25.それは「綱ノ庄村」(3)
車を敷地の隅に停める。ドアを開けるとむわっとした湿気のある暑さ。ただ、市街地より緑が多いからか、少しは涼しいようだ。
玄弥は、後ろのトランクスペースから、教授のキャリーケースと自分の荷物を取り出して運ぶ。本当は紅子の荷物も運んでやりたいところだが、彼女は自分の作業をさっさとこなす。
夏が来たと鳴く蝉しぐれがうるさい。
「ただいま~。連れてきたで。」
玄関の引き戸をガラガラっと開け、紅子は奥へ声をかける。その声に、台所の方からパタパタと出てきたのは、紅子の母、百合子だ。綿混のさらっとした生地のゴムでフィットするワンピースにエプロンという、よくある夏場の主婦のスタイルで足早にやってきた百合子は、クリっとした目元以外が紅子とよく似ていた。
「おかえり紅子。田所先生、お久しぶりです。……ええと」
百合子が玄弥の方を見る。
「人文社会学部の同期の、門馬くん。今回は教授の助手で来てくれたの」
「初めまして、門馬 玄弥です」
紹介された玄弥は百合子に挨拶をする。擬態姿はもちろんそのままだ。
「あら、紅子が珍しゅうて男の子連れて来た思たのに~」
百合子お母さんはなかなかお茶目だった。自分の母弥生にもこういう子どもをからかうところがあるので、玄弥はいいお母さんなのだなと思ったが、紅子は困った顔をしている。
「そういう冗談やめてよ。門馬くん困るやんか」
「はいはい……先生も門馬くんもお疲れやろ、お上がりください。夕飯までちょっと時間かかるし、お茶出しますわ」
そうして彼らは客間というか、テレビも置かれた居間に通された。昔は畳敷きの部屋だったようで、廊下側もすりガラスのはまった引き戸の部屋。中は暮らし向きが洋風になってきたからか、フローリングにソファーセットという脚に優しい内装になっていた。
「ああそうや、紅子。父さん、道場におるで。夕方の稽古出ろ言うてたし、着替えて行き」
「げっ。今日もやるん?」
百合子の言葉に紅子が嫌そうに言う。今まで山道を揺られてきたので、それなりに疲労があるのだ。周囲には休みたいのが手に取るようにわかる。
「あんた、まだ中伝までの技術しかできてへんやろ。大学行っとっても、休み帰ってきたら稽古するって約束やったやん。ちゃんとやり」
「……はあい」
道場主のおかみさんだけに、百合子は厳しいようだ。紅子はあきらめて頷く。そして玄弥は、宝雲流という剣術に興味があったので、百合子に尋ねる。
「あの。……見学させてもらえますか? この地域に古来から伝わる剣術とうかがったので、ぜひ拝見したいのですが」
好奇心のある学生の言葉として、普通に聞こえるだろう。玄弥は修練で刃物と対峙する場合の方法も学んでいたが、日本刀の技量を極めた相手と戦ったことはない。実のところ密偵としてその強さに興味がある。その欲を民俗学を学ぶ学生という隠れ蓑で隠して、見てみたいと考えていた。
「あらあら、まあ……ええんちゃう? 紅子、着替え終わったら門馬くん連れて行ったり。私がええって言うたって言えば、あの人断らへんし」
母の言葉にちょっと嫌そうに頷き、紅子は自室へ着替えに行った。
「さすがは百合子さん強いね~。修治さんは入り婿だから、頭が上がらないのかな」
「そうそう。いわゆる「マスオさん」みたいなもんやで~。せやけど私が鬼とかちゃうよ。母の文子のほうがよっぽど怖いし、遠慮してるだけや」
百合子はそう言って自分の怖そうなイメージを払拭したがる。玄弥は、たぶん怖いのではなく、このおっとりしているようでしっかり者らしい百合子を尊重しているんではないかな、などとまだ見ぬ道場主について想像していた。
「そういえば、その文子さんはご不在ですか? まだまだご健勝とうかがってますけど」
教授が百合子に尋ねた。
「ええ、今日は檀家さんの会合行ってはるんですわ。会合いうても、ただの年寄りのお茶会みたいなもんですけど」
「とはいえ、例の宝刀の話も出てるんじゃないですか? 古い檀家さんたちなら気にされているでしょうから」
教授が、今回の訪問目的の宝刀「雲切丸」について、周囲の感触を訊いている。伝承に口出しして周囲に不快な思いをする人がいないか、それなりに確認は要る。研究と称して他人の生活にずかずかと入り込むタイプもいるが、田所教授はその辺りを慎重にする学者だ。ちなみに彼の先生だった杉田元教授は気にしないタイプだったので、かき回された周囲をなだめて歩いたことが、田所に反面教師となって今がある。
「そらそうですね。でも田所先生来てくれはったら、あの人らも安心して様子見守る思いますわ」
その、杉田の助手として来た時の対応で、檀家たちの田所への株は上がっている。その村人の信頼感を百合子は伝えた。
「へぇ。教授って信頼されてるんだ」
「門馬くーん。相変わらず手厳しいねぇ。いっつもちゃらんぽらんなわけじゃないんだよ~」
「そんなこと言ってません」
「あ、でもちょっと考えたんだねぇ」
「誤解ですって。あ、でもそういうこと言うのは、教授にそういう自覚がおありってことですよね」
「あーまたそういう意地の悪いことを言うし~」
玄弥は素直に感心しただけなのだが、なぜか田所教授は面白がって絡んでくる。
「まあ……田所先生、門馬くん気に入ってはるんやね~」
百合子はふふふと笑いながら、2人の様子を見てそう評した。気に入られてる、とは心外だと玄弥は思う。
「そりゃもちろん。彼は今私が研究してる地域の高校出身でね、彼は助手として優秀なんだよ~」
などと教授は玄弥を持ち上げてくる。こういうことがあると、最近擬態して人前で評価されるのを避けていた玄弥は、慣れなくて困惑する。いえ、そんなことは、などとごにょごにょごまかし、頭を下げる。
その後は教授と百合子の雑談を聞きつつ、出されたお茶をいただいたり、お手洗いを拝借したりと、しばらく大人しく置物化した玄弥だった。そこに紅子が道着に着替えて戻ってきた。
「ほな、道場行ってきます。……門馬くん、ついてきて」
玄弥は頷き、教授と百合子の方へ一礼すると立ち上がり、紅子について行った。2人が去ってしばらくして百合子が言う。




