1-3
使用人に案内され、ルナは応接室に向かった。
「ルナお嬢様をお連れしました」
「入りなさい」
父に促され、ルナは部屋に足を踏み入れた。
応接室には父と母、リア、そして王宮の紋章が刺繍された濃紺の制服をまとった男性が座っていた。
男性はルナが入ってきたのを確認すると、静かに立ち上がる。
「初めまして。私は王宮より参りました使者でございます」
丁寧に一礼すると、父に向き直った。
「改めまして、国王陛下よりお言葉を預かっております」
部屋の空気がぴんと張り詰める。
「本日、神殿より光属性の判定について報告を受けました」
使者は穏やかな口調のまま続けた。
「つきましては、明日、ご家族そろって登城していただきたく存じます」
「家族全員で、ですか」
父が確認するように尋ねる。
「はい。陛下が直接お話しされたいとのことです」
父は嬉しさを隠しきれない様子で何度も頷いた。
「承知いたしました。必ず伺うと陛下にお伝えください」
「かしこまりました」
使者は再び一礼する。
「それでは、失礼いたします」
使用人に案内され、応接室を後にしていった。
扉が閉まると、父は大きく息を吐く。
「まさか、こんなに早くお呼びがかかるとは……」
母もどこか興奮した様子でリアの手を取った。
「リア、これはとても光栄なことだわ」
「お母様……」
まだ実感が湧かないのか、リアは戸惑ったように微笑む。
父はそんなリアを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「明日は王族の方々にお会いすることになる」
その言葉に、リアの表情が少し強張る。
「緊張しなくていい。いつも通り振る舞えばいいのだ」
「はい」
リアは小さく頷いた。
父は一度ルナに視線を向ける。
「ルナ、お前も同行する」
「……はい」
「陛下から何か尋ねられた時は、失礼のないようにな」
ルナは静かに頷く。
「承知しました」
その返事を聞くと、父はすぐに母と今後の予定について話し始めた。
◇◇◇
翌朝。
フィールズ家の馬車は、王城に向かって走っていた。
車内には父と母、ルナ、リアの四人が座っている。
昨日までとは違う緊張感が漂っていた。
「リア」
母が優しく声をかける。
「陛下や王妃殿下の前では、いつも通り落ち着いて振る舞いなさい」
「はい、お母様」
「笑顔を忘れてはいけません。緊張していても、相手には安心感を与えることが大切です」
「はい」
リアは真剣な表情で頷いた。
「質問には慌てず、一度考えてから答えるのですよ」
「分かりました」
そのやり取りは、幼い頃から何度も繰り返してきたものだった。
ルナは黙ったまま窓の外に視線を向ける。
王都の街並みがゆっくりと流れていった。
「リア」
今度は父が口を開く。
「光属性は国にとって特別な存在だ。しかし、必要以上に気負うことはない」
「はい、お父様」
「いつも通り、堂々としていればいい」
リアは安心したように微笑んだ。
父も満足そうに頷き返す。
昨日までなら、同じようにルナにも声をかけていた。
けれど今日は、誰もルナを見なかった。
胸の奥が少しだけ痛む。
それでも、ルナは何も言わなかった。
やがて馬車が速度を落とし始める。
窓の外に、高くそびえる白い城壁が見えてきた。
クリーヴランド王国の王城。
国の中心であり、王族が暮らす場所でもある。
「着いたようだ」
父の声に、ルナは小さく息を整えた。
◇◇◇
馬車を降りると、王宮の侍従が一行を出迎えた。
「お待ちしておりました、フィールズ子爵。こちらへどうぞ」
案内され、王城の中へと足を踏み入れる。
白く磨き上げられた床。
壁には美しい絵画が並び、大きな窓から差し込む陽射しが長い廊下を明るく照らしていた。
行き交う侍女や文官たちは静かに道を譲る。
その視線の多くが、リアへと向けられていた。
四十年ぶりに現れた光属性。
すでにその話は王城内にも広まっているのだろう。
リアは緊張した様子で背筋を伸ばしている。
ルナはその少し後ろを、ついて歩いた。
やがて一行は、大きな扉の前で足を止める。
「フィールズ子爵家の皆様がお見えになりました」
侍従の声の後、ゆっくりと扉が開かれた。
通されたのは、広々とした応接室だった。
正面には国王と王妃が並んで座り、その傍らには宰相が控えている。
父を先頭に、一家は深く頭を下げた。
「フィールズ子爵家、ただいま参りました」
「うむ。よく来た。顔を上げよ」
国王に促され、一同が顔を上げる。
国王の視線は、すぐにリアへと向けられた。
「昨日は驚いた。まさか、この時代に再び光属性が現れるとはな」
声には隠しきれない喜びが滲んでいる。
「そなたがリア・フィールズか」
「はい」
