王都後編 8
それから数日、ルナたちは家具屋や中古品を扱う店をいくつか見て回った。
元パン屋の物件に決めた場合、何が必要になるのか。
店に置くテーブルや椅子、カウンター、棚。住居で足りない家具についても、一通り値段を確認していく。
今の家から持っていける家具もあるため、すべてを新しく買う必要はない。
中古で状態のいいものを選べば、思っていたより費用は抑えられそうだった。
物件に残されていた設備についても確認してもらい、石窯や調理台はそのまま使えることが分かっている。
「……うん。これなら大丈夫そう」
家に戻り、書き出した金額をもう一度計算して、ルナは頷いた。最初に考えていた範囲には十分収まりそうだった。
店の広さも、調理場も気に入っている。
住居部分についても、ミアたちは問題ないと言ってくれている。
残っていたのは、必要なものを揃えても無理がないかという不安だけだった。それも、これでなくなった。
「……あそこにしよう」
ようやく決心がついた。
◇◇◇
翌日、ルナは商業ギルドを訪れた。
「こんにちは、メーガンさん」
「こんにちは、ルナさん。物件の方は決まりましたか?」
「はい。元パン屋だった、住居付きのところにしようと思います」
「あちらに決めたんですね」
「家具とかも見てきたんですけど、必要なものを揃えても予算内に収まりそうなので」
「分かりました。では、手続きを進めましょう」
メーガンが必要な書類を用意してくれる。
ルナは説明を聞きながら、一つずつ内容を確認していった。
家賃は月七十銀貨。
それに保証金として二か月分の家賃が必要になる。
今借りている家よりは高くなるものの、店と住居の両方を借りると考えれば、想定していた範囲内だった。
必要な支払いを済ませ、最後の書類に名前を書く。
メーガンが内容を確認してから頷いた。
「はい。これで手続きは終わりです」
「終わり……」
ルナは手元の書類を見る。
「これで、あのお店を使っていいんですよね?」
「ええ。これで正式にルナさんが借り主です。それから、こちらが鍵になります」
メーガンから鍵を受け取る。
「……そっか」
手のひらに載った鍵を見つめる。
分かっていたことなのに、実際に受け取ると不思議な感じがした。
まだ家具もない。
内装もこれから考えなければならないし、メニューだって決まっていない。
それでも、自分の店になる場所ができたのだ。
「ありがとうございます」
「お店を始めるまでには、まだいろいろ準備が必要でしょう。分からないことがあれば、いつでも相談してくださいね」
「はい」
ルナが鍵と書類をしまおうとすると、メーガンが思い出したように続けた。
「そういえば、ルナさん。以前お話しされていたロイドさんですが」
「ロイドさん?」
「ええ。先日、ギルドに問い合わせがありましたよ」
ルナは顔を上げる。
「本当ですか?」
「ムギボを作っている方と、一度商談をしたいとのことでした」
レオから話を聞いて以来、特に連絡はなかったので、もう少し先になると思っていた。
「どうされますか?」
「会ってみます」
ルナはすぐに答えてから、少し考えて付け加えた。
「できれば、前にお願いした通り、ここで会いたいです」
「もちろんです。そのつもりでお話ししてありますよ」
メーガンが頷く。
「ロイドさんにも、最初の商談はギルドで行うと伝えてあります。それで問題ないとのことでした」
「よかった」
「日程を確認して、改めてお知らせしますね」
「お願いします」
そして数日後。
ロイドとの商談の日が決まった。
場所は予定通り、商業ギルドの一室。
レオがヤンカまで護衛した商人と、今度はルナ自身が会うことになった。
◇◇◇
約束の日。
ルナは商業ギルドを訪れ、メーガンに案内されて奥の一室へ向かった。
部屋に入ると、一人の男性がすでに待っていた。
「初めまして。ロイド商会を営んでおります、ロイドと申します」
立ち上がった男性が、ルナに向かって軽く頭を下げる。
「初めまして。ルナです」
「レオさんから話は聞いています。お会いできてよかったです」
「私もレオから聞いてます。ヤンカまで一緒だったんですよね?」
「ええ。護衛をしていただきました。その途中でムギボを分けてもらいまして」
ロイドが笑う。
「あれは美味しかったです。それに、移動中でも食べやすい」
「ありがとうございます」
自分の作ったものを褒められるのは、何度経験しても嬉しい。
「今日は、そのムギボについてお話ししたくて伺いました」
メーガンにも勧められ、三人で席につく。
「単刀直入に言いますと、ムギボをうちでも扱わせてもらえないかと思っています」
「ロイド商会で?」
「はい。まだ小さな商会ですが、食品を扱う店ともいくつか取引があります。ムギボなら売れると思うんです」
「販売する場所を増やすってことですか?」
「そうなりますね。まずは王都で考えていますが、いずれは他の町にも持っていけると思っています」
「他の町にも……」
今は商業ギルドで委託販売し、魔法研究所にも定期的に納めている。
そこにロイド商会の分まで加わるとなると——。
