5-2
同じ日の夕方。
タリオンの港に、一隻の船が到着した。
「やっと着いた」
甲板から港を眺め、リアムが大きく伸びをする。
「思ったより早く着いたな」
「天気もよかったからね」
「遊びに来たみたいに言うな」
「分かってるって」
隣に立つマシューに言われ、リアムは苦笑した。
ナキールからタリオンまでは、船で一日ほど。
ナキールで調査を続ける者たちとは別れ、タリオンまで来たのはリアムとマシュー、それに護衛として同行する数名だけだった。
港に降りると、リアムは周囲を見回した。
大きな港だけあって、いくつもの船が停泊している。
けれど、よく見れば荷を積んだまま動いていない船も多く、普段通りの活気があるとは言い難かった。
「まずは領主のところだな」
「ああ。先に話を聞きに行こう」
二人は迎えに来ていた者の案内で、領主の屋敷に向かった。
応接室に案内されたリアムは、中にいた人物を見て目を瞬いた。
「ジェームズ?」
「リアム殿下」
立ち上がったジェームズは、静かに一礼する。
二人には以前から面識があった。
クリーヴランド王国の第二王子と、エレンジア王国の第三王子。
公の場で顔を合わせたことも一度や二度ではない。
「こちらに来られると報告を受けたので、お待ちしていました」
「さっき着いたばかりだよ。そっちも来てるとは聞いてたけど、こんなに早く会うとは思わなかった」
「私もです」
挨拶を交わしていると、タリオンを治める領主が二人に席を勧めた。
リアムとマシューが腰を下ろす。
「それで、現在の状況を聞かせてもらえる?」
リアムが尋ねると、領主は緊張した様子で、これまでの経緯を順に説明した。
町で原因不明の病気が広がったこと。
船員を集められず、船の出航に影響がでたこと。
「それで、ナキールへの荷物も遅れていたということですか」
マシューの言葉に、領主が頷く。
「はい。特に最近は、出航の日をずらす船が増えております」
「ナキールには、どうしてもっと早く状況を伝えてくれなかったの?」
リアムが尋ねる。
領主の表情がわずかに強張った。
「それは……当初は、これほど大きな問題になるとは考えておりませんでした」
「船員が何人も体調を崩してたのに?」
「最初は数も多くありませんでした。それに、港町では船員が体調を崩すこと自体は珍しいことではありません」
領主は一度言葉を切る。
「それが原因不明の病によるものだと広まれば、他国の船がタリオンへの寄港を避ける可能性もあります。そうなれば、交易への影響は避けられません」
「だから公にはしなかった」
「……はい」
領主が小さく頷く。
リアムの隣で、マシューが眉を寄せた。
「その結果ナキールでは、理由も分からないまま荷物が届かなくなったのですが」
「申し訳ありません」
「今さら責めても仕方ないよ」
リアムはそう言ったものの、その表情から笑みは消えていた。
「でも、もっと早く分かってたら、こっちでも対応できたことはあったと思う」
「……おっしゃる通りです」
領主が頭を下げる。
ジェームズも静かに口を開いた。
「この件については、すでに王宮からも注意しています。今後、状況に変化があれば速やかに報告してもらうことになっています」
「分かった」
リアムは頷いた。
タリオンとナキールは、海を挟んで頻繁に船が行き来している。
この問題が長引けば、影響を受けるのはクリーヴランドだけではない。
「マシュー」
「はい」
「ナキールの調査員にも連絡して。何人か、こっちに来てもらおう」
「本格的に調べるんですか?」
「うん」
リアムは迷わず答えた。
「船員病に関係してるなら、ナキールも他人事じゃない」
「そうですね」
今度はマシューも止めなかった。
「分かりました。こちらに何人か回せるよう連絡します」
「お願い」
それからリアムはジェームズに顔を向けた。
「それとジェームズ。一つ頼みがあるんだけど」
「何でしょう」
「俺たちにも、自由に町を調べさせてもらえない?」
ジェームズは少し考えてから尋ねる。
「エレンジアの調査団として、ということですか?」
「それもあるけど、俺自身も見て回りたい」
「リアム殿下ご自身が?」
「その方が早いから」
ジェームズの視線がマシューに向く。
マシューは小さくため息をついた。
「止めたんですけどね」
「まあ、そういうわけで」
リアムは気にした様子もなく話を続ける。
「ただ、王子が歩き回ってたら、町の人も普通には話してくれないだろ。だから身分は伏せたい」
「研究員として調べるおつもりですか」
「うん。それなら嘘でもないし」
実際、リアムはエレンジアの魔法研究所に所属している。