リアは一歩前に出ると、丁寧に頭を下げた。
「リア・フィールズでございます。陛下にお目にかかれましたこと、光栄に存じます」
緊張しながらも淀みなく挨拶するリアに、国王は満足そうに頷いた。
「うむ。四十年ぶりの光属性だ。国にとっても実に喜ばしい」
「ありがとうございます」
リアがもう一度頭を下げる。
その様子を見ていた王妃が、優しく微笑んだ。
「昨日の今日ですもの。まだ自分が光属性だと言われても、実感が湧かないでしょう」
「はい。まだ少し……」
リアが正直に答えると、王妃は頷いた。
「そうでしょうね。今すぐ何もかも受け入れようとしなくていいのですよ」
その言葉に、リアの強張っていた表情が少しだけ和らいだ。
「ありがとうございます、王妃殿下」
国王はそんな二人のやり取りを眺めていたが、ふとルナに視線を移した。
「そういえば、双子だと聞いていたな」
突然自分に話が向き、ルナは一瞬目を瞬かせた。
「はい」
一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。
「姉のルナ・フィールズでございます」
「そなたも昨日、属性判定を受けたのだろう」
ルナはわずかに息を止めた。
「はい」
「属性は?」
部屋の空気が、一瞬だけ静まったように感じた。
「……属性反応は、確認されませんでした」
「そうか」
それだけだった。
国王はすぐにリアに視線を戻す。
「リア嬢。今後については神殿とも相談しながら決めていくことになる。慣れぬことも多いだろうが、国としてもできる限り支えよう」
「ありがとうございます」
何事もなかったかのように、話は続いていく。
ルナは一礼すると、元の場所に下がった。
分かっていたことだった。
どちらに関心が向くのかなど、考えるまでもない。
それでも、胸の奥に寂しさが残った。
その時、扉が開いた。
「失礼いたします」
穏やかな女性の声が響く。
白を基調とした法衣をまとった女性が、ゆっくりと部屋へ入ってきた。
五十代半ばほどだろうか。
落ち着いた佇まいと柔らかな表情が印象的な女性だった。
リアが息を呑む。
その顔を知らない者は、この国にはほとんどいない。
四十年前に光属性を授かり、長く国を支えてきた現聖女——エリシア。
「お待たせして申し訳ありません、陛下」
「いや、構わぬ。ちょうど話をしていたところだ」
国王がリアに視線を向ける。
「エリシア。こちらが昨日、光属性と判定されたリア嬢だ」
「ええ」
エリシアはゆっくりとリアの前まで歩み寄った。
「初めまして、リアさん」
「は、初めまして、エリシア様」
リアが慌てて頭を下げる。
エリシアはそんなリアを見て、優しく微笑んだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「……はい」
「突然いろいろなことが起きて、戸惑っているでしょう」
「少し……」
リアは迷った末、小さく頷いた。
「そうですよね」
責めることも、急かすこともない声だった。
「私も昔、同じような経験をしましたから」
リアが驚いたように顔を上げる。
「エリシア様も……?」
「私も、光属性だと分かった日から何もかも上手にできたわけではありませんよ」
そう言って、エリシアはくすりと笑った。
リアの肩から、わずかに力が抜ける。
「よければ、少し場所を移してお話ししましょうか。ここでは緊張してしまうでしょう?」
「はい」
リアが頷く。
エリシアはそのまま歩き出そうとして、ふとルナに気づいた。
「あなたが、お姉様ですね」
「はい。ルナ・フィールズと申します」
ルナが頭を下げると、エリシアも穏やかに微笑んだ。
「初めまして、ルナさん」
「初めまして、エリシア様」
たったそれだけの挨拶だった。
けれど、王城へ来てから初めて、属性ではなく自分自身に声をかけてもらえたような気がした。
「では、リアさん。少しお話ししましょうか」
「はい」
リアはエリシアについて歩き出す。
扉の前で一度だけ振り返り、ルナと目が合った。
ルナが微笑むと、リアもかすかに笑い返し、エリシアとともに部屋を出ていった。
扉が閉じる。
国王はフィールズ子爵夫妻へと向き直った。
「さて。今後のことについてだが」
「はい」
父が背筋を伸ばす。
宰相が手元の書類を開いた。
「神殿とも協議した上で、十日後を目安にリア嬢のお披露目を行いたいと考えております」
「十日後でございますか」
「ええ。光属性の出現は国にとっても大きな出来事です。各方面への通達も必要になります」
父と母は真剣な表情で話を聞き始めた。
お披露目の日程。
神殿との今後のやり取り。
リアの立場。
話すべきことは多いのだろう。
