2-4
フィールズ家の護衛隊長アルドは、リアのお披露目式を終え、主一家とともに王宮から屋敷に戻ってきた。
屋敷の前には、どこか張り詰めた空気が漂っている。
(何かあったのか……)
馬を降りると、執事が当主に報告していた。
「ルナ様のお姿が見当たりません」
その一言に、アルドは耳を疑った。
「昼食をお持ちした者が不在に気づき、屋敷内と庭を捜しましたが、見つかっておりません」
アルドは黙って話を聞いていた。
ルナは使用人や護衛にも分け隔てなく接する令嬢だった。
冬の見回りから戻った時、「寒い中ありがとうございます」と温かい飲み物を用意してくれたこともあった。
(あのお嬢様が、理由もなく何も言わず屋敷を出るとは思えない……)
胸の奥に小さな違和感が残る。
「すぐに孤児院に人をやれ。ルナもミアを頼って向かった可能性がある。それから、屋敷の周辺と王都の門を確認させろ。ただし、ルナが行方不明になったことは外に漏らすな」
当主は低い声で続けた。
「アルド。聞こえたな」
「はっ。承知しました」
アルドは二人の護衛を連れ、すぐに屋敷を後にした。
まず向かったのは孤児院だった。
院長は静かに頭を下げる。
「ミアをお探しですか」
「はい」
「ミアはいません」
「最後に会ったのは?」
「今日の午前中です。頼まれて護衛依頼を出しました」
「護衛依頼……」
「港町までの護衛です」
アルドは表情を引き締める。
「依頼を受けた冒険者は?」
院長は一瞬だけ黙った。
レオからは、聞かれたことはすべて話して構わないと言われていた。
それでも——。
「……申し訳ありません。私には分かりません」
静かに首を横に振った。
院長自身がそうすると決めたことだった。
「依頼を出しただけですので」
礼を言い、三人は冒険者ギルドに向かった。
「申し訳ありません」
受付嬢は丁寧に頭を下げる。
「受注した冒険者の情報は、外部にはお伝えできません」
「正式な照会状があれば?」
「その場合は内容を確認した上で対応いたします」
それ以上聞いても答えは変わらない。
アルドは短く礼を言い、その場を後にした。
続いてギルドが提携している貸し馬車屋を訪ねる。
「ギルドから紹介された冒険者ですか?」
店主は少し考えてから答えた。
「何人か来ていますよ」
「今日もですか」
「ええ」
「誰だったか分かりますか」
店主は困ったように笑う。
「名前までは覚えてないな。帳簿はあるけど、ギルドからの正式照会でないと見せられない」
最後に王都の門に向かう。
門番に事情を尋ねると、相手は腕を組んだ。
「今日は聖女候補のお披露目式だっただろ」
「ああ」
「貴族の令嬢が通れば目立ったと思うんだけどなぁ」
しばらく考え込んだあと、首を横に振る。
「それらしい人は見てないな」
手掛かりは得られなかった。
日が傾く頃、アルドたちは屋敷に戻る。
当主は報告を聞き終えると、迷うことなく命じた。
「昼に屋敷を出たのなら、馬ならまだ追いつける」
アルドを見る。
「二人連れて追え」
「かしこまりました」
「まずはアルミヤまでだ。そこで足取りを掴め」
「承知しました」
アルドたちはすぐに王都を出発した。
馬は街道を駆け抜ける。
途中の宿場町で聞き込みをしたものの、若い娘二人を連れた冒険者や旅人を見た者はいなかった。
アルドは黙って街道の先を見つめた。
「明日の朝一番でアルミヤに向かう」
翌朝。
アルドたちは日の出とともに馬を走らせ、ルナたちより一足早くアルミヤに到着した。
朝のうちに門番や宿屋を回り、店が開き始めると市場や冒険者ギルドにも聞き込みをした。
しかし、返ってくる答えはどこも同じだった。
「そんな娘は見ていない」
アルドは静かに息を吐く。
「……宿にも泊まっていないのか」
少し考え込むと、一人の部下に視線を向けた。
「お前は屋敷に戻れ。ここまでの状況を旦那様に報告してくれ」
「はい!」
部下は王都に向けて馬を走らせる。
