可部の死線、比国の風
二一〇一年一月十八日。
広島市北部、可部。山裾にある古い鋳物工場の跡地に、特設の野外リングが設えられていた。寒風が吹き抜ける中、観客たちの熱気が白い息となって夜の闇に溶けてゆく。
「……ここが、力武の言う『戦場』か」
観客席の最前列で、拳士は伊勢谷と共にリングを凝視していた。国庫庁の公式戦のような華やかな演出はない。あるのは剥き出しの鉄骨と、旧式の寿命徴収システムだけだった。
赤コーナーから現れた力武は、コートを脱ぎ捨てると同時に全身から湯気を上げた。対する青コーナーに立つのは、フィリピンの刺客、ハリオ。
ハリオの肉体は岩石の塊ではない。しなやかな鞭のように細く、全身のタトゥーが、からくりエネルギーの流動に合わせて不気味に蠢いていた。
「サセボの鬼……。お前の寿命三十年、俺の村を救うための供物にさせてもらうぜ」
ハリオが囁く。その手首のウォッチには、フィリピンの地下格闘界を勝ち抜いてきた血塗られた時間が刻まれていた。
ゴングが鳴った。力武が重戦車のような突進を見せる。「死ねッ!!」
だが、その拳は空を切った。
ハリオは低い姿勢からの「跳躍」で力武の懐をすり抜けたのだ。南国のジャングルを駆け抜ける猛獣のような、予測不能な「バネ」だった。
「——ハリオの武器は、異常な足首の可動域と弾性エネルギーの瞬間解放だ」
伊勢谷が端末で動作解析をしながら呟く。「力武のパンチが届く瞬間、筋肉を一度『弛緩』させ、その反動で回避する。……からくりアーマーに頼らない、純粋な生物としての速度だよ」
ハリオの鋭いカウンターが力武の頬を切り裂く。「ガッ!!」
一撃一撃は軽いが、その数が凄まじい。力武のウォッチから数ヶ月、半年と、命の破片がパラパラと剥がれ落ちてゆく。
「……ハハッ、面白か!!」
血を吐き出しながら、力武が笑った。
「具志堅が『光』なら、貴様は『風』たい。……ばってん、風がどれだけ吹いても、俺という『山』は動かんばいッ!!」
力武はハリオの連撃をあえてその身で受け、ハリオの足元に影のように接近した。
「力武の野郎、またあんな無茶を……」
拳士は握りしめた拳に、自分の「一秒」を重ね合わせた。




