2-11
一方、その頃。
馬車の手配を終えたレオは、アルミヤの門から少し離れた場所にいた。
街道を行き来する人間を見渡せる場所を選び、時折場所を変えながら様子を窺っていた。
明日の朝から借りられる馬車は確保できた。
あとは、港町方面から戻ってくる者がいないか確認するだけだ。
行き交う人々に目を向けながら、レオは壁にもたれる。
(今日中に分かればいいんだけどな)
ルナを探している者が王都に戻るのを確認できれば、明日は予定通り出発できる。
逆に、一番面倒なのは日が暮れてからアルミヤに戻ってくることだった。暗くなってからでは、そのまま王都まで向かうとは考えにくい。
町に入り、一泊する可能性が高い。
そうなれば、明日の朝まで同じ町にいることになる。
(ゆりかご亭まで調べられたら厄介だな)
ハンナなら事情を話せば、ルナたちのことを黙っていてくれるかもしれない。だが、それでハンナに迷惑をかけるわけにはいかない。
そもそも、ルナの父親がどこまで指示を出しているのか、レオには分からなかった。
ただ娘を連れ戻せと言っているだけなのか。
それとも、匿った者や手を貸した者についても調べるよう命じているのか。
相手は貴族に仕える護衛だ。
できることなら、関わらせない方がいい。
空が少しずつ赤く染まり始める。
(今日は来ないか……?)
これ以上遅くなるようなら、今日のところは切り上げた方がいい。
そう考えた時だった。
港町へ続く街道の向こうに、二頭の馬が見えた。
「……ん?」
レオは目を細める。
二頭ともかなりの速さでこちらに向かってくる。
やがて近づいてきた二人の姿を見て、レオは少しだけ表情を引き締めた。
二人とも旅人にしては身なりが整っていた。
腰には剣を下げ、馬の扱いにも慣れている。
(冒険者……じゃなさそうだな)
それだけなら、貴族の使いや商人の護衛という可能性もある。
だが、二人が来たのは港町へ続く方角からだ。
レオは二人に気づかれないよう距離を取りながら、門の方に歩き出した。
二頭の馬は門の前で止まる。
しかし、男たちは馬から降りる様子も、町に入ろうとする様子もなかった。
(何か聞くだけか?)
レオは足を止めず、そのまま門の近くを通りかかる。
すべての会話までは聞こえない。
それでも、男の声が途切れ途切れに耳に入ってきた。
「……数日前にも……」
「……若い娘が二人……」
レオの足がわずかに緩む。
さらに近づいたところで、もう一つ聞こえた。
「……令嬢、もう一人はその侍女……」
(やっぱりか)
レオは二人を見ないようにしながら、そのまま門のそばを通り過ぎる。
しばらくして振り返ると、話を終えた二人が馬の向きを変えるところだった。
町に入ることはない。
そのまま王都へ続く街道に向かい、走り去っていく。
レオは少し離れたところから、その背中を見送った。
数日前、この門では貴族令嬢が探されていた。
そして今、港町方面から戻ってきた二人が、若い娘と侍女について尋ねていた。
(ほぼ間違いないだろう)
あの二人は、ルナを探していた者たちだ。
この先まで捜索して、見つけられないまま引き返してきたのだろう。
二頭の馬が街道の先に消えていく。
それを確認してから、レオはようやく肩の力を抜いた。
「……よし」
これなら、明日の朝には予定通りアルミヤを出られそうだった。
ゆりかご亭に戻ると、ルナとミアは部屋にいた。
「あ、レオ!」
扉を開けた途端、ルナが立ち上がる。
「どうだった?」
「馬車は取れた。明日の朝から借りられる」
「じゃあ……」
「ああ」
レオは二人を見て、はっきりと言った。
「明日の朝、アルミヤを出るぞ」
ルナとミアが顔を見合わせる。
「追っ手は?」
「多分、さっき王都に戻っていった」
「見たの?」
「ああ。港町の方から馬で二人戻ってきた。門番に若い娘二人を見なかったか確認して、そのまま王都方面に向かった」
ルナの表情が少し強張る。
「私たちを探してたのかな……」
「ほぼ間違いないと思う」
レオは頷いた。
「ただ、向こうは俺たちがアルミヤにいるとは気づいてない。この先も探したみたいだから、少なくとも今すぐ同じ道を戻ってくる可能性は低い」
「じゃあ、今が出るには一番いいってこと?」
「そういうことだ」
ミアの問いにレオが答える。
「荷物は?」
「今日買ってきたから大丈夫」
「なら、今夜のうちに全部まとめておけ。明日は朝飯を食ったら出る」
「分かった」
ルナは頷いた。
とうとう、アルミヤを離れる時が来た。
少し寂しい。
それでも、この町が目的地ではない。
