サラスの町 6
翌朝。
ルナたちが一階に下りると、朝食の準備をしていたサリーがすぐに声をかけてきた。
「ルナ、おはよう」
「おはよう、サリー」
「昨日のハッカソウなんだけど、いい感じだと思うよ」
「本当?」
ルナはぱっと顔を明るくした。
「朝、気になって見てみたんだけど、昨日よりずっと乾いてたよ」
「じゃあ、ご飯を食べたら見に行ってみる」
「うん」
楽しみができたルナは、ミアとレオと一緒に朝食を食べ始めた。
「ちゃんとできたみたいだな」
レオがパンをちぎりながら言う。
「まだ分からないよ。乾いてても、お茶にして美味しくなかったら失敗だし」
「そうなの?」
「香りがなくなってるかもしれないし」
昨日、《ドライ》を使って乾燥を早めてみた。けれど、しっかり乾いたあともハッカソウの香りや味が残っているとは限らない。
「早く食べよ」
ミアが笑う。
「ルナ、さっきから気になって仕方ないって顔してるよ」
「だって初めてやったんだもん」
「分かったから、ちゃんと朝ご飯も食べて」
「食べてるって」
そう言いながらも、ルナはいつもより少しだけ早く朝食を終えた。
食後、ルナとミアはサリーと一緒に昨日ハッカソウを置いた場所に向かった。
「これだよ」
布の上に広げていた葉は、昨日とは明らかに変わっていた。
ルナが一枚手に取る。
「おお……」
昨日はまだ少し水分が残っていた葉も、一晩置いたことでしっかり乾いている。
「ちゃんと乾いてる」
「成功?」
「まだ。飲んでみないと」
ルナは乾燥させたハッカソウの香りを確かめる。
「匂いも残ってる」
「じゃあ大丈夫そうだね」
「お茶にしてみよう」
サリーにお湯を用意してもらい、乾燥させた葉を入れる。
三人でじっと待っていると、やがて昨日と同じ爽やかな香りが漂ってきた。
「あ、いい匂い」
「昨日とそんなに変わらないね」
「うん」
ルナは期待しながらカップに口をつける。
爽やかな香りとともに、すっきりとした味が広がった。
「……美味しい!」
「本当?」
「うん。ちゃんとお茶になってる」
ミアとサリーもそれぞれ飲んでみる。
「本当だ。昨日と同じ感じ」
「これなら乾燥させても大丈夫だね」
「やった!」
ルナは嬉しくなって、もう一度乾燥させた葉を見る。
これなら森で採ってきたハッカソウをすぐに使い切る必要はない。
乾燥させて持っておけば、旅の途中でも好きな時にお茶を淹れられる。
「これからは見つけたら、少し多めに持って帰ってもいいかも」
「でも、採りすぎないようにね」
「分かってるよ」
ミアに言われ、ルナは笑った。
「あの、ルナ」
「ん?」
サリーが乾燥したハッカソウを見ながら尋ねる。
「私もこれ、作ってみてもいいかな?」
「もちろん」
ルナはすぐに頷いた。
「私が考えたものってわけでもないし、好きに作っていいよ」
「ありがとう」
サリーは嬉しそうに笑う。
「でも、ちゃんとハッカソウだって分かる人から仕入れた方がいいよ。魔力草と似てるから」
「わかった。それで、お父さんとお母さんにも飲んでもらってみる。気に入ってくれたら、宿でも出せるかもしれない」
「いいんじゃない?」
ミアも賛成する。
「美味しいし、評判になるといいね」
「うん!」
「それに、冒険者も喜ぶかも」
「冒険者が?」
サリーが首を傾げる。
「ほら、ハッカソウって魔力草とよく似てるでしょ? 間違えて採ってきても、今までは捨てるしかなかったんだよね」
「ああ、なるほど」
ルナも納得する。
「ここでお茶に使ってもらえるようになったら、間違えて採ってしまった時も、捨てずに済むね」
「でしょ」
「もし宿で出して、気に入る人が増えたら、ハッカソウにも少しは使い道ができるかもしれない」
「そんなに人気になるかな?」
サリーは少し照れくさそうに笑う。
「なるかもしれないよ。美味しいもん」
「あたしも好き」
ミアも頷いた。
「じゃあ、頑張ってみるね」
「うん。評判になったら教えてね」
「もちろん」
三人は笑い合いながら、もう一度お茶を口にする。
魔力草と間違えて採れば、捨てられるだけだったハッカソウ。けれど、使い道が一つ見つかるだけで、その価値は変わるのかもしれない。
ルナは残った乾燥ハッカソウを見ながら、そんなことを考えていた。
◇◇◇
お茶を楽しんだあと、ルナたちは冒険者ギルドに向かった。
いつもより遅い時間になったこともあり、ギルドの中は朝の混雑がすっかり落ち着いていた。
依頼を受けに来た冒険者の姿もまばらで、受付にも空きがある。
