王都後編 6
レオが護衛依頼から戻った翌日。
昼を少し過ぎた頃、ルナたちの家を訪ねてきたのはリアムとマシューだった。
「こんにちは」
「リアム、マシューも。どうしたの?」
「今日はルナに話があって来たんだ」
「私に?」
ルナが首を傾げると、リアムが頷いた。
「うん。兄上が、一度ルナと会って話をしたいって」
「兄上って……国王陛下?」
「そう」
「えっ」
ルナは思わずリアムを見つめた。
リアムの兄が国王だということは知っている。けれど、自分が直接会うことになるとは思っていなかった。
「どうして私に……?」
「今回の氷の研究のことで、兄上がルナに何か礼をしたいって」
「お礼?」
思ってもいなかった言葉に、ルナは目を瞬いた。
「でも、私は思いついたことを話しただけだよ。実際に研究したのはリアムたちでしょ?」
「やっぱりそう言うと思った」
「え?」
「兄上にも言ったんだ。ルナはたぶん遠慮するって」
「だって、本当に私は何もしてないよ」
「何もしてないわけじゃないよ。ルナに水属性で氷を作れないのかって聞かれなかったら、あの研究は始まってなかったんだから」
それでも、自分が何かをもらうほどのことをしたとは思えない。
ルナが困っていると、リアムが話を続けた。
「それより、研究がまた進んだんだよ」
「そうなの?」
「うん。この前話した氷の性質を持たせた魔石を使って、冷却魔道具の試作品を作ってみたんだ」
「魔道具までできたの?」
ルナは思わず身を乗り出した。
「小さい箱だけどね。ちゃんと冷やすことはできたよ」
「すごい!」
以前聞いたときは、魔石に氷の性質を残すことに成功したばかりだった。
それがもう、実際に物を冷やせるところまで進んでいる。
「ただ、まだ試作品だからね。魔力がどのくらい持つのかとか、補充したあとも同じように使えるのかとか、調べることはたくさんある」
「じゃあ、すぐに使えるわけじゃないんだ」
「うん。術式も改良が必要だしね」
それでも、貴重な氷属性の魔石を使わずに物を冷やせたのは、大きな進歩だと思う。
「それでね。兄上から欲しいものを聞かれたら、氷属性の魔石をお願いしてみない?」
「……え?」
思いがけない提案に、ルナは目を瞬いた。
「氷属性の魔石って、すごく貴重なんじゃないの?」
「貴重だよ」
「だったら、そんな高価なものはもらえないよ」
「でも、普通に買えるものを選ぶ必要はないんじゃない?」
リアムは当然のように答えた。
「もしもらえたら、その魔石を使ってルナが欲しがってた冷却魔道具を作ってみようと思ってるんだ」
「私が欲しがってた……?」
「前に、食べ物を保存するために冷やす魔道具が欲しいって言ってたでしょ?」
「あ……」
確かに以前、冷やす魔道具があれば食材の保存に便利なのにと話したことがある。
「本物の氷属性の魔石なら、今の試作品より強く冷やせるはずだし、既存の術式も参考にできるからね。ルナが使うものを作りながら、今の研究と比べることもできると思う」
「作ってくれるの?」
「うん。オリバーにも手伝ってもらうつもりだけどね」
リアムは楽しそうに笑った。
「どんなものが欲しいか、ルナにも考えてもらって、一緒に作ってみたら面白そうだなって」
そこまで聞いて、ルナはふと考える。
以前なら、食材を冷やして保存できれば便利だと思うだけだった。
けれど今は、冷却魔道具を使いたい理由がはっきりしている。
「……それなら、今は前より欲しいかも」
「そうなの?」
「うん。実はね、私、お店を開きたいと思ってるの」
「店?」
「王都でも露店をやってみたんだけど、ちゃんと料理を作って、その場で食べてもらえる場所が欲しくなって」
「じゃあ、飲食店?」
「そのつもり。まだ商業ギルドで話を聞いたくらいで、店も決まってないんだけどね」
店の形もメニューもこれから考えるところだが、店を持ちたいという気持ちはもう決まっている。
「お店を開くなら、食材を冷やして保存できた方が便利でしょ? だから、本当にそんな魔道具が作れるなら欲しい」
「だったら、ちょうどいいじゃん」
リアムが嬉しそうに笑った。
「氷属性の魔石をもらえたら、それを使って作ってみようよ」
ルナは少し迷った。
欲しいとは思う。けれど、やはり貴重な魔石をお願いするのは気が引ける。
すると、それまで黙って話を聞いていたマシューが口を開いた。
