3-8
翌朝。
三人はいつもより少し早く起き、朝食を済ませると最後の荷物をまとめていた。
「これで全部かな」
忘れ物がないことを確認してから、部屋全体を見回す。
「……一回だけ」
ルナはそう呟いて、最後にクリーンを使った。
「またやってる」
ミアがくすくす笑う。
「荷物持ったか?」
すでに準備を終えていたレオが二人を見る。
「うん」
「あたしも大丈夫」
「じゃあ行くか」
三人は荷物を持ち、何日か過ごした部屋をあとにした。
一階に下りると、マディーが朝食の片づけをしているところだった。
「おや、もう出るのかい?」
「はい。馬車も借りてあるので、そろそろ行こうと思います」
「そうかい」
マディーは手を止め、三人のところにやってくる。
「世話になったな。ありがとう」
レオが言うと、マディーは笑った。
「こっちは泊まってもらったんだから、お互い様さ」
「短い間でしたけど、本当にありがとうございました」
「またカロンに来たら、うちに泊まりな」
「はい。また来たいです」
ルナも頭を下げる。
最後にもう一度礼を言い、三人はまどろみ亭を出た。
宿の前には、レオが昨日手配しておいた馬車が用意されている。荷物を積み込むと、ルナは宿を振り返った。
「行こうか」
「ああ。その前にギルドに寄るぞ」
「サーシャさんにも挨拶しないとね」
三人は馬車に乗り、まずは冒険者ギルドに向かった。
受付を見ると、今日もサーシャがいる。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
ルナたちは受付に向かった。
「今日は依頼?」
「いえ。私たち、これからカロンを出るんです」
「あら、そうなの?」
「はい。次はサラスに行くことにしました」
「そう。もう出発するのね」
サーシャは少し驚いたものの、すぐに笑った。
「短い間だったけど、二人ともちゃんと依頼をこなしてたわね」
「ありがとうございました。いろいろ教えてもらって」
「あたしも、初めてホーンラビットを倒せました!」
ミアが嬉しそうに言う。
「討伐報告、確認したわよ。次の町でも焦らずに続けるのよ」
「はい!」
「ルナも、採取したものは最後までちゃんと確認すること。慣れてきた頃が一番間違えやすいんだから」
「分かりました」
ルナも素直に頷く。
「レオが一緒なら大丈夫だとは思うけど、二人とも無理はしないようにね」
「気をつける」
レオが答える。
「サラスまでの街道は、今のところ特に問題があったという報告はないわ。それでも何があるか分からないから、周りには気をつけて」
「はい」
「サーシャさんもお元気で」
「ええ。三人とも元気でね」
最後に挨拶をして、三人はギルドをあとにした。
馬車に戻ると、レオが御者台に座った。
ルナとミアも乗り込み、荷物をもう一度確認する。
「準備いいか?」
「うん」
「いつでも大丈夫!」
「じゃあ出るぞ」
レオが手綱を動かす。
馬車はゆっくりと走り出した。
朝のカロンを進み、やがて町の門が見えてくる。
門を抜ける直前、ルナは後ろを振り返った。
市場でアンと出会い、孤児院のみんなと知り合った。
シェリーのために料理を作り、子供たちと一緒に笑った。
短い滞在だったのに、思い出はずいぶん増えていた。
「……また来たいな」
小さく呟く。
「うん」
隣に座るミアも町を振り返った。
「今度来た時は、シェリーも一緒に料理したいね」
「そうだね」
「ウェインたちはもっと大きくなってそう」
「レオにまた剣を教えてって言いそうだね」
「聞こえてるぞ」
御者台からレオの声が飛んできた。
二人は顔を見合わせて笑う。
馬車は門を抜け、カロンの町をあとにする。
少しずつ遠ざかっていく町を、ルナはもう一度振り返った。
「またね」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
そして前を向いた。
カロンを出てから、馬車は穏やかな街道を進んでいた。
左右には草原が広がり、その向こうには小さな森や丘が見える。
時折、反対方向から商人の馬車とすれ違うことはあるものの、レオが聞いていた通り、今のところ街道に問題はなさそうだった。
しばらく進んだところで、レオが馬車を止める。
「ミア。そろそろ代わるか?」
「いいの?」
「ああ。この辺りなら道も平坦だし、練習にはちょうどいい」
「やる!」
ミアはすぐに御者台に移動した。
アルミヤからカロンに向かう途中にも一度教えてもらっている。レオが隣に座り、手綱の持ち方を確認する。
「前に教えたこと覚えてるか?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「覚えてるって!」
「じゃあ、ゆっくり出してみろ」
「うん」
