08_お試し平民生活
東の空が少し白んできた早朝、ルスラは迷いの森にあるシオンの家の前に居た。
今日から三日間、貴族のお嬢様に家事を仕込むという非生産的な仕事に従事しなければならない。
(ほんとよくやろうと思うよな。どう足掻いたってお嬢様が平民みたいに暮らすことなんて出来ないのに。ま、俺は現実を分からせるだけだ)
そう思いながらルスラは家の扉を開けた。
「おはようございます、ルスラさん」
「……お前、その頭どうした?」
マシェルはもう起きており、朗らかにルスラに挨拶した。
今日は昨日着ていた令嬢らしいドレスのような服ではなく、簡素なリネンのワンピースを着ていた。
しかし服装よりもルスラの目を引いたのは髪型だった。
昨日まで艷やかに腰まで伸ばされていた美しい黒髪が、今朝は肩までのザンバラ髪となっている。
「考えた結果、ここで生活しつつきのこの研究をするなら、髪が短い方が合理的だと判断し、自分で切ってみました。長いと手入に時間がかかりますので。
それに昨日ルスラさんも仰っていたでしょう?
『手入れも一人で出来ないクセに髪を伸ばし過ぎ』と」
(言った。確かに言ったがお前に対してではない。そして躊躇いとか無いのか…)
「とりあえず、揃えてやるから座っとけ」
ハサミを探しにルスラは家の中に入る。
「いえ、そんなお手数かけるの申し訳ないです。私はこれで大丈夫です」
マシェルがルスラを止めようと声をかける。
ルスラは足を止め、マシェルを振り返る。
「俺がその不揃いの切り口、すごく気になるんだよ。切り直すぞ」
ルスラの気迫に、マシェルはただただ頷き、以降は黙って髪を整えられた。
髪を整え終えてから、ルスラが持って来ていた簡単な朝食を二人で食べた。
それから水汲みや料理の仕込み、掃除のやり方などをルスラはマシェルに教えていった。
「ルスラさん、床の掃除を終わらせました。問題無くできているか、確認をお願いいたします」
マシェルが箒を片付けてやってきた。
この御令嬢は存外教えたことに対し飲み込みが早く、ルスラは内心舌を巻く。
またマシェルが魔法で火起こしできるため、非常に作業効率が上がっている。
想定より早く作業が進んでいるので、時間的余裕ができていた。
「明日俺は少し村へ寄る。お前が持ってきた荷物とこの家にあるものをあわせて、買い物が必要なものがあるか確認したい」
ルスラがそう言うと、マシェルはここに来た時に一緒に持ち込んだ背負い袋を持ってきた。
下着類は避け、ルスラはマシェルの荷物を確認する。
「服は……リネンでできたものが殆どだな。靴もしっかりした革靴だし……何でこんな平民が身に着けるようなものを持ってるんだ?」
ルスラはマシェルがどこの貴族で親族が誰なのか根掘り葉掘り詮索するつもりは無いが、あまりの準備の良さに疑問が生じた。
「商人の伯父家族が、この服装ならどこででもやっていける可能性が高い、と言って持たせてくれました」
ルスラの疑問に、あまり感情を出さずに喋るマシェルが珍しく少し自慢げな声で答えた。
なるほど、とルスラは腑に落ちると同時に、さぞかし優秀な商人なのだろう、と思った。
「こちらは村で換金や物々交換などできるでしょうか?」
マシェルが片手に載る程度の袋を差し出した。
中には見るからに質の良い宝石がぎっしりと入っている。
「これは無理だ」
ルスラは中身を一瞥し、すぐに袋の口を閉じた。
「森の近くにある村には、この中の宝石一つを換金できるほど金持ちな家は無いし、物々交換しようにも対等に交換できるものは無い。
俺がこれを持ち歩いているのが周りにバレたら、質の悪い輩に目をつけられて襲われる可能性が高まる。同じ理由で金貨もダメだからな。
銀貨は数枚ならいいが…銅貨を持つのが一番安心だな」
「はい、分かりました」
ルスラの説明にマシェルは納得したように頷いた。
そして次に別の袋を取り出す。
「ではこちらはいかがでしょうか?」
マシェルが開いた袋の中には乾燥したきのこが入っていた。
(……!!……この少し土が混ざった枯れ木のような深く芳しい香りは……!!!)
