01_父の追憶
二日かかると思っていた商談が一日で終わり、珍しく男は暇ができた。
その暇も他の何かしらの後回しにしている仕事を入れてしまえば、あっという間に溢れてしまうような時間ではあった。
しかし今回は奇跡的に娘をともに連れてくることができた。
折角の愛娘との時間を仕事で塗り潰すのは盆暗の極みだ、と男は内心で頭を振る。
何かしら娘と一緒に特別な経験をしたいと思っていた男に、商談相手だった職人の老婆がポンと手を叩いた。
「ちょうど今、裏の森できのこがたくさん出てんだげど、行ってみんのは?」
「ちょっと婆ちゃん!お貴族様は森できのこなんて採って食ったりなんかしねぇんだよ!
申し訳ありません、うちの婆ちゃんその辺分かってないものでして……」
老婆の孫である若い男が、焦って間髪入れずに頭を下げる。
「いやぁ、いいんですよ。私も子どもの頃に両親に連れられて行きましたよ。懐かしいなぁ!」
老婆と孫に朗らかに笑みを返しながら男は思案する。
(きのこ狩りか……)
高位貴族のすることでは無いと怒られるかもしれない。
しかし男の幼い頃の経験を娘と共有するのはとても魅力的に感じた。
世間話のついでとばかりに火起こししても問題無さそうな川べりが無いかと老婆に尋ねると、老婆は嬉々として教えてくれた。
興に乗った老婆がおまけとばかりに森で今の時期に生えるきのこのポイントや危ない場所も説明してくれるため、男はそれを嬉々として紙に書き出す。
その間、孫はまるで珍獣を見るような目で男を見ていたが、男は久々の娘との時間に心が躍っており全く気にすることは無かった。
翌日、男と娘は職人の老婆に教えてもらった森の入り口に立っていた。
娘はいつもの絹のドレスではなく、平民が着るような木綿の少しゴワついた服を着ている。
そしていつもはリボンとともに編み込まれている美しい黒髪は、今日はシンプルに纏められていた。
(何を着てもほんとうちの娘は可愛らしいなあ……。そしてまだ8歳なのにこれほどに溢れ出す気品……。まるで物語に出てくる森の精霊のようじゃないか……。
将来はさぞ美しく愛らしく賢く育ち……そしてどこぞに嫁いで行ってしまうのか……)
男はそんな娘を眺め、しみじみと感慨に浸る。
男と同じ金色の瞳には淑女の落ち着きがもうすでに備わっており、初めて入る森に何の動揺も無いように見えた。
しかし、ふと娘の手が少し強く男の手を握っているのに気がつく。
男はその手をそっと握り返し、しゃがんで娘と目を合わせた。
「ちょっと森を散策して、食べられるきのこを探してみよう」
「はい、お父様」
コクリと娘は頷いた。
二人でゆっくりとした足取りで森を歩いた。
今朝は霧が出ていたせいか木々や土、枯れ葉の香りが大気に充満している。
「お、あったぞ」
森の地面に黄色いきのこがいくつか生えていた。
「これが……。これは食べられるのですか?」
娘はしゃがんでしげしげと見つめる。
「ああ、これはアンズタケと言って、ソテーにするととても美味しいきのこだ。香りも名前の通り杏のにおいがするぞ。折角だから採ってみなさい」
娘はおずおずと手を伸ばし、そっとアンズタケを収穫した。
「簡単に採れるのですね……。わぁ……本当に杏みたいな香りです」
採ったきのこの匂いを確認した娘は、思わずといった感じで小さく微笑んだ。
そしてきのこの弾力を確かめるようにいじったり、傘の裏のヒダを爪先でなぞったりしながら呟く。
「……それになんだか不思議な手触りです」
普段は老成した大人のように落ち着いている娘の瞳に年相応の好奇心が灯ったように感じて、男は嬉しくなった。
「よし、そのきのこはカゴに入れてもっと探してみよう」
男の掛け声で森の探索は再開した。
「お父様、こちらのきのこは食べられますか?……え、食べられない……さっきのアンズタケと似たような色をしているのに……」
「お父様、こちらのきのこ、押したら粉が出ました。あれは何ですか?」
「お父様、あちらにたくさんきのこが生えていましたが、こちらのきのこは1本だけしか生えていません。どういう違いがあるのでしょうか?」
「こちらの鱗のようなものもきのこなのですか?この木のコブのようなものも?!」
「お父様、木に直接生えるきのこと地面に生えるきのこがあるのはどうしてですか?」
「お父様、このきのこは白い汁がでました。毒があるのではないでしょうか……。え、食べられるのですか!?」
「お父様、そもそもきのことは何なのでしょう……」
森に生える多種多様なきのこに娘はすっかり魅了され、探索中に何か見つけては男を質問攻めにした。
質問の中には男の知らないことも多々あり、回答を後日に先伸ばすものもあったが、男にとっては嬉しい悲鳴である。
1時間も森をそぞろ歩きした結果、カゴには大量のキノコが収まっていた。
「さあ、今度は収穫したものを料理して昼の食事にしよう」
「お父様が料理を?」
そんなこと出来るのか?とでも言うような目で見てくる娘の手を引き、昨日婆さんが教えてくれた川べりへ向かった。
「まずここに石でかまどを作る」
「石だけでかまどが作れるのですか?」
不思議そうにする娘の前で男は慣れた手つきで石を組んでいく。
昔やったことを体が覚えていたせいか、久々にしては満足のいくかまどを作ることができた。
