カロンの町 3.5
ルナとミアが町の中に歩いていくのを見送ってから、レオは一人、森へ向かった。
今日受けたのは、ビッグボアの討伐依頼だ。
カロンから少し離れた森で何度か姿を目撃されているらしい。畑を荒らすこともあるため、見つけ次第討伐してほしいという依頼だった。
ただし、今日の目的はそれだけではない。
明日以降、ルナとミアを連れて森に入るための下見も兼ねている。
レオは剣を腰に差し、町の門を抜けた。
「……久しぶりだな」
思わず、そんな言葉が漏れる。
一人で依頼を受けるのは、王都を出て以来初めてだった。
ルナとミアと一緒に行動するようになってからは、二人から目を離さないことが何よりも優先されている。
特に森に入れば、周囲の警戒だけでは足りない。
ルナが薬草を見つけて周囲も見ずにしゃがみ込んでいないか。ミアが魔物を追いかけて離れようとしていないか。
気にすることはいくらでもあった。
もちろん、二人と行動するのが嫌なわけではない。
それでも——。
「今日は好きに動けるな」
レオの口元がわずかに緩んだ。
久しぶりに一人で森に入れることを、少し楽しみにしている自分がいた。
◇◇◇
町を離れてしばらく歩くと、街道の脇に広い草原が見えてきた。その先には森が広がっている。
「ここか」
レオは足を止め、周囲を見回した。
草原は見通しがよく、背の高い草もそれほど多くない。
ところどころに低木が生え、その間には小さな花や薬草らしきものも見える。
魔物の姿はない。
レオは街道を外れ、草原に入った。
足元の状態を確認しながら、ゆっくりと進んでいく。
「ここなら問題なさそうだな」
見通しがいいため、魔物が近づいてきても気づきやすい。
ルナの採取にも向いているだろう。
ミアが弓を使うにしても、森の中よりこちらの方が狙いやすい。
しばらく草原を確認したあと、そのまま森に向かう。
木々の間に入った途端、周囲が少し暗くなった。
レオは自然と歩く速度を落とした。
地面に残った足跡。
折れた枝。
草の倒れ方。
魔物の痕跡がないか確認しながら進んでいく。
時折足を止め、周囲の音にも耳を澄ませる。
鳥の声。
風に揺れる葉の音。
今のところ、不自然な気配はない。
道も思っていたより歩きやすかった。
「この辺りまでなら大丈夫か」
森に入ってしばらくしたところで、レオは足を止めた。
ここまでは草原からもそれほど離れていない。
弱い魔物が出たとしても、すぐに開けた場所まで戻れる。
ルナとミアを連れてくるなら、この辺りまで。
それより奥に行く必要はないだろう。
レオは目印になる特徴的な木の位置を覚えておく。
「……よし」
これで下見は十分だ。
レオは顔を上げ、森の奥に視線を向けた。
ここから先は二人のためではない。
自分の依頼だ。
腰の剣に軽く触れる。
先ほどまでよりも足取りが少しだけ軽くなった。
「さて、行くか」
森の奥に進むにつれ、木々の間隔は狭くなっていった。
レオは周囲を警戒しながら歩く。
先ほどまでとは違い、この辺りまで来れば魔物と遭遇する可能性も高い。
しばらく進んだところで、レオの足が止まった。
「……いるな」
茂みの向こうから、微かな物音が聞こえた。
一つではない。
レオは腰の剣に手をかけたまま、静かに様子を窺う。
やがて茂みが揺れ、灰色の毛並みをした魔物が姿を現した。
フォレストウルフ。
一匹。
その後ろから、さらに二匹。
「三匹か」
レオは剣を抜いた。
一匹なら何の問題もない。
三匹でも、レオにとっては十分に対処できる数だ。
フォレストウルフたちもこちらに気づいたらしい。
低く唸りながら、三方向に分かれていく。
囲むつもりだ。
「させるかよ」
レオは空いている左手を一匹に向けた。
風が集まる。
次の瞬間、圧縮された風が勢いよく放たれた。
「ギャンッ!」
一匹のフォレストウルフが吹き飛び、地面を転がる。
残る二匹が同時に動いた。
一匹が正面から飛びかかってくる。
レオは地面を蹴った。同時に足元へ風をまとわせた。
一気に加速した体が、フォレストウルフの横をすり抜ける。すれ違いざまに剣を振るった。
正面から飛びかかってきた一匹が倒れる。
そのまま振り返ると、もう一匹がすぐそこまで迫っていた。鋭い牙が向けられる。レオは半歩だけ体をずらし、攻撃をかわす。勢いのまま横を通り過ぎたフォレストウルフに、剣を振り下ろした。
残る一匹。
先ほど風で吹き飛ばしたフォレストウルフが、よろめきながら立ち上がった。仲間が倒れているのを見て、一瞬動きを止める。その隙に、レオは距離を詰めた。フォレストウルフもこちらに飛びかかる。
レオは剣を構え——。
数秒後。
三匹目も地面に倒れた。
「……終わりか」
剣についた血を払い、レオは周囲を確認する。
新たな魔物の気配はない。
久しぶりに、一人で戦った。
やはり楽だった。
守る相手の位置を確認する必要もない。
自分が一番戦いやすいように動けばいい。
「やっぱり一人だと早いな」
レオは小さく笑った。
フォレストウルフから必要な素材を回収すると、再び森の奥へ向かった。
昼を少し過ぎた頃。
