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アイは、生きている。  作者: LALA
第1章 IS-003
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Ep.7 わたしの、なまえ?


挿絵(By みてみん)


 小さな音がした。

 何かが起動するような。

 そんな音だった。

 俺はM-68を構えたまま、暗闇を睨む。

 「ピコ」

 『信号、継続しています』

 「場所は?」

 『変化ありません。カウンター奥です』

 少女が俺の服を握る。

 さっきより強い。

 「おじさん」

 「動くな」

 「でも」

 「いいから」

 俺は少女を背中へ隠した。

 一歩。

 店内へ入る。

 割れたガラスを踏む。

 足元で音が鳴った。

 何も動かない。

 店内には、五年前の残骸がそのまま残っている。

 倒れた棚。

 床に散らばった空のわ。

 天井から垂れ下がった配線。

 割れた照明。

 正面にカウンター。

 その奥は暗くて見えない。

 「ピコ。照らせ」

 『はい』

 ピコのライトが点灯する。

 白い光が店内を横切った。

 カウンター。

 床。

 奥の棚。

 壁。

 「……何もないぞ」

 『目視可能範囲に対象なし』

 「信号は?」

 『継続中です』

 俺はカウンターへ近づいた。

 一歩。

 また一歩。

 M-68の銃口を暗闇へ向ける。

 そのとき。

 少女が後ろから声を上げた。

 「おじさん!」

 「なんだ!」

 「あそこじゃない!」

 「は?」

 振り返る。

 少女は店の奥ではなく、床を指差していた。

 「した!」

 「下?」

 次の瞬間だった。

 ガンッ。

 床が跳ねた。

 「っ!」

 俺は反射的に後ろへ飛ぶ。

 ガンッ。

 もう一度。

 床に敷かれた金属板が内側から持ち上がる。

 「ピコ!」

 『地下に動体反応。』

 「さっき何もいないって言っただろ!」

 『先ほどまで反応はありませんでした。』

 ガンッ!

