1-9
お披露目式当日の朝。
屋敷の中は、朝早くから慌ただしかった。
使用人たちが廊下を忙しく行き交い、運び込まれた箱や花が次々と運ばれていく。
そんな中、ルナは自室で一人、朝食を取っていた。
お披露目式の準備が本格的になってからは、家族の食事の時間も合わなくなり、朝食は部屋に運ばれることが増えていた。
食事を終えた頃、ミアがワゴンを押しながら部屋に入ってくる。
「ルナ様、お食事を下げに参りました」
「入って」
食器を片付け始めたところで、ルナは小さく声を掛けた。
「レオとは予定通り?」
「はい」
ミアは頷く。
「お披露目式が始まる頃に、屋敷の裏門近くまで来てくれます」
「分かったわ」
いよいよだ。
そう思うと胸が少しだけ高鳴る。
不安もある。
けれど、それ以上に前に進みたいという気持ちの方が大きかった。
ルナは少しだけ考え込み、口を開く。
「ミア」
「はい」
「リアが王宮に向かう時になったら、教えてもらえる?」
ミアの手が止まる。
その表情が少しだけ曇った。
「……お見送りを、されるんですか?」
「ええ」
ルナは優しく微笑む。
「ちゃんと送り出したいの」
その言葉に、ミアは何も言えなくなる。
今日、ルナはこの屋敷を去る。
もう二度と双子が顔を合わせることはないかもしれない。
だからこそルナは、最後に妹に会っておきたかった。
ミアは心配そうにルナに目を向けたが、小さく頭を下げた。
「……かしこまりました」
静かな返事が、部屋に優しく響いた。
◇◇◇
「リア」
馬車に向かおうとしたリアが振り返る。
「お姉様……」
少しだけ気まずそうな表情だった。
ルナは優しく微笑む。
「その服、とても似合ってる」
リアは目を丸くした。
「本当に綺麗よ」
神殿が用意した白を基調とした正装は、光属性を持つリアによく似合っていた。幼い頃から何度も見てきた妹なのに、今日はどこか大人びて見える。
「きっと、素敵な聖女になれるわ」
その言葉に、リアは何か言おうとして口を開く。
「お姉様、終わったら——」
けれど。
「そろそろ参りましょう」
神官に声を掛けられ、言葉は途中で途切れた。
リアはもう一度ルナを見る。
どこか寂しそうな、迷うような瞳だった。
「……行ってきます」
「ええ」
ルナは静かに頷く。
「行ってらっしゃい」
馬車がゆっくりと動き出す。
リアは窓から何度もルナを振り返っていた。
(……ごめんね)
ルナもその姿が見えなくなるまで見送る。
「頑張ってね、リア」
小さく呟く。
その言葉は、もう馬車には届かなかった。
◇◇◇
リアたちを乗せた馬車が屋敷を出てしばらくした頃。
控えめに扉が叩かれる。
「ルナ様」
「入って」
扉が開き、ミアが足早に部屋に入ってきた。
「レオが予定通り、裏門の近くまで来ています」
ルナは静かに頷く。
「分かったわ」
いよいよ、その時が来た。
胸の鼓動が少しだけ速くなる。
「今なら大丈夫です」
ミアは声を潜めた。
「旦那様たちに護衛が同行したので、裏門の担当は今、正門の応援に回っています。次の交代が来るまで少し時間があります」
「どのくらい?」
「長くはありません。今のうちに出てください」
それが三人で決めた作戦だった。
ルナは小さく頷く。
「ミアは大丈夫?」
「私は仕事を終えたことを確認してから、予定通り休暇に入ります。そのあとすぐ追います」
にっこりと笑う。
「ルナ様は先にレオと合流して待っていてください」
「……分かった。行きましょう」
ルナは扉に向かって歩き出した。
最後にもう一度だけ振り返る。
大きなベッド。
本棚。
窓から差し込む柔らかな陽射し。
もう戻ることはない。
そう思うと寂しさが込み上げた。
けれど、もう迷いはなかった。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉だったのか。
