ルポア 1
いよいよ、ルポアの開店日を迎えた。
ルナとミアはいつもより早く起き、身支度を整えると市場へ向かった。
「いよいよ今日からだね」
「うん。なんだか、まだ実感が湧かないけど」
「あたしは昨日からずっと楽しみだったよ。ちゃんと眠れるか心配だったくらい」
「私も少し緊張してるよ」
朝の市場はすでに多くの人で賑わっていた。
今日の日替わり料理は、鶏の照り焼きだ。せっかく醤油が手に入ったので、開店初日のメニューに選んだ。
二人は付け合わせやスープに使う野菜、鶏肉などを買い揃え、朝食用のパンも購入して店へ戻った。
ロイドに頼んでいた調味料や保存の利く食材は、昨日のうちに届いている。必要なものはひととおり揃っていた。
朝食を済ませると、お揃いの深緑色のエプロンを身につけ、さっそく仕込みを始めた。
まずはスープとライサの準備だ。
ミアが野菜を洗って切る間に、ルナはライサを研ぎ、炊く準備を進める。
スープを煮込んでいる間には、おにぎり用の干物を焼いて身をほぐし、ドリア用のホワイトソースも作っておいた。
続いて、日替わり料理の下準備に取りかかった。
鶏肉を食べやすい大きさに切り、醤油と砂糖などを合わせて照り焼き用のたれを作る。
「これが、ロイドさんに探してもらった醤油を使う料理なんだよね?」
「そうだよ。甘辛いたれで鶏肉を焼くんだ」
「へえ、楽しみ!」
切った鶏肉は小分けにして冷却魔道具に入れ、炊き上がったライサは保温箱に移した。
開店初日でどれくらいのお客さんが来るかわからないので、ライサは少し余裕を持って炊いてある。
こうして二人で手分けしながら、開店に向けた準備を整えていった。
仕込みがひととおり終わった頃、レオとラズが店にやってきた。
「準備は順調か?」
「うん、なんとか間に合いそうだよ」
「おはよう」
「おはよう、ラズ」
ラズは店内を見回すと、厨房の方に目を向けた。
「何かいい匂いがするね」
「スープを作ってたんだよ」
「へえ、美味しそう」
そんなラズを見ながら、レオがルナに尋ねた。
「それで、俺たちは何をすればいい? 何か手伝えることはあるか?」
「僕も手伝うよ」
「ありがとう。でも、今日はまずミアと二人でやってみたいんだ」
ルナが答えると、レオは頷いた。
「そっか。何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「うん。そのときはお願いするね」
「じゃあ、俺たちはもう少ししてから食べに来るか」
「うん! 僕も楽しみ!」
二人はそう言って、いったん住居の方へ戻っていった。
ルナとミアは最後に店内の確認をする。
そして午前十時。
店の扉を開け、入口に営業中の札を出した。
「いよいよだね、ルナ」
「うん。頑張ろうね」
こうして、小さな食堂『ルポア』の営業が始まった。
けれど、しばらく待ってもお客さんはやってこなかった。
通りを歩く人の姿は見えるものの、店に入ってくる人はいない。
「……なかなか来ないね」
「まだ開店したばかりだよ。それに、お昼には少し早いし」
「そうだけど……」
ミアの言うとおり、まだ午前十時を過ぎたばかりだ。
それでも、誰も来ない店内にいると、少し心配になってしまう。
「初日だし、みんなまだお店のことを知らないのかもしれないね」
「うん。でも、看板を見てくれてる人もいたよ。きっとそのうち来てくれるって」
「そうだね。焦っても仕方ないし、もう少し待ってみようか」
そう話していると、入口の扉が開いた。
「こんにちは。開店おめでとうございます」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにはロイドが立っていた。
「ロイドさん!」
「もしかして、私が最初のお客でしょうか?」
「はい。いらっしゃいませ!」
ミアが迎えると、ロイドは笑顔で店内に入ってきた。
「今日が開店日だと伺っていたので、さっそく来てしまいました」
「ありがとうございます。来ていただけて嬉しいです」
ロイドはカウンター席に腰を下ろし、メニュー表を手に取った。
「なるほど。どれも美味しそうですね」
「本日の日替わりは、鶏の照り焼きになります」
「鶏の照り焼き、ですか。では、そちらをお願いします」
「はい。少々お待ちください」
ミアが注文を伝えると、ルナはさっそく調理に取りかかった。
用意しておいた鶏肉を取り出し、熱したフライパンに並べていく。ジュウッと音を立て、鶏肉が焼け始めた。
片面に焼き色がついたところで裏返し、中までしっかり火を通す。そこに、醤油を使った甘辛いたれを加えた。
たれが煮詰まるにつれ、香ばしい匂いが厨房に広がっていく。
「へえ、いい香りですね」
カウンター越しに、ロイドが声をかけてきた。
「もう少しでできますよ」
ルナは鶏肉にたれを絡め、副菜の野菜と一緒に皿に盛りつけた。
「ミア、お願い」
「うん」
ミアは保温箱からライサを取り出して器によそい、温めておいたスープも器に注いだ。
ルナから料理の皿を受け取ると、ロイドの前に並べる。
「お待たせしました。本日の日替わり、鶏の照り焼きセットです」
「これは美味しそうですね。いただきます」
