4-1
夕方。
馬車は街道を進み、やがてサラスの町が見えてきた。
「見えてきたぞ。あれがサラスだ」
御者台から聞こえたレオの声に、ルナは窓から顔を覗かせる。
「やっと着いたね」
「今日は結構走ったもんね」
向かいに座るミアも、少し疲れたように身体を伸ばした。朝にカロンを出てから、ほとんど一日馬車に揺られていた。
町の門をくぐると、夕方ということもあって、通りには仕事を終えた人や買い物をする人たちが行き交っている。
「あっ」
ルナの目が、少し先に見えた市場で止まった。
店先には野菜や果物、穀物などが並んでいる。
「レオ」
「駄目だぞ」
「まだ何も言ってないんだけど」
「市場に行きたいんだろ?」
「……ちょっと見るだけ」
「明日にしろ。もう夕方だ」
「まだお店も開いてるよ?」
「明日の方がゆっくり見られるだろ。それに、さっき馬車の中で寝かけてたのは誰だよ」
「……ちょっと目を閉じてただけ」
「それを寝かけてたって言うんだよ」
レオが呆れたように笑う。
「ルナ、明日にしようよ。市場は逃げないって」
「分かったよ……」
ミアにまで言われ、ルナは渋々頷いた。
馬車を返した三人は、冒険者にも評判だという『なごみ亭』に部屋を取ることにした。
受付をしてくれたのは、ルナたちより少し年上のサリーという少女だった。
「いらっしゃい。何かあったら声をかけてくださいね」
「ありがとうございます」
ひとまず二泊分の手続きを済ませ、ルナとミアは同じ部屋へ、レオは隣の部屋へ向かった。
部屋に入ったルナは荷物を置くと、大きく息を吐く。
「ふぅ……」
「やっぱり疲れてるじゃん」
「ちょっとだけ」
「市場に行かなくて正解だったね」
「それとこれとは別だよ。市場に行ったら元気になってたかもしれないし」
「どんな理屈なの、それ」
二人で顔を見合わせて笑う。
明日は市場を見て、冒険者ギルドにも行く。
それに、カロンで失敗したシリアルバーにも、もう一度挑戦したかった。
(今度こそ、ちゃんと完成させたいな)
そんなことを考えながら、その日は早めに休むことにした。
◇◇◇
翌朝。
なごみ亭で朝食を済ませたルナたちは、さっそく町に出た。
「まずは市場だよね」
ルナが言うと、ミアが笑う。
「昨日からずっと楽しみにしてたもんね」
「だって、新しい町に来たら何があるか気になるでしょ?」
「食べ物が、でしょ?」
「……それもあるけど」
「否定しないんだな」
前を歩いていたレオが笑う。
「食材を見るのも大事なんだから」
「はいはい」
「二人とも絶対分かってないでしょ」
そんな話をしているうちに、市場にたどり着いた。
朝の市場は、昨日よりずっと賑わっていた。
野菜や果物、豆や穀物に肉、店先にはさまざまな食材が並び、あちこちから客を呼び込む声が聞こえてくる。
ルナは興味深そうに店を覗きながら歩いていく。
「ルナ、前より市場を見るの慣れたよね」
「そう?」
「最初の頃は、見るもの全部珍しそうにしてたじゃん」
「だって、本当に珍しかったんだもん」
ルナは笑いながら、次の店に目を向けた。
「あ、これ初めて見る」
ルナが足を止める。
「ルナ、今日は何を買いに来たか覚えてる?」
「覚えてるよ。でも、見るくらいいいでしょ?」
「この調子だと、いつまで経っても終わらないぞ」
「分かってるって」
二人に急かされながらも、ルナは楽しそうに市場を見て回る。やがて、目的のものを見つけた。
「あった。アマンド」
店先には、アマンドが袋に入れて並べられている。
さらに別の店では、干し葡萄も見つけることができた。
「これも買うの?」
「……買っておこうかな。あとは蜂蜜」
カロンで作ったシリアルバーは、上手く固まらなかった。
原因はおそらく、蜂蜜を減らしすぎたこと。
それに、具材を入れすぎたことも関係しているかもしれない。
今回は同じ失敗をしないように、必要だと思う量をきちんと買うことにする。
「……やっぱり蜂蜜はちょっと高いなぁ」
「また減らすつもりじゃないだろうな?」