この部屋へなのか。
この家へなのか。
十五年間へなのか。
自分でも分からない。
ルナは静かに扉を開けた。
廊下を覗くと誰もいなかった。
遠くから片付けの音は聞こえるが、朝のような慌ただしさは今は感じられない。
できるだけ足音を立てないよう、一歩ずつ歩いていく。
階段を下り、人気の少ない廊下を抜ける。
途中、窓の外に目を向けると、庭では庭師たちが忙しそうに動いていた。
誰もルナには気付かない。
裏口に続く扉の前まで来ると、一度だけ深呼吸をする。
胸がどくどくと鳴っていた。
(ここを出たら、もう戻れない)
そう思っても、不思議と足は止まらなかった。
音を立てないよう扉を開く。
外の風が頬を撫でた。
普段なら使用人が行き交う裏庭も、今は人影がなかった。
ルナは周囲を確認しながら、小道を進む。
やがて裏門が見えてきた。
門を抜けて、そこから少し離れた道沿いの木陰に、一人の青年が立っていた。
明るい茶色の髪が風に揺れる。
ルナに気付くと、青年は軽く手を上げた。
「よう」
気さくな笑顔だった。
「ちゃんと来られたな」
その一言を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張が少しだけほどける。
「レオ……」
ルナはほっと息をついた。
「待たせてしまって、ごめんなさい」
「いや」
レオは笑って首を振る。
「時間ぴったり。むしろ予定通りだ」
そう言うと、屋敷の方に視線を向ける。
「ミアは?」
「あとから来るはずです」
「分かった」
レオは短く頷いた。
「じゃあ、ここで少し待とう」
ルナも隣に並び、屋敷を見つめる。
もうすぐミアが来る。
そして三人で、この王都を旅立つ。
ルナは小さく息を吸い込み、晴れ渡る空を見上げた。
胸の奥には不安もあった。
それでも、その先に広がる未来を思うと、自然と口元が緩んだ。
しばらくして、ミアが小走りでやって来た。
「お待たせしました!」
「大丈夫か?」
「うん。誰にも気付かれてない」
レオは満足そうに頷く。
「よし、行こう」
裏門から少し離れた場所には、レオがあらかじめ手配していた小さな貸し馬車が待っていた。
馬車に乗り、御者に合図を送ると、ゆっくりと動き出した。
窓の外では、見慣れた屋敷が少しずつ遠ざかっていく。
庭の木々。
屋敷の白い壁。
幼い頃から何度も眺めてきた景色。
ルナは何も言わず、その景色を見つめ続けていた。
やがて屋敷は角の向こうに消え、完全に見えなくなる。
その瞬間、小さく息を吐いた。
「……本当に出て来ちゃった」
ぽつりと漏らした声に、ミアが心配そうに顔を覗き込む。
「ルナ様……」
「大丈夫」
ルナは穏やかに微笑んだ。
「少し寂しいだけ。でも、ちゃんと自分で決めたことだから」
その笑顔を見て、ミアも少し安心したようだった。
しばらく静かな時間が流れる。
その空気を変えるように、ルナがふと思い出したように口を開いた。
「……そうだ」
二人が同時に顔を向ける。
「一つお願いがあるの」
「お願いですか?」
「これからは、できれば敬語もやめてほしいな」
「え?」
ミアは目を丸くした。
「だって、これからは一緒に旅をする仲間でしょう? だから、『ルナ様』じゃなくて、ルナでいいわ」
ミアは困ったように首を振る。
「そ、それは無理です! 急にはできません!」
必死な様子に、レオが吹き出した。
「じゃあ練習だな」
「れ、練習?」
「ああ」
レオはにやりと笑う。
「ほら、一回」
ミアは顔を真っ赤にしながらルナを見る。
「る……る……」
なかなか続かない。
その様子がおかしくて、ルナも思わず笑ってしまった。
「ふふっ」
その笑顔につられて、レオも笑う。
馬車の中に、初めて穏やかな笑い声が響いた。
そんな三人を乗せた馬車は、やがて孤児院の前へと到着した。