ロイドは照り焼きをひと口食べると、驚いたように目を見開いた。
「美味しいです。もしかして、先日の醤油を使っているんですか?」
「はい。砂糖などを加えて、甘辛いたれにしているんです」
「なるほど。あの調味料がこんな料理になるとは。以前のムギボもそうでしたが、ルナさんの料理には驚かされますね」
「ありがとうございます。気に入っていただけてよかったです」
ロイドは今度はライサと一緒に鶏肉を食べ始めた。
その様子を見て、ルナはほっとした。
最初のお客さんが知り合いのロイドだったおかげで、少し緊張も和らいだ気がする。
それからしばらくして、レオとラズが店に戻ってきた。
「そろそろ食べても大丈夫か?」
「うん、もちろん。いらっしゃいませ」
二人はカウンター席に腰を下ろし、メニュー表を眺めた。
「さっきからいい匂いがしてて、僕、お腹が空いちゃった」
「ふふ。何にする?」
「そうだな……」
レオがメニューを眺めていると、入口の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
ミアがすぐに声をかける。
入ってきたのは、男女二人組のお客さんだった。
「二人なんだけど、空いてる?」
「はい。こちらへどうぞ」
ミアは二人をテーブル席に案内し、メニュー表を渡した。
「へえ、日替わりセットにドリア、おにぎりセットか。どれも聞き慣れない料理だね」
メニュー表には、それぞれの料理の簡単な説明と値段が書かれている。日替わりセットとドリアは、どちらも銅貨四枚だ。
「今日の日替わりは、鶏の照り焼きです。甘辛いたれで焼いた鶏肉に、ライサとスープ、副菜がついています」
「ライサって、あの穀物のこと?」
「はい。炊いて食べるんですよ」
「へえ。じゃあ、ドリアは?」
「ライサにホワイトソースとチーズをのせて焼いた料理です」
「それも美味しそうね。私はドリアにしようかしら」
「じゃあ、俺は日替わりにするよ」
「かしこまりました。日替わりとドリアを一つずつですね」
ミアは注文を確認すると、厨房に戻ってきた。
「ルナ、日替わりとドリアが一つずつだよ」
「うん、分かった」
その様子を見ていたレオが、声をかけてくる。
「俺たちの分は、あの二人の料理が終わってからでいいぞ」
「そう? ありがとう」
「先にお客さんの分を作ってやってくれ」
「僕も待てるよ」
ラズも頷いた。
「じゃあ、少し待っててね」
ルナは新しく入った注文の調理に取りかかった。
まずはドリアの準備だ。
器に炊き上がったライサを盛り、ホワイトソースをかけて、その上にチーズをのせる。
温めておいた石窯に入れると、その間に鶏の照り焼きを仕上げた。
「ミア、日替わりができたよ」
「うん」
ミアが料理を運んでいく間に、ルナはドリアの焼き加減を確かめる。
しばらくすると、チーズが溶けて表面にこんがりと焼き色がついた。
「ドリアもできたよ」
ミアは熱い器に気をつけながら、テーブル席へ料理を運んでいった。
「お待たせしました。こちらがドリアになります。器が熱くなっていますので、お気をつけください」
二人組のお客さんへの料理を出し終えると、ルナはレオとラズに声をかけた。
「お待たせ。二人は何にする?」
「俺は日替わりにしようかな」
「僕はドリアが食べたい」
「分かった。じゃあ、少し待っててね」
ルナが鶏肉を焼き始めたところで、入口からミアの声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
新しいお客さんが入ってきたようだ。
ミアが席へ案内し、注文を取る。
「ルナ、日替わりが二つだよ」
「うん、分かった」
ルナはレオたちの料理を仕上げると、続けて新しい注文に取りかかった。
十一時を過ぎた頃から、少しずつお客さんが増え始めた。
最初は一組ずつだったのが、次第に間を置かずに入ってくるようになる。
「ドリアが一つと、おにぎりセットが二つ」
「はーい」
ルナは注文を確認しながら、次々と料理を作っていった。
鶏肉を焼き、ドリアを石窯に入れ、その間におにぎりを握る。
ミアも料理を運んでは空いた食器を下げ、次のお客さんを迎える準備を進めていた。
注文が重なると、料理を出すまでに少し時間がかかることもあった。
「ルナ、次の日替わり、もう少しかかりそう?」
「うん。あと少しで焼き上がるよ」
「分かった。お客さんに伝えてくるね」
ミアは客席に戻り、料理を待っているお客さんに声をかけた。
ルナも順番を確認しながら、調理を進めていく。
気づけば、カウンター席はすべて埋まり、空いているテーブルも一つだけになっていた。
そして昼前。
「いらっしゃいませ。お二人ですね。こちらへどうぞ」
ミアが最後の空いているテーブルにお客さんを案内すると、厨房を振り返った。
「ルナ、満席になったよ」
「えっ、本当?」
客席を見ると、四つのテーブル席もカウンター席も、すべて埋まっていた。
「……本当だ」
開店してすぐは、誰も来てくれないのではないかと心配していたのに。
「すごいね」
「うん」
けれど、喜んでばかりもいられない。
「すみませーん。注文いいですか?」