ルナは窓の外に目を向ける。
夕暮れに染まったアルミヤの町並みを見つめながら、明日から始まる新しい旅のことを考えた。
◇◇◇
翌朝。
朝食の時間に合わせて、三人は出発の準備を整えていた。
「これで全部かな」
ルナは荷物を持ち、もう一度部屋の中を見回した。
忘れ物はない。ベッドも簡単に整え、借りたものも元の場所に戻してある。
「あ」
そのまま出ようとして、ルナは足を止めた。
「どうしたの?」
「最後に綺麗にしておこうと思って」
ミアにはそれだけで伝わったらしい。
「ああ、クリーン?」
「うん」
ルナは荷物を一度置き、部屋に向き直った。
「クリーン」
まず床と家具の一角にクリーンをかける。隣の部屋から出てきたレオが呆れたように口を開いた。
「ルナ、前に言っただろ。お前のクリーンは人とは違うんだから注意しろって」
「でも、何日も使わせてもらったんだよ?」
「宿なんだから、掃除するのも仕事のうちだ」
「それは分かってるけど……」
ルナは最後に窓の近くにクリーンを使う。
「できるだけ綺麗にして出たいの」
「出発前に魔力を無駄遣いするなよ」
「あ……」
それを言われると弱い。
ルナは自分の体調を確かめてから、素直に手を下ろした。
「もう終わり。これ以上は使わない」
「ならいい」
「でも、綺麗になったでしょ?」
「それは否定しないけどな」
レオの返事に、ミアがくすくす笑う。
「ルナ、こういうところ変に真面目だよね」
「変は余計」
ルナは少し頬を膨らませ、それから改めて部屋を見回した。
アルミヤに着いた日、ようやくベッドで眠れると喜んだ部屋。ここでハッカソウのお茶も試したし、三人でこれからの旅についても話した。
たった数日しか過ごしていないのに、少しだけ名残惜しい。
「……よし」
ルナは荷物を持ち直す。
「行こう」
三人は部屋を出て、一階に降りた。
食堂には、いつものように朝食のいい香りが漂っていた。
「おはよう」
「おはようございます」
三人が席につくと、ハンナが朝食を運んでくる。
パンに卵料理。そして、淡い緑色のスープ。
「今日も幸運のスープだ」
ルナの顔が自然とほころぶ。
「評判がよかったからね。しばらく朝食に出してみようと思ってるよ」
「本当ですか?」
「ああ。安く作れるし、美味しい。朝にもぴったりだからね」
「嬉しい……」
自分がこの町を離れても、幸運のスープはここに残る。
それがなんだか不思議で、そして嬉しかった。
「またアルミヤに来たら食べられるね」
ミアが言う。
「うん」
「その頃にはもっと美味しくなってるかもしれないよ」
ハンナが笑う。
「それは楽しみです」
三人はいつもと同じように朝食を食べた。
けれど、今日はこれがゆりかご亭で食べる最後の朝食だ。
ルナはパンもスープも、いつもよりゆっくり味わった。
食事を終えると、三人は荷物を持ってハンナのところに向かった。
「ハンナさん」
「いよいよ出発かい?」
「はい」
ルナは頷く。
「短い間でしたけど、本当にありがとうございました」
「何言ってるんだい。こっちこそ面白い料理を教えてもらったよ」
ハンナはそう言って笑う。
「ポムのドレッシングも、幸運のスープもね」
「使ってもらえて嬉しいです」
「昨日のお菓子も美味しかったよ。朝、みんなで食べたんだ」
「本当ですか?」
「ああ。みんな喜んでたよ」
その言葉に、ルナも嬉しくなる。
「次はどこへ行くのか知らないけど、気をつけて行くんだよ」
「はい」
「ミアちゃんも。レオも二人から目を離すんじゃないよ」
「分かってるよ」
「あたしも気をつけるよ」
ミアも笑顔で答える。
ハンナは三人を順番に見てから、少しだけ寂しそうに目を細めた。
「またアルミヤに来ることがあったら、うちに泊まりな」
「……はい!」
ルナは大きく頷いた。
「絶対また来ます」
「絶対なんて簡単に言うもんじゃないよ」
そう言いながらも、ハンナは嬉しそうだった。
「じゃあ、『また来たいです』」
「それならいい」
二人で顔を見合わせて笑う。
ルナはもう一度食堂を見回した。
数日しか過ごしていないのに、ここにはたくさんの思い出ができた。
「ハンナさん、本当にありがとうございました」
「ああ。元気でね」
「はい」
三人はハンナに見送られながら、ゆりかご亭を後にした。
ゆりかご亭を出た三人は、そのまま冒険者ギルドに向かった。
朝のギルドはすでに賑わっていた。
依頼ボードの前には何人もの冒険者が集まり、受付にも列ができている。
「エリーさん、いるかな」
「受付にいるんじゃない?」