アルドは残る一人とともに街道の先を見つめた。
「護衛が港町までの依頼なら、まだ先へ進んでいるはずだ」
馬の向きを変える。
「行くぞ」
「はい!」
二頭の馬は土煙を上げながら、さらに西へと駆けていった。
◇◇◇
アルドたちがアルミヤを発った、その少し後——。
野営を終えたルナたちの馬車は、アルミヤに向けて街道を進んでいた。
街道の途中、王都の方角へ、一頭の馬が勢いよく駆け抜けていった。
「すごい勢いだったね」
ミアが振り返る。
ルナも馬車の中から過ぎ去っていった馬を見た。
「何か急ぎの用事でもあったのかな」
レオは一瞬だけ目を細めたが、すぐに前に視線を戻した。
「気にするな。行こう」
三人を乗せた馬車は、そのままアルミヤに向かって進んでいく。
互いに気づくことのないまま、両者は静かにすれ違っていた。
◇◇◇
翌日。
リアはゆっくりと目を開けた。
昨夜はなかなか眠れなかった。
ルナの部屋から持ち帰った髪飾りを眺めながら、ずっと姉のことを考えていたからだ。
(お姉様……見つかったのかな)
父はすぐに戻ってくると言っていた。
けれど、リアにはどうしてもそう思えなかった。
身支度を済ませると、そのまま父の執務室に向かう。
ルナの捜索に出ている護衛たちについて、何か報告が届いているかもしれない。
扉の前で一度息を整え、ノックする。
「お父様、リアです」
「……入れ」
「失礼します」
扉を開けると、室内には父だけでなく母の姿もあった。
二人はテーブルを挟んで何か話していたらしく、いくつかの書類が広げられている。
「お母様もいらしたんですね」
「ええ。少し話をしていたのよ」
リアが中に入ると、母は何気ない様子で書類をまとめ始めた。
「お姉様は、見つかりましたか?」
真っ先に尋ねる。
父は小さく首を横に振った。
「まだだ。アルドたちが捜している」
「そう、ですか……」
胸の奥が重くなる。
「何か分かったら、私にも教えてください」
「ああ」
短い返事だった。
リアはそのまま部屋を出ようとした。
その時、母が重ねた書類の間から、一枚の紙が床に滑り落ちた。
「あ……」
リアは反射的に拾い上げた。
「お母様、落ちました——」
そう言いかけて、手が止まる。
紙の上には、いくつかの修道院の名前が並んでいた。
所在地。
受け入れ条件。
寄付金。
貴族令嬢を受け入れた実績。
「……修道院?」
思わず口からこぼれた。
母の表情がわずかに強張る。
「リア、それをこちらへ」
「どうして、こんなものがあるんですか?」
リアは紙から視線を上げた。
「お姉様がいなくなった次の日に、どうして修道院のことを調べているんですか?」
「それは以前取り寄せた資料だ」
父が低い声で答えた。
その一言に、リアの胸がざわつく。
「以前……?」
昨日今日の話ではない。
ルナがいなくなる前から用意されていたということだ。
「誰のための資料なんですか?」
「リア」
母が困ったように名を呼ぶ。
けれど、リアは目を逸らさなかった。
「お姉様のためなんですか?」
部屋に沈黙が落ちる。
否定してほしかった。
違うと言ってほしかった。
けれど、父も母も何も言わない。
それだけで十分だった。
「……お姉様を、修道院に入れるつもりだったんですか?」
声が震えた。
父はしばらくリアを見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「そのつもりだった」
「どうして……」
「ルナは無属性だった」
父の口調は淡々としている。
「今後、以前のような縁談を望むのは難しい。逆に、お前に近づくためだけにルナとの婚姻を求める家が現れる可能性もある」
「だから、修道院に?」
「修道院なら生活には困らない。フィールズ家の娘として相応の寄付もするつもりだった」
まるで、それが当然の判断であるかのようだった。
リアは信じられない思いで父を見つめる。
