2-10
朝食を終えると、三人は部屋に戻った。
順調なら明日はアルミヤを発つ予定だ。
テーブルの上に荷物を広げ、足りないものがないか一つずつ確認していく。
「まず食料だな」
レオが荷物の中を確認しながら言う。
「次の町まで馬車で二日くらいなんだよね?」
「ああ。途中の宿場で一泊する予定だけど、食料は三日分くらい用意しておこう」
「三日分?」
ミアが首を傾げる。
「何かあって予定通り宿場に着けないこともあるからな。宿場で欲しいものが買えるとも限らないし、少し多めに持ってた方がいい」
「なるほど……」
ルナは手帳を開き、必要なものを書き出していく。
「パンと、チーズと、干し肉……」
「日持ちするものを中心にな」
「ポムも買っていい?」
「好きだな、ポム」
「美味しいから」
アルミヤに来て初めて食べたポムパイも美味しかったし、ジャムもすっかり気に入ってしまった。
「そのままのポムなら何日か持つし、別にいいぞ」
「じゃあ買う」
ルナはさっそく手帳に書き加える。
「水はどうする?」
「後で、水筒に補充しておこう。ウォーターは使えるけど、それだけに頼るのはよくないからな」
「ポーションは?」
「この前買ったのが残ってるから、今回は大丈夫だ」
「採取用の道具もあるし……」
ルナが荷物を見回す。
王都を出た時は、何が必要なのかもよく分からなかった。
けれど、一度野営をして、依頼を受けて、森にも行った。
まだ分からないことばかりだけれど、少しずつ旅の準備にも慣れてきた気がする。
「着替えも大丈夫。あとは……」
「消耗品を少し買い足すくらいかな」
ミアも自分の荷物を確認しながら答える。
「じゃあ、今日のうちに全部揃えておこう」
ルナが手帳に最後の一つを書き加えたところで、レオが立ち上がった。
「買い物は二人に任せてもいいか?」
「レオは?」
「俺は馬車を手配してくる」
昨日話した通り、次の町までは貸し馬車を使う予定だ。
「明日の朝から借りられるように話をつけてくる。それが終わったら、門の辺りも見てくるつもりだ」
ルナの手が止まる。
「追っ手が戻ってきてないか?」
「ああ」
レオは頷いた。
「昨日も言ったけど、そろそろ港町の方から戻ってきてもおかしくない。今日一日は様子を見る」
「もし、まだ戻ってきてなかったら?」
「その時は明日の朝にもう一度考える。わざわざ危ない時に出る必要はないからな」
「そっか」
できれば予定通り明日出発したい。
けれど、見つかって王都に連れ戻されてしまっては意味がない。
「分かった。お願いします」
「任せろ。二人は買い物を頼む」
「うん!」
ミアが元気よく返事をする。
「食料は三日分。あと必要なものはここに書いたから」
ルナは手帳をミアにも見せる。
「結構あるね」
「二人で持てるかな?」
「買いすぎるなよ」
「分かってる」
「特にポム」
「そんなに買わないよ」
疑うようなレオの視線に、ルナは少し頬を膨らませる。
ミアが隣でくすくす笑った。
「じゃあ、よろしく」
「うん」
三人はそれぞれ出かける準備を始める。
ルナは手帳に書いた買い物の一覧を見つめてから、もう一つだけ書き加えた。
——お世話になった人へのお礼。
(何かできないかな)
出かける準備をしながら、ルナは荷物の中に入れていた小さな瓶に目を留めた。
「あ……」
「どうしたの?」
ミアが覗き込む。
「ポムジャム、まだ残ってた」
数日前、初めて自分で受け取った依頼料で買ったものだ。
パンにつけたり、ドレッシングに使ったりしたが、まだ少し残っている。
ルナは瓶を手に取り、しばらく考える。
(これで何か作れないかな)
せっかくなら、アルミヤの名産を使ったものがいい。
それに、お礼として渡すのなら、ある程度日持ちするものの方がよさそうだ。
(焼き菓子……)
そこで一つ思いつく。
「パウンドケーキはどうかな」
「ぱうんど……?」
聞き慣れない言葉に、ミアが首を傾げた。
「えっと、バターと卵を使った焼き菓子。そこにポムジャムを入れたら美味しいと思う」
「作ったことあるの?」
「……多分、作れる」
「多分?」
ミアが怪訝そうな顔をする。
ルナは曖昧に笑った。
前世では何度か作ったことがある。
材料も作り方も覚えている。
問題は——。
(前世では温度を設定できるオーブンでしか作ったことないんだよね)
この世界の厨房にあるのは、当然ながら温度を設定できるオーブンではない。