「陛下が礼をしたいと考えているんだ。希望を伝えるだけなら問題ないだろう」
「マシューまで……」
「希望どおりになるかを決めるのは陛下だ。ルナが気にすることじゃない」
お金や宝石なら、きっと断っていただろう。
けれど、氷属性の魔石なら、これから始める店にも役立てられる。
「……分かった。お願いしてみたい」
「決まりだね」
リアムが笑う。
けれど、ルナにはもう一つ気になることがあった。
「それって……国王陛下に直接お願いするんだよね?」
「そうなるね」
そのことを改めて意識した途端、ルナの表情が固まった。
「……やっぱり緊張する」
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「リアムにはお兄さんでも、私には国王陛下だよ」
「ああ、そっか」
「そっかじゃないよ……」
思わずそう返すと、隣でマシューが小さく笑った。
それでも、いつまでも避けるわけにはいかない。
ルナは覚悟を決めて頷いた。
「分かった。行ってみる」
「うん。じゃあ、兄上に伝えておくよ」
こうしてルナは、アーサーに会うため王宮を訪れることになった。
◇◇◇
そして数日後。
約束の時間に合わせてルナが家を出ると、迎えに来ていたリアムとマシューが待っていた。
「お待たせ」
声をかけると、リアムが振り返る。
「うん。それじゃあ——」
そこまで言ったところで、リアムがルナの姿を見て目を丸くした。
「……どうしたの?」
「いや、今日はドレスなんだね」
今日のルナが身につけているのは、普段着ではなく、落ち着いた色合いのネイビーのドレスだった。
派手な装飾はないものの、王宮を訪れるのにふさわしいもので、髪もいつもより丁寧に整えている。
「うん。マリアンナ様から譲ってもらったの」
「姉から?」
思いがけないところから姉の名前が出てきて、マシューが驚いたようにルナを見る。
「王宮に行くことになったって話したら、結婚前に着ていたドレスを譲ってくださったの」
「そんな話は聞いてなかったな」
「マシューにわざわざ話すことでもないと思ったんじゃない?」
リアムがそう言うと、マシューは少し考えてから頷いた。
「まあ……そうかもしれないな」
リアムは改めてルナの姿を見る。
「でも、よく似合ってるね。綺麗だよ」
「えっ……ありがとう」
あまりにさらりと言われて、ルナは少し照れながら礼を言った。
「普段と雰囲気が違うから、ちょっと驚いた」
「そう?」
「うん。いつもの服も似合ってるけど、そういう格好もいいね」
リアムはいつもと変わらない調子で笑う。
「でも、わざわざドレスまで用意しなくてもよかったのに。兄上も服装なんて気にしないよ」
「でも、国王陛下にお会いするんだよ?」
「……まあ、そうだけど」
「正式な謁見じゃないのは分かってるけど、普段の服で会いに行くのは落ち着かないもの」
子爵家を出て、今は平民として暮らしている。
それでも、幼い頃から身につけてきた礼儀まで忘れたわけではない。
「なるほどね」
リアムが納得したように頷いたところで、マシューが口を開いた。
「そろそろ行くぞ。陛下を待たせるわけにはいかない」
「あ、そうだった」
ルナは二人とともに王宮へ向かった。
◇◇◇
王宮に着いたルナは、リアムとマシューに案内されて応接室へと向かった。
扉の前に立つと、自然と背筋が伸びる。
「大丈夫だよ」
隣にいるリアムが小声で言う。
「……うん」
返事をしたものの、これから会うのはこの国の王だ。
正式な謁見ではないとはいえ、緊張しないわけがなかった。
やがて扉が開き、ルナはリアムたちとともに中に入った。
応接室には、一人の男性が待っていた。
リアムと同じ銀髪だが、受ける印象はずいぶん違う。
落ち着いた表情と、まっすぐこちらを見る目に、ルナは思わず背筋を伸ばした。
(ちょっと怖そう……)
そう思いながら、教えられてきた通りに挨拶をする。
「ルナと申します。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「ああ。顔を上げてくれ」
言われて顔を上げると、アーサーはしばらくルナを見てから口を開いた。
「やっと会えたな」
「……え?」
予想していなかった言葉に、ルナは目を瞬いた。
「兄上、その言い方やめてよ」
すぐにリアムが嫌そうな顔をする。
「間違ったことは言っていないだろう。以前から一度話をしてみたいと言っていたのに、お前が止めていたんだからな」