ミアが慎重に手綱を操ると、馬が歩き始めた。
最初こそ少し緊張していたものの、しばらくすると肩から力が抜けてくる。
「前より上手くなってるな」
「本当?」
「ああ。もう少し周りを見る余裕ができればな」
「分かった」
褒められたミアは嬉しそうだった。
馬車の中からその様子を見ていたルナも笑う。
「そのうちレオより上手くなりそう」
「それならそれで俺も助かるけどな」
「その頃には私にも教えてくれる?」
「……まあ、そうだな」
「絶対だよ」
「分かったって。一人しか御者ができないよりはいいからな」
「……それはそうだね」
冒険者の依頼だけではない。
旅を続けるうちに、覚えることがどんどん増えている。
でも、それも楽しい。
そんなことを考えながら、ルナは馬車から流れていく景色を眺めた。
◇◇◇
昼頃になると、三人は街道から少し外れた場所で馬車を止めた。
「この辺りで休憩にするか」
「はーい」
馬を休ませ、その間に三人も昼食を取ることにする。
木陰に腰を下ろし、朝に用意しておいたパンや干し肉を取り出した。
「外で食べるのも慣れてきたね」
ルナがパンをちぎりながら言う。
「最初はちょっと落ち着かなかったけどね」
「今は?」
「お腹空いてるからね、どこでも美味しい」
「それ、慣れたのと関係ある?」
二人が笑う。
レオはそんな二人を見ながら干し肉を食べていた。
「順調なら、夕方にはサラスに着くぞ」
「もう結構進んだ?」
「まだ半分には届いてないくらいだな。このあとも今の調子なら問題ない」
「じゃあ、まだまだだね」
「だからちゃんと休んどけ」
「うん」
昼食を終えたあとも、馬を休ませるためにもう少しここで過ごすことになった。
ルナは立ち上がると、近くを軽く歩いてみる。
「遠くには行くなよ」
「分かってる」
街道の周辺には、草や低い木が生えている。
最近は薬草採取をすることも増えたため、ルナは自然と植物を見るようになっていた。
(この辺にも何かあるかな)
そう思いながら歩いていると、少し先に赤いものが見えた。
「……ん?」
近づいてみる。
低い木の枝に、小さな赤い実がいくつもついていた。
「これ……」
ルナはしゃがみ込んだ。
どこかで見たことがある。
(ローズヒップ……?)
前世で見たものによく似ている。
けれど、この世界の植物がまったく同じものとは限らない。
「レオ、ちょっと来て!」
「どうした?」
すぐにレオとミアがやってくる。
ルナは赤い実を指さした。
「これ、何か知ってる?」
「ああ。ラバヌイだな」
「ラバヌイ……」
「よくあるやつだよ。森とか街道の近くでも見かける」
レオは特に珍しそうでもない。
「食べられる?」
「毒はないから食べられるけど……」
レオは赤い実を一つ見てから首を傾げる。
「実が硬いし酸っぱいから、わざわざ食う奴はほとんどいないと思う」
「そうなんだ……」
「秋になるとこの辺じゃよく実をつける。珍しいものじゃないぞ」
「花は綺麗なんだけどね」
ミアが言う。
「春になるといっぱい咲いてるよ。孤児院の近くにもあった」
「ミアも知ってるんだ」
「うん。実は食べたことないけど」
ルナはもう一度、赤い実を見る。
(やっぱり似てるんだよね……)
前世でも、ローズヒップはお茶やジャムなどに加工されていた記憶がある。
だからといって、これが同じものだとはまだ分からない。
「ルナ、また食べること考えてる?」
「……ちょっとだけ」
「やっぱり」
ミアが笑う。
「今すぐ食べたりはしないよ」
「それならいいけど」
「でも、覚えておこうかな」
ルナは鞄から手帳を取り出した。
『ラバヌイ。
赤い実。食べられるが、硬くて酸っぱい。
春に花が咲く。街道や森の近くにも多い』
そこまで書いてから、ルナはもう一度赤い実を見る。
(見た目はローズヒップに似てるんだけど……)
前世と同じものかは分からない。
けれど、いつか調べる機会があるかもしれない。
「よし」
ルナは手帳を閉じ、鞄に戻した。
十分に休憩を取ったところで、三人は再び馬車に戻った。
「今度は俺がやる」
レオが御者台に座る。
「もう交代?」
「午後もずっとやったら疲れるだろ。練習は少しずつでいい」
「分かった。次もやらせてね」
「ああ」
ミアはルナの隣に戻ってきた。
馬車がゆっくりと動き始める。
ルナは少し遠ざかった木の方を見る。
赤いラバヌイの実は、街道沿いの景色に紛れてすぐに見えなくなった。
「じゃあ次はどんな町かな」
ミアが楽しそうに言う。
「行ってみれば分かるよ」
ルナも笑って前を見る。
カロンはもう遠い。
けれど、目指す港町はまだずっと先にある。
まずは次の町、サラスへ。
三人を乗せた馬車は、穏やかな街道をさらに先へと進んでいった。
◇◇◇
一方その頃。
エレンジア王国の王都。