火加減をどうするのか、ルナにはさっぱり分からなかった。
(まあ、ハンナさんに聞けば何とかなるかな)
焼き菓子なら、料理人であるハンナの方が火の扱いには詳しいはずだ。
「作るなら、ハンナさんたちとエリーさんに渡したいな」
「お礼?」
「うん。二人にはすごくお世話になったから」
ルナは指を折りながら考える。
「それと、私たちの分も作ろう」
「私たちのも?」
「明日からまた馬車でしょ? 途中で食べられるお菓子があったら嬉しくない?」
「嬉しい!」
ミアはすぐに賛成した。
「じゃあ三つ?」
「うん。三本作りたい」
残っているジャムの量を見る。
これだけでは三本分には少し心許ない。
「ポムジャムも買い足そう。材料も必要だし」
「今日の買い物、増えたね」
「これは必要な買い物です」
「お菓子なのに?」
「お礼だから必要なの」
ルナが真面目な顔で答えると、ミアが楽しそうに笑った。
二人は荷物を持って部屋を出る。
そのまま一階に降りると、ハンナは食堂の片づけをしているところだった。
「ハンナさん」
「どうしたんだい?」
「今日もお願いがあるんですけど……」
「その言い方は、また厨房かい?」
「分かりました?」
「楽しそうに料理してたからね」
ハンナが笑う。
「それで、今日は何を作るんだい?」
「お菓子です」
「へえ」
途端にハンナが興味深そうな顔をする。
「午後、また調理場を借りてもいいですか?」
「昼の営業が終わってからなら構わないよ」
「ありがとうございます!」
「今度は何を作るのか楽しみにしてるよ」
ルナは一瞬迷ってから、にこりと笑った。
「それは、できてからのお楽しみです」
「なんだい。教えてくれないのかい?」
「まだちゃんと作れるか分からないので」
失敗してしまったら格好がつかない。
ハンナはおかしそうに笑いながら頷いた。
「分かったよ。必要な道具があったら言いな」
「はい!」
厨房を借りる約束もできた。
あとは材料と、明日の旅に必要なものを揃えるだけだ。
「じゃあ行こう、ミア」
「うん」
二人は並んでゆりかご亭を出た。
外に出ると、朝のアルミヤにはいつもの賑やかな光景が広がっていた。
明日には、この町を離れる。
そう思うと、見慣れてきた市場へ向かう道さえ少し名残惜しく感じる。
「まずは旅の食料からだよね」
「うん。そのあとお菓子の材料」
「ポムも買うんでしょ」
「もちろん」
「レオに買いすぎるなって言われたばっかりなのに」
「必要な分だけです」
ルナはそう言いながら、ミアと一緒に市場に向かった。
市場では、朝書き出したものを確認しながら順番に買い揃えていった。
パンや干し肉、チーズなどの日持ちする食料に、細かな消耗品。予定より一日分多く用意し、それとは別にポムもいくつか買っておく。
そして最後に、午後のお菓子作りに必要な材料を揃えた。
「小麦粉、卵、バター、砂糖……あとはポムジャム」
「結構買ったね。それに、思ったより材料代がかかるんだね」
「うん。でもお礼だから今日は特別」
残っているジャムだけでは足りないので、新しい瓶を一つ買い足す。
荷物は多くなったものの、二人で分ければ宿まで運べないほどではない。
「これで全部かな」
「うん。帰ろう」
買い忘れがないことを確認し、二人はゆりかご亭に戻った。
◇◇◇
昼食を終え、食堂の客が少なくなった頃。
「ハンナさん、お願いします」
「ああ。好きに使いな」
約束通り調理場を借りたルナは、買ってきた材料を台の上に並べた。
「さて……」
小麦粉、砂糖、卵、バター。そしてポムジャム。
必要なものは揃っている。
(作り方は覚えてる)
前世では何度か作ったことがある。
まずは柔らかくしたバターに砂糖を加え、よく混ぜる。
そこへ溶いた卵を少しずつ加え、さらに小麦粉を入れる。
「ミア、手伝ってくれる?」
「もちろん。何すればいい?」
「これを混ぜてほしいんだけど……結構大変かも」
「任せて」
ミアが張り切って器を受け取る。
最初は勢いよく混ぜていたものの、しばらくすると動きが遅くなってきた。
「……これ、思ってたより疲れる」
「でしょ?」
「ルナもやってよ」
「もちろん」
今度はルナが受け取り、混ぜていく。
けれど、こちらも長くは続かなかった。
「疲れた……」
「早くない?」
「ミアだって疲れたって言ったでしょ」
「あたしはもっとやったよ」
「じゃあ、もう一回お願い」