ジェームズはすぐには答えなかった。
けれど今回、領主から王宮に上がっていた情報だけでは、実際の状況を把握できなかった。
それを考えれば、立場を伏せて町の人間から直接話を聞くことにも意味はある。
「……分かりました」
やがてジェームズが頷いた。
「タリオンの町で調査することを認めます」
「ありがとう」
「ただし、条件があります」
「条件?」
「まず、調査で得た情報はこちらにも共有してください」
「もちろん。そっちで分かったことも教えてもらえるんだろ?」
「ええ。病については両国に関わる可能性があります。情報を隠す意味はありません」
「それなら問題ない」
「それから——」
ジェームズはリアムをまっすぐ見る。
「危険な行動は控えてください」
「…………」
「なぜ黙るのですか」
「いや、危険の基準って人によって違うから」
「リアム様」
隣からマシューの低い声が飛んでくる。
「……分かったよ」
「本当でしょうね」
「二人して疑いすぎじゃない?」
「そう思われる理由に心当たりがあるのでは?」
「……あるけど」
ジェームズにまで言われ、リアムは不満そうな顔をする。
マシューはそんなリアムを横目に見ながら、ジェームズに軽く頭を下げた。
「私も同行いたします。無茶はさせませんので」
「お願いします」
「俺の扱い、ひどくない?」
二人とも答えなかった。
リアムは小さく息を吐くと、椅子の背にもたれた。
ナキールで調べていた時には、詳しい事情は分からなかった。
でも、このまま放っておくわけにはいかない。
「じゃあ、明日から早速調べようか」
そう言ったリアムの顔には、研究所にいる時と同じ、何かを確かめようとする好奇心が浮かんでいた。
◇◇◇
翌日。
領主の屋敷を出たリアムは、付いてきた護衛たちに振り返った。
「ここからは少し離れてついてきて」
「ですが、殿下——」
「町では殿下禁止」
リアムがすぐに口を挟む。
「身分を隠して調べるって話しただろ?」
「……失礼しました」
「何かあったら呼ぶから。それまでは近づきすぎないで」
さすがに護衛を置いていくことまではマシューが許さなかったため、何かあればすぐ駆けつけられる距離を保ってもらうことになった。
「これならいいでしょ?」
「最初からそうしてくれ」
マシューに言われ、リアムは苦笑した。
そんな話をしながら、二人はタリオンの町を歩き始めた。
リアムは研究所で普段着ているような、簡素な服に着替えていた。
これなら一目で王族だと気づかれることはないだろう。
港に続く大通りには、多くの人が行き交っていた。
ナキールで聞いていたほど、町全体が混乱している様子はない。
もちろん不安そうな顔をしている者もいるが、思っていたより明るい雰囲気だった。
「なんか、思ってた感じと違うね」
「もっと暗い雰囲気になってると思ってたな」
「俺も」
リアムが周囲を見回す。
「船が出なくなって、病人も増えてるって話だったからね」
「何かあったのかもな」
しばらく歩いていると、町の人たちの話し声が耳に入った。
「王都から聖女様が来てくださったんだって」
「ああ。昨日も何人も治してくださったらしいぞ」
「じゃあ、もう大丈夫なのかねえ」
「きっと何とかしてくださるさ」
その言葉に、リアムが足を緩める。
「聖女?」
「聖女候補だろ」
「ああ、そういえば」
リアムも思い出した。
「クリーヴランドで四十年ぶりに光属性が出たって話?」
「たぶんな」
「その子まで来てるんだ」
光属性はエレンジアにも存在するが、数十年に一人現れるかどうかという珍しい属性であることに変わりはない。
「ちょっと見に行ってみよう」
「教会に?」
「うん。今の状況も確認しておきたいし」
「まあ、それも調査か」
マシューはそう答えてから、リアムを見る。
「邪魔するなよ」
「しないって。見るだけだよ」
リアムは不満そうに言いながら、教会に向かった。
教会の入り口では、神官たちが訪れた者の症状を確認していた。
中にも多くの人がいる。
「まだ結構いるね」
「ああ。でも、王都から応援が来て少しは治療が回るようになったらしい」
リアムは邪魔にならない場所から中を眺める。
しばらくすると、一人の少女が患者のそばに膝をついた。
金色の髪に紫色の瞳。白を基調とした神殿の服を身につけている。
「あの子かな」
「たぶんな」
少女が両手をかざすと、淡い光が患者の身体を包んだ。
「へえ……」
リアムが興味深そうに目を細める。
「かなり強いな」
「光属性だからな」
リアムは少女の手元をじっと見る。
「まだ慣れてないんだろうけど、それなりに使えてる」
「また始まった」
「何が?」
