2-9
翌朝。
三人が一階の食堂に降りると、すでに何人かの宿泊客が朝食を取っていた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「おはようございます」
ハンナに挨拶をして、いつもの席に向かう。
しばらくすると、パンや卵料理と一緒に朝食が運ばれてきた。
「……あっ!」
目の前に置かれた器を見て、ルナの顔がぱっと明るくなる。
淡い緑色のスープ。
その中央には、四枚の葉が綺麗に揃った青葉草が一枚浮かんでいた。
「幸運のスープ!」
「さっそく作ってみたよ」
ハンナが楽しそうに笑う。
「一昨日、教えてもらった通りに作ってみたんだけど、どうだい?」
「いただきます!」
ルナはさっそくスプーンですくい、口に運んだ。
青葉草の風味に、芋とミルクのまろやかさがよく合っている。一昨日、自分が作ったものと同じ。
けれど——。
「美味しい……!」
「本当かい?」
「はい。この前よりずっと滑らかだし、味もちょうどいいです」
もう一口飲んでから、ルナは感心したようにハンナを見る。
「さすがハンナさん。私が作った時より美味しくなってます」
「そりゃあ、こっちは何年料理をしてると思ってるんだい」
ハンナは得意そうに笑った。
「ルナちゃんが面白い作り方を教えてくれたんだから、美味しくするのは私の仕事さ」
自分が考えた料理が、本当に宿の朝食として出ている。
それだけでも嬉しくて、ルナはもう一度スープを眺めた。
ふと、他の客たちはどう思っているのだろうと気になった。
さりげなく食堂を見回してみる。
近くのテーブルでは、二人組の冒険者がスープを前に話していた。
「これ、青葉草だよな?」
「みたいだな」
「青葉草なんてスープに入ってても普段は気にしないけど……」
一人が半信半疑といった様子で口へ運ぶ。
「……あれ、結構うまい」
「だろ? 芋も入ってるから腹にもたまるぞ」
別の席では、年配の男性がパンと一緒にゆっくりスープを飲んでいる。
「朝にはこういうのがいいな」
そんな声まで聞こえてきた。
どうやら、思っていた以上に評判はいいらしい。
ルナの口元が自然と緩む。
「ルナ、嬉しそう」
隣からミアに言われる。
「だって……」
もう一度、食堂を見回す。
「私が作ったものを、みんなが食べてくれてるんだよ」
「ハンナさんが作ったんだけどね」
「元は私が考えたの」
「はいはい」
ミアが笑う。
「でも、よかったね」
「うん!」
ルナは嬉しそうに頷き、もう一口スープを飲んだ。
その向かいでは、レオが二人の様子を眺めながら朝食を食べていた。
やがてパンを置くと、ルナとミアを順番に見る。
「そういえば二人とも、体は大丈夫か?」
「体?」
「昨日は結構歩いただろ。森にも入ったし」
「ああ」
言われて、ルナは自分の体調を確かめる。
「少し足が重い気はするけど……痛くはないし、大丈夫」
「あたしは平気!」
ミアは元気よく答えた。
「ならいい。今日は森には行かずに、町の中の依頼をやってみないか?」
「町の依頼?」
「ああ。掃除とか店の手伝いとか、Fランクでも受けられる依頼があっただろ」
初めてギルドに行った日に依頼ボードで見たものを思い出す。
「今日は二人だけで受けてみろ」
「二人だけ?」
ルナとミアが揃ってレオを見る。
「町の中なら危険もほとんどない。それに、いつまでも俺がついてる必要はないだろ」
「それはそうだけど……」
家を出てからは必ずレオがそばにいた。
二人だけと言われると少し不安ではある。
けれど、それ以上にやってみたい気持ちもあった。
「ミア、どうする?」
「やってみようよ」
「……うん。私もやってみたい」
二人が頷くと、レオも満足そうに頷いた。
「決まりだな」
「レオはどうするの?」
「俺はギルドに残って、この先の情報を集めてくる」
「この先?」
「ああ」
レオは少し表情を真剣なものにする。
「俺もアルミヤより先へは行ったことがないからな。次の町までの道や、途中で泊まれる場所なんかを確認しておきたい」
「そっか……」
ルナたちの目的地はアルミヤではない。
港町へ行き、そこから船でエレンジア王国に渡る。