レオは開けた場所を見つけ、近くの木の根元に腰を下ろした。
「この辺でいいか」
周囲に魔物の気配がないことを確認してから、持ってきた昼食を取り出す。
パンに干し肉。
それに水。
冒険者として依頼に出ていた頃から、何度も食べてきた組み合わせだった。
パンを一口かじる。
「…………」
静かだった。
聞こえるのは、風で木の葉が揺れる音と鳥の声くらい。
一人で依頼をしていた頃は、これが普通だった。
食事をして、少し休んで、また依頼を続ける。
誰かと話す必要もない。
なのに——。
『レオ、これ何の草?』
ふと、ルナの声が頭に浮かんだ。
レオは顔を上げる。
当然、誰もいない。
「……何考えてんだ、俺」
思わず呟く。
ルナなら、この辺りに生えている草を見つけるたびに足を止めていただろう。
匂いを嗅いで、葉を裏返して、知っている植物と似ていないか考える。
そしてミアが、『また草見てる』と呆れる。
『だって気になるんだもん』
『知らない草、勝手に食べちゃ駄目だからね』
『食べないよ』
『この前食べてたじゃん』
そんなやり取りまで簡単に想像できた。
「……騒がしいのに慣れたか」
レオは苦笑した。
二人と旅を始めてから、それほど長い時間が経ったわけではない。それでも、いつの間にか三人でいることが当たり前になりつつあるらしい。
一人は楽だ。
けれど、少し物足りない。
そんな自分の変化が、なんとなくおかしかった。
「さて」
残っていたパンを食べ終え、レオは立ち上がる。
まだ今日の依頼は終わっていない。
目当てのビッグボアを探さなければならない。
荷物を背負い直し、剣の位置を確認する。
「そろそろ見つかってくれると助かるんだけどな」
レオは再び一人、森の奥へ歩き出した。
ビッグボアは体が大きい。
通った場所にはそれなりの痕跡が残るはずだ。
地面や木々を確認しながら歩いていると、やがてレオは足を止めた。
「……これか」
地面に大きな足跡が残っている。
近くの木には、何かが擦れたような跡もあった。
まだ新しい。
レオは周囲を警戒しながら、その痕跡を追っていく。
しばらく進んだところで、前方からガサガサと大きな音が聞こえてきた。
レオは足を止める。
茂みの向こうに、黒い大きな背中が見えた。
「見つけた」
ビッグボア。
普通の猪よりも一回り以上大きく、太い牙が口元から突き出している。
依頼書に書かれていた特徴とも一致する。
レオは静かに剣を抜いた。
その音に気づいたのか、ビッグボアが顔を上げる。
目が合った。
次の瞬間。
「ブオオオッ!」
大きな鳴き声を上げ、ビッグボアが地面を蹴った。巨体からは想像できない速さで、一気に距離を詰めてくる。
レオは直前まで動かなかった。
太い牙が迫った瞬間、足元に風をまとわせて横へ跳ぶ。
巨体がすぐそばを通り過ぎた。
すれ違いざまに横腹へ剣を振るう。
「——っ」
刃は入った。
だが、浅い。
「やっぱり硬いな」
ビッグボアが向き直る。
怒りに荒い息を吐き、再び前脚で地面を掻いた。
二度目の突進。
今度はレオも同じように避けるつもりはなかった。
横から風を叩きつけ、わずかに進路を逸らす。
巨体が体勢を崩した。
「そこだ」
一気に距離を詰める。
最初につけた傷へ、両手で握った剣を深く突き立て、そのまま急所まで刃を押し込んだ。
ビッグボアの体が大きく揺れる。
数歩よろめき——ドンッ、と重い音を立てて地面に倒れる。
「…………」
レオはすぐには剣を下ろさなかった。
しばらく様子を窺い、完全に動かなくなったことを確認してから息を吐く。
「よし」
剣についた血を払い、鞘に戻す。
依頼達成だ。
怪我もない。
森の様子も確認できた。
明日、ルナとミアを連れてくる場所もだいたい決められた。今日の目的はすべて達成したことになる。
「思ったより早かったな」
あとはカロンに戻って報告するだけだ。
そう考えて——レオは目の前に横たわるビッグボアを見下ろした。
「…………」
大きい。
当然ながら、一人で丸ごと持って帰れるような大きさではない。討伐証明になる部位は持ち帰らなければならないし、売れる素材も取れるだけ取っておきたい。
つまり。
「……これが残ってたな」
レオの顔から、先ほどまでの楽しそうな様子が消えた。
戦うのは好きだ。
剣を振るうのも、魔法を使うのも嫌いではない。
だが、解体だけはどうにも好きになれなかった。
できないわけではない。
冒険者として必要なことなので、最低限のやり方は覚えている。ただし、得意でもない。
ましてや、目の前に横たわっているのは大型のビッグボアだ。
「……面倒だな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
しばらく見つめていても、ビッグボアが勝手に解体されるはずもない。
レオは諦めたようにため息をついた。
腰の荷物から解体用のナイフを取り出す。
「やるしかないか」
久しぶりの一人での討伐依頼。
戦っている間は楽しかった。
その気持ちは、目の前の大きな獲物を見た瞬間、綺麗に消えていた。




