Ep.8 やってないから、わかんないよ?
崩れた建物の向こうに、廃病院が見えてきた。
灰色の空を背景に、黒ずんだ外壁がゆっくりと姿を現す。
「あ!」
前に座っていたアイが声を上げた。
「あった!」
「何が」
「おうち!」
アイが病院を指差す。
「見えてるから指差すな。危ないぞ」
「おうち!」
「聞こえてる」
「かえってきた!」
「まだ着いてない」
そう言いながら、俺は少しだけアクセルを緩めた。
『主様』
「なんだ」
『前方、路面陥没です』
「見えてる」
ハンドルを切る。
大きく割れた道路を避けると、アイの身体が傾いた。
「わっ」
「ちゃんと掴まってろ」
「うん!」
アイが俺の左腕へしがみつき、そのまま俺の右腕を見る。
さっきから何度目か分からない。
少し走っては見る。
前を向く。
また見る。
「……そんな見ても治らないぞ」
アイが顔を上げた。
「なおる?」
「治るって言っただろ」
「うん」
そう答えて。
また俺の腕を見る。
『治癒には一定の時間を要します』
ピコが言った。
アイが上を見る。
「どのくらい?」
『損傷の程度、衛生状態、栄養状態、個体差などにより変動します』
「…………」
アイが黙った。
「お前さ」
『はい』
「もうちょっと子ども向けに説明できないの?」
『数日間の経過観察が必要です』
「最初からそれでいいんだよ」
「すうじつ?」
「何回か夜になって、朝になったくらいだ」
「そっか」
アイは納得したように前を向いた。
血はもうほとんど止まっている。
服の袖は赤黒く染まっているが、傷そのものは大したことがない。
やがて病院の裏手へ回り込み、いつもの場所までバイクを走らせブレーキをかけた。
「着いたぞ」
『到着を確認しました』
「俺も確認してるよ」
アイがバイクから病院を見上げる。
前に初めてここへ来たときは、バイクから降りるより先に「もういっかい」と騒いでいた。
今日は違った。
俺が降りるより先に、アイが身体をずらす。
「おい、待て」
「んっ」
足を伸ばす。
当然、届かない。
「だから待てって」
左腕を脇へ入れ、そのまま持ち上げる。
「わっ」
地面へ下ろす。
『主様』
「なんだ」
『右腕を使用しないでください』
「左で持っただろ」
『確認しています』
「なら言うなよ」
アイは着地すると、すぐに廃病院へ向かおうとした。
だが。
三歩ほど進んで止まった。
振り返る。
俺を見る。
「どうした?」
アイが戻ってきた。
そして俺の上着の袖を掴む。
左側。
怪我をしていない方だ。
「……なんだよ」
「いっしょ」
「荷物降ろすんだよ」
「アイもやる」
「重いぞ」
「できる」
「できない」
「やってないから、わかんないよ?」
「……」
妙なところで正しい。
『主様』
「なんだ」
『少女の主張には論理的妥当性があります』
「お前どっちの味方なんだよ」
『味方という概念で判断していません』
「知ってるよ」
アイが少し得意そうな顔をする。
「ほら」
「何がほらだ」
俺は荷台を見る。
燃料容器は駄目だ。
記録装置も落とされたら困る。
残っているのは。
「じゃあ、これ」
空になった簡易ポンプの袋を渡す。
軽い。
アイが両手で受け取る。
「これ、もつ?」
「ああ」
「アイが?」
「そう」
アイは袋を見る。
それから俺を見る。
少しだけ嬉しそうにした。
「わかった」
肩に掛けようとする。
だが、袋が大きい。
腕を変なところへ通している。
『装着方法が誤っています』
「わかってる」
『アイへ伝えています』
「あ、そう」
「ピコ、どうするの?」
『右腕を抜き、頭部を紐の内側へ通してください』
アイが言われた通りにする。
だが、今度は頭と片腕が完全に袋へ入った。
「……」
『……』
袋から水色の髪だけが覗いている。
「ピコ」
『はい』
「説明下手だなお前」
『手順自体に誤りはありません』
「アイが袋になったぞ」
「おじさん」
袋の中から声がする。
「なんだ」
「みえない」
「だろうな」