「こちらコブタタケを乾燥させたものです。虫食いも無い非常に良い状態のコブタタケを採取し、しっかりと天日干ししていますので、味も香りも一級品ですよ」
きのこ好きのマシェルが自信を持って紹介するだけあって、村で稀に見かけるものより圧倒的に香りが強く状態も良い。
(これほどの食材、今後果たしてお目にかかるかどうか……)
ルスラは己の魂が震えるのを感じた。
「……が……う……」
「え?」
ルスラの呟きをマシェルが聞き返した。
「…………俺が買う……。……四分の一を買い取らせてください……」
こうしてマシェルはルスラの財布から軍資金を得た。
しかもマシェルはこの乾燥きのこの価値をきっちり把握しており、ほぼ適正価格のやり取りとなった。
三日間のルスラの家事指導は無事に終わり、二週間の試し期間中、マシェルは何度か戸惑うことはあったようだが、なんとかこなしているようだった。
そしてついに、試し期間の最終日でもあり、ルスラの最終試練が待ち構えている日がやってきた。
「ルスラさん、本日は何をするのでしょうか?」
朝の家事を終わらせたマシェルが、ルスラに話かけた。
「今日はこの後の家事は俺がやっとくからやらなくていい。それよりこっち来い」
ルスラはマシェルを連れて家の外に出て、ある場所へと連れていく。
ルスラが向かったのは、厠だった。
「布で鼻と口を覆うように結べ」
ルスラはマシェルに用意していた布を渡した。
マシェルは不思議そうにしていたが、言われた通り顔を布で覆い頭の後ろで布を結ぶ。
「そこに引き出しの取っ手があるだろ?それを引き出して、中身をあそこの肥溜めに持っていくのが今日の仕事だ」
これがルスラがマシェルに課した最終試練だった。
「肥溜めのところに藁とかき混ぜるための棒を用意している。藁を入れてしっかりかき混ぜたら完了だ」
ルスラの試練の内容が予想外だったのか、マシェルは茫然としているようだった。
そんなマシェルをルスラは一歩下がって眺める。
「……やります……」
ぼつりとマシェルは呟いた。
そしてのろのろと取っ手を掴み、少し引いた。
「……ウッ!」
マシェルは口元を抑え茂みの中に飛び込んだ。
「おやおやぁ~、なんとも意地の悪い最終試験だねぇ~。マシェル可哀想~。あんな糞尿の臭いなんて無縁の人生だったのにねぇ~。とんだ冷血漢がいたもんだねぇ~」
ルスラの耳元でシオンの声が聞こえた。
いつの間にかルスラの横にシオンが立っており、マシェルを憐れむようなことを言っているが、その顔は面白そうに感じていることを全く隠していなかった。
「あたし厠とか全然使ってなかったから管理こんな大変なのすっかり忘れてたよ~」
シオンは青白い顔で茂みから出てきて作業を再開するマシェルを興味深く見つめている。
以前ルスラがあまりにもシオンが厠に行かないため、不健康であると注意したことがあるが、大昔に用を足す時間が煩わしくなり体内で分解する魔法を自分にかけた、とこの奇人は言っていた。
そのためシオンの家の厠は時々やってくるシオンの知人やルスラ自身がたまに使用する程度である。
「俺はあのお嬢様に二週間の夢を見せてやっただけ優しいだろ。
まあ最後にこれをやらせたのは、もうここに戻らないよう、『平民生活が出来る』って自信をしっかり叩き折るためだけどな」
ルスラはシオンに肩をすくめて見せた。
マシェルはルスラとシオンが話している間も取っ手を引っ張っては茂みにかけ込んでいる。
「ま、そんな訳だからあいつを帰す魔法の準備でもしとくんだな」
シオンに一言告げるとルスラはマシェルの元へ向かい、茂みに蹲るマシェルに諭すように声をかける。
