王都後編 9
数日後。
ルナたちは、リアムとマシューと一緒に、ラズが通うことになる学園を訪れていた。
入学前に一度学園を見ておきたいというラズのため、リアムが見学できるよう手配してくれたのだ。
「ここが学園……」
門をくぐったルナは、興味深そうに周囲を見回す。
広い敷地にはいくつもの建物が並び、その間を生徒たちが行き交っている。
まだ入学前のラズも、落ち着かない様子であちこちに視線を向けていた。
「思ってたより広いね」
隣ではミアも珍しそうに建物を見上げている。
「うん。学園に通えなかったから見学できて嬉しい!」
「あたしも」
「レオは?」
振り返って尋ねると、レオも首を横に振った。
「俺も通ってないぞ」
「そうなの?」
「ああ。孤児院に基礎の魔法書が何冊かあったから、最初はそれを読んで覚えた。あとはほとんど自己流だな」
「風魔法も?」
「そうだ」
旅の間、何度もレオの風魔法を見てきた。
てっきり誰かに習ったことがあるのだと思っていたルナは、少し驚く。
「よくそれであんなに使えるようになったね」
「冒険者やってりゃ、嫌でも使うからな」
「レオらしいね」
ミアが笑うと、レオは「どういう意味だ」と眉を寄せた。
そんな話をしながら、リアムたちに校舎や教室を案内してもらう。
授業を行う教室だけでなく、魔法の練習に使う場所もあり、ラズは説明を聞くたびに真剣に頷いていた。
やがて一行は、実技授業で使われている訓練場へやってきた。
「そういえば、ラズ」
マシューが声をかける。
「前に、今度教えてやると言ったのを覚えているか?」
「うん!」
ラズが嬉しそうに答えた。
「せっかくだ。少しだけやってみるか」
「いいの?」
「ああ。ただし、今日は本当に少しだけだぞ」
「うん!」
ラズはすぐにマシューについていった。
少し離れたところで、ルナたちはその様子を見守る。
何かを説明されたラズが頷き、手を前に出す。
小さな火が現れたかと思えば、すぐに消えた。
もう一度。
今度は先ほどより少し長く火が残る。
「楽しそう」
ミアが呟く。
「うん」
ルナも笑った。
何を教えてもらっているのか、ここからでは細かいところまでは分からない。
それでも、ラズが夢中になっていることだけはよく分かった。
「入学したら、ああいう授業も受けるんだね」
「そうだね」
隣にいたリアムが答える。
「最初は基礎からだから、いきなり難しいことはやらないよ。ラズなら大丈夫だと思う」
「それなら安心かな」
ルナはもう一度ラズを見る。
事件に巻き込まれたときのことを思えば、こうして楽しそうに魔法を使っている姿を見るだけでもほっとする。
「あ、そうだ。リアム」
「何?」
「お店、決まったよ」
「本当?」
リアムがぱっとこちらを見る。
「じゃあ、いよいよ準備を始めるんだ」
「これからだけどね。まだ中はほとんど何も決まってないし」
「それなら、ちょうどよかった」
「何が?」
「魔道具の方も、今は術式を考えてるところなんだ」
「もう進めてくれてるの?」
「もちろん」
リアムが笑う。
「ただ、大きさをどうするか迷ってて。冷凍する部分と冷蔵する部分の割合もあるし、厨房に置くなら、置ける場所も考えないといけないでしょ?」
「あ……そっか」
ルナは店を見たときに置けそうな場所は考えていたものの、実際にどのくらいの大きさにするかまでは決めていなかった。
「だったら、一度お店を見てもらった方が早そうだね」
「うん。俺もそう思った」
「じゃあ、今度見に来る?」
「行くよ。オリバーにも話しておく」
「ありがとう」
「せっかく作るなら、ちゃんと使いやすいものにしたいからね」
リアムの言葉に、ルナは嬉しくなって頷いた。
「じゃあ、引っ越したら連絡するね」
「分かった」
そう約束したところで、訓練場からラズの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「できた!」