「はい。ただいま伺います」
ミアが返事をして、客席に向かっていく。
ルナも気持ちを切り替えると、次の料理を作り始めた。
昼を過ぎると、店内も少しずつ落ち着いてきた。
レオとラズは食事を終えたあと、住居の方に戻っている。
忙しくなったら声をかけてくれと言ってくれたが、結局、手伝いを頼まずに済んだ。
ルナは使い終わった調理器具を片づけながら、客席に目を向けた。
カウンターでは、男性客が照り焼きを食べながら、隣の客と楽しそうに話している。窓際のテーブルでは、二人連れの女性がドリアを食べていた。
料理を口に運びながら笑顔を見せるお客さんたちを見て、ルナも嬉しくなった。
露店で料理を売っていた頃は、買ってくれた人がそのあとどんな顔で食べているのか、なかなか見ることができなかった。
でも、ここなら違う。
料理を食べている人の表情も、交わしている言葉も、こうして見ることができる。
やっぱり、お店を開いてよかった。
まだ初日だけれど、ルナはそう思った。
「いらっしゃいませ」
ミアの声に顔を上げると、そこにいたのは、オルソン侯爵家の護衛を務めるカーターだった。
「あっ、カーターさん。いらっしゃいませ」
「こんにちは、ルナさん。開店おめでとう!」
「ありがとうございます。来てくれたんですね」
「うん。今日からって聞いてたからさ」
カーターが食事を終えた頃には、店内もだいぶ落ち着いていた。
「そういえば、アイシャ様の誕生日のお菓子、すごく好評だったんだって?」
「うん。みんな喜んでくれて、私も嬉しかったです」
「アイシャ様、また食べたいって言ってたよ。俺も食べてみたかったなあ」
「また作る機会があったら、カーターさんの分も用意しますね」
「本当? やった!」
カーターと笑い合っていると、入口の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
ミアの声に振り向くと、リアムとマシューが入ってきたところだった。
「あっ、リアム。マシューも」
「開店おめでとう、ルナ」
「おめでとう」
「ありがとう。二人とも来てくれたんだね」
「もちろん。楽しみにしてたからね」
リアムはそう言ってから、カウンターに座るカーターへちらりと目を向けた。
カーターも二人に気づき、軽く会釈をした。
「リアム、マシュー。カウンターが空いてるよ」
「ありがとう」
二人がカウンター席に腰を下ろすと、ミアがメニュー表を渡した。
「今日の日替わりは鶏の照り焼きだよ。ほかにドリアとおにぎりセットもあるよ」
「へえ、どれも美味しそうだね」
二人は少し相談してから注文を決めた。
ルナは厨房に戻り、料理の準備に取りかかった。
リアムたちが食事をしている間に、カーターは会計を済ませ、マシューに挨拶をして店をあとにした。
しばらくして、リアムとマシューも食事を終えた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「ありがとう」
リアムは店内を見回した。
「それにしても、いい店になったね」
「うん。みんなが手伝ってくれたおかげだよ。リアムが用意してくれた冷却魔道具も、さっそく役に立ってるんだ」
「それならよかった」
「初日からずいぶん忙しそうだったな」
マシューが言った。
「うん。お昼には一度満席になったんだよ」
「初日から満席か。順調な滑り出しじゃないか」
「そうだといいな」
リアムは二人の会話を聞きながら、ふとカーターが座っていた席に目を向けた。
ルナはそれに気づかず、マシューと話を続けていた。
「じゃあ、そろそろ行くか」
マシューが声をかけると、リアムも頷いた。
「ごちそうさま。また来るよ」
「二人ともありがとう。また来てね」
「ミアもお疲れ。無理するなよ」
「うん、ありがとう!」
二人は会計を済ませ、店をあとにした。
その後は大きな混雑もなく、午後三時を迎えた。
最後のお客さんを見送ってから、ミアが入口の札を裏返した。
「終わったね」
「うん。お疲れさま」
二人は残っていた食器を洗い、厨房やテーブルを片づけていった。すべての作業を終える頃には、さすがに疲れが出てきた。
「はぁ……疲れたぁ」
ミアが椅子に腰を下ろし、大きく背伸びをした。
「今日は忙しかったね」
「うん。でも、たくさんお客さんが来てくれてよかったね」
「そうだね」
「ねえ、あたしたち、ちゃんと二人でできたね」
「うん。ミアのおかげだよ。ありがとう」
「あたしだって、ルナがいたから頑張れたんだよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
もちろん、まだ慣れないこともあるし、これから工夫していかなければならないこともある。
それでも、初日を無事に終えられたことが何より嬉しかった。
ルナは改めて店内を見回した。
自分たちで選んだテーブルや椅子。ラズが考えてくれた看板。そして、ミアとお揃いの深緑色のエプロン。
念願だった自分たちのお店が、こうして動き始めた。
「明日も頑張ろうね」
「うん!」
疲れてはいたけれど、二人の顔には自然と笑みが浮かんでいた。