二人で探していると、ちょうど一人の冒険者への対応を終えたエリーと目が合った。
「あら、おはようございます」
「おはようございます」
三人が受付に近づくと、エリーは大きな荷物を持ったルナとミアを見て、すぐに気づいたようだった。
「もしかして、今日出発するんですか?」
「はい。これから次の町に向かいます」
「そうですか。もう少しいらっしゃるのかと思っていました」
「私も、もう少しいたいんですけど……」
ルナは少し名残惜しそうにギルドの中を見回した。
初めてここへ来た時は、何もかもが分からなかった。
冒険者の登録をして、初めて自分のカードをもらった。
薬草の資料を読んで、初めて依頼を受けたのもここだ。
「エリーさんには、いろいろ教えてもらって……本当にありがとうございました」
「私からすれば、仕事をしただけですよ」
「それでもです」
ルナは持っていた荷物から、昨日焼いたパウンドケーキを取り出した。
「これ、よかったら食べてください」
「私に?」
「はい。ポムジャムを入れた焼き菓子です」
エリーは驚いたように目を瞬かせ、それから嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございます。昨日作ったんですか?」
「はい。ちゃんと味見もしたので、美味しくできてると思います」
「ルナ、味見って言いながら二切れ食べてたよね」
「一切れじゃ分からないかもしれないでしょ」
「そんなことある?」
二人のやり取りに、エリーがくすくす笑う。
「では、楽しみにいただきますね」
「はい!」
エリーはケーキを大切そうに置くと、今度は少し真面目な表情で二人を見る。
「次の町でも依頼を受けるつもりですか?」
「そのつもりです」
「他の町では、アルミヤとは出る魔物も薬草も違うこともあります。最初に必ずギルドで確認してくださいね」
「はい」
「無茶だけはしないように」
そう言って、ちらりとレオを見る。
「分かってる」
「なら安心ですね」
エリーは笑った。
「ミアさんも、弓の練習を頑張ってください」
「はい! 次はホーンラビットを仕留めます!」
「まずは当てるところからだろ」
「分かってるってば」
レオに言われ、ミアが少し頬を膨らませる。
ルナはそんな二人を見て笑ってから、改めてエリーに向き直った。
「それじゃあ、行ってきます」
「はい。お気をつけて」
「ありがとうございました」
三人はもう一度頭を下げ、冒険者ギルドを後にした。
◇◇◇
貸し馬車屋では、レオが昨日頼んでおいた馬車がすでに用意されていた。
荷物を積み込み、ルナとミアが中に乗る。
御者台にはレオが座った。
「本当にレオが御者なんだ」
「昨日も言っただろ」
「ちゃんとできる?」
「お前たちを乗せてから練習するほど無謀じゃない」
「それなら安心」
「信用してなかったのか?」
呆れたような声が聞こえ、ルナとミアが顔を見合わせて笑う。
「じゃあ、行くぞ」
「うん!」
レオが手綱を操ると、馬車がゆっくりと動き始めた。
見慣れてきた町並みが、窓の外を流れていく。
何度も歩いた市場。
ポムパイを買った店。
やがて馬車は、アルミヤの門に近づいた。
ルナは窓から外を眺める。
初めてこの門を通った時は、追っ手のことが気になって仕方がなかった。
それでも町に入ってからは、たくさんのことを経験した。
冒険者になり、初めて自分で依頼を受けた。
働いてお金を稼ぎ、森では知らない植物を見つけた。
自分が作った料理を、美味しいと言ってもらえた。
王都を出た時には、こんな毎日が待っているなんて思ってもいなかった。
馬車が門を抜ける。
少しずつ遠ざかっていくアルミヤを、ルナは振り返った。
「……楽しかったな」
「うん」
隣に座るミアも町を見つめている。
「また来られるかな」
「来ようよ」
ミアが当たり前のように言った。
「今度は追われながらじゃなくて、普通に」
「……そうだね」
ルナは笑った。
「その時は、またゆりかご亭に泊まろう」
「幸運のスープも食べないとね」
「もっと美味しくなってるかも」
二人で笑っているうちに、アルミヤの町は少しずつ小さくなっていく。
やがてルナは前に向き直った。
寂しくないと言えば嘘になる。
けれど、不安だけだった王都を出た日とは違う。
今は、この先に何があるのか楽しみだった。
「次の町も楽しみだね」
「うん!」
港町まではまだ遠い。
その先には、海の向こうの知らない国がある。
馬車はアルミヤを離れ、次の町へと続く街道を進んでいく。ルナの旅は、まだ始まったばかりだった。




