ルポア 2
ルポアが開店した日の夕方。
魔法研究所での仕事を終えたリアムは、マシューと一緒に帰り支度をしていた。
「ルポアって昼だけの営業なんだよね」
「ああ。確か三時までだったな」
「夕食もやってくれたらいいのに」
「昼だけじゃ物足りないのか?」
「だって、仕事が終わってからも食べに行けるでしょ?」
マシューは呆れたように答えた。
「開店したばかりなんだ。しばらくは今のままだろ」
「そうだよね。二人でやってるし」
昼間に訪ねたときも、ルナとミアは忙しそうだった。初日から満席になったと聞いて、リアムも嬉しかった。
「まあ、休みの日に行けばいいんだけどね」
「別に、店に行くなとは言わないが……」
マシューはそこで少し表情を改めた。
「お前は自分の立場を忘れるなよ」
「……分かってるよ」
「本当か?」
リアムはマシューを見た。
「俺が王弟だってことでしょ?」
「それだけじゃない。お前にはまだ婚約者がいないだろ」
「……ああ、そっちか」
思わず顔をしかめると、マシューがため息をついた。
「忘れてたのか?」
「そうじゃないけど、最近はそういう話もなかったから」
長兄のアーサーはすでに国王となり、王位を継ぐ息子もいる。次兄のディオンもいるため、リアム自身が王位につく可能性は低かった。
それでも、王族であることに変わりはない。
「平民の女性と頻繁に会っていれば、妙な勘繰りをする貴族も出てくるかもしれない」
「……そうだね」
「お前に近づきたい連中が、ルナを利用しようとする可能性もあるからな」
「うん。気をつけるよ」
「ならいいが。お前は興味を持ったことにはすぐ夢中になるからな」
「そこまで考えなしじゃないよ」
「どうだかな」
「……信用ないなあ」
リアムは苦笑した。
けれど、マシューの言うことはもっともだった。
これからもルポアには食事に行きたいし、ルナとも今までどおり付き合っていくつもりだ。
だからこそ、自分のせいで余計な面倒をかけることは避けたかった。
「……マシュー」
「何だ?」
「最近、俺との縁談について問い合わせてきた家ってあるのかな」
「……急にどうした?」
「俺に近づきたい家があるなら、知っておいた方がいいと思って」
エレンジアでは、貴族の令嬢は学園を卒業する十五歳頃には婚約者が決まっていることが多い。リアムと同年代の令嬢なら、すでに婚約している者がほとんどだろう。
「卒業してからは研究所にいることが多かったし、夜会にもほとんど出てないから、今、学園に通ってるような令嬢は、俺のこと知らないでしょ?」
「そんなこと関係あるか?」
「それはそうだけど……」
「相手がお前を知ってるかどうかより、親がどう考えてるかだろ」
分かっていたことではあるけれど、改めて指摘されると面倒に感じた。
王族との婚姻を望む家にとって、本人同士が親しいかどうかは、それほど重要ではないのかもしれない。
「それで、どうするつもりだ?」
「最近、俺との縁談を考えている家があるか、確認してもらえる?」
「分かった。何か動きがないか調べておく」
「ありがとう」
マシューは頷いたものの、すぐに付け加えた。
「ただ、調べたところで全部防げるわけじゃないぞ」
「うん。それは分かってる」
今のところ、ルナが貴族に目をつけられているという話は聞いていない。
それでも、余計なことに巻き込まれないよう、できる範囲で気をつけておきたかった。
マシューはそれ以上何も言わず、帰り支度を終えた。
リアムも机の上を片づけながら、マシューに言われたことを考えていた。
これからもルポアには顔を出すつもりだ。ただ、自分が王弟であることを忘れてはいけない。
その日の夜。
自室に戻ったリアムは、椅子に腰を下ろし、マシューとの会話を思い返していた。
(縁談か……)
学園に通っていた頃も、何人かの令嬢から声をかけられたことがあった。
中には、親から言われて来たのだろうと思う令嬢もいた。緊張した様子で、それでも何とかリアムと親しくなろうとしていた。
(本人も大変だったんだろうな)
貴族の婚姻は家の事情で決まることも多く、本人の希望が通るとは限らない。
リアムも王族として、そのあたりの事情は理解しているつもりだった。
けれど、相手が自分自身に興味を持っているのか、それとも王族という立場に近づきたいだけなのか。
そんなことを考えているうちに、誰かと親しくなること自体が面倒になっていた。
ふと、ルナの顔が浮かんだ。
(……ルナは、よく家を出る決心ができたよな)
初めて会ったのは、タリオンで船員病について調べているときだった。
あのときは身分を隠して研究員として接していたので、ルナたちにとっては旅の途中で出会った一人にすぎなかったはずだ。
最初に興味を持ったのは、ルナの知識だった。
船員病やラバヌイについて、これまで聞いたことのない話をする。その後も、料理や生活魔法の話を聞くたびに新しい発見があって、もっといろいろ聞いてみたいと思った。