「このかまどに最初によく燃える乾いた杉の葉を敷き詰める。それから細い枝、だんだん太い枝にして……よし、準備はできた」
あとは着火を待つだけとなった状態で男は娘に声をかけた。
「ここに魔法で火を付けて欲しいんだ。できるかな?」
「はい!……あ、でも……貴族が平民のように魔法を使うのははしたないと……」
意気込んで娘は返事をしたが、すぐに濁すように声は小さくなっていく。
(そういえばそのように教育されていたか……)
貴族の教育に関する思想は家によって異なることを思い出し、男はお願いの仕方を変えることにした。
「それでは私に魔法の勉強で身に付けたことを今回特別に見せて欲しいんだ。特に威力制御の部分を見たいから、手のひらくらいの火を着けてくれないか?」
「分かりました。やってみます」
あくまで勉強の一環という建前を与えると、娘は気を取り直し自分の杖を取り出し構えた。
「【大きく燃えよ】」
娘は呪文とともに空気を強く擦るように杖を振った。
「完璧だ!よく練習しているね」
かまどに灯った火を見て男は破顔した。
娘は男に手放しで褒められ、反応に迷うようにモジモジとする。
「あとはこれを燃やしておこう」
「それは何でしょうか?」
「これはリスヤスメというきのこだよ。これを火にくべると虫が寄りにくくなるんだ」
男は娘が熾した火に先ほど森で見つけた木片のようなきのこくべた。
娘はそれを興味深そうに眺め、たまに風で煙が顔にかかり咳込んでいる。
男は採ったきのこと、持ってきた調理道具や具材で手早く料理を作っていった。
アンズタケや他のシャキシャキした食感のきのこはバターソテーに、ミルクタケのような良い出汁が出るきのこはスープに。
調理の途中、バターで焼かれるきのこの香りに耐えられないかのように娘の腹が鳴った。
とても恥ずかしそうに俯いてしまったが、その直後に男の腹も盛大に鳴り、二人で顔を見合わせ笑った。
最後に軽くパンを炙り木の皿に盛る。
「さあ、食べてみよう」
いざ食べるとなると娘はいつもと違う木の食器に戸惑っていたが、そっとスープに口をつけた。
男はその様子を見ながら自分もスープを飲んだ。出汁がよく出ていてスープは美味しい。
そう、スープは。
おそらくミルクタケが良くない。
端的に言うと出涸らしの味。
食感もなんだかはっきりせず、ボソボソしている。
幼い頃このきのこをどうしてたのか、おそらく自分の親が正しく何とか対応してくれていたのだろう、と男は子どもの頃を振り返る。
「……あー……スープに入ってるきのこは無理して食べる必要無いからな?」
男は優しく気遣うように娘に声かけた。
しかし見ると娘の腕は既に空で、小さな口はきのこをしっかり味わうように咀嚼していた。
「なかなか今まで食べたことのない食感で、とても美味でした」
飲み込んで嘘のない口調で言われ、
「そうか!なら良かった!もう一杯どうだ?」
間髪入れず男はそれならそれで良しとすることにした。
「――――!――ッ!!」
微睡みのように娘との過去を思い出していた。
あの楽しい初めてきのこ狩りに行ってから、娘が淑女教育や魔法教育に励みつつ、こっそりきのこを調べていることに気が付いた。
「ッ!――!!」
なんとかその知的好奇心を守りたくて、陰ながら応援し、国が運営してる学院に入学することを勧めた。
入学までにいろいろ問題はあったが、自分の舌先三寸と娘の首席入学によりなんとかなった。
「――!――いッ!!―!」
気付くと娘は十五歳、とても美しく育った。
そして何よりも嬉しいのは賢く優しく育ってくれたことだ。
(私の自慢の娘だ。)
「―――!おいっ!!」
(さっきから誰かが叫ぶような声が聞こえる。)
心地良く浸っていた思い出から、冷や水をかけられたかのように意識が急浮上する。
「――大丈夫か?!意識をしっかり持て!!」
誰かの叫びが明確に聞こえた瞬間に、現実が強烈な痛みと共に襲いかかった。
「エマニティス卿が目を覚ましたぞ!」
「ブランク様っ!!ブランク様しっかり!!」
聞きなれた声や聞きなれない声に応えたいと思ったが、身体は鉛が入ったように重く、指先1つすら言う事を聞かない。
(……そうか、商談の帰りに馬車が鉄砲水に襲われて……)
一緒に乗っていた自分の兄がどうなったのか…巻き込まれる寸前に何とか兄に対し魔法を使ったが、その結果までは確認できないまま土石流に呑まれた。
むしろ今こうして助け出されたのが奇跡なのかもしれない。
とりあえず誰かに何か話さなければと思うが、言葉がうまく吐き出せない。
「―い!しっかり―――!!―――――!!!」
誰かの叫ぶ声も、再びよく聞こえなくなっていく。
全身の激痛は鈍くなったのにどこか寒く、目の前の全てが昏く、昏くなっていく。
(あー……、これはダメだな……)
男は薄れ行く意識の中で自分の行く末を理解した。
理解したと同時に途轍もない程の悔いが胸を占める。
(もっとあの子にいろいろ教えたかった……守りたかった……もっと……もっと一緒に居たかった…)
「……ッ……マシェル……」
男、ブランク・エマニティスは最後の力を振り絞り口を開いたが、微かに出たのは娘の愛称だけだった。
その言葉もあまりにも小さく誰にも届かないまま、最期の一息として消えてしまった。
【作中きのこ】
ミルクキノコ=チチタケ
リスヤスメ=猿の腰掛の近縁種