「だから、こっちに気を取られるな。まずは火を安定させろ」
「うん!」
注意されても、ラズの表情は明るいままだ。
ルナはそんな様子を、しばらく笑顔で眺めていた。
見学を終えたあとも、ラズはマシューから教えてもらったことを嬉しそうに話していた。
「入学したら、もっといろんな魔法を習えるんだよね?」
「ああ。まずは基礎からだけどな」
「楽しみだな……」
そんなラズを見ながら、ルナはふとこれまでのことを思い返した。
王都に来たばかりの頃は、ここにどれくらいいるのかも決めていなかった。
ラズのことが落ち着くまで。
最初は、そのくらいに考えていた。
けれど今は違う。
王都で暮らすうちに知り合いも増えた。
ラズはこの国の学園に通うことになり、自分も店を借りた。これから店を開けば、簡単に別の町へ移ることもなくなるだろう。
いつの間にか王都は、しばらく滞在するだけの場所ではなくなっていた。
「ルナ?」
隣から声をかけられ、ルナは顔を上げた。
「どうしたの? さっきから考え込んでるけど」
「ミア……」
ルナは少し迷ってから口を開く。
「あのね。私、エレンジアの国民になろうかなって」
「国民に?」
「うん」
以前、メーガンからも、この国で長く商売を続けるつもりなら国民登録をした方がいいと言われていた。
そのときは、まだここに住み続けるのか決めきれなかった。
「ラズはここで学園に通うし、私もお店を始めるでしょ?」
ルナは少し笑った。
「気づいたら、ここで暮らしていく理由がたくさんできてたから」
「じゃあ、あたしもなる」
ミアはほとんど迷わず答えた。
「え?」
「あたしも国民登録する」
「でも、ミアは自分で決めていいんだよ?」
自分がここに住むからといって、ミアまで同じ選択をする必要はない。けれど、ミアは笑った。
「自分で決めてるよ。あたしも王都の暮らし、嫌いじゃないし」
「そうなの?」
「うん。それに、お店も楽しみだもん。ルナと一緒にやるって決めてるから」
「……そっか」
「うん」
ミア自身がそう決めたのなら、ルナに止める理由はない。
「じゃあ、一緒に手続きしようか」
「うん!」
ルナも笑って頷いた。
その日の夜、レオにも二人で国民登録をしようと思っていることを話した。
「レオはどうする?」
「俺は今はいいかな」
「そうなの?」
「ああ。冒険者なら今のままでも困ってないしな。もう少し考える」
「そっか」
ルナもそれ以上は勧めなかった。
レオにはレオの考えがある。
急いで全員が同じ選択をする必要はない。
「分かった。決めたくなったら、そのときでいいと思う」
「ああ」
◇◇◇
後日。
ルナとミアは、王都にある役所を訪れていた。
受付で国民登録をしたいと伝えると、必要な手続きについて説明を受ける。
名前や年齢、現在の住まいのほか、身分証代わりに使っているギルド証なども確認され、用意された書類に順番に記入していった。
「これでいいですか?」
「はい。確認しますので、少々お待ちください」
職員が書類に目を通していく。
商業ギルドや冒険者ギルドへの登録、王都での居住についても確認が取れたため、手続きは問題なく進んだ。
しばらくして、職員が二人に向かって頷く。
「以上で国民登録は完了です」
「ありがとうございます」
ルナが頭を下げる。
手続きそのものは、思っていたよりあっさりしたものだった。
けれど、これで自分は正式にエレンジアで暮らしていくのだと思うと、少し不思議な気持ちになる。
隣では、ミアも受け取った書類を眺めていた。
そこで以前マシューに言われたことを思い出したらしい。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「はい。何でしょう?」
「属性判定を受けたいんですけど、神殿に直接行けばいいですか?」
「これまで属性判定は受けていないのですか?」