「ルナたちは自由に旅してたんだから、わざわざ王宮に呼ぶ必要なかったでしょ」
「今回はお前も納得して連れてきたんだろう」
「今回はちゃんと理由があるからだよ」
二人が当たり前のように言い合う。
その様子を見ているうちに、ルナの肩から少しだけ力が抜けた。
最初は近寄りがたい人に見えたけれど、リアムと話している姿は思っていたより柔らかい。
「兄上。ルナが困ってる」
「お前が言い返すからだろう」
そう言ってから、アーサーは改めてルナに視線を向けた。
「すまない。座ってくれ」
「はい」
勧められた席に腰を下ろす。
「今日はリアムたちが進めている研究について話があって来てもらった」
アーサーがそう切り出した。
「研究そのものを行ったのがリアムたちであることは分かっている。だが、お前の話がきっかけになって、ここまで研究が進んだことも事実だ。その礼をしたいと考えている」
「ありがとうございます」
家でリアムから聞いたときは、自分が何かをもらっていいのかと思った。
けれど、今は欲しいものを決めてきている。
「それで、何か欲しいものはあるか?」
「はい。もし可能でしたら、氷属性の魔石をいただけないでしょうか」
「氷属性の魔石?」
アーサーがわずかに眉を上げる。
「また珍しいものを望むな。何に使うつもりだ?」
「冷却魔道具を作るために使いたいと考えています」
ルナは姿勢を正したまま続ける。
「実は、王都で飲食店を開きたいと考えております。食材を冷やして保存できる魔道具があれば、とても役に立つと思いまして」
「なるほど」
「リアム様からも、氷属性の魔石をいただけたら、それを使って冷却魔道具を作ってみようと提案していただきました」
一瞬、隣から視線を感じた。
ルナがそちらを見ると、リアムが何とも言えない顔でこちらを見ている。
「……何?」
「いや、なんでもない」
小声で返され、ルナは首を傾げながらアーサーへ向き直る。
「お前が勧めたのか?」
アーサーがリアムに尋ねる。
「うん。前からルナが冷やす魔道具を欲しがってたのを知ってたからね」
「そういうことか」
アーサーは納得したように頷いた。
「ならば、王家で保管している魔石の中から用途に合うものを選ばせよう」
「よろしいのですか?」
「ああ。今回の褒賞として渡すのなら問題ない」
「ありがとうございます」
ルナは改めて頭を下げる。
「大切に使わせていただきます」
「ああ。役立ててくれ」
顔を上げると、隣でリアムが嬉しそうに笑っていた。
「よかったね」
「うん」
思わずいつもの調子で答えてから、ルナははっとする。
けれど、アーサーは特に気にした様子もなかった。
「魔石は研究所に届けさせればいいか?」
「うん。その方が助かる」
「分かった。用途に合うものを届けさせよう」
「ありがとう、兄上」
「お前が礼を言うことではない」
「あ、そっか」
リアムの返事に、アーサーが呆れたような顔をする。
そのやり取りを見て、ルナは小さく笑った。
王宮に来るまではあれほど緊張していたのに、実際に話してみると、アーサーは想像していたほど怖い人ではなかった。
◇◇◇
王宮を出たあと、ルナはリアムたちと一緒に魔法研究所に向かった。
氷属性の魔石が届くのはもう少し先になる。
それでも、どんな魔道具を作りたいのかは今から考えておける。
研究室に着くと、リアムはオリバーにも声をかけた。
事情を聞いたオリバーも興味を持ったらしく、すぐに話に加わった。
「それで、ルナはどんなものが欲しいの?」
リアムに聞かれ、ルナは少し考える。
「今ある冷却魔道具って、大きな箱みたいな形なんだよね?」
「そうですね。基本的にはその形が多いです」
オリバーが答えた。
「だったら、形から変えられないかな」
「どんな形ですか?」
「紙、借りてもいい?」
「もちろん」
リアムから紙とペンを受け取り、ルナは簡単な絵を描いていく。
縦長の箱。
それを上下二つに分け、それぞれに扉をつける。
「こんな感じ」
「……上下で分かれてるんだね」
「うん。上は小さくて、下は大きくするの」
リアムとオリバーが並んで紙を覗き込む。
「それぞれ何を入れるんですか?」
「上は、食べ物を凍らせられるくらい冷たくしたいの」
「凍らせるほど……」
オリバーが紙に目を落とす。
「難しいですか?」
