タリオンの町 4
翌朝。
ルナたちは一階に下り、しおなぎ亭で朝食を取っていた。パンとスープ、それに焼いた魚がテーブルに並んでいる。
「そういえば、レオ」
パンをちぎりながら、ルナが顔を上げた。
「何だ?」
「昨日、護衛依頼が終わったでしょ?」
「ああ」
「レオは、この後どうするの?」
レオが手を止める。
「どうするって?」
「ここまでの護衛をお願いしてたんだから、依頼はもう終わりなんだよね」
昨日、ギルドで護衛依頼は正式に終了している。
ずっと三人で旅をしてきたため忘れかけていたが、もともとレオに頼んだのはタリオンまでだった。
「だから、これからどうするのかなって」
「一緒に行くけど」
「……そうなの?」
「何で驚くんだよ」
レオが呆れたようにルナを見る。
「エレンジアに行くんだろ?」
「そのつもりだけど……」
「じゃあ一緒に行けばいいだろ。今さら二人だけで行かせるわけにもいかないしな」
あまりにも当然のように言われ、ルナはミアと顔を見合わせた。
「だって、依頼は終わったよ?」
「依頼が終わったら一緒に旅しちゃ駄目なのか?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ問題ないだろ」
レオはそう言って、何事もなかったように食事を再開する。
「よかったね、ルナ」
「うん」
ルナも自然と笑みを浮かべた。
「これからもよろしくね、レオ」
「ああ」
これまでと何も変わらない。
ただ、もう依頼人と護衛としてではなく、一緒に旅をする仲間として。
そう思うと、少しだけ嬉しかった。
それから朝食を食べ進めていたルナは、昨日持ち帰ったものを思い出した。
「やっぱり、試してみようかな」
「ラバヌイ?」
ミアが尋ねる。
「うん。私の知ってるものと同じかは分からないけど、お茶にして飲んでみたいの」
「自分で?」
「まずはね」
昨日採ったラバヌイは、まだ鞄に入れてある。
前世で知っていたローズヒップによく似ているが、見た目だけで同じものだと決めつけることはできない。
「でも、お茶にして飲む人はいないんだよね?」
「少なくとも俺は聞いたことないな」
「じゃあ、一応この町でも聞いてみようかな」
ちょうど食器を片づけに来たデボラに、ルナは声をかけた。
「デボラさん、少し聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「ラバヌイって知ってますか?」
「ラバヌイ?」
デボラは少し意外そうな顔をした。
「そりゃ知ってるよ。この辺にも生えてるからね」
「食べたことはあります?」
「食べたこと?」
ますます不思議そうな顔をされる。
「子どもの頃に齧ったことならあるけどね。硬いし酸っぱいし、一口でやめたよ」
「お茶にしたりは?」
「ラバヌイを?」
デボラは目を丸くした。
「そんな飲み方は聞いたことないねえ」
「やっぱりそうなんだ……」
「どうして急にラバヌイなんだい?」
「ちょっと試してみたいことがあって」
ルナは昨日採ってきた赤い実を取り出した。
「これをお茶にしてみようと思ってるんです」
「これを?」
「はい」
「へえ。変わったことを考えるねえ」
「よく言われます」
ルナが苦笑すると、隣でミアが笑った。
「お湯なら用意してあげるよ」
「ありがとうございます」
ルナは借りた器の上でラバヌイの実を割った。
中の種と細かな毛を丁寧に取り除き、残った果肉を細かく刻んでいく。
(確か、こんな感じだったはず……)
ローズヒップについての記憶を頼りに処理を終えると、それをカップに入れ、デボラにもらったお湯を注いだ。
あとはしばらく待つ。
「どう?」
ミアが興味深そうに覗き込む。
「もう少しかな」
「普通のお茶より時間かかるんだな」
「初めてだから、どのくらいがいいのか私にも分からないの」
「それでも飲むのか?」
「毒はないって分かってるし、まずは少しだけ試してみる」
しばらくして、ルナはカップを手に取った。
ほのかに色づいたお茶から、実をそのまま嗅いだ時とは少し違う香りがする。
まずは香りを確かめ、それから慎重に一口だけ口に含んだ。
「……あ」
「どう?」
「思ったより飲みやすい」
舌に感じる酸味はあるものの、実をそのまま齧るほど強くはない。
「美味しい?」
「うん。少し酸味はあるけど、私は好きかも」
記憶にあるローズヒップティーとも、どこか似ている。
「前世で飲んだものにかなり似てる」
「じゃあ、やっぱり同じものなのか?」
「それはまだ分からないよ」
レオの言葉に、ルナは首を振った。
「見た目と味が似てるだけかもしれないし。今日は少しだけにして、しばらく様子を見てみる」
「俺たちも飲んでみる?」