「はい。クリーヴランドでは十五歳で受けるので、まだなんです」
「なるほど。エレンジアでは十二歳で受けますが、国によって時期が違いますからね」
職員が頷く。
「国民登録も済みましたので、こちらから神殿に予約を取ることができますよ」
「本当ですか?」
「はい。希望されますか?」
「お願いします」
ミアがすぐに答える。
「では、空いている日を確認しますね」
職員が予定を確認し、いくつかの日を教えてくれる。
その中から都合のいい日を選び、予約を入れてもらった。
役所を出ると、ミアはどこか落ち着かない様子でルナを見る。
「何の属性かな」
「確か……火がいいんだっけ?」
「うん。でも風もいいかも。レオが使ってるの見てると格好いいし」
「楽しみなんだね」
「楽しみだけど……ちょっと怖いかも」
「大丈夫だよ。私も一緒に行くから」
「うん」
そう答えるミアの隣を歩きながら、ルナは自分もかつて、何の属性なのだろうと考えながら神殿に向かったことを思い出した。
予約の日。
ルナとミアは、属性判定を受けるため王都の大神殿を訪れていた。
「やっぱり、国が違っても大神殿って似てるんだね」
建物を見上げながら、ルナが呟く。
細かな造りには違いがあるものの、白い石で造られた大きな建物や静かな雰囲気は、クリーヴランドの大神殿とあまり変わらない。
「そうなの?」
「うん。私が属性判定を受けたところも、こんな感じだったよ」
そう答えながら、ルナはあの日を思い出していた。
水晶に手を置いても、何の反応もなかった。
自分には属性がない。
そう告げられ、その直後にリアの光属性が判明した。
そして、あの日を境にルナの人生は大きく変わった。
あのとき前世の記憶を思い出していなければ、今頃どうしていただろう。
修道院に行っていたのか。
それとも、家を出ることさえ考えなかったのか。
「ルナ?」
「あ、ごめん。何でもないよ」
心配そうに覗き込んできたミアに笑い返したところで、神官から名前を呼ばれた。
「ミアさん、こちらへどうぞ」
「はい」
返事をしたミアが、少し緊張した様子で前へ進む。
部屋の中央には、見覚えのある水晶が置かれていた。
「こちらに手を置いてください」
「はい……」
ミアが恐る恐る水晶に手を置く。
ルナも少し離れたところから、その様子を見守った。
しばらくすると、水晶の中に色が浮かび始めた。
「あ……」
淡い茶色の光が、水晶の中にゆっくりと広がっていく。
神官がそれを確認する。
「土属性ですね」
「土……」
ミアは水晶から手を離すと、明らかに肩を落とした。
「ありがとうございました……」
神官に礼を言って戻ってきたものの、その顔は浮かない。
「土属性だったね」
「うん……」
「どうしたの?」
「だって、土だよ?」
ミアが不満そうに口を尖らせる。
「せっかく魔法が使えるなら、もっと強そうなのがよかった」
「強そうなの?」
「火とか。レオみたいな風とか」
「ああ……」
前から言っていたことを思い出し、ルナは苦笑する。
「でも、土属性っていろいろできそうじゃない?」
「いろいろ?」
「うん。地面を動かしたり、土を柔らかくしたりできるのかな。畑仕事にも使えたりしそう」
「畑……」
ミアの表情がさらに微妙になる。
「全然格好よくない」
「便利だと思うんだけどな……」
「ルナは楽しそうだね」
「だって、せっかく分かったんだもの。ほかにも何ができるのか調べてみようよ」
「あたしはもっと格好いいのがよかったのに……」
まだ納得できないらしい。
ルナは苦笑しながら、ミアの肩を軽く叩いた。
「元気出して。今日はお肉にしよう」
「……お肉?」
「うん。せっかく属性が分かったんだし、お祝い」
「土属性でも?」
「もちろん」
ミアは少しだけ考えてから、ようやく顔を上げた。
「……じゃあ、大きいお肉がいい」
「いいよ。レオとラズにも買って帰ろう」
「うん!」