「おはよう、アニー」
「おはよう。今日は遅かったのね」
「ちょっと宿でやりたいことがあって」
ルナが答えると、アニーは『ああ』と何かを思い出したような顔をした。
「そうだ。ちょうどよかった」
「何?」
「この前話したタリオンのこと。少しだけ詳しいことが分かったの」
その言葉に、三人の表情が変わった。
数日前、タリオンでは病気が流行っているらしく、船の運航にも影響が出ていると聞いた。
ルナたちがサラスに留まることにしたのも、その話があったからだ。
「何か分かったの?」
「ええ。昨日、タリオンから来た商人がいてね。その人から向こうの様子を聞けたの」
アニーは周囲を確認すると、三人に少し近づくよう促した。
「前に病気が流行ってるって話したでしょう?」
「うん」
「最初は何の病気か分からなかったみたい。熱が出るわけでもないのに、身体がだるくなったり、疲れやすくなったり、食欲が落ちたりする人が増えてたんだって」
「それだけなら、確かに分からないね」
ミアが言う。
「そうなの。でも、症状がひどくなった人の中には、歯茎が腫れたり、血が出たりする人も出てきたみたい」
「歯茎から?」
ルナが聞き返した。
「ええ。それに身体に痣みたいなものができる人もいるって」
ルナは眉を寄せる。
強い倦怠感。
食欲の低下。
歯茎の腫れや出血。
身体にできる痣。
どこかで聞いたことがある。
「それでね」
アニーが話を続ける。
「最近になって、タリオンでは船員病じゃないかって言われ始めてるみたい」
「船員病……」
「でも、船員病って船乗りがなる病気じゃないの?」
ミアが首を傾げる。
「普通はそう言われてるわ」
アニーも頷いた。
「だから最初は別の病気だと思われてたみたい。今回、同じような症状が出てるのは船員だけじゃないんだって」
「町の人も?」
「ええ。船に乗らない人にも同じ症状が出てるって。それで、本当に船員病なのか分からなくなってるみたいね」
「じゃあ感染する病気かもしれない?」
レオが尋ねる。
「それも今のところ分かってない。ただ、家族全員が同じように体調を崩してるわけでもないし、タリオンから来た人たちにも症状が出てないから、感染する病気じゃないんじゃないかって話もあるみたい」
「そっか……」
ミアが少し安心したように呟く。
けれど、ルナは黙ったままだった。
(……船員病)
その病名なら、ルナにも覚えがあった。
フィールズ家で家庭教師から教育を受けていた頃に習ったことがある。
長い航海を続ける船乗りがかかることのある病で、身体が弱り、症状が進めば歯茎から血が出ることもある。
ただ、この世界ではなぜ船員病になるのかまでは分かっていなかった。
けれど、ルナにはもう一つの知識がある。
(歯茎からの出血に、痣……)
大学で習った栄養学の知識が、頭の中で繋がっていく。
長い航海。
船乗りに多かった病気。
野菜や果物を長期間取れない生活。
(それって……壊血病じゃない? でも……)
ルナは眉を寄せた。
(どうして、町の人まで?)
◇◇◇
アニーから話を聞き終えると、ルナたちは礼を言ってギルドをあとにした。結局、その日は依頼を受けず、そのまま宿へ戻ることにした。
部屋に入ると、レオが扉を閉める。
「それで?」
椅子に腰を下ろしながら、レオがルナを見る。
「さっきからずっと考え込んでるけど、何か気になることがあるんだろ?」
「……うん」
ルナも椅子に座る。
ギルドを出てからずっと、アニーから聞いた話を考えていた。
「タリオンに行きたい」
ルナが言うと、ミアが驚いたように目を見開いた。
「タリオンに?」
「うん」
「でも、この前は船が出ないならここで待とうって話したよね?」
「そうなんだけど……気になることがあるの」
ルナは少し考えてから続ける。
「アニーが話してた病気、私が知ってる病気とすごく似てる」
「知ってるの?」
「たぶん、だけど」
まだ実際に患者を見たわけでもなければ、タリオンで何が起きているのか詳しく知っているわけでもない。
今の情報だけで同じ病気だと決めつけることはできなかった。
「でも、もし私が思ってる病気なら……原因にも心当たりがある」
「治し方も?」
ミアに尋ねられ、ルナは頷く。
「もし私が知ってる病気なら、治すために必要なことは分かると思う。でも……神殿で症状を治しても、原因が変わらなかったらまた悪くなると思う」
「原因?」
「うん。もし同じ病気なら、足りないものを食べないと駄目なの」