「今日は私だけでいいよ」
「何で?」
「初めての飲み方なんだから、三人で一度に試す必要はないでしょ」
「それもそうだね」
ミアが納得したように頷く。
毒がないことは分かっている。
けれど、まずは少量から試して、何も問題がないことを確かめた方がいいだろう。
「あ……」
「どうしたの?」
「記録」
ルナは慌てて手帳を取り出した。
以前、ラバヌイについて書いた場所を開き、今日試したことを書き加えていく。
『ラバヌイの実から種と毛を取り除き、果肉を細かくしてお湯を注ぐ。そのまま食べるより酸味は穏やか。前世のローズヒップティーによく似ている。少量を試飲』
「……これでよし」
「細かく書くんだね」
ミアが手帳を覗き込む。
「忘れちゃうかもしれないから。それに、あとで比べられるように残しておきたいの」
「なるほどね」
ルナは書いたばかりのページをもう一度確認してから、手帳を閉じた。
見た目だけでなく、味も前世のローズヒップティーによく似ている。
だからといって、身体に必要な栄養まで同じとは限らない。
それでも、確かめてみる価値はありそうだった。
「じゃあ、今日は市場に行こう」
「野菜とかを見るんだよね?」
「うん。どんなものが売ってるのか、値段も見ておきたい」
ルナは残ったラバヌイを大切にしまうと、ミアとレオとともに出かける準備を始めた。
◇◇◇
しおなぎ亭を出たルナたちは、タリオンの市場に向かった。
港町だけあって、市場そのものは広い。
魚や干物を並べた店には人が集まり、威勢のいい声も聞こえてくる。
けれど、サラスの市場と比べると、どこか活気が足りなかった。
「やっぱり人、少ないね」
ミアが周囲を見ながら言う。
「病気の影響もあるんだろうな」
「うん……」
ルナは店先を眺めながら歩いていく。
魚や肉、パン。
麦や芋なども並んでいる。
食べ物そのものが不足しているわけではなさそうだった。
しかし、野菜を扱う店の前まで来たところで、ルナは足を止めた。
「……高い」
思わず声が漏れる。
「そんなに?」
ミアも値段を確認する。
「うん。他の町で見た時よりずっと高いよ」
並んでいる種類も少ない。
特に葉物は品数が少なく、果物を扱う店も似たような状況だった。
「これじゃ、毎日買うのは大変だね」
「うん」
ルナは少し考えてから、店番をしていた女性に声をかけた。
「すみません。野菜って、前からこの値段なんですか?」
「ああ。もうしばらくこんな感じだよ」
「何かあったんですか?」
「数か月前の長雨のせいだよ。そのせいで畑が駄目になったところが多いんだよ」
「畑が?」
「ああ。特に野菜や果物が駄目になってね」
「今も高いままなんですね」
「一度駄目になった畑が、すぐ元通りになるわけじゃないからね。少しは落ち着いたけど、まだ高いよ」
さらに病気の噂が広まってからは、町を訪れる商人も減っているらしい。
「ありがとうございます」
ルナは礼を言って店を離れた。
少し歩いたところで、レオが口を開く。
「でも、芋や麦は普通にあるんだな」
「うん。全部が不作だったわけじゃないみたい」
食べるものがないわけではない。
芋もある。
麦もパンもある。
港町だから魚も手に入る。
けれど——。
「野菜や果物だけ、かなり高いんだね」
ミアの言葉に、ルナは小さく頷いた。
長い航海をする船乗り。
そして、野菜や果物を十分に買えない町の人々。
(……やっぱり、食事が関係してるのかも)
まだ決めつけることはできない。
けれど、サラスで病気の話を聞いた時よりも、その可能性は高くなったように思えた。
「もう少し調べてみたい」
「何を?」
レオが尋ねる。
「実際に病気になってる人たちが、最近どんなものを食べてたのか」
そこで、昨日ギルドで聞いた話を思い出す。
町の住人では、生活に余裕のない者に症状の重い人が多いという。
「孤児院に行ってみてもいい?」
「孤児院?」
ミアが聞き返す。
「うん。もし同じ病気になってる子がいるなら、最近の食事についても聞けるかもしれないから」
ミアとレオは顔を見合わせる。
やがて二人とも頷いた。
「あたしはいいよ」
「俺も構わない」
「ありがとう」
三人は市場をあとにすると、町の人に場所を尋ねながら孤児院に向かった。
孤児院は、大通りから少し離れた場所にあった。
二階建ての古い建物で、庭には洗濯物が干されている。
けれど、カロンの孤児院とは違い、外で遊んでいる子どもの姿はなかった。
「ここみたいだな」
「うん」
ルナは扉を叩いた。
しばらくすると、四十代くらいの女性が姿を現す。
「はい。どちら様でしょう?」
「突然すみません。少しお話を聞いてもいいですか?」
「私に?」
「はい。今、町で広がっている病気のことを少し調べていて」