さっきまでの落ち込みはどこへいったのか、ミアの表情が少し明るくなる。
そんなミアを見て笑いながら、ルナは一緒に大神殿をあとにした。
◇◇◇
家に戻ると、ルナは約束通り、買ってきた肉を使って夕食を作った。
焼き上がった肉と付け合わせの野菜を皿に盛り、四人で食卓を囲む。
「それで、どうだったんだ?」
レオに聞かれ、ミアは肉を切りながら少し不満そうに答えた。
「……土属性だった」
「土か」
「もっと強そうなのがよかったのに」
肩を落とすミアを見て、レオが笑う。
「何笑ってるの!」
「いや。属性があったのに、そんなに落ち込むことかと思って」
「だって、ラズは火で、レオは風でしょ? あたしももっと格好いいのがよかったの」
「僕は土属性もいいと思うけど」
ラズも笑っている。
「ラズまで!」
ミアが頬を膨らませる。
そんな三人を見ながら、ルナも笑った。
「私は属性なしなんだから、使える属性があるだけでもいいじゃない」
「それはそうだけど……」
まだ少し納得できないらしい。
すると、レオが思い出したように言った。
「でも、土属性も結構使えると思うぞ」
「本当?」
「ああ。前に一緒に依頼を受けた冒険者が土属性だったんだけど、地面から壁を作って攻撃を防いでた」
「壁?」
「かなり頑丈だったぞ。魔物に突っ込まれても簡単には壊れなかったしな」
ミアの表情が少し変わる。
「……それって、護衛にも使える?」
「使えるんじゃないか? 誰かを守るなら、攻撃するだけが魔法じゃないからな」
「護衛……」
ミアは考え込む。
「ちゃんと使えるようになったら、ルナを守るのにも使えるかな」
「私?」
「うん」
「その前に、自分を守るために使ってね」
「それもそうだけど」
ミアはそう言いながらも、先ほどよりずっと機嫌がよさそうだった。
「じゃあ、これからどうやって練習するの?」
ラズが尋ねる。
「うーん……」
ミアは少し考える。
「まずは基礎の本を読んでみる」
「一人で?」
「うん。それで分からなかったら、レオにも聞く」
「俺は土魔法は使えないぞ」
「魔法の練習の仕方くらいは分かるでしょ?」
「まあ、それくらいならな」
ルナは二人のやり取りを聞きながら、ミアを見る。
「本が必要なら、一緒に探しに行こうか?」
「うん。でも、魔法の練習ばっかりするつもりはないよ」
「そうなの?」
「あたしはお店の方も楽しみだから」
ミアが笑う。
「ルナと一緒に準備したいし、手伝うって言ったでしょ」
「そっか」
それなら、ミアのやりたいようにすればいい。
「じゃあ、土魔法は少しずつ練習していこうか」
「うん!」
ミアが笑顔で頷く。
そのまま食事を続けていると、ミアがふと思い出したように顔を上げた。
「そういえば、ルナ」
「何?」
「お店の名前ってどうするの?」
聞かれたルナは、少しだけ目を逸らした。
「……一応、考えてる」
「もう決めてるの?」
ミアだけでなく、レオとラズの視線も集まる。
「……うん」
少し照れながら、ルナはその名前を口にした。
「『ルポア』にしようと思ってる」
「ルポア?」
ラズが繰り返す。
「うん。エレンジアの言葉で『ひと休み』っていう意味なの」
「ひと休み……」
「美味しいものを食べて、少しゆっくりしてもらえるようなお店にしたいから。ちょうどいいかなって」
「いいね!」
ミアが真っ先に笑う。
「覚えやすいんじゃないか?」
レオも頷き、ラズも「いいと思う」と続いた。
「ルポアかあ」
ミアがもう一度、その名前を口にする。
「じゃあ、早く看板も作らないとね」
「看板なら僕が描くよ」
ラズがすぐに言った。
「また描いてくれるの?」
「うん。今度はお店の看板でしょ?」
「じゃあ、お願いしようかな」
「任せて」
嬉しそうなラズを見て、ルナは笑った。
店の名前は、ルポア。
まだ何もない店だけど、名前が決まっただけで、少しだけ自分の店らしくなった気がした。




