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『寿命の拳(からくり・ボクシング)』  作者: 水前寺鯉太郎
第二章

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可部の死線、比国の風

第41話:可部の死線、比国の風


 【1】

 二〇三一年一月十八日。

 広島市北部に位置する可部。その山裾にある古い鋳物工場の跡地に、特設の野外リングが設えられていた。寒風が吹き抜ける中、周囲を囲む観客たちの熱気が、立ち昇る白い息となって夜の闇に溶けてゆく。

 「……ここが、力武の言う『戦場』か」

 観客席の最前列で、拳士は隣に座る伊勢谷と共にリングを凝視していた。

 国庫庁の公式戦のような華やかな演出はない。あるのは、剥き出しの鉄骨と、勝者の寿命を吸い取るために改造された、旧式の寿命徴収システム(ウォッチ・リンク)だけだった。

 【2】

 「カチリ」と、不吉な音が響く。

 赤コーナーから現れた力武は、コートを脱ぎ捨てると同時に全身から湯気を上げた。対する青コーナーに立つのは、フィリピンの刺客、ハリオ。

 ハリオの肉体は、力武のような岩石の塊ではない。むしろ、しなやかな鞭のように細く、全身に刻まれたタトゥーが、からくりエネルギーの流動に合わせて不気味に蠢いていた。

 「サセボの鬼……。お前の寿命三十年、俺の村を救うための供物にさせてもらうぜ」

 ハリオが片どりの英語で囁く。その手首のウォッチには、フィリピンの地下格闘界を勝ち抜いてきた血塗られた時間が刻まれていた。

 【3】

 ゴングが鳴った。

 力武が開始早々、重戦車のような突進を見せる。佐世保の鉄槌が、ハリオの顔面を粉砕せんと唸りを上げる。

 「死ねッ!!」

 だが、その拳は空を切った。

 ハリオは、ボクシングのセオリーを無視したような、低い姿勢からの「跳躍」で力武の懐をすり抜けたのだ。

 「なっ……!? 今、地面を這うようにして……」

 拳士が驚愕に目を見開く。ハリオの動きは、具志堅の「計算された速さ」とも、坂本の「鉄壁の防御」とも違う。南国のジャングルを駆け抜ける猛獣のような、予測不能な「バネ」だった。

 【4】

 「——ハリオの武器は、その異常な足首の可動域と、弾性エネルギーの瞬間解放だ」

 伊勢谷が、手元の端末でハリオの動作解析をしながら呟く。

 「力武のパンチが届く瞬間、彼は筋肉を一度『弛緩』させ、その反動で爆発的な回避を行う。……小松原くん、あれはからくりアーマーに頼らない、純粋な生物としての速度だよ」

 ハリオの鋭いカウンターが、力武の頬を切り裂く。

 「ガッ!!」

 一撃一撃は力武に比べれば軽いが、その数は凄まじかった。力武のウォッチから、数ヶ月、半年と、命の破片がパラパラと剥がれ落ちてゆく。

 【5】

 「……ハハッ、面白か!!」

 血を吐き出しながら、力武が笑った。

 「具志堅が『光』なら、貴様は『風』たい。……ばってん、風がどれだけ吹いても、俺という『山』は動かんばいッ!!」

 力武はハリオの連撃をあえてその身で受け、ハリオの足元に影のように接近した。

 力武が狙うのは、ハリオの異常なまでの「バネ」を、物理的に叩き折るための最悪の一撃。

 【6】

 「力武の野郎、またあんな無茶を……」

 拳士は、握りしめた拳に自分の「一秒」を重ね合わせた。

 システムに守られない、可部の闇に沈むリング。

 三十年の命を懸けた、剥き出しの殺戮劇が、今、激しさを増していく。

 広島の山あいに、魂と鉄がぶつかり合う凄絶な音が、木霊こだまし始めた。

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