5-8
ラバヌイのお茶を近所の人たちにも試してもらうようになってから、二日が経った。
その日も朝から孤児院を訪れていたリアムは、部屋の中を見回して小さく目を見開いた。
「……結構違うね」
二日前と比べると、子どもたちの様子が少し変わっている。まだ元気に走り回れるほどではないものの、横になっている子は減り、起きて過ごしている子が増えていた。
「ルナ!」
部屋の奥から、ジャンが嬉しそうに駆けてくる。
「今日、昨日より身体が楽なんだ」
「本当?」
「うん。朝もちゃんと食べた」
「だるいのは?」
「まだちょっとある。でも、前より全然いい」
ルナはすぐにジャンの様子を確認する。
「そっか。よかった」
ルナはほっとしたように笑うと、すぐに手帳を開いた。
ジャンは最初にラバヌイ茶を飲み始めた子だ。それから毎日、少量ずつ何度か飲み続けている。
ほかにも、症状の軽い子どもたちの中には、身体のだるさが軽くなったり、食欲が戻ったりしている子が出始めていた。
そして今日からは、ケイティにも飲んでもらうことにした。
これまで飲んだ者に体調を崩した者はいない。
何日か様子を見たことで、ルナもようやく決心することができた。
「ケイティも、本当に少しずつだからね」
「うん」
寝台の上で、ケイティが嬉しそうに頷く。
「何か変な感じがしたら、すぐに教えて」
「分かった」
ルナは量を確認してから、ラバヌイ茶を渡した。
これで、孤児院にいる子どもたちは全員がラバヌイ茶を飲み始めたことになる。
ルナはそれぞれが飲んだ量や回数と、その後の体調の変化を細かく記録し続けていた。
「リアムさん」
呼ばれて、リアムが顔を上げる。
「ちょっと見てもらってもいいですか?」
「俺が?」
「はい。一緒に考えてほしくて」
差し出された手帳を受け取る。
ジャンをはじめ、一日に何度かラバヌイ茶を飲んでいる者には、身体のだるさが軽くなったり、食欲が戻ったりと変化が出始めていた。
一方、不安から一日に一度だけ、それも少量しか飲んでいない者には、今のところ目立った変化がほとんどない。
「……よくなってる人って、一日に何度か飲んでる人が多くない?」
「やっぱり、そう見えますよね」
ルナも隣から手帳を覗き込む。
「偶然かな?」
「まだ分かりません」
ルナはすぐには頷かなかった。
「元々の症状も違いますし、食べてるものもみんな同じじゃないので」
「そっか」
「でも、今のところは、一日に何度か飲んでる人の方が変化が出てるように見えます」
「一回に少し飲んだだけじゃ、足りない可能性があるってこと?」
「その可能性はあると思います」
ルナは手帳に何かを書き加えた。
「ただ、まだ始めたばかりだから」
「もうこれだけ変わってる、とも言えるけどね」
「え?」
「いや」
リアムは子どもたちを見る。
ジャンは先ほどから自分の足で歩き回っている。
ほかの子どもたちにも、少しずつではあるが変化が出始めていた。
近所から協力してくれた者たちの中にも、体調がよくなってきたと話す者がいる。
「かなり大きな変化だと思うけどな」
「……うん」
ルナも嬉しそうに手帳を見る。
けれど、その表情にはまだ慎重さが残っていた。
「もう少し詳しく見てみましょう」
「そうだね」
二人はそのまま、記録を一人ずつ確認していった。
◇◇◇
昼を少し過ぎた頃。
一通り確認を終えたリアムは、少し離れたところでマシューと休んでいた。
「思ったより早く変化が出たな」
「うん。まだラバヌイのおかげだとは断定できないけどね」
「それでも、十分手がかりにはなりそうだ」
「そうだね」
答えながら、リアムは何気なくルナに目を向けた。
少し離れたところで、ミアやレオと話している。
ミアが何かを言うと、ルナが困ったように笑った。
この数日、孤児院で顔を合わせるうちに、ルナと話す機会も増えていた。
最初は、変わった知識を持つ少女だと思っていた。
けれど、気になったのはそれだけではない。
(やっぱり、綺麗なんだよな)
顔立ちのことではない。
姿勢や歩き方。
物を受け取る時の手の添え方。
年上の者と話す時の言葉遣い。
普段はそれほど目立たない。
本人も意識している様子はなかった。
けれど、幼い頃から自分も礼儀作法を叩き込まれてきたからこそ分かる。
あれは、少し習った程度で身につくものではない。
(貴族の教育を受けてたのかな)
そう考えると納得できる。
けれど、ルナは家名を名乗っていない。
冒険者として旅をし、この先はエレンジアに向かうと言っていた。
何か事情があるのだろう。
それ以上考えるのはやめようと、リアムが視線を外しかけた時だった。
「もう、ミア」
ルナが笑いながら振り返る。
その横顔を見た瞬間、リアムの動きが止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
マシューに聞かれたが、リアムは答えなかった。
今の顔。
初めて会った時から、ずっとどこかで見たことがあるような気がしていた。
そして、ようやく分かった。
(リアだ)
数日前、教会で見た少女。
クリーヴランドで四十年ぶりに現れた光属性の持ち主。
聖女候補、リア・フィールズ。
髪の色は違う。
リアは金色で、ルナはブラウンだ。
けれど、よく見れば顔立ちは似ている。
何より、紫色の瞳は同じだった。
(姉妹……?)