すぐにレオから声が飛んできた。
「減らさないよ」
「本当に?」
「前回それで失敗したんだから、さすがに学んだって」
ルナは蜂蜜の瓶を手に取った。
潰し麦はまだ残っている。
これでアマンド、干し葡萄、蜂蜜も揃った。
「よし。これで大丈夫」
「じゃあ、次はギルド?」
「うん」
必要なものを買い終えた三人は、そのまま冒険者ギルドに向かった。
サラスの冒険者ギルドは、大通りから少し外れた場所にあった。
中に入ると、朝の依頼を探す冒険者たちで賑わっている。
「まず、この辺りのことを聞いておくか」
「そうだね」
三人は空いている受付に向かった。
「おはよう。依頼を受けるの?」
受付にいた女性が声をかけてくる。
「昨日サラスに着いたばかりなんだ。しばらく滞在するつもりだから、この辺りのことを聞きたくて」
「なるほど。私はアニーよ。分からないことがあったら聞いてね」
アニーは簡単な地図を取り出すと、町の周辺について教えてくれた。
近くには草原と森があり、初心者向けの採取や討伐依頼もあるという。
町の中にも掃除や荷物運び、店の手伝いなど、Fランクでも受けられる依頼がいくつもあるらしい。
「今日は依頼を受ける?」
「今日はいいかな。明日からにするつもり」
「分かった。受けたいものが決まったら持ってきて」
話が一段落したところで、ルナは気になっていたことを尋ねた。
「あの、一つ聞いてもいい?」
「いいわよ」
「ここのギルドって、調理場はある?」
「調理場?」
アニーが少し意外そうな顔をした。
「うん。ちょっと作ってみたいものがあって」
「ああ、それならあるわよ。そんなに広くはないけど、簡単な料理ならできるはず」
「本当?」
ルナの顔がぱっと明るくなる。
「食材を持ち込んでも大丈夫?」
「大丈夫よ。ただし、使ったものは自分たちで片づけてね」
「もちろん!」
隣でミアが笑った。
「よかったね」
「うん。これなら作れる」
「今度こそ成功するといいな」
レオの一言に、ルナはそちらを見る。
「今度は大丈夫だって」
アニーが不思議そうに三人を見ている。
「何を作るの?」
「まだ上手くできるか分からないから、成功したら教える」
「そう? じゃあ楽しみにしてるわ」
「うん。じゃあ、今から借りてもいい?」
「構わないわよ」
アニーに礼を言い、三人はギルドの奥にある調理場に向かった。
中には大きな作業台があり、鍋や包丁など最低限の調理器具も揃っている。
ルナは持ってきた袋を作業台に置いた。
「よし。今度こそ」
「気合い入ってるね」
「カロンでは失敗したからね」
ミアが笑いながら隣に立つ。
レオも近くの椅子を引き寄せて座った。
「今日はどうするんだ」
「まずは干し葡萄を入れないで作ってみる」
ルナは材料を並べた。
潰し麦、アマンド、蜂蜜。
カロンではアマンドも干し葡萄も多く入れたうえ、蜂蜜まで少なめにしてしまった。
「最初からいろいろ入れすぎたんだと思う」
「欲張ったもんね」
「……そうとも言う」
ルナはアマンドを細かく刻んでいく。
「だから今日は、まずこれだけ。蜂蜜も前より少し増やしてみる」
「高いからって減らすなよ」
「もう分かってるって」
レオに言われ、ルナは少しむっとしながら蜂蜜を手に取った。潰し麦と刻んだアマンドを混ぜ、そこに蜂蜜を加えていく。前回よりも少し多めに。全体に行き渡るよう、しっかり混ぜ合わせる。
「……これくらいかな」
前回よりもしっとりとして、まとまりもいい。
ルナは少量を手に取り、指で押してみた。
「うん。ちゃんとくっついてる」
「前はもっとバラバラだったよね」
「そうなんだよね。やっぱり蜂蜜が少なすぎたんだ」
用意した型に生地を移し、上からしっかりと押して形を整える。ここも前回より丁寧に。
「そんなに押すの?」
「うん。隙間が多いと崩れやすくなると思うから」
表面を平らにすると、ルナは満足そうに頷いた。
「これで焼いてみよう」
あとは焼き上がるのを待つだけだ。
