからマシューに頼んで、フィールズ家について調べてもらった」
今度はマシューが頭を下げた。
「その件については、私からも謝ります」
「マシューさん……」
「公に確認できる記録に限って調べましたが、本人に断りなく調べたことに変わりはありません。申し訳ありませんでした」
しばらく、誰も話さなかった。
ルナは二人を見てから、小さく息を吐く。
「……正直、いい気分はしません」
「うん。本当にごめん」
リアムは言い訳しなかった。
「でも、隠さず話してくれたことは分かりました」
それで許したわけではない。
けれど、今は先を聞いた方がいいと思った。
「それで……何が分かったんですか?」
リアムが顔を上げる。
「ルナは、これを知っておいた方がいいと思ったんだ」
そして、ゆっくりと告げた。
「フィールズ家は、君が家を出たあと、除籍の手続きを始めてた」
「そう……ですか」
そのこと自体には、それほど驚かなかった。
いつかそうなる可能性は考えていた。
「それで、その手続きがつい最近正式に終わってる」
「終わった……?」
「うん」
リアムははっきり言った。
「今のルナは、もうフィールズ家の令嬢じゃない。正式には平民になってる」
「…………」
ルナはしばらく何も言わなかった。
「……そっか」
ようやく、それだけ呟く。
いつかそうなる可能性は考えていた。
自分から家を出たのだから、ずっと籍を残してもらえるとは思っていなかった。
それでも、実際に終わったと聞くと、不思議な感覚があった。
もう、自分はフィールズ家の令嬢ではない。
頭では理解できるのに、その言葉がすぐには馴染まなかった。
「あ……」
そこで、ルナは今日ジェームズから聞いた話を思い出した。
「今日、ジェームズ殿下から言われたんです」
国王が会いたがっていること。
命令ではなく、断っても構わないと言われたこと。
それでも、フィールズ家やリアに迷惑がかからないか気になっていたこと。
「だから、どうしたらいいのか考えてて……」
ルナはそこで言葉を止めた。
さっきまでとは、自分の立場そのものが違っている。
けれど、それで何を選べばいいのかまでは分からなかった。
「なあ」
それまで黙っていたレオが、リアムを見る。
「一つ聞いていいか?」
「いいよ」
「今のルナは平民なんだろ? 国王から会いたいって言われてるのに、行かなくても本当に問題ないのか?」
「ジェームズは命令じゃないって言ったんだよね?」
リアムが確認する。
「はい」
「だったら、断っただけで罪に問われるような話じゃないよ」
ルナが少しだけ安堵したように息を吐く。
「もちろん、国王からの申し出なのは事実だから、何も考えず断ればいいとは言わない。でも——」
リアムはルナを見る。
「フィールズ家のために行かなきゃって考える必要はない」
「…………」
「リアのことを心配するのもいい。王都で直接話をしてみたいと思うなら、それもいい」
リアムは少し笑った。
「でも、最後に決めるのはルナだよ」
「私が……」
「うん」
これまでルナは、どうするべきなのかばかり考えていた。
国王に会った方がいいのか。
断れば誰かに迷惑がかからないか。
リアは大丈夫なのか。
けれど、自分自身がどうしたいのかは、まだきちんと考えていなかった。
「王都に行ったらどうなるのか。行かなかったらどうなるのか。それも考えて」
リアムは続ける。
「その上で、自分がどうしたいかで決めればいいと思う」
ルナはしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷く。
「……考えてみます」
今までとは、考えなければならないことが少し変わった気がした。
誰かにとって正しい答えではなく、自分がどうしたいのか、それを考える必要があるのかもしれない。




