カロンの町 1
アルミヤを出た馬車は、次の町カロンへ続く街道を順調に進んでいた。
窓の外には、どこまでも緑の景色が続いている。
時折、反対側から商人の馬車や旅人とすれ違うものの、道は比較的空いていた。
「カロンってどんな町なんだろう」
「俺も行ったことないからな」
御者台からレオの声が返ってくる。
「昨日聞いた話だと、アルミヤより少し大きいらしいぞ」
「市場も大きいかな」
「そこ?」
隣からミアが笑う。
「だって、その町にしかない食べ物があるかもしれないでしょ?」
「ルナ、町に着くたびに市場に行きそう」
「いいじゃない。見るだけでも楽しいし」
アルミヤでは、ポムや青葉草など、これまで気にも留めていなかった食材に目を向けるようになった。
次の町では何が見つかるのか。
そう考えるだけで楽しみだった。
馬車はそのまま街道を進んでいく。
昼前になると、一度馬を休ませるために道沿いの休憩所に立ち寄った。
三人も馬車を降り、軽く体を伸ばす。
「ずっと座ってるのも疲れるね」
「歩くよりは楽だろ」
「それはそうだけど」
ミアが腰を伸ばしている横で、ルナは荷物の中を探った。
「あ、そうだ」
取り出したのは、昨日作ったパウンドケーキだった。
「お昼に少し食べようよ」
「賛成!」
すぐにミアが寄ってくる。
ルナは包みを開き、パウンドケーキを一人一切れずつ切り分ける。
「レオもどうぞ」
「俺もいいのか?」
「もちろん。そのために自分たちの分も作ったんだから」
「じゃあ、もらう」
レオが一切れ受け取る。
「ポムのジャムが入ってるんだよ」
「へえ」
レオは特に警戒することもなく一口食べた。
その様子をルナはじっと見つめる。
「……なんだよ」
「どう?」
「美味いよ」
「本当?」
「ああ。甘すぎないし、ポムの味もする」
ルナの顔がぱっと明るくなった。
「よかった」
「あたしも昨日食べたけど美味しかったよ」
「ミアは作ってる時から知ってるでしょ」
「混ぜるの大変だったんだから」
「あれくらいで?」
「ルナもすぐ疲れてたじゃん」
「私はミアより力がないから仕方ないの」
二人が言い合っていると、レオが呆れたように笑う。
馬を十分に休ませてから、三人は再び出発した。
その後も大きな問題はなく、日が傾き始める頃には予定していた宿場に到着した。
カロンまでは、ここからさらに一日ほどだ。
宿を取り、馬を預ける。
部屋に荷物を置いて一息ついた頃には、すっかりお腹が空いていた。
「いい匂い」
一階の食堂に降りると、煮込み料理の香りが漂ってくる。
三人は空いていた席についた。
運ばれてきたのは、大きめに切った肉と野菜を煮込んだ料理に、焼いたパンだった。
「いただきます」
ルナはさっそく煮込み料理を口に運ぶ。
「美味しい」
「今日一日、ほとんど馬車に乗ってただけなのにお腹空いたね」
「移動するだけでも疲れるからな」
レオはそう言いながらパンをちぎった。
「二人とも、体調は?」
「私は大丈夫」
「あたしも」
「ならよかった」
レオは頷く。
ルナも自分の体調を確かめてみる。
疲れてはいるものの、具合が悪いほどではない。
アルミヤに着いたばかりの頃より、長い移動にも少し慣れてきたのかもしれない。
しばらく三人で食事をしていると、レオがふと思い出したようにミアを見た。
「そうだ、ミア」
「なに?」
「明日、少し馬車を動かしてみるか?」
ミアの手が止まった。
「……あたしが?」
「ああ」
「御者をするってこと?」
「練習だけどな」
レオは水を一口飲んでから続ける。
「これから先も馬車を使うなら、俺しか動かせないのは困る。俺が怪我した時にも馬車を動かせる奴が必要だからな」
「でも、あたし、馬車なんて動かしたことないよ?」
「だから教えるんだろ」
「馬にもほとんど乗ったことないし……」
「乗馬とは別物だ。馬に乗れなくても、御者は覚えられる。明日は俺が隣にいる」
ミアは少し不安そうだったが、やがて小さく頷いた。
「……分かった。やってみる」
「最初は空いてるところで練習する。難しそうなら無理に続けなくていい」
「うん」
二人の話を聞いていたルナも手を挙げる。
「私も覚えた方がいい?」
レオは少し考えてから首を横に振った。
「いずれはな。でも、まずはミアからだ」
「どうして?」
「二人とも初心者のままじゃ、いざって時に意味がないだろ。まず一人、俺がいなくても動かせるようにする」
「なるほど……」
「それに一度に二人教えるのは面倒だ」
「結局それなんだ」
ルナが不満そうに言うと、ミアが楽しそうに笑った。
「あたしが覚えたら、ルナにも教えてあげるよ」
「じゃあお願い」
「おい。まず俺からちゃんと習え」
「分かってるって」
明日はミアが初めて御者に挑戦する。