王城から少し離れた場所にある魔法研究所では、今日も多くの研究員たちが慌ただしく行き交っていた。
その一室で、リアムは机いっぱいに広げた資料を眺めていた。魔法陣の一部を書き直し、少し離れて確認する。
「……こっちの方がいいな」
そんなことを呟いていると、扉が開いた。
「リアム、頼まれてた資料」
「ありがとう。そこに置いといて」
書類を抱えて入ってきたのは、リアムの補佐を務めるマシューだった。マシューが机の端に書類を置く。
リアムはふと思い出したように顔を上げた。
「そうだ、マシュー。聞いた?」
「何を?」
「ナキールのこと」
「ああ……」
マシューはすぐに何の話か分かったようだった。
「クリーヴランドからの荷が遅れてるって話だろ?」
「そう、それ」
海を挟んだ隣国、クリーヴランド王国。
その港町タリオンと、エレンジア王国の港町ナキールの間では、多くの船が行き来している。
しかし、最近クリーヴランドから到着する船が予定より遅れることが増えていた。中には、出港予定を大きく過ぎても姿を見せない船もあるという。
今のところ原因は分かっていない。
そのため、船員や商人から直接事情を聞き、港に残る記録を確認するため、王都からナキールへ調査員を送ることが決まっていた。
「それでナキールに調査員を出すんだよね?」
「ああ。数日後に出発する予定だ」
そこまで答えたところで、マシューが口を閉じた。
リアムを見る。
何やら楽しそうな顔をしている。
「……まさか」
「何?」
「一応聞くけど」
マシューは露骨に嫌そうな顔をした。
「また何か考えてる?」
「人聞き悪いな」
「その顔してる時、大体ろくなこと考えてないだろ」
「失礼だな」
「今まで何回振り回されたと思ってるんだよ」
リアムはそれには答えず、楽しそうに笑った。
「俺も加わろうと思って」
「駄目」
「早くない?」
「聞く前から分かってた」
「まだどの調査に加わるか言ってないけど」
「ナキールだろ?」
「正解」
「嬉しくない」
マシューは深いため息をついた。
「今回は正式な調査なんだぞ」
「分かってる。俺だって遊び半分で行くつもりじゃない」
「本当か?」
「なんで疑うんだよ」
「普段の行い」
「ひどくない?」
「事実だろ」
リアムは不満そうな顔をしたものの、反論はしなかった。
「調査員に魔法関係に詳しい人間も入れるって話だろ?」
「……まあ、それはそうだけど」
「だったら俺が行っても問題ないだろ?」
「あるだろ」
「どこに?」
「お前が第三王子だってところに」
即答され、リアムが肩をすくめる。
リアムは第三王子でありながら、王城にいるより魔法研究所で過ごすことを好む変わり者だった。
魔法の才能に恵まれ、珍しい《鑑定》のスキルまで持っている。
そして何より——気になるものを見つけると、自分の目で確かめずにはいられない。
「王子だからって、研究所の仕事をするなとは言われてない」
「だからって、何でも自分で見に行こうとするなよ」
「自分で見た方が早いから」
「毎回それじゃ、こっちが大変なんだよ」
「マシューも一緒に来ればいいじゃん」
「なんで当然のように俺まで行くことになってるんだ?」
「来ないの?」
「…………」
リアムが不思議そうに尋ねる。
マシューはしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「そもそも、勝手に決めるな。許可も取ってないだろ」
「じゃあ許可を取ればいい?」
「許可が出れば、な」
「分かった」
リアムはあっさり頷くと、机の上の資料を片づけ始めた。
その様子を見て、マシューが眉を寄せる。
「……何してる?」
「許可をもらいに行く準備」
「今から?」
「早い方がいいでしょ」
「ちょっと待て」
「何?」
「リアム」
マシューの声が少し低くなる。
その瞬間、リアムの手が止まった。
「……はい」
「勝手に話を進めるな」
「でも許可を取ればいいって」
「まず今回の調査内容をちゃんと確認する。それからだ」
「……分かったよ」
先ほどまでの勢いはどこへやら、リアムは素直に椅子に座り直した。
マシューはそんな姿を見て、呆れたように息を吐く。
「最初からそうしろ」
「マシュー、怒ると怖いんだよな……」
「誰のせいだよ」
「俺かな」
「分かってるじゃないか」
リアムは苦笑しながら、先ほどマシューが持ってきた書類に手を伸ばした。
その表情は、まだどこか楽しそうだ。
それを見たマシューは、もう一度ため息をついた。
おそらく、何を言ってもナキールに行くことになる。
そしてその時は、自分も一緒に行くことになるのだろう。
「……本当に勘弁してくれ」
「何か言った?」
「何も」
ルナたちが港町タリオンを目指して旅を続ける、その頃。
海の向こうでもまた、一人の王子が動き始めようとしていた。