左手で袋を外す。
「もういい。俺がやる」
紐を持って、アイの肩へ掛ける。
「こう」
「できた」
『装着を確認しました』
「お前はもう確認係やってろ」
『承知しました』
アイは自分の肩を見る。
その上には、地下施設から持ってきた小さな布袋も掛かっている。
中には歯ブラシが一本。
それとは反対側に、大きな袋。
妙な格好になった。
「いく!」
「走るなよ」
「うん!」
走った。
「おい」
『走行を確認しました』
「確認してないで止めろよ」
『私に強制力はありません』
アイが止まる。
振り返る。
「走るなって言っただろ」
「……うん」
今度は歩く。
俺はため息をつきながら、記録装置と通信モジュールはリュックへ入れ、燃料容器を左手で持った。
ピコはまだ俺の頭の上だ。
「お前は降りないのか」
『飛行機能の安定性が通常値まで回復していません』
「そうか」
『現在地が最も安全です』
「俺は重いんだけど」
『私の重量に変化はありません』
「そういう意味じゃない」
前を歩いていたアイが振り返った。
「ピコ、まだそこいる」
『はい』
「やっぱりそこ、すき?」
『安全性を優先しています』
「すきじゃない?」
『好悪による選択ではありません』
「ふーん」
アイはしばらくピコを見ていた。
「ピコ」
『はい』
「もう、おちない?」
一瞬。
ピコの返答が遅れた。
『現時点では、その可能性は低いと判断します』
「そっか」
アイが笑った。
「よかった」
『……はい』
俺は何も言わなかった。
「ただいま!」
アイの声が廊下へ響いた。
誰もいない病棟へ、その声が響いていく。
返事をする人間はいない。
当たり前だ。
ここには俺たちしかいない。
俺と。
アイと。
ピコ。
……三人。
「おじさん」
「なんだ」
アイが俺を見ている。
「ただいま」
「……俺も一緒に帰ってきただろ」
「うん」
「じゃあ俺に言うのは違うんじゃないか」
「そうなの?」
「たぶん」
アイがピコを見る。
「ピコ、ただいま」
『私も同行していました』
「……」
アイが俺を見る。
「ほらな」
「じゃあ、だれにいうの?」
俺は答えようとして。
少し考えた。
「……家に、じゃないか」
「おうちに?」
「ああ」
アイは廊下を見回した。
薄暗くて、汚い。壊れている。
そんな場所を見て。
「ただいま、おうち」
満足そうに言った。
『通常、家屋そのものから返答はありません』
「分かってるよ」
「ピコもいって」
『何をですか?』
「ただいま」
『私は帰宅という概念を必要としません』
「いって」
『必要性がありません』
「いって!」
『……ただいま』
アイが嬉しそうに笑った。
俺も少しだけ笑った。
「言うんじゃん」
『要求への対応です』
「はいはい」
階段を上がる。
ピコは俺の頭から離れ、今度は手すりの少し上をゆっくり飛んでいる。
プロペラ音はまだ少し不安定だ。
2階へ上がる。
部屋へ入ったところで、俺は燃料容器を床へ置いた。
「ふぅ……」
右腕がずきりと痛む。
顔に出たらしい。
アイがすぐこちらを見た。
ピコもこちらへセンサーを向ける。
「いたい?」
「ちょっとな」
『疼痛反応を確認しました』
「二人して見るな」
「なおす?」
「今からな」
『救急用品の使用を推奨します』
「分かってる」
アイが持っていた袋を床へ置く。
そのまま俺についてくる。
ピコもついてくる。
「……なんでお前ら二人とも来るんだよ」
「みる」
『処置補助を行います』
「はいはい」
棚の下から救急箱を引っ張り出す。
病院に残っていたものと、これまでの探索で集めたものを一つにまとめた箱だ。
中身は大したものじゃないが、ないよりマシだ。
床へ座り、シャツの右袖を見る。
「……これ切るか」
『その方が安全です』
ハサミを左手で持つ。
やりづらい。
袖を切ろうとするが、うまく刃が入らない。
「貸して」
アイが手を伸ばした。
「駄目」
「なんで?」
「刃物だから」
『アイが使用するには危険です』