「嬉しいんですけど、たくさん作るのは難しいかもしれません」
「やはりそうですか」
「実は、これからお店を始めることになったんです」
「店を?」
「はい。まだ準備を始めたばかりなんですけど、料理を出すお店にしようと思っています。今も研究所に毎週納めてる分があるので、これ以上ムギボを増やすとなると……」
ルナが困っていると、ロイドは少し考えてから口を開いた。
「実は、もしルナさん自身で数を作るのが難しいようならと思って、一つ案を考えてきたんです」
「案?」
「ムギボを作るところから、こちらに任せてもらうのはどうでしょう?」
「作るところから?」
「はい」
思っていなかった提案に、ルナは目を瞬いた。
「うちと取引している、食品を作る工房があります。材料はこちらで用意して、そこで製造してもらうんです」
「でも、ムギボの作り方は……」
「もちろん、勝手に真似するという話ではありません」
ロイドがすぐに答える。
「ムギボは、商品名もレシピもギルドに登録されていると聞いています。ルナさんから正式に許可をいただいたうえで製造し、販売する形です」
そこで、話を聞いていたメーガンも頷いた。
「そういった契約を結ぶことはできますよ。レシピを登録した本人が許可するのであれば、ほかの人に製造を任せることもできます」
「そうなんですね」
「その場合は、製造を許可する工房や販売の範囲、ルナさんが受け取る金額などを決めて、ギルドを通して契約を交わします。レシピを契約した工房以外に開示しないことなども決めておけますよ」
「そこまで決められるんですか?」
「ええ。そのためにギルドを通して契約するんです」
それなら、ただ作り方を教えて任せるわけではない。
ルナは少し安心した。
「そうしたら、私は作らなくてもいいってことですか?」
「ロイド商会に任せていただく分については、そうなります」
ロイドが答える。
「一本あたりでルナさんが受け取る金額は、今より少なくなります。材料費や製造する工房の取り分、こちらの利益も必要になりますから」
「はい」
「その代わり、ルナさん自身が作れる数に左右されなくなります。販売する量も、今より増やせると思います」
一本ごとの取り分は減っても、売れる数が増えれば収入まで減るとは限らない。
何より、店を始めるなら、自分でムギボを何百本も作り続けなくていいのは大きい。
「今、商業ギルドで販売している分も、こちらで製造したものを納める形にできます」
「ギルドで売ってる分も?」
「はい。そうすれば、ルナさん自身が作るのは、研究所へ納める分だけで済みます」
「それなら……」
かなり負担が減る。
「ただ……研究所に納めてる分は、今まで通り自分で作りたいです」
「もちろんです」
ロイドはあっさり頷いた。
「すでにルナさんが受けている仕事まで、こちらに任せてほしいとは言いません。まずは商業ギルドで販売している分と、これからうちで新たに販売する分を任せていただく形でどうでしょう?」
「それなら、できるかも……」
かなり現実的な話に思えてきた。
けれど、一つだけ気になる。
「あの、一度作ってもらってもいいですか?」
「もちろんです」
「同じ材料と作り方でも、作る人が変わったら味も変わるかもしれないから。ちゃんと食べてみてから決めたいです」
「私もその方がいいと思います」
ロイドは嫌な顔をするどころか、すぐに同意した。
「商品として売る以上、ルナさんが納得できるものにした方がいいでしょう。工房には試作品を作ってもらいます」
メーガンが二人の話を聞いてから口を開く。
「では、まずは試作品を作るための許可について、書面を用意しましょう。今回は指定した工房で試作するためだけのものです。正式な製造や販売については、試作品を確認してから決めれば大丈夫ですよ」
「分かりました」
「お願いします」
その場で内容を確認し、試作に必要な手続きを済ませる。
「では、試作品ができましたら、改めてご連絡します」
ロイドの言葉に、ルナは頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
まだ、ロイド商会に任せると決まったわけではない。
まずは、自分以外の人が作ったムギボを食べてみる。
それから決めればいい。
ルナはそう考えながら、ロイドが用意するという試作品を少し楽しみにしていた。
◇◇◇
それから一週間ほどして。
ロイドから試作品ができたと連絡が入った。
「みんなも一緒に来てくれない?」
ルナがそう頼むと、ミアが首を傾げた。
「あたしたちも?」
「うん。私だけじゃなくて、みんなにも食べてみてほしいの」
これまで何度もムギボを一緒に作り、食べてきた。
自分では気づかない違いがあっても、誰かが気づくかもしれない。
「もちろんいいよ」
「俺も?」
「レオも。ラズもお願い」
「分かった」
「僕もいいよ」
そうして四人で商業ギルドに向かうことになった。
案内された部屋には、すでにロイドとメーガンが待っていた。
「こんにちは」
「こんにちは、ルナさん。皆さんも」
挨拶を交わして席につくと、ロイドがテーブルの上に置かれていた箱を開ける。