三人でしばらく待っていると、やがて香ばしい匂いが調理場に広がり始めた。
「いい匂い」
「前も匂いはよかったけどな」
「それは言わないで」
ルナは焼き上がったものを取り出した。
すぐには触らず、少し冷めるのを待つ。
そして十分に冷めたところで、慎重に型から外した。
「あ……」
持ち上げても崩れない。
前回は端からぼろぼろと崩れてしまったのに、今回はきちんと一つにまとまっている。
「できてる!」
ルナの顔がぱっと明るくなった。
「本当だ。崩れないね」
ミアも嬉しそうに覗き込む。
「まだ食べてみないと分からないぞ」
「分かってるよ」
ルナは食べやすい大きさに切り分け、一つを手に取った。
まずは自分で一口。
潰し麦の香ばしさとアマンドの食感があり、蜂蜜の優しい甘さも感じられる。
「……美味しい」
「本当?」
「うん。二人も食べてみて」
ミアとレオにも一つずつ渡す。
「ん、美味しい」
ミアが頷く。
レオも何度か噛んでから、手に持った残りを見る。
「前のより食いやすいな。ちゃんと形にもなってるし」
「でしょ?」
ルナは嬉しそうに笑った。
カロンで失敗してから、ずっと考えていた。
材料を減らし、分量を変え、作り方も少し見直した。
ようやく形になったことが嬉しい。
けれど、ルナは作業台に置かれた干し葡萄に目を向けた。
「……やっぱり、これも入れたいな」
「まだやるの?」
「せっかく買ったんだもん。それに、今度はちゃんと調整するから」
アマンドだけでも上手くいった。
なら、ここから少しずつ変えていけばいい。
ルナは完成したシリアルバーをもう一度見てから、次の試作の準備を始めた。
「今度はアマンドを少し減らして、その分干し葡萄を入れてみるね」
先ほどと同じように潰し麦と材料を混ぜ、蜂蜜を加えていく。今度は途中でまとまり具合を確かめながら、少しずつ調整した。
「これなら大丈夫そう」
型に入れた生地を、上からぎゅっと押し固める。
「さっきより念入りだね」
「崩れたら嫌だから」
「もう失敗したくないんだな」
「当たり前でしょ」
レオに返しながら、ルナは表面までしっかり整えた。
そのまま焼き上げ、十分に冷めるのを待つ。
そして——。
「……どう?」
ミアが覗き込む中、ルナは慎重に型から外した。
崩れない。
切り分けても、きちんと形を保っている。
「できた!」
思わず声が弾んだ。
「今度こそ完成!」
「おお、よかったな」
「食べてみようよ」
三人で一つずつ手に取る。
アマンドの香ばしさに、干し葡萄の甘酸っぱさが加わっている。先ほど作ったものとはまた違った味になっていた。
「美味しい!」
「うん。私、こっちの方が好きかも」
「俺もこっちの方が好きだな」
二人にも好評で、ルナは満足そうに頷いた。
「よし。これならカロンの孤児院にも——」
「でもさ、ルナ」
ミアが途中で口を挟んだ。
「これ、孤児院で毎日食べるにはちょっと高くない?」
「……え?」
ルナの笑顔が止まる。
ミアは作業台に残った材料に目を向けた。
「アマンドに干し葡萄、それに蜂蜜も使うんでしょ?」
「うん」
「たまにならいいと思うよ。でも、院長先生、おやつを用意する余裕はないって言ってたよね」
「……言ってた」
「だったら、これをいつも作るのは難しいと思う」
「…………」
言われてみれば、その通りだった。
カロンの孤児院では、子供たちがお腹を空かせていても、おやつまで用意する余裕がなかった。
そんなところで、普段の食事には使わないアマンドや干し葡萄、蜂蜜を買い揃えるのは負担が大きい。
「そっか……」
完成したばかりのシリアルバーを見下ろす。
すると、隣で食べていたレオが口を開いた。
「それに俺も、この前から思ってたんだけど」
「何?」
「孤児院で食うだけなら、この形じゃなくてもよかったんじゃないか?」
「……え?」
「持ち歩くわけじゃないだろ?」
ルナは瞬きをする。
「この前失敗したやつだって、崩れただけで味は普通にうまかったし。皿に入れて食えばよかったんじゃないか?」
「…………」
