07_名前
「ダメに決まっているだろ」
シオンとメイシェリルの和気藹々とした共同生活の約束は、不機嫌な声によって水を差された。
「えー?ルスラー、別にいいじゃん」
片付けが終わったらしいルスラが嫌そうな顔でシオンとメイシェリルを見ていた。
それに対しシオンが唇を尖らせる。
「どっからどう見ても訳ありな貴族のお嬢様を拾ってきやがって……」
ルスラはそう言って溜息を一つつくと、キッとシオンを睨んだ。
「貴族の令嬢なんて明らかに蝶よ花よと育てられた人間に、いきなり平民のように生活できる訳ないだろ!
それともシオン、お前が面倒見るのか?自分の世話もままならないヤツが他人の世話なんぞできるわけないだろ!
元の場所に戻してきなさい」
「そんなぁ〜……そこはさぁ、ルスラさんが二人分面倒見てくれれば……」
怒れるルスラにシオンはすり寄る。
「その場合、ひと月分の報酬を今お前が俺に払っている額の二倍にしてもらうからな。当然だろ?手のかかる人間が二人になるんだから」
「それは……うぐ……」
シオンはルスラの現実的な言葉に勢いを無くす。
シオンが劣勢になり、風向きが悪くなってきたことを感じて、メイシェリルは思案した。
「それでは私の分の報酬は私が出します。ある程度蓄えはあるので……」
「その蓄え、どのくらいあるのか知らないけど一生分はどう考えたって賄えないだろ。金を稼ぐ伝手も無い世間知らずのお嬢様が街で働こうとしたって、碌でもないのに搾取されるのがオチだぞ。
もちろん俺はそうなっても助けないし、おそらくシオンも助けないと思うぞ。こいつの本質は薄情な人でなしだからな」
「え、なんかあたしの評価酷くない?」
メイシェリルの提案をルスラは却下する。そして抗議するシオンを無視して鼻で嗤った。
「分かったならさっさと元いた場所に帰れよ。
それで政略結婚でもしてそれなりに生きるのがあんたにはお似合いだよ」
(ルスラさんの言っていることは正論ですが…私もここできのこの研究を諦めるわけにはいかないっ……!)
メイシェリルは負けじと食い下がる。
「それでは……それでは私に家事のやり方を教えていただけないでしょうか?」
「はぁ?」
メイシェリルのさらなる提案に、ルスラは眉をひそめた。
「もちろん、教えていただくことに対する報酬は支払います。それで自分の身の回りのことがこなせるようになりましたら、こちらに置いていただけないでしょうか?」
「今まで何もやったことないヤツが数日教えただけでできるはずないだろ」
「できます。やってみせます」
ルスラに即座に却下されるがメイシェリルも諦めない。
「いや、無理だ」
「やれます」
「諦めろ」
「諦めません」
「帰れ」
「帰りません」
「いやー、二人とも強情すぎて面白いんだけどさー。そろそろ結論出さない?」
不機嫌そうに言うルスラに淡々と言い返すメイシェリル。
それをしばらく眺めていたシオンが口を挟んだ。
「もうキリがないからさ、折衷案でいこーよ。ルスラがここでやっていくイロハをメイシェリルに教える。メイシェリルがそれを出来なかったら帰る。それでいいじゃん」
二人のやりとりに飽きたのかシオンは頬杖をついて、話題に飽きたように言う。
「それでお願いします。教えていただく謝礼は事前にお渡しします。
どうかそれで私にいろいろ教えてください」
メイシェリルはルスラに深く頭を下げた。
ルスラは「余計なこと言いやがって」という目でシオンを睨み、次いで困ったようにメイシェリルを見た。
しばらく悩んでいる様子だったが、「負けた」とでも言うようにフッと息を吐いた。
「分かった。明日から三日間、お前にここでの生活の仕方や家事を教える。教え終わったら二週間自分で何とか生活してみろ。それができたら最終試練をやって、そこまでやり切れたらここに住んでいい。」
「えー?なんか回りくどくない?てか最終試練ってなに?」
ルスラの提案に対し、シオンが文句を言う。
「俺は中途半端が嫌いだ。やるなら徹底的にやる。嫌ならやらなくていいが、その代わり絶対にこの家からは出て行ってもらう」
きっぱりとルスラは言い放った。
「その条件でお願いいたします」
メイシェリルはルスラの目を見て、受けて立つ気持ちで了承する。
「じゃあ交渉成立だね!短くなるか長くなるか分からないけどよろしくね!メイシェリル!」
シオンが無邪気にメイシェリルの手を取り、ブンブンと振った。
「あの…ずっと聞きたかったのですが、ここは一体どこなのでしょうか?」
ほっと一安心し、メイシェリルはずっと気になっていたことを尋ねた。
「ここは迷いの森のほとりだ」
ルスラの言葉にメイシェリルは驚きで目を見開いた。
迷いの森、国の南東の端にある巨大な森である。
メイシェリルがいた王都からは馬単騎で7日はかかる距離だ。
そんな距離を一瞬で移動してきたのかと思うと、シオンの『緑の賢者』という称号は本当なのだと実感が湧いた。
「領地としてはケドラス侯爵家の領地になる。アンガラ国と隣接してるからたまに森にアンガラの兵士が迷い込むぞ」
こわいだろ?危ないぞ?さあ帰れ、と言わんばかりにルスラはメイシェリルにニヤリと笑いかける。
「確かにあいつらが森に迷い込むことはあるけど、あたしがいろいろ森に魔法をかけてるから大丈夫だよ!
