25.それは「綱ノ庄村」(4)
「田所先生。彼、なんか武術習ってはるんです? 立ち上がるとき、軸ぶれんとすっと立たはったやろ?」
宝雲流宗家の娘である百合子は、それなりに父親から剣術を習っていたので、目が肥えている。普通の人なら見逃しただろうが、擬態にごまかされず玄弥のちょっとした動作を見落とさなかった。
「ああ。……彼は私の護衛なんですよ。実はとある研究で、杉田先生と懇意の方々から嫌がらせを受けてまして。その研究テーマに関わる地域の子なんです」
「護衛? それに嫌がらせって……先生、大丈夫なんです?」
普通の文系の大学教授に護衛という響きは似合わず、百合子は物騒な話に驚いた。
「もちろんです。彼の出身地については外であれこれ言えない立場なので、こちらでお話はできないんですが、彼の才能はマルチでね。研究分野で高校生の頃から彼のセンスを買ってますけど、特殊な環境の地域だから子どもは、適応できる子なら鍛えられて育つそうです。地域の上の方からも伝えられましたが、彼は学生として大学にいる間、私の護衛についてくれるらしいですよ」
玄弥は田所教授がそれほど深刻に状況を捉えていないと思っていたが、田所教授は彼なりに「嫌がらせ」が身の危険を伴うことがあると理解していた。きっと玄弥から見ればまだ、深刻さが足りないのだろうが、護衛される側はそれで不安を増す必要はないことなのだ。信頼して命を預ける安心感がそうさせる。守長や長老会の大人たちはそれが分かっているが、玄弥はまだまだそこまで理解していなかった。
「まあ……そういうことなんですね。ほな、きっと稽古から紅子が先に帰ってきますわ。あの人、絶対おもろがるし」
そう言っている百合子も面白そうである。異種格闘技戦は、どうやら関係者にとって興味津々らしい。
「百合子さん、楽しそうですね~。まあ本人たちもそうならいいですけど」
教授は他人事である。血沸き肉躍る系は、この年になると関わる気もない人なのだ。
「さて、晩ご飯の準備進めますね。退屈させてもて申し訳ないんですけど~」
百合子が立ち上がって台所へ行くと告げる。もちろん百合子もすっと立ち上がれる。さすが宗家の娘であった。
「いえいえお構いなく。こういう時は持っている本がありますから」
テレビに行かないところが教授らしい。テレビニュースは気にするが、娯楽を求めることはめったにない人だ。その様子に安心した百合子は一礼して、居間のエアコンの温度を確かめると部屋を出た。
さて今日は、夕ご飯に一品、若い人にも合いそうなメニューを増やそうか、などとウキウキしながら百合子は台所へ向かう。どうやら玄弥の天然人ホイホイが発動したらしい。そのうち文子が帰ってくるし、さっき小学生の稽古に出てから遊びに行った、紅子の弟の真治も帰ってくるだろう。紅子が、「男の子」を連れて来てて、それが「武芸のたしなみがあって田所先生の助手をしている」人だとか、情報が渋滞している。彼らになんと説明しようか、百合子は面白くてたまらなかった。
***
剣道場からの気配は、凛とした緊張感が漂ってくる。今は大人の抜刀居合術の稽古をする時間だ。彼らの流派は基本、気合を込めるような声を出すことはない。僧兵であった開祖渡辺 雲秀が、寺を守る「守りの剣」を重視したことで、静かに必要な動作をこなす、雲のように捉えどころのない、隠密に長けた剣術だ。そのため道場からは掛け声が聴こえるわけでもないが、緊張感だけは感じ取れた。
「紅子、戻りました。入ります」
道場の引き戸の外で声をかけ、紅子は戸を引き開けた。練習の仕上げで総評を聞いていた大人や高校生ぐらいの子どもたちが、こちらを見る。
「お嬢さん、帰ってきたんやなぁ……」
「紅子ねえさんや!」
「相変わらず凛々しいわ~」
まだ「中伝の書」を習っている若手がつい、声を出してしまう。それを「奧伝の書」に入っている大人が、じろっと目力で抑える。はっとした若手がしゅんとして黙った。
「……ほな、今日はここまで」
「ありがとうございました!」
彼らの練習はここまでのようだ。自然に高校生たちが紅子に近寄って話しかける。
「おかえり、紅子姉さん。大学どうなん?」
「なぁ、東京って京都より都会なん?」
「僕も東京に進学してみたいんやけど、勇気も金もないしなぁ」
紅子が答えるよりも前に、師範である父 修治から声がかかる。
「紅子。まずは中伝の形からだ」
「はいっ。みんな、急ぐしまたな」
紅子は高校生たちに言い置いて、道場の中へ入っていく。師範代たちに追い出されるように、高校生たちは帰される。彼らは、玄弥がそばにいるが気づいていない。自然に溶け込んで、当たり前に中へ入る。それを修治は見逃さなかった。
「君は……誰だ」
「お父さん。彼は田所教授の助手で来てる、同期の門馬くん。母さんが見学させたって言うて、連れてきたんよ」
紅子が慌てて説明をする。
「私は彼に訊いている」
さすがは師範、目ざといと玄弥は思う。短く刈り込んだ頭髪、がっしりした顎と体躯の精悍な父親は、武芸者というイメージそのものだ。二重の印象深い紅子の目元は彼譲りだろう。
「ご紹介にあずかりました、清風大学人文社会学部1年の門馬 玄弥です。田所教授の助手を高校生の頃からやった経験があって、今回も助手で参りました」
「その助手が、なぜ道場まで来た」
「素直に好奇心です。この地域で守られている剣術があるというので、民俗学的な興味がありました」
玄弥は表向きの真面目な回答を返した。修治はじっと玄弥を見ていた。
「……まあいい。紅子、中伝の形をやってみなさい」
「はい!」
紅子は道場の中心の方へと進み、正座する。左手側の床に木刀。よく使いこまれているらしく、柄はなめらかで艶を帯びていた。
静かに動かない紅子。そして急、片膝立ちになり木刀を一閃。さっと元の位置に戻った。
「形はできている。ただ、相手が見えていない。今度は立位で」
「はい」
一つ一つの動きで、修治の指導が入る。師範の娘ということだからか、厳しい言葉が多いようだ。
「呼吸が浅いぞ」
「はいっ」
「気配が漏れている。それでは死ぬ」
「……はぃ」
「今のは詰まったな。もう一度」
「はい!」
なるほど。実戦に使われた剣術らしい、臨場感のある教え方だ。夢先の杜の体術稽古に通ずるものがあるなと、玄弥は思う。真面目に、ただし侮ってもらえるようにと、若干擬態の精度を上げて縮こまり気味で稽古を見ていた。