「研究所でもそうだろ。珍しい魔法を見るとすぐ食いつく」
「いいじゃん。気になるんだから」
光属性が判明してから、それほど時間は経っていないはずだ。
それでも大きく魔力を乱すことなく、慎重に治療を続けている。
やがて光が消え、少女は患者に何か声をかけてから次の者のもとへ向かった。
「……リア、か」
「名前まで覚えたのか?」
「一応ね」
「クリーヴランドの聖女候補なら覚えておいて損はないだろうけど」
「でしょ?」
リアムは満足そうに頷いた。
教会にはまだ多くの患者がいる。
それでも、治療そのものは少しずつ進んでいるようだった。
「こっちは神官たちに任せた方がよさそうだね」
「ああ。俺たちは別のところを調べよう」
「じゃあ、次は港に行こう」
「船の方か?」
「うん。病気の原因だけじゃなくて、止まってる船も何とかしないと」
リアムは教会をもう一度振り返ってから、マシューとともに港へ向かった。
◇◇◇
タリオンの港には、大小さまざまな船が並んでいた。
荷を運ぶ者や船の整備をする者が行き交っている。
けれど、よく見れば普段通りとは言えないことが分かった。
岸壁には出航を待つ船が何隻も停泊したままになっている。
積み上げられた荷物のそばには使われていない荷車もあり、忙しく働いている場所がある一方で、ほとんど人のいない船もあった。
「やっぱり影響は出てるみたいだね」
「ああ」
マシューも港を見回す。
「船があっても、動かす人間がいなければ出せないからな」
「船員が足りないって話だったもんね」
二人は港で働く者たちから、現在の状況を聞いて回ることにした。
話を聞くと、すべての船が止まっているわけではなかった。
予定通り出航している船もある。
だが、必要な人数を集められず、出航を延期している船も少なくないという。
「代わりの船員を集めるのは難しいの?」
「今はな」
尋ねたリアムに、船のそばで縄をまとめていた中年の男が答えた。
「元気な奴は別の船にも声をかけられてる。だから、どこも人の取り合いみたいになってるんだ」
「なるほど……」
「それに、今は乗りたがらない奴もいる」
「病気が怖いから?」
「ああ。船員病だって話が広まってるからな」
船に乗れば病気になる。
そんな噂まで出始めているらしい。
「これじゃ、病人が減ってもすぐ元通りとはいかなそうだね」
「そうだな」
マシューが難しい顔で頷いた。
病気になった船員を治療するだけではない。
船員たちの不安が消えなければ、物流への影響も続く可能性がある。
リアムは少し考えてから、男にもう一つ尋ねた。
「病気になる前と比べて、船で何か変わったことはなかった?」
「変わったこと?」
「航路を変えたとか、今までと違う場所に寄るようになったとか」
「いや……特にないな」
男は首を振った。
「俺たちはずっとタリオンとナキールを行ったり来たりしてる」
「積んでるものは?」
「それも大して変わらんよ」
「水は?」
「出る前に積んで、足りなくなりそうなら向こうで補給する。昔から同じだ」
「食事は?」
「日持ちするパンや干し肉なんかだな。航海中に食うものなんて昔からそんなもんだろ」
「最近変わったものは?」
「いや。昔から同じだ」
「そっか」
リアムは頷いた。
その後も何人かの船員に話を聞いてみた。
しかし、返ってくる答えはどれも似ていた。
使っている船も、航路も変わっていない。
水の積み方にも大きな変化はなく、最近になって特別な荷物を扱うようになったわけでもない。
船員たち自身にも、病気が広がり始めた頃に何かが変わったという心当たりはないようだった。
「何も出てこないな」
一通り話を聞いたところで、リアムが呟いた。
「少なくとも、最近になって船で何か変わったってわけじゃなさそうだな」
「うん」
リアムは停泊している船を眺めた。
「船員病みたいな症状が出てるなら、船に何か原因があるのかと思ったんだけど」
「町の人間にも出てるんだろ?」
「そこなんだよね」
船に原因があるのなら、船に乗ったことのない者まで同じ症状を訴えていることの説明がつかない。
「水も船ごとに違う。航路も荷物も変わってない……」
「今日だけじゃ分からないこともあるだろ」
「そうだね」
ナキールから呼んだ調査員も、まだ到着していない。
詳しく調べるのはこれからだ。
「今日は一度戻ろうか」
「ああ。聞いた話もまとめておいた方がいい」
リアムは頷いた。
船も、航路も、水も、船上での食事も、最近になって大きく変わったものはない。
それなのに、病人だけが増えた。
「……何か見落としてるのかな」
リアムは停泊した船を見ながら、小さく呟いた。