ルナは残っていた煮込み料理を口に運びながら、まだ見たことのないカロンの町を思い浮かべた。
翌朝。
三人は宿で朝食を済ませると、早めに出発した。
空はよく晴れている。
今日も予定通り進めば、午後にはカロンに到着するはずだ。
最初はレオが御者台に座り、宿場を離れていく。
しばらく街道を進み、周囲を行き交う馬車や旅人が少なくなったところで、レオが馬車を止めた。
「この辺ならいいだろ」
「……もうやるの?」
馬車から降りたミアが、少し緊張した顔で御者台を見上げる。
「昨日やるって言っただろ」
「言ったけど……」
「嫌ならやめてもいいぞ」
「やる!」
即座に答え、ミアは御者台に上がった。
レオもその隣に座る。
ルナは馬車の中から、二人の様子を興味津々で眺めていた。
「まずは手綱の持ち方からな」
「うん」
「強く引き続ける必要はない。馬の動きを見ながら合図を出す」
レオが手本を見せながら説明していく。
ミアはいつになく真剣な顔で聞いていた。
「じゃあ、動かしてみろ」
「えっ、もう?」
「俺が隣にいるから大丈夫だ」
「……分かった」
ミアが手綱を握り直す。
「えっと……進んで」
「声だけじゃなくて、さっき教えただろ」
「あ、そっか」
レオに教えられた通りに合図を送る。
すると、馬がゆっくりと歩き始めた。
「動いた!」
ミアがぱっと笑顔になる。
「前見ろ」
「はい!」
すぐに姿勢を戻す。
馬車の中にいるルナも嬉しくなった。
「ミア、ちゃんと進んでるよ!」
「ルナ、今は話しかけないで!」
「え?」
「集中してるの!」
「ごめん」
ルナは慌てて口を閉じた。
その様子を見て、レオが小さく笑う。
「そんなに緊張しなくても、今はまっすぐ進むだけだ」
「だって、何かあったらどうするの」
「そのために俺が隣にいるんだよ」
しばらく進んだところで、今度は止まり方を教えてもらう。ミアが慎重に手綱を引くと、馬は少しずつ速度を落として止まった。
「……止まった」
「今のは悪くない」
「本当?」
「ああ。ただ、もう少し周りを見る余裕は欲しいな」
「そんな余裕ないよ……」
「それは慣れだ」
もう一度出発する。
最初こそ体を強張らせていたミアだったが、しばらくすると少しずつ慣れてきたようだった。
ルナは邪魔をしないよう黙って見守る。
(すごいなぁ)
弓を始めた時もそうだった。
ミアは初めてのことでも、教えてもらえば一生懸命覚えようとする。王都を出た頃と比べると、できることがどんどん増えていた。
「そろそろ代わるか」
「もう?」
「最初からやりすぎるな。今日はこれくらいでいい」
「……分かった」
少し残念そうにしながらも、ミアはレオと場所を交代した。馬車に戻ってきた途端、ルナが笑顔を向ける。
「お疲れさま」
「疲れたぁ……」
ミアはルナの隣に座ると、大きく息を吐いた。
「でも、ちゃんと動かせてたよ」
「まっすぐ進んだだけだけどね」
「最初なんだから十分じゃない?」
「そうかな」
「私も早くやってみたいな」
「レオがいいって言ったらね」
「聞こえてるぞ」
御者台から声が飛んでくる。
「ルナはまだ先だ。まずミアがある程度できるようになってからだ」
「はーい」
少し不満はあるものの、急いで覚えなければならないことでもない。ルナは素直に諦め、窓の外に目を向けた。
それからも馬車は順調に街道を進んだ。
途中で一度休憩を挟み、昼食を取る。
午後になってしばらくすると、遠くに大きな外壁が見えてきた。
「あれかな?」
ルナが窓から身を乗り出す。
「多分な」
レオが答える。
近づくにつれ、外壁の向こうにいくつもの建物の屋根が見えてきた。
「カロン……」
アルミヤを出て二日。
ようやく次の町に到着した。
門の前には何台もの馬車が並び、人の出入りも多い。
「アルミヤより大きそう」
「人も多いね」
ルナとミアは窓から町を眺める。
門ではレオが冒険者ギルドのカードを提示し、簡単な確認を受けた。
ルナとミアも自分のカードを見せる。
今では二人とも、自分のギルドカードを身分証として差し出せる。
手続きを終えると、馬車が再び動き出した。
大きな門をくぐる。
その向こうには、アルミヤとはまた違った町並みが広がっていた。
「着いた……!」
ルナは思わず笑顔になる。
門を抜けた三人は、まず貸し馬車商会に向かった。アルミヤで借りた馬と馬車を返し、荷物を受け取る。
「じゃあ宿を探すか」
「その前に市場を少しだけ見てもいい?」
レオが呆れたようにルナを見る。
「荷物持ったままか?」
「……先に宿に行きます」
ミアが吹き出した。
三人が今日から泊まることにしたのは、冒険者ギルドからもそれほど遠くない場所にある『まどろみ亭』だった。
扉を開けると、ふっくらとした女性が三人を迎えてくれる。
「いらっしゃい。泊まりかい?」
「はい。三人なんですけど、部屋は空いてますか?」