「……食べる?」
「うん」
ミアとレオが顔を見合わせる。
当然の反応だろう。
病気の治療だというのに、食べ物の話をされたのだから。
「まだ本当にそうなのか分からないよ。だから、実際に行って確かめてみたい」
「……危険じゃないのか?」
レオが尋ねる。
「感染する病気だったら、俺は反対するぞ」
「うん。それは私も怖い」
ルナは素直に答えた。
「タリオンからは今までずっと人が行き来してたのに、サラスでは同じ病気が広がってない。それに、同じ家に住んでいても全員がかかってるわけじゃないってアニーも言ってたよね」
「ああ」
「だから、感染だけが原因じゃない可能性もあると思う」
「可能性だけだろ」
「うん。だから町に着いたら、まずギルドか教会で最新の状況を聞く。感染する病気だって分かったら、患者さんには近づかない」
「……それならいいけど」
もちろん、それだけで安全だと言い切ることはできない。
それでも——
「私が知ってる病気なのか、確かめたい」
ルナは二人を見る。
「タリオンに行ってもいい?」
「あたしはルナと一緒に行くよ」
ミアは迷わず答えた。
レオは少し考えていたが、やがて息を吐く。
「まあ、元々タリオンには行く予定だったからな」
「レオ……」
「ただし、危険だと思ったらすぐに離れる。それは約束してくれ」
「うん。約束する」
「なら、明日の朝出よう」
「明日?」
「行くって決めたなら、ここに残る理由もないだろ。タリオンまでは二日くらいかかるんだから、早い方がいい」
「……そうだね」
ルナは頷いた。
こうして、明日の朝にサラスを出発することが決まった。
それから三人は、急いで旅の準備を始めた。
まずはタリオンまでの道中に必要な食料や水を確認する。
足りないものを買い足し、馬車を借りる手配もした。
作っておいたムギボも、携帯食として持っていくことにする。ルナは乾燥させたばかりのハッカソウも忘れずに荷物に入れた。
夕方にはギルドに行き、アニーに明日の朝サラスを発つことを伝える。
突然の話に驚かれたものの、タリオンに向かうと聞くと心配そうな顔をされた。
「本当に気をつけてね」
「うん。いろいろ教えてくれてありがとう」
「無事に船に乗れるといいわね」
「そうだね」
当初の目的は、タリオンから船に乗り、クリーヴランド王国を離れることだった。
その目的は今も変わっていない。
けれど今は、それとは別に確かめたいことができた。
◇◇◇
翌朝。
朝食を終えた三人は、荷物を持って宿の前に出た。
「もう出るんだね」
見送りに出てきたサリーが、少し寂しそうに言う。
「うん。短い間だったけど、ありがとう」
「こちらこそ。ルナたちが泊まってくれて楽しかった」
「あたしたちも楽しかったよ」
ミアが笑う。
サリーとは年齢が近いこともあって、滞在している間にずいぶん仲良くなれた。
特に昨日は、一緒にハッカソウのお茶まで作った。
「そうだ。あのお茶、作ってみるんでしょ?」
「うん。まずはお父さんとお母さんに飲んでもらう」
「評判になるといいね」
「頑張るよ」
サリーが笑顔で頷く。
「またサラスに来ることがあったら、なごみ亭に泊まってね」
「もちろん。その時はハッカソウのお茶も飲ませてね」
「うん!」
ルナも笑って答えた。
「じゃあ、そろそろ行くぞ」
御者台からレオに声をかけられる。
「うん」
ルナとミアは馬車に乗り込んだ。
「サリー、またね」
「うん。みんなも気をつけて!」
サリーが大きく手を振る。
ルナたちも手を振り返した。
やがて馬車がゆっくりと動き始める。
なごみ亭が遠ざかり、朝のサラスの町を進んでいく。
市場を通り過ぎ、冒険者ギルドの前も過ぎていく。
短い滞在だった。
それでも、ムギボを完成させたり、依頼を受けたり、ハッカソウの新しい使い方を見つけたり。
振り返ってみれば、いろいろなことがあった。
「また来られるといいね」
ミアが町並みを眺めながら言う。
「うん」
ルナも頷いた。
しばらくして、馬車はサラスの門を抜ける。
ここからタリオンまでは、およそ二日の道のりだ。
船員病とよく似た症状。
船乗りではない人たちまで体調を崩している理由。
まだ、本当に自分が知っている病気なのかは分からない。
(でも、もしそうなら……)
自分の知識が役に立つかもしれない。
ルナは遠ざかっていくサラスの町を一度だけ振り返ると、前に向き直った。
三人を乗せた馬車は、港町タリオンに向かって街道を進んでいった。