ここでの生活が楽しくて、少し忘れそうになっていた。
「最近の街道の様子も聞いておく。魔物や盗賊が出てないかも知っておきたいしな」
「お願いします」
「午後には戻る。その時に三人で今後のことを話そう」
「うん」
ルナは頷いた。
アルミヤへ来て、今日で五日目。
初めて依頼を受け、森へ行き、料理もした。
少しずつこの町での生活にも慣れてきた。
けれど、そろそろ次に進むことも考えなければならない。
「じゃあ今日は、私とミアだけで初めての依頼だね」
「うん。何にする?」
「それはギルドで見てから決めよう」
朝食を終えた三人は、揃って冒険者ギルドに向かった。
中に入ると、レオは情報を集めるため受付に向かい、ルナとミアは二人で依頼ボードの前に立った。
並んでいる依頼書を一枚ずつ見ていく。
荷物運び、店番の手伝い、畑の草むしり。収穫を手伝ってほしいというものもある。
「本当にいろんな依頼があるんだね」
「どれにする?」
「うーん……」
迷いながら眺めていたルナの目が、一枚の依頼書で止まった。
「あ、これ」
「倉庫の掃除?」
「うん。これにしない?」
依頼内容は、商店の裏にある倉庫の掃除だった。
荷物を整理し、床や棚を綺麗にしてほしいと書かれている。
「いいけど……」
ミアがルナの顔を見る。
「もしかして、クリーン使ってみたいの?」
「分かった?」
「その顔見れば分かるよ」
ルナは思わず笑った。
以前、ミアにクリーンを使った時、自分の魔法は普通よりも綺麗になると言われた。
あれから何度か自分には使っているものの、掃除に使ったことはない。
「どのくらいできるのか試してみたいなって」
「依頼なんだから、実験だけして帰るのは駄目だよ」
「ちゃんと掃除もするよ」
「ならいいけど」
どちらが侍女だったのか分からない会話に、二人で笑う。
依頼書を持って受付に向かい、手続きを済ませる。
レオには依頼先を伝えてから、二人だけでギルドを出た。
依頼主の店は、ギルドから歩いてそれほどかからない場所にあった。
「冒険者ギルドから来ました。倉庫の掃除の依頼を受けたルナとミアです」
「ああ、待ってたよ」
店主に案内され、店の裏手に回る。
扉を開けた瞬間、ルナは思わず中を見回した。
「……結構あるね」
木箱や樽が並び、棚には商品や道具が詰め込まれている。
床の隅には埃も溜まっていた。
「しばらくちゃんと掃除できてなくてね。荷物は勝手に捨てないでくれれば、動かしても構わないよ」
「分かりました」
店主が戻っていくと、ルナは腕まくりをする。
「よし。やろう」
「まず窓を開けよう」
「はい」
「それから、上から掃除するの。先に床を綺麗にしても、棚を掃除したらまた埃が落ちるでしょ」
「なるほど」
素直に頷くルナを見て、ミアが少し得意そうな顔になる。
「お掃除ならあたしの方が先輩だからね」
「そうだね。先生、お願いします」
「任せて」
胸を張るミアに、ルナはくすくす笑った。
「なんで笑うの?」
「だって、なんだか新鮮で」
「もう。ほら、手を動かす!」
「はーい」
二人はミアの指示で掃除を始めた。
棚に置かれたものを動かし、埃を払う。
ルナが雑巾で棚を拭き、ミアが荷物を整理する。
床を掃き、隅に溜まっていた埃も取り除いていった。
慣れているミアに比べると、ルナの動きはどうしても遅い。
「ルナ、そこ拭き残してる」
「え、どこ?」
「ここ」
「本当だ」
「あと雑巾はもっとしっかり絞った方がいいよ」
「はい、先生」
「だから笑わないでってば」
そんなやり取りをしながら作業を続ける。
やがて荷物の整理と大まかな掃除が終わる頃には、倉庫は最初よりずいぶん片づいていた。
床に積もっていた埃もなくなり、棚もきれいに拭かれている。
「これでだいたい終わりかな」
ミアが倉庫を見回す。
けれどルナは、棚の隅に目を留めた。
「……まだ少し残ってるね」
長く使われてきたせいか、木の棚には黒ずんだ汚れが残っている。
床にも、雑巾で何度拭いても取れなかったくすみがあった。
「そこは仕方ないよ」
ミアが言う。
「古い汚れだから、普通に拭くだけじゃ取れないと思う」