「空いてるよ。何泊の予定だい?」
ルナとミアはレオを見る。
「まだ決めてないんだ。とりあえず二泊頼めるか?」
「もちろん。延ばしたくなったら早めに言っておくれ」
女性は手早く宿帳を用意した。
「私はマディー。この宿をやってるよ。食事は朝と夜。お湯が欲しかったら言っておくれ」
「ありがとうございます」
手続きを終えると、三人は部屋に荷物を置き、市場に向かった。
「せっかく新しい町に来たんだよ? 見ないともったいないでしょ」
「ルナ、カロンが見えてからずっと市場のこと気にしてたもんね」
「だって、アルミヤではポムも見つけたし」
何か知らない食材があるかもしれない。
そう思いながら、ルナは市場に続く通りを歩いていく。
カロンの市場は、アルミヤよりも広かった。
通りの両側にはいくつもの店が並び、野菜や果物、肉、魚、パンなど、様々な食べ物が売られている。
食料品だけではなく、布や革製品、日用品を扱う店もあった。
「すごい。人も多いね」
「はぐれるなよ」
「分かってる」
三人で店を覗きながら歩いていると、ルナは見慣れない野菜を見つけて足を止めた。
「これ、何だろう」
「また始まった」
ミアがくすくす笑う。
「だって気になるんだもん」
店主に名前や食べ方を聞きながら、ルナは気になったものを手帳に書き留めていく。
そうしてしばらく市場を見て回っていた時だった。
「……あれ?」
ふと、一軒の果物屋の前にいる小さな女の子が目に入った。着ている服は少し古びているが、きちんと手入れされている。
女の子は並べられた果物をじっと見つめていた。
「おじさん、これ一ついくら?」
店主が値段を答える。
女の子は小さな財布を取り出すと、中に入っていた硬貨を手のひらに出した。
一枚、二枚。
何度か数えてから、もう一度果物を見る。
「……一つだけでも、その値段?」
「ああ。今日はこれ以上安くできないよ」
「そっか……」
女の子は残念そうに硬貨を財布に戻した。
「じゃあ、いいです」
それだけ言うと、店を離れていく。
ルナはなんとなくその背中を目で追った。
「……買わないんだ」
欲しそうにしていたのに。
思わず呟くと、隣にいたミアも女の子を見ていた。
「お金、足りなかったみたいだね」
「うん」
それは見ていれば分かった。
けれど、ルナが気になったのは別のことだった。
「自分で食べたかったのかな」
「どうだろう」
ミアは少し考えるように女の子を見つめる。
「自分のためじゃないような気もするけど」
「そうなの?」
「なんとなくだけどね」
女の子は他の店にも立ち寄っていた。
安い果物を探しているのか、値段を聞いては財布の中身を確認する。けれど結局、何も買わなかった。
「……あの子」
ミアがぽつりと言った。
「孤児院の子……かもしれない」
「分かるの?」
「服とか、持ってるものとか……なんとなく」
ミア自身、孤児院で育っている。
だからこそ、ルナには分からない何かを感じたのかもしれない。
「声かけてみる?」
ルナが尋ねると、ミアは少し迷ってから首を横に振った。
「今はやめておこう」
「そう?」
「うん。困ってるかどうかも分からないし、知らない人からいきなり声をかけられても困ると思う」
「……それもそうだね」
ルナはもう一度、女の子を見る。
お金が足りないなら買ってあげることはできる。
けれど、それが本当にあの子のためになるのかは分からない。
何も知らないまま手を出すのも違う気がした。
女の子は小さな財布を握ったまま、市場の人混みの向こうへ消えていった。
「気になる?」
ミアに聞かれ、ルナは正直に頷いた。
「ちょっとだけ」
「また会うかもしれないよ」
「うん」
カロンにもしばらく滞在する予定だ。
縁があれば、またどこかで会うこともあるだろう。
「そろそろ宿に戻るぞ」
少し先で待っていたレオに呼ばれ、二人は顔を見合わせた。
「はーい」
ルナは女の子が消えた方を最後にもう一度振り返ってから、レオのところに向かった。
部屋に戻ったルナは、ようやく一息つく。
「はぁ……」
ベッドに腰を下ろすと、体から力が抜けた。
「やっぱり二日移動すると疲れるね」
「ほとんど馬車だったけどね」
そう言いながらも、ミアも隣のベッドに座っている。
「今日はもう休め。明日の朝、ギルドに行くぞ」
「うん」
「どんな依頼があるかな」
「まずは町のことを聞いてからだ」
レオはそう言って荷物の確認を始めた。
ルナも返事をしながら、ふと先ほどの女の子を思い出す。
何を買おうとしていたのだろう。
どうしてあんなに一生懸命、安い果物を探していたのだろう。
(……また会えるかな)
まだカロンに来たばかりだ。
明日から、この町での新しい日々が始まる。
ルナはそんなことを考えながら、窓の向こうに広がる町並みを眺めた。




