2-6
市場で昼食を済ませた三人は、そのままゆりかご亭に戻った。
扉を開けると、ちょうど昼の客が帰り始めたところだった。ハンナが空いた皿を重ねながら、忙しそうに店内を行き来している。
「おかえり。初めての依頼はどうだった?」
「無事に終わりました」
ルナが答えると、ハンナは嬉しそうに笑った。
「それはよかったね。二人とも怪我はないかい?」
「大丈夫! あたし、スライムも倒したんだよ」
「へえ、そりゃすごいじゃないか」
得意げなミアに、ハンナが感心したように頷く。
ルナはそんな二人のやり取りを見てから、厨房の方に目を向けた。
「あの、ハンナさん。一つお願いがあるんですけど」
「なんだい?」
「厨房を少し貸してもらうことってできますか?」
「厨房を?」
ハンナが意外そうに目を瞬かせる。
「はい。料理をしてみたくて」
「ルナちゃんが?」
「ちゃんと作ったことはほとんどないんですけど……やってみたいんです」
ハンナは少し考えるように厨房を振り返った。
「今はまだ昼の片付けがあるからねぇ」
「やっぱり難しいですか?」
「いや、昼の営業が終わってからなら構わないよ。夕方の仕込みが始まるまででよければ、好きに使いな」
ルナの顔が明るくなる。
「いいんですか?」
「ああ。ただし、火を使うなら私も一緒にいるよ」
「もちろんです。ありがとうございます!」
ルナが嬉しそうに頭を下げると、ハンナはくすりと笑った。
「それで、何を作るんだい?」
「それは……」
聞かれて、ルナは言葉に詰まった。
料理をしたいとは思っていた。
けれど、何を作るかまではまだ決めていない。
「まだ考えてなくて……」
「なんだ、決めてなかったのかい」
ハンナが声を上げて笑う。
「すみません」
「いいさ。私も興味があるしね。調味料や食材で必要なものがあったら言いな。店にあるものなら使っていいよ」
「ありがとうございます」
「その代わり、美味しくできたら私にも食べさせておくれ」
「はい!」
昼の営業が終わるまで部屋で休み、しばらくしてから三人は再び一階に降りた。
最後の客を見送ったハンナは、店の扉を閉めると厨房に案内してくれた。
「さあ、夕方まではルナちゃんの好きに使っていいよ」
厨房に足を踏み入れたルナは、興味津々に辺りを見回した。
大きなかまどに鍋やフライパン。包丁やまな板も大きさの違うものがいくつか並んでいる。
棚には塩や砂糖、酢、油などの調味料も揃っていた。
(思っていたより、前世と変わらないかも)
もちろん、電気で動くような便利な道具はない。
けれど、料理をするために必要なものは一通り揃っていそうだった。
「あ、これ……」
ルナは棚に置かれていた器を手に取った。
すり鉢に似た器と、木製のすりこぎだった。
「それは香草や木の実を潰す時に使うね」
「なるほど……」
ルナは他の調理器具も一つずつ確かめていく。
何ができて、何ができないのか。
それが分かれば、作れる料理も考えやすい。
「これなら、色々できそう」
小さく呟くと、ルナは嬉しそうに厨房を見回した。
さて、何を作ろう。
ルナが調理器具を確認している間、ミアはすぐそばから興味津々といった様子で覗き込んでいた。
「何作るの?」
「うーん……まずはこれかな」
ルナは持ってきた袋を開き、中から青葉草を取り出した。
「あ……青葉草なんだ」
ミアの声がほんの少しだけ残念そうになる。
その反応に、ルナはくすっと笑った。
「そんな顔しなくてもいいでしょ」
「だって、何が出てくるのかなって楽しみにしてたから」
「これだって立派な食材だよ」
「そこら中に生えてるけどな」
レオまで横から口を挟む。
ルナは青葉草を水で洗い、近くにいたハンナに聞いた。
「青葉草はこのままでも食べられますか?」
「そのままかい。食べられるけど、生で食べる人はあまりいないね。スープに入れるくらいさ」
ルナは少し考えて、一枚だけ口に運んでみる。
しゃきっとした歯ごたえがある。
青臭さも思っていたほど強くない。
「……思ったより食べやすい」
これなら、そのままでも十分使えそうだ。
手帳を取り出し、さらさらと書き込む。