確かめたい。
そう思った次の瞬間、リアムは《鑑定》を使っていた。
『ルナ・フィールズ』
『属性:なし』
「——っ」
名前が見えた瞬間、リアムは慌てて鑑定を解いた。
ほんの一瞬だった。
それ以上の情報は見ていない。
けれど、もう遅い。
「……やっちゃった」
「何を?」
すぐ隣から声が返ってくる。
リアムはゆっくり顔を向けた。
「…………」
「リアム?」
「……鑑定」
「は?」
「今、ルナに使った」
マシューの顔が変わった。
「お前……許可は?」
「取ってない」
「何してるんだ!」
声こそ抑えていたが、本気で怒っているのが分かる。
リアムは何も言い返せなかった。
鑑定は便利なスキルだ。
だからこそ、普段は人に使う時には本人の許可を取るようにしている。
犯罪の捜査など、仕事として必要な場合は別だ。
けれど、今回は違う。
ただ、自分が気になった。
それだけだった。
「……ごめん」
「俺に謝ってどうする」
「そうだよね」
リアムは小さく息を吐いた。
「……本人には話さないと駄目だよね」
「当たり前だ」
マシューはまだ険しい顔をしている。
「お前、自分の鑑定がどういうものか分かってるだろ」
「分かってる」
だからこそ、余計にやってしまったと思う。
リアムはもう一度ルナを見る。
本人は何も気づかず、ミアたちと話していた。
「それで?」
しばらくして、マシューが口を開く。
「そこまで驚いたってことは、何か見えたんだろ」
「ああ」
リアムの表情が少し変わる。
「ルナ・フィールズ」
「フィールズ?」
マシューもすぐに気づいたらしい。
「聖女候補と同じ……」
「うん。リア・フィールズ」
二人は揃ってルナを見る。
「それと、属性はなしだった」
「……姉妹か?」
「たぶん。顔もよく見ると似てる」
それなら、ルナの所作が整っていることにも説明がつく。
フィールズ家は、クリーヴランドの貴族だったはずだ。
だが、それなら新しい疑問が生まれる。
「なんで貴族の令嬢が、家名を伏せて冒険者をしてるんだ?」
マシューが呟く。
「そこなんだよね」
しかも、ルナは国外に向かおうとしている。
「マシュー」
「今、勝手に鑑定したばっかりだろ」
先回りして言われ、リアムが言葉に詰まった。
「……分かってる」
「本当に分かってるのか?」
「だから、個人的なことまで調べてほしいわけじゃない」
リアムは真面目な顔で続ける。
「フィールズ家で最近、公になってる出来事で何かないか。それだけ確認してほしい」
「……何かあったと思ってるのか?」
「分からない。でも、貴族の令嬢が家名を伏せて旅をして、国外に向かおうとしてるんだ。何もないとは思いにくい」
マシューはしばらく黙っていた。
「公に確認できる範囲だけだな」
「うん。それでいい」
「……分かった」
「ありがとう」
「ただし、もう勝手に鑑定するな」
「……はい」
今度ばかりは、リアムも大人しく頷いた。
そして、もう一度ルナに目を向ける。
ルナ・フィールズ。
リアと同じ家名を持ちながら、家名を名乗らず旅をしている少女。
気になることが、また一つ増えてしまった。
◇◇◇
孤児院を出たあと、リアムとマシューは領主の屋敷に戻った。
フィールズ家についてはマシューに任せるとして、今はそれより先に伝えなければならないことがある。
「ジェームズ、少しいい?」
屋敷に戻っていたジェームズを見つけ、リアムが声をかける。
「どうしました?」
「病気のことで、手がかりが見つかったかもしれない」
いつもより真面目な様子に気づいたのか、ジェームズはすぐに二人を別室に案内した。
席につくと、リアムは食事との関係を疑っていることと、ラバヌイ茶を試した者たちに改善の傾向が出始めていることを簡単に説明した。
「まだ断定はできないけど、何度か飲んでる人の方が変化が早いみたいなんだ」
「ラバヌイのお茶、ですか……」
ジェームズが考え込む。
「安全性は?」
「今のところ問題は出てない。最初は少人数から始めて、様子を見ながら増やしてる」
リアムはそこで、もう一つ思い出した。
「そういえば、孤児院では食事の方も変えてるみたいだよ」
「食事?」
「幸運のスープっていう、青葉草を使った料理を食べてる。ラバヌイ茶を考えた子が作ってるんだけど、食欲が落ちてる子でも食べやすいらしい」
「幸運のスープ……?」
ジェームズがその名前を繰り返す。
「だから、孤児院の子どもたちだけを見て、全部ラバヌイのおかげだとはまだ言えない。ただ、近所から協力してくれてる人たちにも改善が出始めてる」
「その方たちは?」
「ラバヌイ茶だけだよ」
「なるほど……」
ジェームズの表情が少し変わる。
「教会でも、希望する人にラバヌイ茶を試してもらうのはどうかな」
「教会でも?」
「効果が確実じゃないことをちゃんと説明した上で、それでも試したい人だけに」
ジェームズはすぐには答えなかった。
「今は治療を待ってる人も多いだろ? 重症の人は今まで通り神官たちが治療する。それ以外の人には、待ってる間に試してもらう方法もあると思う」
「……なるほど」
「もし同じように改善する人が増えれば、食事との関係ももっと確かめられる」
しばらく考えたあと、ジェームズが頷いた。
「分かりました」
「試してみる?」
「私一人では決められません」
ジェームズはそう言って立ち上がる。
「ですが、ペトロたちには話します。実際に患者を診ているのは彼らですから」
「うん。それで十分」
「記録も確認したいですね」
「必要なら持ってくるよ」
「お願いします」
話を終え、リアムは小さく息を吐いた。
病気の方には、ようやく手がかりが見え始めている。
けれど——。
(ルナ・フィールズ、か)
知り方は、完全に間違えた。
そのことだけは、考えるたびに胸の奥に引っかかった。