それに、ルナは自分が王弟だと明かしたあとも、以前とあまり態度を変えなかった。
魔法の話をすれば興味を持って聞いてくれるし、分からないことがあれば遠慮なく質問してくる。時には呆れられることもあった。
(ああいうの、楽なんだよね)
ルナと話していると、自分の立場を意識せずにいられた。
ルナが自分で生き方を選んだことも、すごいと思っていた。
貴族の令嬢として育った少女が、家を出て平民として暮らす。言葉にするのは簡単でも、実際には大変なことだ。
フィールズ家を出た詳しい理由は聞いていないけれど、簡単な決断ではなかったはずだ。
それでも、ルナは旅を続け、今では自分の店まで開いている。
(本当に、すごいよな)
いつの間にか、ルナと話すことが楽しみになり、何をしているのか気になるようになっていた。
けれど、それがどういう気持ちなのか、深く考えたことはなかった。
リアムが自分の気持ちに気づいたのは、冷却魔道具を届けに行った日だった。
ルナへの褒賞に氷属性の魔石を選ぶよう提案したのは、彼女が冷却魔道具を欲しがっていると知っていたからだ。
実際に魔道具を作るのも楽しかったし、改めてルナの発想は面白いと思った。
けれど、完成した冷却魔道具を店に届けたとき。
ルナは目を輝かせて、嬉しそうに笑った。
その顔を見た瞬間、リアムは思った。
(……ああ。俺は、この笑顔が見たかったんだ)
魔道具が完成したことも、役に立つことも嬉しかった。けれど、それ以上に、ルナが喜んでくれたことが嬉しかった。
そこで初めて、自分がルナに惹かれていたのだと気づいた。
(気づくの、遅すぎだな)
リアムは椅子の背にもたれた。
これまで、誰かにこんな気持ちを抱いたことはなかった。
ルナと話すのは楽しいし、これからも好きなことをしていてほしい。
(やっぱり、ルナは笑ってる方がいいしね)
そう思ったとき、昼間のルポアでの出来事を思い出した。
カウンター席に座っていた若い男性客と、ルナは楽しそうに話していた。
(……あの人、誰だったんだろう)
マシューと顔見知りのようだったので、あとで尋ねてみたところ、オルソン侯爵家の護衛を務める青年だと教えてくれた。
けれど、ルナとどういう知り合いなのかまでは分からなかった。
王都に来てから、ルナにもいろいろな出会いがあったのだろう。店を開いたのだから、これからはもっと知り合いが増えていくはずだ。
それは当然のことだし、ルナにとってもいいことだと思う。
ただ、昼間の二人の様子が、なぜか少し気になった。
(……ずいぶん楽しそうだったな)
リアムは小さく息を吐いた。
ルナが誰と親しくしようと、本人の自由だ。
それなのに、あのときの笑顔を何度も思い出してしまう。
「……何考えてるんだろ、俺」
リアムは呟くと、椅子から立ち上がった。
◇◇◇
翌朝。
研究所へ向かう準備をしていると、マシューが迎えに来た。
「今日は早いね」
「ああ。陛下がお呼びだ」
「兄上が?」
「急ぎらしい。王宮に来てほしいそうだ」
「そっか。じゃあ、すぐに行こうか」
リアムは準備を済ませると、マシューと一緒に王宮へ向かった。
執務室に入ると、アーサーがこちらを見た。
「兄上、何かあったの?」
「ああ。少し頼みたいことがあるんだ」
「俺に?」
アーサーは机の上に置かれた書類を手に取った。
「昨日、騎士団が犯罪組織の関係者を捕らえた。その男の所持品から、取引に使われていた屋敷の場所が判明した」
「それで?」
「屋敷はすでに捜索したが、男が隠したという取引記録が見つかっていない」
「なるほど。俺の『鑑定』で確認してほしいってこと?」
「ああ。騎士団と一緒に確認してきてほしい」
「もちろん協力するよ」
リアムが答えると、アーサーは書類を差し出した。
「屋敷は王都から西へ数時間ほどの場所にある」
「分かった」
「マシューも同行してくれ。護衛には騎士を二人つける」
「承知しました」
アーサーは二人に目を向けた。
「まだ関係者が残っている可能性もある。十分に気をつけてくれ」
「うん。分かってるよ」
リアムとマシューは一礼して執務室を出た。
廊下をしばらく歩いたところで、マシューが口を開いた。
「また急な仕事になったな」
「そうだね。研究所への連絡、お願いできる?」
「ああ。俺から伝えておく」
「ありがとう。助かるよ」
二人はそのまま騎士団の詰所へ向かった。
詰所で屋敷の場所や捜索状況を確認すると、出発の準備を始めた。
必要な荷物を馬車に積み込み、護衛の騎士二人とともに王都を出発する。
馬車が動き出し、王都の街並みが窓の外を流れていく。
リアムはルポアのことを思い出した。
また食事に行きたかったけれど、今日は難しそうだ。
(……まあ、帰ってきてからでいいか)
やがて馬車は西門を抜け、王都の外へと走り出した。