ルナは固まった。
しばらくして、ゆっくりミアを見る。
「ミアもそう思う?」
「えっと……」
ミアが気まずそうに視線を逸らした。
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけ?」
「ルナが一生懸命だったから言いにくくて……」
「今ごろ言わないでよ!」
思わず声を上げる。
「だって完成して喜んでたし」
「レオも!」
「俺はどんなのが作りたいのか分からなかったし」
「それでも途中で言ってよ!」
「悪かったって」
二人とも笑っている。
ルナは頬を膨らませながら、手の中のシリアルバーを見つめた。
「もう……」
けれど、二人に言われたことはどちらも間違っていなかった。
子供たちがお腹を空かせている。
何か栄養のあるものを食べてもらいたい。
そう思って作り始めたはずだった。
それなのに、いつの間にか——。
(シリアルバーを作ることばっかり考えてた……)
前世にあったものを、この世界でも作りたい。
その気持ちが先に立って、本当の目的を見失っていたのかもしれない。ルナは小さく息を吐いた。
ルナは目の前のシリアルバーを見つめた。
形は崩れていない。
味も悪くない。
ようやく完成したのだから、嬉しいはずなのに、先ほどまでとは少し違って見えた。
「でも、これ自体は結構いいと思うよ」
ミアがもう一つ手に取る。
「森に行く時とか、すぐ食べられそうだし」
「ああ。持ち歩きやすいのは便利だな」
レオも頷いた。
「依頼の途中だと、ゆっくり飯を食えないこともあるからな。日持ちするなら携帯食にはちょうどいい」
「携帯食……」
ルナはもう一度シリアルバーを見る。
「じゃあ、私たち用にする?」
「いいんじゃない?」
「俺も賛成」
「そっか」
ルナの表情が少し明るくなった。
孤児院には向かなかった。
でも、作ったものが無駄になったわけではない。
「じゃあ、残りも持って帰ろう。どれくらい日持ちするかも確かめたいし」
「それなら次に森に行く時、持っていこうよ」
「うん」
ルナは出来上がったシリアルバーを一つずつ包んでいく。
そうしながら、ふと前世のことを思い出した。
大学では、限られた予算や食材の中で、年齢や生活に合った献立を考える課題も何度もやった。
栄養があっても、続けられなければ意味がない。
(そうだったな……)
孤児院の子供たちに必要なのは、栄養のある特別なおやつではない。
院長が無理なく用意できて、お腹が空いた時に食べられるものだ。
(前世にあったものを、そのまま作ればいいわけじゃないんだ)
この世界には、この世界の食材がある。
値段も違えば、手に入りやすさも違う。
暮らし方だって前世とは違う。
せっかく前世の知識があるのだから、それをそのまま再現することにこだわるのではなく、今あるものに合わせて使えばいい。
「ルナ?」
ミアに呼ばれ、ルナは顔を上げた。
「どうしたの?」
「ううん。ちょっと反省してた」
「反省?」
「私、このお菓子を作ることに夢中になりすぎてたみたい」
ルナは苦笑する。
「本当は孤児院の子たちのために考え始めたのにね」
「でも、ちゃんと完成したじゃん」
「うん。それは嬉しい」
だからこそ、今度は食べる相手に合ったものを考えたい。
「孤児院のことは、もう一回最初から考えてみる」
「そうだな。その方がいいかもな」
「今度は高いものばっかり入れちゃ駄目だよ」
「分かってるって」
ミアに笑われ、ルナも笑い返した。
前世の知識は、この世界でも役に立つ。
でも、そのまま当てはめればいいわけじゃない。
(もっと柔軟に考えよう)
今ある食材で、無理なく続けられるものを。
答えはまだ見つかっていない。
それでも、今度は少し違った見方ができる気がした。
ルナは完成したシリアルバーを袋にしまう。
これは三人の新しい携帯食。
そして孤児院の子供たちのためのものは、また別に考えればいい。
そう気持ちを切り替えると、ルナは使った調理器具を片づけ始めた。