アイはハサミを見る。
俺を見る。
ピコを見る。
「おじさんはいいの?」
「俺は使えるからな」
『ただし現在、主様は利き腕を負傷しています』
「余計なこと言うな」
アイが手を出したまま俺を見る。
「ピコがやれば?」
「……」
ピコを見る。
『可能です』
「最初から言えよ」
『依頼されていませんでした』
ハサミを渡す。
ピコが二本のアームで器用に掴み、袖を切り開いていく。
アイはその動きをじっと見ている。
「ピコ、じょうず」
『ありがとうございます』
「俺より褒められてんじゃん」
『事実です』
「腹立つな」
傷が露出した。
弾丸は右の上腕を掠めている。
皮膚が裂けているが、深くはない。
血もほぼ止まっている。
「思ったよりマシだな」
『骨格への損傷は確認できません』
「だろうな」
『ただし感染症には注意が必要です』
「ああ」
アイが近づく。
しゃがむ。
じっと傷を見る。
指を伸ばす。
「触るな」
ぴたっ。
止まった。
「なんで?」
「汚れるし、傷に触るとよくない」
『傷口への不用意な接触は感染リスクを高めます』
アイは自分の指を見る。
「さわらない」
「ああ」
今度は一度で覚えた。
俺は水を少し使って傷の周りを洗う。
残っている水は貴重だ。
だが、感染して腕が使えなくなる方が困る。
水に薄く血が混じる。
アイの目がそれを追う。
さっきガソリンスタンドで初めて血を見たときの顔とは違う。
今度は怖がっているというより。
観察している。
覚えようとしている。
「つぎは?」
「消毒」
「しょうどく」
「傷が悪くならないようにする」
『細菌等による感染を防止するための処置です』
アイがピコを見る。
「さいきん?」
『微小な――』
「待て」
『はい』
「また地下施設のエンジン説明みたいになるぞ」
『正確な説明を行おうとしています』
「簡単にしろ」
数秒。
『目に見えないほど小さな、身体に悪影響を与えるものが存在します』
アイが目を細めて傷を見る。
「みえない?」
『はい』
「どこ?」
『見えません』
「ピコも?」
『現在の装備では直接視認できません』
「じゃあ、いるってどうやってわかるの?」
『……』
ピコが止まった。
俺は吹き出しそうになる。
「頑張れ」
『説明には複数の前提知識が必要です』
「逃げたな」
『説明を保留しました』
アイが笑った。
俺は消毒液を染み込ませたガーゼを傷へ当てる。
「っ……」
思わず顔が歪む。
アイの身体がびくっと動いた。
ピコのセンサーも俺へ向く。
「いたい?」
「まあな」
『一時的な刺激です』
「さっきより?」
「いや。消毒が染みただけ」
アイが俺の顔を見る。
次にガーゼ。
また俺の顔。
「それ、やめたら?」
「やめたら傷が悪くなるかもしれない」
「でも、いたい」
「痛くてもやることはあるんだよ」
『主様の説明で概ね正確です。85点。』
「採点すんな」
アイは黙った。
俺は新しいガーゼを当てる。
包帯を取る。
「ピコ」
『はい』
「頼む」
『承知しました』
もう説明はいらなかった。
ピコが包帯を受け取り、アームを伸ばす。
『右腕を固定してください』
「はいよ」
一周。
二周。
三周。
「……おい」
『はい』
「多くない?」
『患部保護を優先しています』
四周。
「多いって」
『適正範囲です』
「俺の腕ミイラにする気か」
『その予定はありません』
アイが口元を押さえた。
「笑った?」
「わらってない」
「絶対笑っただろ」
「わらってないよ」
『笑っています』
「ピコ!」
アイがピコを見る。
「なんでいうの!」
『事実だからです』
「ピコのばか!」
『知能機能に異常はありません』
俺はとうとう笑った。
「お前ら何やってんだよ」
ピコが最後を留める。
『処置を終了しました』
「さんきゅ」
『どういたしまして』
腕を見る。
少々大げさな巻き方だが、まあいい。
アイが包帯をじっと見る。
「これで、なおる?」
「あとは時間だな」
「すぐじゃない?」