「じゃあ……」
ルナは少し嬉しそうに棚に近づいた。
「最後にクリーンを試してみてもいい?」
「やっぱりそれが目的だったんでしょ」
「ちゃんと掃除してからって約束したじゃない」
「はいはい」
ミアも興味があるのか、すぐそばまでやって来る。
ルナは棚の一角に手を向けた。
以前、自分やミアに使った時と同じように、ただ埃が消えるのではなく、きれいに洗い上げた後の状態を思い浮かべる。
「クリーン」
淡い光が棚を包んだ。
光が消える。
ルナとミアは同時に棚を見つめた。
「……あ」
先ほどまで残っていた黒ずみが、きれいに消えている。
ミアが指先で棚をなぞった。
「すごい。さっき何度拭いても落ちなかったのに」
「やっぱり、こういう汚れにも効くんだ」
ルナは少し考えてから、今度は床のくすんだ部分に手を向ける。
「クリーン」
そこも同じように汚れが薄れ、周囲より明るくなった。
「もう一回やってみるね」
ルナは場所を少しずつ変えながら、棚や床にクリーンを使っていった。
一度に広い範囲を綺麗にできるわけではない。
それでも、普通の掃除では取り切れなかった細かな汚れが、一つずつ消えていく。
何度か繰り返す頃には、倉庫全体が最初よりもずっと明るく見えるようになっていた。
「……すごいね」
ミアが改めて倉庫を見回す。
「私のクリーンじゃ、埃を落とすくらいなのに」
「私のは、汚れを落とす力が強いのかな」
ルナは自分の手を見る。
「やっぱり、少し違うみたい」
手帳を取り出したくなったが、ルナはぐっと我慢した。
「後で書こう」
「今はまだ仕事中だからね」
「分かってる」
ミアに先回りされ、ルナは少し頬を膨らませる。
二人は最後にもう一度、荷物が元の場所に戻っていることを確認してから倉庫を出た。
「終わりました」
「もう終わったのかい?」
店主は倉庫に入ると——足を止めた。
「……これは」
棚を見て、床を見る。
さらに奥まで確かめてから、驚いたように二人を振り返った。
「ずいぶん綺麗になったな」
「最後にクリーンも使ったんです」
「クリーンでここまで?」
店主は感心したように何度も倉庫を見回した。
「荷物もきちんと元の場所に戻ってるし、文句なしだ。いや、それ以上だな」
そう言って少し考える。
「依頼料とは別に、追加で礼を出しておくよ」
「え? いいんですか?」
ルナが目を瞬かせる。
「ああ。これだけ綺麗にしてもらったんだ。それくらいさせてくれ」
「ありがとうございます!」
二人で頭を下げ、店を後にする。
ギルドに向かいながら、ルナはまだ驚いていた。
「依頼料が増えることもあるんだね」
「私も知らなかった」
「ちゃんと仕事したら、その分評価してもらえるってことなのかな」
「今回はルナのクリーンのおかげだけどね」
「でも、その前にちゃんと掃除したでしょ?」
「あたしの指導のおかげでね」
「はいはい。ミア先生のおかげです」
「また笑ってる!」
二人は笑いながらギルドに戻った。
受付で依頼完了を報告すると、すでに依頼主から連絡が届いていたらしく、追加分を含めた報酬が支払われた。
「とても綺麗にしてもらったと喜んでいましたよ」
エリーにもそう言われ、二人は顔を見合わせる。
レオに付き添ってもらわず、自分たちだけで受けた初めての依頼。少し不安もあったけれど、無事に終えることができた。
「やったね、ミア」
「うん!」
手にした報酬が、今日はいつもより少しだけ特別なものに感じられた。
昼食を済ませたあと、三人は部屋に集まっていた。
テーブルの上には、レオがギルドで書き留めてきたメモと、港町までの簡単な地図が広げられている。
「じゃあ、この先の話をしよう」
「うん」
ルナとミアが向かい側に座ると、レオは地図の一点を指差した。
「まず、次に向かうのはここ。カロンという町だ」
ルナも地図を覗き込む。
「ここまでどのくらい?」
「馬車で二日くらいだな」
「二日かぁ」
ミアが地図の上を指でなぞる。
「歩いたらもっとかかる?」
「当然。だから貸し馬車を使うつもりだ」
「また御者も一緒?」
王都を出た時に借りた馬車には、御者がいた。
しかし、レオは首を横に振る。
