4-3
その日の夜。
夕食を終えて部屋に戻ったルナは、ベッドの上に座ると、荷物の中から一冊の手帳を取り出した。
「何書いてるの?」
向かいにいたミアが尋ねる。
「今日、パン屋さんで気づいたこと。忘れないうちに書いておこうと思って」
ルナはそう答えながら、手帳にペンを走らせる。
小麦粉にも種類があり、品質によって値段が違うこと。
売れ残ったパンは安く売られ、それでも残ったものはスープに入れるなどして食べていること。
「売れ残ったパンかぁ……」
書きながら、ルナは小さく呟いた。
安く買えるのなら、孤児院で使うのも悪くないかもしれない。
硬くなっていても、工夫すれば食べられる。
けれど——。
「毎日あるとは限らないよね」
「何が?」
「売れ残りのパン」
たくさん売れ残る日もあれば、全部売れる日もあるだろう。いつ手に入るか分からないものを、普段のおやつにするのは難しい。
「だったら、やっぱり……」
ルナは手帳の別の場所に、潰し麦、と書き込んだ。
値段が安く、保存もしやすい。
少し食べただけでもお腹に溜まる。
(潰し麦なら、孤児院でも用意しやすいと思うんだけど……)
問題は、何を作るかだった。
そこでルナは、孤児院の子どもたちと話した時のことを思い出す。
アンは、院長先生たちの手伝いをしたいと言っていた。
シェリーも料理をしてみたいと話していた。
「……そっか」
ルナは手を止めた。
「どうしたの?」
「作ってもらうだけじゃなくて、自分たちでも作れた方がいいのかも」
「孤児院のおやつ?」
「うん」
ルナは頷く。
「難しい料理じゃなくて、子どもたちも一緒に作れるようなもの。だったらアンも院長先生たちのお手伝いができるし、シェリーも料理できるでしょ?」
「それ、いいかも」
ミアも笑顔で頷いた。
「みんなで作ったら楽しそうだし」
「だよね」
ルナは手帳に、新しく一行を書き加える。
子どもたちも一緒に作れるもの。
「……よし」
条件は少しずつ決まってきた。
安く作れること。
お腹に溜まること。
手に入りやすい材料で作れること。
そして、子どもたちも一緒に作れること。
けれど、肝心の何を作るかまでは、まだ思いつかない。
「まあ、すぐに決めなくてもいいか」
旅はまだ続く。
これから先、新しい食材を見つけることもあるかもしれない。
ルナは最後にもう一度手帳を見返すと、そっと閉じた。
◇◇◇
翌朝。
ルナたちは身支度を整えると、一階の食堂に向かった。
「おはようございます」
食堂に入ると、料理を運んでいたサリーが笑顔を向けてくる。
「おはよう。すぐに朝食をお持ちしますね」
「お願いします」
三人は昨日と同じテーブルについた。
朝の食堂にはすでに何組かの客がいる。
旅人らしい者も多く、食事をしながら今日の予定を話していた。
「今日はどうする?」
ミアが尋ねる。
「特に決めてないよね」
「そうだな。飯を食いながら——」
レオがそこまで言ったところで、不意に動きを止めた。
「……タリオン?」
「え?」
ルナが首を傾げる。
レオの視線の先では、サリーが一人の旅人と話していた。
「タリオンじゃ、今そんなことになってるんですか?」
「ああ。俺も昨日向こうから来たやつに聞いたんだけどな。しばらく船がまともに出ないかもしれないって話だ」
レオが眉を寄せる。
「ねえ、タリオンって……」
小声で尋ねると、レオがこちらを向いた。
「俺たちが向かってる港町だ」
「あ……」
ルナも旅人に視線を向けた。
海を渡るために目指している町。
サラスからなら、馬車であと二日ほどの距離にある。
「船が出ないって困るよね」
ミアも声を落として言う。
「ああ」
レオは少し考えると、席を立った。
「ちょっと聞いてくる」
ルナとミアも後に続く。
「悪い。今の話、俺たちも聞いていいか?」
レオが声をかけると、旅人が振り返った。
「タリオンのことか?」
「ああ。俺たち、これから向かう予定なんだ」
「それなら、少し待った方がいいかもしれないぞ」
「船が出ないって?」
「まったく出てないわけじゃないらしい。ただ、出港を取りやめたり、予定を遅らせたりする船が増えてるみたいだ」
「何かあったの?」
ルナが尋ねる。
「それが、俺も詳しいことまでは知らないんだ」
旅人は困ったように頭を掻いた。
「病気が流行ってるとか、そんな話も聞いたけどな」
「病気……?」
ルナは思わず聞き返した。
「ああ。ただ、俺も人から聞いただけだ。どんな病気なのかも知らないんだ」
まだ噂の域を出ない話らしい。
「悪いな。詳しいことが分からなくて」
「いや、助かった。ありがとう」
レオが礼を言う。
ちょうどそこに、三人分の朝食を持ったサリーがやってきた。
「私もさっき初めて聞いたんです。タリオンから来るお客さんがいたら、もう少し詳しく聞いてみますね」
「ありがとう」
三人は席に戻った。
ほどなくして朝食が並べられたが、ルナはすぐには手をつけなかった。
「どうする?」
ミアも気になっているようだ。
「まだ分からないことが多すぎるな」
レオがパンを手に取りながら答える。
「ギルドなら、もう少し詳しい情報が入ってるかもしれない」
「じゃあ、食べたら行ってみる?」
「ああ」
ルナも頷いた。
ようやく海が近づいてきたと思っていたのに、その目的地で何かが起きているらしい。
ルナは少し気になりながら、朝食のパンを手に取った。
朝食を終えた三人は、詳しい話を聞くため冒険者ギルドに向かった。