ルナは少し離れた場所で、その様子を静かに見つめていた。
すると王妃がルナに顔を向けた。
「長くなりそうですね」
思いがけず声をかけられ、ルナは顔を上げる。
「あなたは昨日、頭を打ったと聞きました。もう大丈夫なのですか?」
「はい。神殿で治療していただきましたので」
「そう。それならよかったわ」
王妃は安心したように微笑んだ。
「けれど、無理はいけませんよ。別室を用意させますから、話が終わるまで休んでいなさい」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
ルナは深く頭を下げた。
父もこちらを見る。
「ルナ、そうさせてもらいなさい」
「はい、お父様」
ルナはもう一度国王と王妃に一礼すると、侍女に案内されて応接室を後にした。
話し合いが終わったのは、それからしばらく経ってからだった。
控えの間で待っていたルナのもとに侍女が迎えに来て、再び家族と合流する。
リアは少し疲れた顔をしていた。
けれど、朝よりも表情は柔らかい。
エリシアと何を話したのだろう。
気にはなったが、今ここで尋ねることではないと思い、ルナは何も言わなかった。
帰りの馬車が王城を離れる。
「十日後か」
父が感慨深そうに呟いた。
「思っていたより早いな」
「準備することがたくさんありますね」
母もすぐに答える。
「リアのドレスも新しく仕立てなくては。王族の方々だけではなく、高位貴族の方も多くいらっしゃるでしょうから」
「神殿との打ち合わせもある」
「はい」
リアは少し疲れた様子ながらも、一つ一つ頷いていた。
ルナは窓の外に目を向ける。
王城が少しずつ遠ざかっていく。
今日一日で、リアを取り巻く世界は大きく変わった。
国王。
王妃。
現聖女。
そして、十日後のお披露目。
きっとこれから、もっと多くの人がリアの周りに集まるのだろう。
一方で、自分に向けられた国王の言葉は、たった一言だった。
『そうか』
不思議と腹は立たなかった。
ただ、自分の立場が昨日までとは違うのだという事実だけが、はっきりした気がした。
王城から戻ると、ルナは自室に向かった。
慣れない王城で過ごしたせいか、思っていた以上に疲れていた。
ベッドに腰を下ろして一息ついていると、ミアがお茶を運んでくる。
「ルナ様、お疲れさまでした」
「ありがとう、ミア」
温かいお茶を一口飲みながら、ルナは帰りの馬車で聞いた話を思い返す。
十日後に行われる、リアのお披露目式。
詳しい段取りまでは知らされていない。
「ミア」
「はい」
「少し、お父様にお話を聞いてこようと思うの」
「お話、ですか?」
「お披露目式のこと。私も知っておいた方がいいと思うから」
フィールズ家の長女である以上、自分にも何かできることがあるかもしれない。
家族の態度には傷ついていた。それでも、長年染みついた『長女として役に立たなければ』という思いを、すぐに捨てることはできなかった。
「行ってまいります」
「はい」
ルナは廊下を歩き、父の執務室に向かった。
執務室の前まで来ると、ちょうど一人のメイドがお茶の載ったワゴンを押して部屋から出てくるところだった。
「あ、ルナお嬢様」
「お仕事、お疲れさま」
ルナが微笑むと、メイドはほっとしたように頭を下げる。扉はまだ少しだけ開いていた。
ルナは軽く息を整え、声をかけようと口を開く。
その時だった。
「——ルナのことなんだが」
父の声が聞こえた。
思わず動きが止まる。
自分の名前だった。
邪魔をしてはいけない。
そう思って離れようとした、その時。
「ルナのことは、お披露目式が終わってからでよろしいでしょう」
母の落ち着いた声が続く。
「今はリアの準備を優先しなくてはなりません。神殿や王宮とのやり取りもありますし、修道院を選ぶ時間もありませんから」
「そうだな。それに縁談も難しいだろうな」
「ええ。無属性と知られた以上、これまで想定していたような家との縁談は、難しいでしょう。それどころか、リアに近づくためだけにルナとの婚姻を求める者が現れる可能性もあります」
父もすぐに同意した。
「お披露目式が済み、屋敷が落ち着いてから話を進めよう」
ルナは息を呑んだ。
「修道院なら、生活に困ることもありません。余計な争いに巻き込まれることもないでしょう」
「私もそう考えている」
父が静かに同意する。
「ルナのためにも、その方がいいだろう」
頭の中が真っ白になる。
修道院。
その言葉だけが何度も胸の奥で繰り返される。
扉の向こうでは、まだ父と母の話し声が続いていた。
けれど、もうその続きを聞くことはできなかった。
ルナは音を立てないよう、静かに一歩後ろに下がる。
そして誰にも気付かれないよう、その場を後にした。