「この前作った氷の性質を持たせた魔石だと、そこまで冷やすのは難しいと思う」
リアムが答える。
「でも、本物の氷属性の魔石なら、もっと温度を下げられるはずだよ」
「そうですね。ただ、今ある冷却魔道具の術式をそのまま使うのは難しいと思います」
オリバーの言葉に、ルナが首を傾げる。
「氷属性の魔石でも?」
「魔石の問題じゃなく、術式の方です。現在使われてるものは、長く安定して冷やすことを優先して作られています。氷属性の魔石は希少ですから、魔石への負担を抑えるようにしているんです」
「じゃあ、もっと冷たくなるように術式を変えればいいの?」
「簡単ではありませんが、試してみる価値はありますね」
「強く冷やせば、その分だけ魔力の消費も増えるだろうけどね」
リアムも紙を見ながら考える。
「じゃあ、ここを小さくするのは意味がある?」
ルナは上の部分を指した。
「凍らせたいものはそんなに多くないから。上だけ小さくして、下は普通に食材を冷やせれば十分なの」
「それなら、箱全体を凍らせるよりは魔力の消費を抑えられそうですね」
オリバーが紙を手元に引き寄せる。
「それで、上で冷やした空気を下にも流せないかなって思って」
「下にも?」
「うん。下には棚を何段かつけて、肉とか野菜とか、いろんな食材を分けて置けるようにしたいの」
ルナは下の大きな部分を指す。
「上の冷たい空気を使って下も冷やせたら、別々に冷やすより魔力を使わなくて済まないかな?」
リアムとオリバーが顔を見合わせた。
「面白いね」
「ええ。今までの冷却魔道具とはずいぶん違いますね」
オリバーはもう一度、ルナの描いた絵を見る。
「ただ、冷気を上から流すだけだと、場所によって温度に差が出るかもしれません」
「やっぱりそうですか?」
「特に棚を何段もつけるなら、空気が動きにくい場所ができるでしょうね」
「なら、中の空気を動かす方法を考えればいいんじゃないか?」
それまで話を聞いていたマシューが口を開いた。
「空気を動かす……」
リアムが呟く。
「風を起こして、中の空気を回すとか?」
「それならできるかもしれませんね」
オリバーも頷いた。
「風属性の魔石を使うの?」
「うん。それが一番確実だと思う」
リアムは紙に描かれた箱を見ながら答えた。
「氷属性の魔石で上を冷やして、風属性の魔石で中の空気を動かす。二つの術式を分ければ、調整もしやすいと思う」
「そうですね。まずはその形で考えてみましょう」
オリバーが紙の余白に簡単な図を描き始める。
「でも、風属性の魔石まで必要になるんだよね?」
ルナが少し心配になって尋ねる。
氷属性の魔石だけでも、国王から褒賞としてもらうほど貴重なものだ。
「そっちは俺が用意するよ」
「え?」
「風属性なら氷属性ほど珍しくないから。せっかくだし、長く使えるように質のいいものにしよう」
「でも——」
「開店祝い」
あっさりと言われ、ルナは目を瞬いた。
「まだお店も決まってないよ?」
「でも、開くつもりなんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「だったら、今のうちに用意してもいいでしょ」
リアムは楽しそうに笑う。
「まあ、魔道具としてもその方が作りやすいですね」
オリバーが話を戻した。
「魔石が届くまでに、必要な術式を考えておきます」
「うん。俺もやってみるよ」
ルナはもう一度、紙を見る。
上には小さな冷凍室。
下には棚のついた冷蔵室。
前世では当たり前に使っていた冷蔵庫に、かなり近い形だった。
けれど、それを動かすのは電気ではなく、魔石と魔法の術式だ。
「これ、本当に作れるのかな」
「作ってみないと分からないところはあるけどね」
リアムは楽しそうに紙を覗き込む。
「店ができる頃には、使えるものにしたいね」
「そんなに早くできる?」
「それは分からないけど、頑張ってみるよ」
「無理はしないでね」
「分かってるって」
オリバーも、すでに術式について考え始めているらしい。
紙の余白に何かを書き込みながら、リアムと話している。
ルナはそんな二人を見て笑った。
「リアム、オリバーさん、ありがとう。よろしくお願いします」
「うん。任せて」
「こちらこそ。面白いものが作れそうです」
思い描いた通りのものができるかは、まだ分からない。
それでも、この世界の魔法でどんな冷蔵庫ができるのか、ルナは完成する日が楽しみになった。