「こちらが試作品です」
中には、見慣れた形のムギボが並んでいた。
「見た目はほとんど同じだね」
ミアが一つ手に取る。
「材料も作り方も、教えていただいたものに合わせています。ただ、実際に作る人が変われば多少の違いは出ますから、まずは食べてみてください」
「はい」
ルナも一本手に取った。
まずは香りを確かめ、それから一口食べる。
「……うん」
甘さはいつものムギボとほとんど変わらない。
けれど、もう一口食べてみて、ルナは少し考えた。
「ほんの少しだけ、いつものより硬いかな」
「そう?」
ミアももう一口かじる。
「……言われてみれば、ちょっとだけ?」
「俺は分からないな」
レオは首を傾げる。
「僕も、ほとんど同じに感じる」
ラズもそう言って、もう一口食べた。
「うん。私も気になるほどじゃないと思う」
ルナは改めて手元のムギボを見る。
自分たちが作ったものと、まったく同じではない。
けれど、商品として出すのをためらうような違いでもなかった。
「これなら大丈夫だと思います」
ルナがそう言うと、ロイドがほっとしたように笑った。
「よかったです。工房の者にも伝えておきます」
「何度か作ってもらったんですか?」
「ええ。最初は焼き加減がかなり違ったので、何度か調整してもらいました」
「そうだったんですね」
そこまで試してくれていたらしい。
「ありがとうございます」
「こちらこそ。これで、ようやく商品として扱えそうです」
試食が終わると、今度はメーガンが用意していた書類をテーブルに広げた。
「では、問題がないようでしたら、正式な契約について確認しましょう」
「はい」
メーガンが契約内容を一つずつ説明していく。
ロイド商会に任せるのは、商業ギルドで販売する分と、これから新たに販売する分。
魔法研究所へ納める分については、これまで通りルナが作る。
製造は契約で決められた工房で行い、レシピをほかの工房や商会へ無断で渡すことは禁止される。
そして、販売した数に応じて、決められた金額がルナに支払われる。
「一本あたりの取り分は今までより少なくなるけど、作る必要がなくなるんだよね……」
「はい。それに、販売先はこちらで増やしていくつもりです」
ロイドが答える。
「まずは王都ですが、うまくいけば他の町でも扱ってもらおうと思っています」
「そんなに広がったらすごいね」
ミアが嬉しそうに言う。
「まだこれからですけどね」
ロイドは笑った。
ルナも改めて契約書に目を落とす。
ムギボを考えたのは自分だ。
これまでは作るのも自分たちだった。
それを誰かに任せることには、少しだけ不思議な気持ちがある。
けれど、これからは店の準備も始まる。
すべてを自分で続けることはできない。
「……お願いします」
ルナはそう言って、契約書に名前を書いた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ロイドも続いて署名する。
最後にメーガンが内容を確認し、契約は正式に成立した。
すべての手続きを終え、ルナたちは席を立つ。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。これからよろしくお願いします」
ロイドと挨拶を交わしたところで、ルナはふと思い出した。
「あの、ロイドさん」
「はい?」
「今度、別のことも相談していいですか?」
「もちろんです。どんなことでしょう?」
「この前話したお店のことなんですけど、物件が決まったんです」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます」
ルナは笑ってから続ける。
「これからメニューを考えるつもりなんです。それで、必要な食材が決まったら、仕入れについて相談してもいいですか?」
「もちろんです」
ロイドはすぐに頷いた。
「うちは食品や調味料を多く扱っています。普段扱っているもの以外でも、取引先から仕入れられるものがありますから、必要なものが決まったら教えてください」
「ライサとか調味料も?」
「ええ。ものによりますが、用意できると思いますよ。それに、東の方から入ってくる食材もいくつか扱っています」
「東の方……」
その言葉に、ルナは少し興味を引かれた。
ナキールで見つけた、あの硬い魚の乾物も外国から運ばれてきたものだった。
もしかしたら、まだ自分の知らない食材がほかにもあるのかもしれない。
「珍しいものでも探してもらえますか?」
「もちろん。手に入るものなら探しますよ」
「じゃあ、メニューを考えたら相談させてください」
「いつでもどうぞ」
「ありがとうございます」
今度こそ挨拶をして、ルナたちはロイドと別れた。
店の場所も決まり、仕入れについて相談できる相手もできた。
(どんな料理を出そうかな)
今まで旅の途中で見つけた食材。
そして、まだ自分の知らない食材。
それらを使って、どんな料理が作れるだろう。
ルナはこれから考える店のメニューを楽しみにしながら、ミアたちと一緒に商業ギルドをあとにした。