「お姉様は……それを望んだんですか?」
父の眉がわずかに動いた。
「本人の希望だけで決められることではない」
「聞いてすらいないんですか?」
「リア」
母が宥めるように声をかける。
「お父様も、ルナの将来を考えて——」
「だったら、どうしてお姉様に聞かなかったんですか?」
母が言葉を失った。
「修道院で暮らしたいのか。ほかにしたいことがあるのか。何も聞かないで、勝手に決めたんですか?」
返事はない。
その沈黙の中で、リアの頭にルナの姿が浮かんだ。
白い衣装を褒めてくれた姉。
優しく『行ってらっしゃい』と送り出してくれた姉。
「……もしかして」
リアは握っていた紙に視線を落とす。
「お姉様は、このことを知っていたんじゃないですか?」
父がわずかに目を細めた。
「知っていたかどうかは分からない」
「でも……」
もし、お姉様がこの話を知っていたのだとしたら。
ここにいれば、自分の人生を勝手に決められてしまうと思ったのかもしれない。
だから、何も言わずに出ていったのではないか。
「お姉様……」
昨日まで胸にあった疑問が、少しずつ別の痛みに変わっていった。
その時だった。
扉がノックされた。
「旦那様、アルド隊長からの報告をお持ちしました」
「入れ」
入ってきたのは、アルドとともに捜索に出た護衛の一人だった。
リアがいることに一瞬戸惑った様子を見せたが、すぐに父へ向き直る。
「ご報告いたします。アルミヤまでの街道と周辺を捜索しましたが、ルナお嬢様らしき人物は見つかりませんでした」
「アルミヤにもいなかったのか」
「はい。宿や門でも確認しましたが、手掛かりはありませんでした」
「アルドはどうした」
「もう一名とともに、そのまま先に向かいました。護衛依頼の目的地が港町である以上、先に進んでいる可能性が高いと判断しています」
「そうか」
父は少し考えてから頷いた。
「そのまま捜索を続けさせろ。港町まで調べれば何か分かるだろう」
「かしこまりました」
「待ってください」
リアが思わず声を上げた。
護衛が足を止める。
リアは父を真っ直ぐ見つめた。
「もう、お姉様を探すのはやめてください」
「何を言っている」
「お姉様は自分の意思で出ていったんです」
今なら分かる。
きっとルナは、何も知らずに家を出たわけではない。
「もう自由にしてあげてください」
「できるわけがないだろう」
父は即座に否定した。
「でも、連れ戻したらどうするんですか?」
リアはテーブルの上の書類を見る。
「お姉様を修道院に送るんでしょう?」
父は答えなかった。
「だったら……帰ってきたいわけないじゃないですか」
「リア」
父の声が低くなる。
「これはお前のためでもある」
「私の……?」
「お前は聖女候補だ。その姉が突然家を出たなどと知られれば、フィールズ家だけの問題では済まない」
リアは目を見開いた。
「だから探すんですか?」
「当然だ」
胸の奥が冷えていく。
父が考えているのは、家のことばかりだった。
お姉様がどうして出ていったのか。
どんな気持ちだったのか。
そこには目を向けようとしていない。
「少なくとも港町までは探させる。それまではこの件に口を出すな」
「……」
リアはそれ以上、何も言えなかった。
護衛が一礼して部屋を出ていく。
リアも俯いたまま、静かに執務室を後にした。
父は、お姉様はすぐに戻ってくると言ったけど、やっぱり違った。
お姉様は帰ってこない。
自分でそう決めて、屋敷を出たのだ。
昨日までは、それがただ悲しかった。
どうして相談してくれなかったのかと思っていた。
けれど今は——。
(お姉様……)
リアは胸の前でぎゅっと手を握った。
目を閉じれば、胸の奥にかすかな温もりを感じる。
ルナは生きている。
それだけは、不思議と分かった。
ならば——。
(どうか、見つからないで)
生まれて初めて、リアは姉が自分たちから逃げ切ることを願った。