「そういう意味じゃない!」
二人のやり取りを聞いていたハンナが、少し離れたところで声を上げて笑った。
結局、何度か交代しながら混ぜていく。
「最後にこれ」
ルナが取り出したのはポムジャムだった。
ジャムを加えさっくりと混ぜ合わせる。
甘いポムの香りが広がった。
「いい匂い」
「焼いたらもっといい匂いになると思うよ」
出来上がった生地を三つの型へ分けて入れる。
ここまでは順調だった。
問題は——。
「ハンナさん」
「なんだい?」
「これ、焼きたいんですけど……」
ルナは厨房に備え付けられたオーブンを見る。
前世で使っていたものとはまるで違う。
「どのくらいの火で焼けばいいのか分からなくて」
「作ったことがあるんじゃなかったのかい?」
「焼き加減だけが分からなくて。このオーブンを使ったことがないので」
ハンナは不思議そうにしながらも、焼く前の生地を覗き込んだ。
「焼き菓子なら、このくらいでいいと思うよ」
火の状態を確認しながら、手際よく調整してくれる。
「最初は私も見ててあげるから、入れてみな」
「ありがとうございます」
ハンナに教えてもらいながら、三本の型を中へ入れる。
あとは焼き上がるのを待つだけだ。
「ちゃんとできるかな」
「大丈夫じゃない?」
ミアは気楽に言うが、ルナは落ち着かない。
何度も様子を見ようとして、そのたびにハンナから、
「そんなに何度も開けるんじゃないよ」
と止められた。
「気になるんです」
「気になるのは分かるけど、少し待ちな」
「はーい」
しばらくすると、厨房に甘い香りが漂い始めた。
「あ、いい匂い!」
ミアが嬉しそうに声を上げる。
ルナも期待しながら待っていると、やがてハンナが中を確認した。
「そろそろよさそうだね」
三本の焼き菓子を取り出す。
表面には綺麗な焼き色がつき、真ん中がふっくらと膨らんでいた。
「できた……!」
「ちゃんと焼けてるね」
ハンナにもそう言われ、ルナはほっと息を吐く。
「でも、味も確認しないと」
「味見?」
ミアがすぐに反応した。
「私たちの分を少しだけね」
旅に持っていく一本を切り分ける。
まだ少し温かいケーキを口へ運ぶと、バターの風味と一緒にポムの甘酸っぱさが広がった。
「……美味しい!」
ミアも一口食べ、何度も頷く。
「うん、美味しい! ポムの味もちゃんとする」
「よかったぁ」
ルナももう一口食べてみる。
「あたしももう一切れ食べたい」
「駄目。レオにも味見してもらうんだから」
前世で作ったものとまったく同じとはいかないけれど、十分に美味しくできている。
「ハンナさんもどうぞ」
一切れ渡すと、ハンナも味を確かめる。
「へえ。ジャムをこうやって焼き菓子に使うのもいいね」
「ですよね?」
「パンよりは日持ちしそうだし、旅のおやつにもよさそうだ」
料理人から褒められ、ルナは嬉しくなる。
そして、残った二本のうち一本をハンナに差し出した。
「これ、ハンナさんに」
「私に?」
「はい。ここに来てから、いろいろお世話になってるので」
ルナはパウンドケーキを両手で差し出す。
「厨房も何度か貸してもらったし、美味しいご飯もたくさん食べさせてもらったから。そのお礼です」
「でも、その厨房を使って私への贈り物を作ったんだろ?」
「あ……」
言われてみれば、その通りだった。
ルナが困ったように笑うと、ハンナも声を上げて笑った。
「冗談だよ。ありがたくもらっておくさ」
「はい!」
ハンナはケーキを受け取ると、嬉しそうに眺めた。
「それにしても、青葉草の次はポムかい。ルナちゃんといると、見慣れた食材が違うものに見えてくるね」
「まだ作ってみたいもの、いっぱいありますよ」
「それは楽しみだ」
そう言ってもらえることが嬉しくて、ルナも笑顔になる。
もう一本は、エリーへのお礼だ。
「これ、あとでエリーさんにも持っていこうか」
「うん。きっと喜んでくれるよ」
ミアと話しながら、ルナはふと窓の外へ目を向けた。
「そういえば、レオはどうなったかな」
馬車の手配を済ませたあとは、門の近くで様子を見ると言っていた。もし追っ手がまだ戻ってきていないのなら、明日の出発はもう一度考えなければならない。
「そろそろ戻ってくるんじゃない?」
「うん」
ルナは少し気になりながら、残ったケーキを丁寧に包み始めた。
明日、この町を離れられるかどうか。その答えを持って、レオはもうすぐ戻ってくる。