「もうそのくらいにしとけ。お前は十分頑張った。ただ俺たちとお前とでは圧倒的に育ちが違うんだ」
マシェルは立ち上がろうとして躊躇うように動きを止めた。
(これで諦めるだろ。風呂は入れて帰さないとな)
ルスラが風呂の準備をしようとマシェルに背を向けた時、後ろから大きく息を吸う音が聞こえた。
マシェルはそのまま息を止めると足早に厠の裏へと向かう。
慎重に取っ手を引っ張り中身の木箱を出していく。
途中で息が続かなかったのか、マシェルは大きく咳き込み目からポロポロ涙も出ていたが、少し落ち着くとまた木箱を引っ張っていく。
「ほんとに準備が必要なのはあたしの魔法かな〜?」
呆気にとられたようにマシェルを見つめていたルスラに、シオンが尋ねた。
「……俺は家事をやる」
マシェルが木箱を用意してあった荷車に載せるのを見届けて、ルスラは家の中に戻ることにした。
家事をやりつつ、たまに窓からちらりとマシェルの様子を眺めると、服を汚したり草むらにかけ込みながらも、手を止めることなく作業に取り組んでいる。
(……風呂と美味い飯も用意するか)
ルスラはマシェルがなんとか肥溜めまで荷車を引いたのを確認すると、湯を沸かしに向かった。
「ルスラさん、やり切りました。」
日が傾き始める頃、再び様子を見に肥溜めの近くに来たルスラにマシェルが声をかけた。
いつもは凛とした響きをしているその声は、嘔吐のせいか疲れのせいか、小さく少ししゃがれていた。
ルスラが肥溜めを覗き込むと、藁をたっぷりと入れよくかき混ぜられている。
「あの、ルスラさん。私の仕事は評価出来るものだったでしょうか?」
そう尋ねる表情はいつも通り淡々としていたが、ルスラを見るその瞳には珍しく隠し切れない不安があった。
「よくできている」
手放しに誉めたルスラの顔を、マシェルはまじまじと見つめている。
その視線を受け止めきれず、ルスラは顔を少し逸らした。
「こんな最終試練を出したこと、俺は謝るつもりは微塵も無い。
これは絶対にやるべきことだったと思うからだ。
ただ、やり切ったマシェルを尊敬する。よく頑張った」
「はい!」
ぶっきらぼうを自覚しつつ言葉を紡ぐルスラに、マシェルは泣き笑いのような顔で返事をした。
その顔が貴族らしい微笑みではなく、初めて見た年相応の表情に思わず見惚れてしまう。
「んふふふ〜、ルスラ君、遅れてきた青春って感じぃ〜??」
「うるさい。燃やすぞ」
再びどこからともなくシオンがルスラに忍び寄り肩を叩いてきたので、ルスラは毒づきながらシオンの手を振り払った。
「……あの、遅れてきた青春とは?」
マシェルが首を傾げた。
シオンがルスラを指差す。
「この子こんな小っこいけど、実は17歳だよー。いろいろあって成長止まっちゃったの」
「俺はもうこの身長で生きていく覚悟を決めてる。そんなこと言うお前だって余裕で三百歳超えた若作りババァだろ」
ルスラも負けじとシオンの年齢を暴露したが、シオンはヘラヘラ笑うだけだった。
「マシェル〜おつかれ〜!大変だったね〜。よく頑張ったね〜!ルスラは非道い男だよー」
マシェルにシオンが抱き付こうとしたが、手を広げたままピタリと止まる。
いつも何も考えずに突っ込んでいくシオンが躊躇うほどに、マシェルはひどく汚れていた。
「ともかく風呂だ。それから料理も用意してある。家に戻るぞ」
ルスラがマシェルを促すと、頷いて家へと向かう。
食卓には、新たな住人を歓迎するための料理が湯気を立てて待っていた。
【作中きのこ】
コブタタケ=ヤマドリタケ(ポルチーニ)
※ポルチーニは子豚の意。
ヤマドリはキジ科ヤマドリ属に分類される日本固有種の鳥