「いや。今度は俺が御者をする」
「レオ、馬車も扱えるんだ」
「冒険者やってたら、それくらいできた方が便利だからな」
ルナは感心しながら頷いた。
「馬と馬車はアルミヤで借りて、次の町で返せる。街道沿いの大きな町には同じ貸し馬車商会の店があるんだ」
「それなら、この先も借りられるんだね」
「ああ。ずっと同じ馬車を使う必要はない」
レオが今度は、アルミヤとカロンの中間辺りを指差す。
「それと、一日で次の町まで行くのは無理だけど、途中に宿場がある」
「宿場?」
「旅人が泊まるための場所だな。宿屋と食事処、それに馬小屋なんかがある。順調に進めば、夕方までには着ける」
「じゃあ、野宿しなくていいんだ」
ミアがほっとしたように言う。
「今のところはな。ただ、旅を続けてれば野宿しなきゃならないこともある。道具は持っていくぞ」
「もちろん」
ルナも頷く。
最初の野営は思っていた以上に大変だったが、一度経験しているだけでも気持ちは違った。
「街道は?」
「今のところ大きな問題はないらしい。魔物は出るけど、この辺りなら俺一人でも対処できる程度だ。盗賊が出たって話も最近はない」
それでも油断はするなよ、とレオは付け加えた。
「カロンにも冒険者ギルドがある。着いたら、またそこで情報を集めればいい」
「それを繰り返しながら港町を目指すんだね」
「そういうことだ」
ルナは地図の先に目を向ける。
まだ港町は遠い。
けれど、こうして一つずつ進んでいけば、いつか辿り着く。
「じゃあ、次はその町に行こう」
「あたしも賛成」
ミアも頷いた。
「よし。行き先は決まりだな」
レオはそう言ったものの、地図を片づけようとはしなかった。
「それと、もう一つ話しておきたいことがある」
少しだけ声が真剣になる。
ルナも自然と姿勢を正した。
「追っ手のこと?」
「ああ」
レオが頷く。
「アルミヤに着いた時、門番が貴族令嬢を探してただろ」
「うん……」
あの時のことは、今でも覚えている。
「その後、俺が町を見て回った時には、それらしい奴はいなかった。だから、あの時点ではもう先に進んでた可能性が高いと思ってる」
「港町の方に?」
「多分な」
ルナは地図に視線を落とした。
「でも、港町まで行って見つからなかったら……」
ミアが呟く。
「戻ってくる」
レオが答えた。
「馬で探してるなら、馬車よりずっと速い。港町まで行ってるとしたら、そろそろ戻ってきてもおかしくない」
ルナの表情が曇る。
「じゃあ、次の町に向かうのは危ない?」
「今はな」
レオは地図の街道を指でなぞった。
「こっちが西に進めば、戻ってくる奴らと正面からすれ違う可能性がある。だから明日は動かない」
「追っ手を先に行かせるの?」
「そういうこと」
レオは頷く。
「俺は明日、門やギルドで様子を見ておく。一度アルミヤを調べて『ここにはいない』と判断してるなら、戻りに長居する可能性は低いと思う」
「もし来たら?」
「二人は宿から出ない方がいい。俺が確認する」
ミアも真剣な顔で頷いた。
「じゃあ、明日は旅立ちの準備をしながら待つんだね」
「ああ。食料と必要な物を揃えて、馬車も手配しておく。追っ手が通り過ぎたのを確認できれば、翌朝には出よう」
ルナは少し考えてから頷いた。
「分かった。それがいいと思う」
「あたしも」
ミアも異論はないようだった。
「じゃあ決まりだな」
レオが地図を畳み始める。
このまま何事もなければ、明日がアルミヤで過ごす最後の一日になる。
そう思った途端、ルナは少しだけ寂しくなった。
ゆりかご亭のハンナ。
冒険者ギルドのエリー。
初めて自分で依頼を受けた草原に、初めて足を踏み入れた森。
ほんの数日前に来たばかりなのに、いろいろなことがあった。
「……明日、ハンナさんとエリーさんにも挨拶しないとね」
「まだ明日一日いるよ?」
ミアが笑う。
「分かってる。でも、ちゃんとお礼を言いたいなって」
「それなら明日考えればいいだろ」
「うん」
ルナは頷いた。
旅に必要なものを揃えて、それから——。
(何か、お礼もできたらいいな)
そんなことを考えながら、ルナは畳まれていく地図を見つめていた。