『青葉草
生でも食べられる。
癖が少ない。
炒め物やサラダにも合いそう。』
ルナはもう一つ、さっき市場で買ったポムジャムの瓶を取り出した。
赤みがかったジャムを見て、ミアが首を傾げる。
「そっちも使うの?」
「うん。そのままでも食べやすかったから」
それなら無理に火を通さず、サラダのようにして食べてもいいはずだ。
ルナはポムジャムの瓶を見つめる。
(これでドレッシングを作れないかな)
前世で食べたことのある、果物を使ったドレッシングを思い出す。
作り方を細かく覚えているわけではない。
けれど、甘みと酸味、それに油を合わせれば、それらしいものにはなりそうだった。
「ハンナさん。お酢とオイル、それから塩を少し使ってもいいですか?」
「もちろん。そこにあるよ」
「ありがとうございます」
小さな器にポムジャムを入れ、まずは酢を少し。
そこにオイルと塩を加えて、よく混ぜ合わせる。
その様子を、ミアとレオだけでなくハンナまで興味深そうに見ていた。
「ポムジャムに酢を入れるのかい?」
「はい。多分これで……」
「多分?」
レオが聞き返す。
「初めて作るんだから仕方ないでしょ」
ルナは少しむっとしながら、混ぜ終えたドレッシングを味見する。
「……甘い」
今度は酢を少し足す。
もう一度混ぜて味見。
「んー……今度はちょっと酸っぱいかな」
ジャムをほんの少し加える。
何度か繰り返しているうちに、ようやく納得できる味になった。
「……うん。これなら美味しい」
「できた?」
「多分」
「また多分って言った」
ミアが笑う。
「だから、みんなにも食べてもらうの」
ルナは綺麗に洗った青葉草を食べやすい大きさに整え、皿へ盛りつけた。
その上から、完成したばかりのポムのドレッシングをかける。
「はい。青葉草のサラダ」
三人の前に差し出した。
ミアとレオは顔を見合わせる。
「……食べてみて」
「分かったよ」
まずミアが恐る恐る口に運ぶ。
しゃきっとした青葉草に、ポムの甘酸っぱい味が加わる。
「あれ?」
ミアが目を丸くした。
「美味しい」
「本当?」
「うん! 青葉草なのに」
「だから青葉草でも美味しいって言ったでしょ」
ルナが得意げに笑う。
続いてレオも一口食べた。
「……確かに悪くないな」
「悪くない?」
「美味いよ。これなら普通に食べられる」
「でしょ?」
最後にハンナも口に運ぶ。
ゆっくり噛んでから、もう一口。
「へえ……」
特に気になったのか、今度は青葉草ではなく、器に残っていたドレッシングを少しだけ味見する。
「私はこっちが気に入ったよ」
「ドレッシングですか?」
「ああ。甘いだけじゃなくて、酢のおかげでさっぱりしてる。野菜だけじゃなく、肉にも合いそうだね」
「あ、確かに」
そこまでは考えていなかった。
ルナはすぐに手帳を取り出す。
『ポムドレッシング。肉料理にも合うかも』
「また書いてる」
ミアが楽しそうに笑う。
「忘れたら困るから」
ルナは書き終えると、改めて空になりかけた皿を見た。
初めて作った料理は、思っていたよりずっと好評だった。
それだけで、自然と頬が緩む。
「じゃあ、次は何を作ろうかな」
空になった皿を片づけながら、ルナはハンナに尋ねた。
「ハンナさん」
「なんだい?」
「青葉草をスープに入れる時って、どうやって使うんですか?」
「どうって……」
ハンナは少し不思議そうな顔をした。
「葉をちぎって、そのまま入れるだけだよ」
「それだけですか?」
「ああ。煮込めば柔らかくなるからね」
「なるほど……」
ルナは青葉草を一枚手に取った。
そのままスープに入れても美味しい。
けれど、せっかく厨房を借りたのだから、もう少し違う料理も作ってみたい。
(ポタージュみたいにできないかな)
青葉草だけでは難しそうだが、芋と合わせればとろみもつくはずだ。
問題はミキサーがないことだった。
「うーん……」
厨房を見回して、先ほど見つけた調理器具に目を留める。
香草や木の実を潰すための、すり鉢に似た器。
(これを使えば……)
少し手間はかかりそうだが、できないことはない。