「ああ。何日かすれば少しずつ治る」
『傷の状態から判断して、適切な処置を継続すれば回復が見込まれます』
アイがピコを見る。
「ほんと?」
『はい』
「ピコがいうなら、ほんと?」
「俺が言っても信じろよ」
「おじさんもほんと?」
「ほんとだよ」
「そっか」
ようやく少し安心したらしい。
それでも。
アイは俺の左袖を掴んだ。
「……何だよ」
「なんでもない」
「じゃあ離せ」
「やだ」
「なんで」
「……」
答えない。
ただ掴んでいる。
俺はその小さな手を見る。
ガソリンスタンドでも。
帰りのバイクでも。
こいつは何度も俺の腕を見ていた。
治ると説明しても。
血が止まっても。
病院まで帰ってきても。
ずっと。
「……そんな気になるか」
「なにが?」
「俺の腕」
アイが包帯を見る。
しばらく黙る。
「……わかんない」
「分かんない?」
「うん」
自分の胸へ手を置く。
「ここが、へん」
「痛いのか?」
「いたくない」
「じゃあ何だ」
「わかんない」
アイは困ったように眉を寄せた。
「おじさんがいたいっていうと、へん」
「……」
「ここ」
また胸へ手を置く。
「へんなの」
ピコがアイへセンサーを向ける。
『心拍数に軽度の上昇が確認されます』
「ピコ」
『はい』
「今は数字にしなくていい」
『承知しました』
ピコはセンサーを戻した。
アイはまだ自分の胸を触っている。
「……そのうち分かるだろ」
「ほんと?」
「ああ」
「おじさんはわかる?」
「さあな」
『主様』
「言うなよ」
『まだ何も発言していません』
「ならそのまま黙ってろ」
『了解しました』
アイが俺とピコを見る。
それから少しだけ笑った。
俺は立ち上がる。
「とりあえず、荷物片づけるぞ」
「うん」
アイが俺の袖から手を離した。
俺はリュックから記録装置を取り出す。
黒く焼け焦げた、小さな金属部品。
通信モジュールも並べる。
ピコが近づく。
今度はさっきよりプロペラ音が安定している。
「どうだ?」
『自己診断を継続しています』
「飛ぶ方」
『通常時の92パーセントまで回復しています』
「なら大丈夫そうだな」
「ピコ、なおった?」
『完全ではありません』
アイの顔が曇る。
『ただし、回復傾向にあります』
「なおる?」
『はい』
アイがほっとしたように笑った。
「よかった」
ピコが一瞬止まる。
『ご心配をおかけしました』
「……」
俺はピコを見る。
こいつがそんな言い方をするのは珍しい。
アイは気にしていない。
「もうおちないでね」
『努力します』
「努力でどうにかなんの?」
『表現上の回答です』
「お前もいろいろ覚えてんな」
『学習機能を搭載しています』
「そうだったな」
ピコが記録装置へアームを伸ばす。
『解析を開始します』
「ああ、頼む」
「ピコ、なにするの?」
『この装置内部に残存する情報を確認します』
「アイのこと、わかる?」
『不明です』
「わかんない?」
『そのために調べます』
アイは納得したように頷いた。
ピコが接続端子を確認する。
細いケーブルを伸ばす。
接続。
小さな電子音が鳴った。
『規格を照合』
「いけそうか?」
『接続を確認しました』
「読める?」
『データ領域を走査します』
俺とアイは待つ。
10秒。
20秒。
ピコのプロペラだけが小さく回っている。
『破損を確認』
「どの程度?」
『記録領域の大部分が読み取り不能です』
「やっぱりか」
『一部領域に断片的なデータが残存しています』
俺は顔を上げた。
「読めるのか?」
『現時点では断定できません』
「復元できそう?」
『試行します』
「頼む」
『完了まで時間を要する可能性があります』
「いい。急がなくていい」
今すぐ答えが出たところで。
俺自身、何を知りたいのか整理できていない。
IS-003。
破壊対象。
アイの周囲で起きた異常。
戦争が終わったあとも動き続けていた兵器。
全部が繋がっているように見える。
だが、繋がっているように見えることと、答えを知っていることは違う。