やたら森のあちこちに霧が出たり、方角が分かんなくなったり、囁き声が聞こえてきたり、ぼんやり人影が見えたり、そんな魔法をふんだんに仕掛けてるからね!
あとこの家自体もゆるーくではあるけど、認識阻害の魔法をかけてるし守りは万全よ。
ただうっかり安全地帯の外に出たらメイシェリルも迷っちゃうから気を付けてね!」
「お前の呪いのせいで、町の奴らは『亡霊の森』って言ってるからな」
シオンが自信満々に説明する森の恐ろしい仕様に、ルスラは呆れたように突っ込みをいれる。
「でも森はあたしが手入れしてるし、人があまり足を踏み入れない分、森はとっても豊かだよ!メイシェリルの好きなきのこもたくさんあるよ!」
ルスラの突っ込みにシオンは取ってつけたようにメリットを伝えた。
「まあ、きのこ云々はここにちゃんと居られるようになってからだろ」
ルスラが冷静にメイシェリルとシオンに言った。
「じゃあさ!とりあえず名前を変えてみよーよ。
『メイシェリル』なんていかにも大層な貴族らしい名前、こんな田舎じゃ浮きまくりだよ!ここでやっていくならもっと短い呼びやすい名前にしよっ!」
「それはお前が長い名前を呼ぶのが面倒だからでは?」
ルスラがシオンの怠惰を指摘するが、シオンはどこ吹く風である。
メイシェリルはしばし考え込む。
「では…マシェル…、マシェルとお呼びください」
真っ先に思い出したのは父が呼んでくれた愛称だった。
「マシェルね!適度に短く可愛らしくていいと思うよ!」
「まぁ、いいんじゃないの?」
シオンが頷き、ルスラはどうでも良さげに相槌を打った。
こうしてマシェルはこの奇妙な森のほとりで、自活のための第一歩を踏み出したのだった。
早朝、家の水場にマシェルはいた。
水桶に水を汲み、その中に映る自分の顔を眺める。
(ルスラさんの試練を、何としてもやり遂げなければならないわ)
幸い、ルスラは口や態度こそ悪いものの、マシェルから見ても几帳面で面倒見が良い性格であることはよく分かる。
昨日もあの話し合いの後にすぐ帰ってしまったが、食卓には二人分の食事が準備されていた。
マシェルのために用意したと思われる食事は、麦とハーブが入ったとろりとした発酵乳のスープだった。
初めて食べる料理だったが、どこかほっとする優しい味わいでとても美味しかった。
それにマシェルが外に持ち出していた紙とペンも、シオンに読み散らかされてはいたが、食卓の上に一緒に置いてあった。
(私はここで絶対に研究を続けていきたい……。そのためだったら……
私は平民のような生き方をしてもいい……)
研究で成果を出さなければ自分はどこにも進めない。
そんな責め立てるもやもやとした落ち着かない気持ちがマシェルの胸の中にあった。
今までと同じ生き方は出来ない。
ふと顔の横に垂れる黒髪を一房掬い、眺めた。
よく手入れされていて、客観的に見ても艷やかで美しいと思えた。
「よし」
マシェルは再び水桶に向き直り、側に置いていたハサミを手に取ったのだった。