女性は不思議そうに三人を見た。
「冒険者の方ですか?」
「はい。昨日タリオンに着いたばかりなんです」
「そうでしたか。私はここの院長をしています」
院長は少し迷ったあと、三人を中に入れてくれた。
「ゆっくりお話しできればいいのですが、今は少し手が足りなくて」
「手短にします」
ルナはすぐに答える。
孤児院には院長のほかに、もう一人手伝いの女性がいるだけらしい。
その女性も今は子どもたちの世話をしているという。
「子どもたちも病気になってるんですか?」
「ええ……」
院長の表情が曇る。
「ここには十人の子どもがいるのですが、二人は症状が重くて、今は教会で治療を受けながら休ませてもらっています」
「そんなに悪かったんですか?」
「一時は起き上がるのもつらそうでした。治療していただいて、今は少しよくなっているそうです」
「ほかの子たちは?」
「程度に差はありますが、ほとんどの子が体調を崩しています」
ルナは奥に目を向けた。
開いた扉の向こうには何人かの子どもがいる。
椅子に座ったままぼんやりしている子。
寝台に横になっている子。
元気そうに見える子もいるが、外で走り回るような様子ではなかった。
「最初は、疲れているだけだと思っていたんです」
院長が続ける。
「でも、なかなかよくならなくて……」
子どもたちにも、これまで聞いていたものと同じ症状が出ているらしい。
ルナは少し迷ってから、本当に聞きたかったことを尋ねる。
「あの……最近の食事について聞いてもいいですか?」
「食事ですか?」
院長が意外そうな顔をする。
「はい。ここ数か月、どんなものを食べていたのか知りたくて」
「そうですね……」
院長は少し考える。
「パンや麦を煮たものが多いです。あとは、芋や安く手に入った時には魚も」
「野菜や果物は?」
その言葉に、院長の表情が少し曇った。
「……最近は、ほとんど出せていません」
「値段が上がったからですか?」
「ええ」
やはりそうだった。
「以前はもう少し用意していたんです。でも、数か月前から急に高くなってしまって」
十人分となれば、毎日の食費も大きい。
野菜や果物が値上がりしたことで、安く買えるパンや麦が食事の中心になっていったらしい。
「いつ頃からですか?」
「長雨のあとからですから……二、三か月ほど前でしょうか」
「二、三か月……」
ルナは小さく繰り返した。
野菜や果物をほとんど食べられない食事が、数か月。
そのあとに現れた倦怠感や食欲の低下。
さらに進めば、歯茎からの出血や痣。
(やっぱり……)
偶然とは思えなかった。
「ルナ?」
ミアに呼ばれ、ルナは我に返る。
「あ、ごめん」
もっと詳しく聞きたい気持ちはあった。
しかし、奥から院長を呼ぶ子どもの声が聞こえてくる。
「すみません。忙しいところ、ありがとうございました」
「いえ。この程度でよければ」
院長が立ち上がる。
ルナも立ち上がり、もう一度子どもたちの方を見た。
食べるものがないわけではない。
毎日何も食べずに過ごしているわけでもない。
けれど、身体に必要な何かが足りていない。
前世で学んだ病気と同じなら——その何かに、ルナは心当たりがあった。
◇◇◇
孤児院を出た三人は、そのまましおなぎ亭に戻った。
部屋に入ると、ルナは椅子に腰を下ろす。
「……やっぱり、私が知ってる病気と同じだと思う」
「船員病か?」
「うん」
ルナは頷いた。
船乗りは長い航海で野菜や果物を食べられない。
タリオンでは長雨による不作で、それらを買えない人が増えている。
孤児院の食事も、ここ数か月はパンや麦が中心だった。
条件があまりにもよく似ている。
「たぶん、身体に必要なものが足りてないんだと思う」
「じゃあ、野菜とか果物を食べればいいの?」
「前の世界と同じならね。でも……」
「高いんだよね」
ミアの言葉に、ルナは頷いた。
「だから、やっぱりラバヌイを試してみたい」
今朝飲んだあとも、今のところ身体に変わったところはない。
「明日は俺たちも飲んでみるか?」
「うん。少しだけね」
ルナは鞄の中に残っているラバヌイを見る。
「それでも何も問題がなかったら、次のことを考えてみる」
「孤児院の子たち?」
「うん。でも、いきなり症状の重い子には飲ませたくないから、院長先生にも相談して、まずは症状の軽い子からかな」
効果があるのかは、まだ分からない。
それでも、ラバヌイが使えるのなら、野菜や果物を毎日買えない人たちを助ける方法になるかもしれない。
「まずは一つずつ確かめよう」
ルナが言うと、ミアとレオも頷いた。
「うん」
「ああ」
まだ答えが出たわけではない。
それでも、自分の考えを確かめるために、次に何をすればいいのかは見えてきた。