ギルドに入ると、三人は依頼掲示板には目も向けず、そのまま受付に向かった。
「おはよう。今日は依頼?」
受付にいたアニーが声をかけてくる。
「いや、今日は聞きたいことがあるんだ」
レオが答えると、アニーは首を傾げた。
「何?」
「タリオンのことなんだけど。何か聞いてないか?」
「タリオン?」
アニーの表情が少し変わった。
「もしかして、船の話?」
「ああ。今朝、宿で聞いたんだ。出港しない船が増えてるって」
「やっぱりそっちにも話が広がってるのね」
アニーは困ったように息を吐いた。
「ギルドにもいろんな話が入ってきてるわ。ただ、まだ確認できてないことが多いの」
「じゃあ、船が出てないっていうのも本当か分からないの?」
ミアが尋ねる。
「まったく出ていないわけじゃないみたい。一部の船が出港を取りやめたり、予定が遅れたりしてるっていうのは何件か話が来てるわ」
「理由は?」
「それがまだはっきりしないのよ」
アニーは少し声を落とした。
「タリオンで体調を崩す人が増えているらしいの。何かの病気が広がっているんじゃないかって噂もあるわ」
「病気……」
ルナは気になって尋ねる。
「どんな病気なの?」
「そこまでは分からないの。船員や港で働く人の中にも体調を崩す人が出ているみたいで、それで出港を遅らせたり、取りやめたりする船もあるって話よ」
「原因も分かってない?」
「今のところ、こっちには何も」
アニーは首を横に振った。
「だからギルドでも情報を確認してるところ。正式に注意を出すかどうかも、まだ決まってないわ」
「タリオンに行くこと自体は危なくないのか?」
今度はレオが聞く。
「今のところ、入町制限や街道の封鎖は出ていないわ。ただ、状況が分からないから積極的に向かうことは勧めないわね」
アニーは三人を見回した。
「船に乗るために行くなら、少し待った方がいいかもしれない。今行っても、いつ出港できるか分からないから」
「やっぱりそうか」
レオが腕を組む。
ルナたちの目的は、タリオンそのものではない。
そこから船に乗って、海の向こうに渡ることだ。
船が出ないのなら、急いで向かっても港町で待つことになる。
「新しい情報が入ったら教えてもらえる?」
ルナが尋ねる。
「もちろん。しばらくサラスにいるの?」
「まだ決めてないけど、そのつもり」
「分かった。何か確かな情報が入ったら教えるわ」
「ありがとう」
三人はアニーに礼を言い、受付を離れた。
ギルドまで来ても、分かったことはそれほど多くない。
タリオンで体調を崩している人が増えているらしいこと。
その影響なのか、出港を取りやめたり遅らせたりする船が増えていること。
けれど、どちらも詳しい事情まではまだサラスに届いていなかった。
「一回、宿に戻るか」
ギルドを出たところでレオが言う。
「うん。これからどうするか決めないとね」
「すぐタリオンに行くかどうかも含めて、三人で話そう」
レオの言葉にルナも頷く。
三人は来た道を引き返し、なごみ亭へ戻った。
宿に戻ると、三人は部屋に集まった。
「それで、どうする?」
ミアがベッドに腰を下ろしながら尋ねる。
レオは椅子を引き寄せると、少し考えてから口を開いた。
「俺は、もう何日かサラスにいた方がいいと思う」
「やっぱり?」
「ああ。タリオンまで行くこと自体はできるみたいだけど、ルナが行きたいのはその先だろ?」
そう言われ、ルナは頷いた。
「うん。船に乗ってエレンジア王国に行くのが目的だから」
「だったら、船がまともに出てない今、急いで行く必要はないと思う。タリオンに着いてから何日も待つことになるかもしれないしな」
レオは少し間を置いた。
「それに、病気のこともまだ何も分かってない。わざわざ今、混乱してる町に入る必要もないだろ」
「それなら、ここで待ってた方がいいよね」
ミアも納得したように頷く。
ルナは窓の外に目を向けた。
タリオンまでは、あと二日。
ここまで順調に進んできただけに、すぐにでも向かいたい気持ちはある。
何より、ルナはまだこの世界の海を見たことがない。
旅に出ると決めた時から、港町に行くことをずっと楽しみにしていた。
けれど——。
「……私も、もう少し待った方がいいと思う」
ルナは二人に視線を戻した。
「船が出ないなら、急いでも仕方ないもんね」
「じゃあ決まりだな」
「何日くらい?」
「そこまでは決めなくていいんじゃないか? 新しい情報が入るまで、二、三日様子を見よう」
「その間は依頼を受ければいいしね」
「うん」
サラスにも、まだ行っていない場所はある。
森の依頼も受けていないし、市場だって全部見たわけではない。
「じゃあ明日からは、普通に依頼を受けよっか」
「そうしよう」
「今度は森に行ってみるか?」
「いいね」
三人の予定が決まった。
すぐにタリオンに向かうのではなく、しばらくサラスに滞在する。
新しい情報が入れば、その時にもう一度考えればいい。
話がまとまり、ミアが大きく伸びをした。
「それにしても、病気って何なんだろうね」
「さあな。まだ噂ばっかりみたいだし」
「そうだね……」
ルナもそれ以上は考えなかった。
病気といっても、いくらでもある。
症状すら分からない今は、考えたところで答えが出るはずもない。
ただ、船の出港にまで影響が出ているのなら、小さな問題ではなさそうだった。
タリオンまでは、あと二日の距離だった。
けれど三人は、ここで一度足を止めることにした。
港町で何が起きているのか。
今のルナたちには、まだ知る由もなかった。