「ハンナさん、もう少し食材を借りてもいいですか?」
「いいよ。何が欲しいんだい?」
「お芋とミルクを使いたいです」
「それならどっちもあるよ」
ハンナから受け取ると、ルナはさっそく調理を始めた。
まずは芋を柔らかくなるまで茹でる。
青葉草もさっと火を通して柔らかくすると、細かく刻んですり鉢に移した。
「これを……潰すの?」
ミアが横から覗き込む。
「うん」
ルナはすりこぎを動かし、青葉草を丁寧にすり潰していく。
細かく刻んでいた葉が、少しずつ形を失っていった。
「もういいんじゃないか?」
レオが言う。
「もうちょっと」
ルナは手を止めない。
口当たりをよくするなら、できるだけ滑らかな方がいい。
ある程度ペースト状になったところで、茹でておいた芋を加える。
「今度は芋も?」
「うん。一緒に潰すよ」
再びすりこぎを動かす。
青葉草と芋が混ざり合い、少しずつ滑らかな緑色のペーストになっていった。
「……これ、思ってたより大変」
腕がだんだん重くなってくる。
「代わろうか?」
ミアが尋ねる。
「もう少しだから大丈夫」
何度も丁寧にすり潰し、粒がほとんど残らなくなったところで、ルナはようやく手を止めた。
「これくらいかな」
鍋に移し、ミルクを少しずつ加えて伸ばしていく。
弱火にかけながら混ぜ、最後に塩で味を整える。
味見をしてみる。
「……うん」
芋のまろやかさとミルクの優しい味に、青葉草がよく馴染んでいる。
「できた!」
ルナは嬉しそうに器にスープを注いだ。
綺麗な淡い緑色のスープ。
けれど、何か物足りない。
「あ」
残しておいた青葉草を見て、ルナは手に取った。
四枚の葉が綺麗に揃っているものを、スープの中央にそっと浮かべる。
「何してるの?」
「こっちの方が可愛いでしょ?」
ミアが器を覗き込む。
「あ、本当だ」
「四枚の葉って、なんだかいいことが起こりそうじゃない?」
「そう?」
「うん。私にはそんな気がするの」
ルナは出来上がったスープを眺めて、満足そうに笑った。
「だから……『幸運のスープ』!」
「そのままだな」
レオが笑う。
「分かりやすくていいの」
四人分を用意し、ハンナにも一つ差し出した。
「食べてみてください」
まずミアがスプーンですくう。
ふうふうと息を吹きかけてから口に運ぶと、すぐに目を丸くした。
「美味しい!」
「本当?」
「うん! さっきのも美味しかったけど、私はこっちの方が好き!」
レオも一口食べる。
「……美味いな」
「青葉草って感じしないでしょ?」
「ああ。もっと青臭いかと思った」
ハンナもゆっくり味わってから、感心したようにスープを見つめた。
「これはいいね。優しい味だから朝にも合いそうだ」
「よかった」
ほっとしたルナに、ミアが尋ねる。
「でも、ルナってちゃんと料理するの初めてなんだよね?」
「うん。だから、こんなにうまくできるとは思わなかった」
嬉しそうに笑うルナを、ミアは少し不思議そうに見つめた。
何か言いかけたものの、結局そのまま口を閉じた。
「料理、向いてるんじゃないか?」
レオに言われ、ルナは少し照れたように笑った。
「だったら嬉しいな」
前世では何度も料理をしていた。
だから、作りたい料理も作り方も何となく分かる。
けれど、この世界の食材と道具だけで一から作るのは初めてだった。
「ルナちゃん」
ハンナが声をかける。
「このスープ、うちでも出していいかい?」
「え?」
「青葉草なら簡単に手に入るし、何より美味しい。宿の朝食にも良さそうだ」
思いがけない申し出に、ルナは一瞬驚いた。
けれど、すぐに笑顔で頷く。
「もちろんです!」
「作り方を教えてもらえるかい?」
「はい!」
自分が作った料理を、美味しいと言ってもらえた。
それだけでも嬉しかったのに、これからも宿で出してもらえるという。
ルナは自分の前に置かれた幸運のスープを見つめた。
料理を作って、誰かに喜んでもらう。
ずっとやってみたかったことを、ようやく一つ叶えられた気がした。
ルナはもう一度、自分の作ったスープを口に運ぶ。
さっきよりも、少しだけ美味しく感じた。