「腹減ったな」
俺は呟いた。
「ごはん?」
アイがすぐ反応した。
「ああ。そろそろ食うか」
「アイもたべる」
「お前、腹減らないだろ」
「へらないよ」
「だよな」
「でも、たべたい」
『食料残量を考慮すると、アイへの分配は少量を推奨します』
「分かってる」
アイがピコを見る。
「すこし?」
『はい』
「いっぱいは?」
『推奨しません』
「なんで?」
『主様は食料を摂取しなければ生命活動に支障が生じます。アイには現在、その必要性が確認されていません』
アイは俺を見る。
「おじさん、たべないとだめ?」
「ああ」
「じゃあ、すこしでいい」
俺は一瞬、アイを見る。
「……そうか」
「うん」
「昨日はもっと食いたそうにしてたのにな」
「おじさんのなくなる?」
「食えば減るからな」
「じゃあ、すこし」
『合理的な判断です』
「お前はいちいち評価すんな」
俺は保存食を取り出す。
自分の分とそれから、アイの分をほんの少し。
アイはもう食べ方を知っている。
渡すと、両手で受け取った。
「いただきます」
俺の手が止まった。
「……それもどこで覚えた?」
アイも止まる。
「?」
ピコがこちらを見る。
『私が教えました』
「お前かよ」
『食事前に使用される一般的な挨拶として説明しました』
「いつ?」
『主様が昨夜、就寝している間です』
「……お前ら俺が寝てる間に何してんの?」
「いっぱいおしえてもらった!」
『アイから質問がありましたので回答しました』
「何教えた?」
『複数あります』
「例えば?」
アイが先に口を開いた。
「いただきます!」
「それは今聞いた」
「ごちそうさま!」
「セットで教えたのか」
『はい』
アイが得意そうに保存食を持つ。
「いただきます!」
「……いただきます」
『私は食事を必要としません』
「知ってるよ」
「ピコも!」
『必要性がありません』
「いって!」
『……いただきます』
「だからお前食わねえだろ」
アイが笑った。
俺も保存食を口へ運ぶ。
味は相変わらず大したことがない。
アイも小さく齧る。
ゆっくり噛む。
飲み込む。
「どうだ?」
「へんなの」
「やっぱりか」
「でも、おもしろい」
『昨日と同一の評価です』
「記録すんなそんなもん」
『記録しています』
「そうですか」
「おじさん」
「なんだ」
「おいしい?」
「まあまあ」
「へんなのじゃない?」
「俺には普通」
アイが自分の保存食を見る。
「ピコは?」
『味覚機能はありません』
「かわいそう」
『問題ありません』
「おいしいの、わかんない?」
『はい』
「へんなのも?」
『はい』
アイはしばらく考えた。
それから自分の保存食をほんの少しだけちぎった。
ピコへ差し出す。
「これ、あげる」
『摂取できません』
「なんで?」
『消化器官がありません』
「ちょっとだけ」
『量の問題ではありません』
「……そっか」
少し残念そうに、自分で食べる。
俺はその様子を見ながら、保存食を噛んだ。
机の上では、壊れた記録装置のランプが小さく点滅している。
ピコが解析を続けている。
部屋の隅には、さっき持ち帰った燃料容器。
壁には地図。
窓の向こうには、崩れた街。
昨日までと大して変わらない。
ただ。
俺がいて。
ピコがいて。
そこに、もう一人増えた。
「おじさん」
「今度はなんだ」
「これ、もういっこ」
「駄目」
「なんで?」
「少しって言っただろ」
「ピコ」
『はい』
「もういっこ、いい?」
『推奨しません』
「……」
アイが俺を見る。
「ほら」
「ふたりとも、けち」
『食料管理です』
「そういうこと」
アイが頬を膨らませる。
俺は小さく笑った。
静かな生活は終わった。
それは前から分かっていた。
ただ。
悪くない。
そんなことを考えてしまった自分には、気づかなかったことにした。
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