 金属板が弾け飛んだ。

 「下がれ!」

 少女の腕を掴み、引き寄せる。

 床下から何かが飛び出した。

 金属。

 黒い装甲。

 四本の細い脚。

 胴体らしき部分の中央に赤い光。

 大きさは大型犬ほど。

 そいつは床へ着地すると、脚を大きく広げた。

 ギギギ、と関節が鳴る。

 「なんだ、こいつ……」

 見たことがない。

 だが、何のために作られたものかは考えるまでもなかった。

 胴体側面。

 折り畳まれていた銃身が展開する。

 「伏せろ!」

 少女を床へ押し倒す。

 直後。

 乾いた破裂音。

 壁が砕けた。

 「っ……!」

 撃ってきやがった。

 俺は倒れた棚の裏へ少女を引きずり込む。

 「ここから動くな!」

 「おじさん」

 「絶対だぞ!」

 「う、うん」

 初めて少女の返事に戸惑いが混じった。

 俺は棚から身を出す。

 照準。

 引き金。

 銃声。

 M-68が跳ねる。

 弾丸が機械の胴体へ当たった。

 火花。

 だが。

 止まらない。

 「硬ぇな……!」

 残弾8。

 機械の赤いセンサーが俺を向く。

 銃身が動いた。

 俺は身を伏せる。

 直後、棚が撃ち抜かれた。

 金属片が頬を掠める。

 「ピコ! 弱点!」

 『走査中です』

 「急げ!」

 俺は反対側へ転がる。

 もう一発。

 残弾7。

 今度は脚の付け根へ当たった。

 一本が僅かに沈む。

 『主様。前脚基部の装甲が比較的薄いです』

 「遅い!」

 『走査には時間を要します』

 「今それ言うか!」

 機械がこちらへ向き直る。

 俺は銃口を脚へ向けた。

 そのとき。

 赤いセンサーが動いた。

 俺ではない。

 棚の裏。

 少女のいる方へ。

 「……おい」

 機械が止まった。

 ほんの一瞬。

 赤い光が点滅する。

 ザッ。

 ノイズ。

 どこからか、壊れかけた音声が流れた。

 『――照……合……』

 「喋った?」

 『――識別……信号……』

 ピコが機械へセンサーを向ける。

 『通信を検知』

 「何て言ってる」

 『解析中』

 赤い光が激しく点滅する。

 『――I……S……』

 俺の呼吸が止まった。

 ゆっくりと少女を見る。

 少女も機械を見ている。

 『――ゼロ……ゼロ……』

 ノイズ。

 『――スリー……』

 「…………。」

 少女が自分を指差した。

 「わたし?」

 次の瞬間。

 機械の赤い光が変わった。

 点滅が止まる。

 『――対象確認』

 声がさっきより鮮明になった。

 『――IS-003』

 少女の顔から笑顔が消える。

 『――最優先――』

 ノイズ。

 『――破壊対象』

 「……は?」

 機械の銃口が動いた。

 少女へ向く。

 「っ!」

 俺は少女の前へ飛び出した。

 発砲。

 弾丸が床を抉る。

 間一髪だった。

 「走れ!」

 少女の手を掴む。

 入口へ向かう。

 だが、機械が追ってくる。

 速い。

 四本の脚が床を叩く。

 ガガガガッ、と耳障りな音が迫る。

 「ピコ!」

 『追跡されています』

 「見れば分かる!」

 店の外へ飛び出す。

 少女の手を引いて走る。

 バイクまで距離がある。

 間に合わない。

 俺は振り返った。

 機械が入口から飛び出す。

 照準が少女へ向く。

 俺ではない。

 明らかに。

 こいつだけを狙っている。

 「なんで……!」

 M-68を構える。

 前脚の付け根。

 照準。

 撃つ。

 残弾6。

 火花。

 脚が一本折れた。

 機械の身体が傾く。

 それでも止まらない。

 三本脚で姿勢を立て直す。

 「しつこいな!」

 少女を背中へ押しやる。

 「バイクまで走れ!」

 「でも、おじさん」

 「行け!」

 少女が動かない。

 「何してる!」

 「おじさんも!」

 「俺はあとから行く!」

 「いっしょ!」

 「いいから行け!」

 機械の銃身が動く。

 俺は引き金を引いた。

 残弾5。

 外した。

 「くそっ」

 機械が撃つ。

 地面が弾ける。

 俺は少女を抱えて横へ転がった。

 肩を強く打つ。

 「っ……!」

 少女が俺の下から顔を出す。

 「おじさん?」

 「平気だ」

 起き上がる。

 機械はもう目の前だった。

 近すぎる。

 銃を向ける。

 機械の銃口もこちらを向く。

 いや。

 違う。

 俺の横にいる少女へ向いている。

 『――IS-003』

 赤い光。

 『――破壊――』

 「やらせるかよ」

 俺は少女を突き飛ばした。

 銃声。

 右腕に衝撃が走った。

 「ぐっ……!」

 M-68が手から落ちる。

 何が起きたのか、一瞬分からなかった。

 遅れて。

 熱い。

 右腕を見る。

 服が裂けている。

 血が流れていた。

 「おじさん?」

 少女の声。

 俺は左手で右腕を押さえる。

 「平気だ」

 平気なわけがない。

 指は動く。

 骨まではいっていない。

 たぶん掠っただけだ。

 「下がってろ」

 M-68は数メートル先。

 機械との間に落ちている。

 取りに行けない。

 ピコが機械の周囲を飛ぶ。

 『主様、後退してください』

 「してるよ!」

 『対象が接近しています』

 「それも見えてる!」

 少女が俺の腕を見ていた。

 血。

 そこから目を離さない。

 「おじさん」

 「なんだ」

 「それ」

 「今はいい」

 「赤い」

 「血だよ」

 「ち?」

 「そうだ」

 機械が一歩近づく。

 俺も一歩下がる。

 少女は動かない。

 「おい、下がれ」

 返事がない。

 「おい!」

 少女が俺の腕を見ている。

 何かがおかしい。

 表情がない。

 さっきまでとは違う。

 「……おじさん」

 声が小さい。

 「なんだ」

 「これが」

 少女が血を指差した。

 「けが?」

 俺は一瞬、言葉に詰まった。

 昨日。

 危ないという言葉を説明した。

 怪我。

 身体が傷つくこと。

 「……そうだ」

 少女が俺を見る。

 「これが、いたい?」

 機械が近づく。

 「今それどころじゃない! 走れ!」

 少女は俺の顔を見ている。

 「おじさん、いたい?」

 「平気だって!」

 嘘だった。

 普通に痛い。

 だが、そんなことを説明している暇はない。

 少女の手を掴もうとする。

 その瞬間。

 少女が俺の手を避けた。

 「……おい?」

 一歩。

 少女が前へ出る。

 「何してる」

 さらに一歩。

 俺より前へ。

 「戻れ!」

 少女は止まらない。

 機械と向き合う。

 赤いセンサーが少女を捉える。

 『――IS-003』

 銃身が持ち上がる。

 「伏せろ!」

 少女は動かなかった。

 ただ。

 機械を見ていた。

 「おい!」

 俺は少女へ手を伸ばす。

 届かない。

 そのときだった。

 少女の水色の髪が、ふわりと浮いた。

 風じゃない。

 周囲の空気が震えた。

 「……?」

 少女自身が一番不思議そうな顔をしていた。

 ピコが突然、少女へ向く。

 『異常な電磁――』

 ブツッ。

 声が途切れた。

 「ピコ?」

 ピコのプロペラが止まった。

 そのまま。

 ゴトン。

 地面へ落ちる。

 「おい!」

 同時に。

 ガソリンスタンドの給油機が点灯した。

 五年間死んでいたはずの表示が、一斉に光る。

 《888888》

 意味のない数字。

 店内。

 割れた照明が明滅する。

 バチッ。

 バチバチッ。

 周囲から音が鳴る。

 「なんだ……?」

 少女が自分の両手を見る。

 「わたし……」

 バチンッ!

 給油機の表示が消えた。

 照明が割れる。

 俺の腰につけていた通信機から激しいノイズが流れた。

 ザザザザザザッ!

 「っ……!」

 そして。

 機械が発砲した。

 いや。

 しようとした。

 カチッ。

 銃口から何も出ない。

 『――エ……ラー……』

 赤いセンサーが激しく明滅する。

 『――IS……003……』

 脚が震える。

 『――排……除……』

 ガクン。

 機械の身体が傾いた。

 『――排除……』

 もう一度。

 『――排……』

 赤い光が消えた。

 沈黙。

 俺は動けなかった。

 少女も動かなかった。

 風だけが通り抜ける。

 しばらくして。

 少女が振り返った。

 「……おじさん」

 俺は答えられない。

 少女は困ったような顔をしている。

 「いまの、なに?」

 「……俺が聞きたい」

 少女が自分の手を見る。

 握る。

 開く。

 何も起きない。

 「わたしがやったの?」

 「分からない」

 「ピコ!」

 少女が地面に落ちたピコへ駆け寄る。

 しゃがみ込む。

 「ピコ?」

 返事がない。

 「ピコ!」

 箱型の身体を両手で持ち上げようとする。

 重いらしく、少ししか浮かない。

 「おじさん! ピコうごかない!」

 「待て」

 俺は右腕を押さえながら近づいた。

 左手でピコを持ち上げる。

 外装に損傷は見当たらない。

 「ピコ」

 反応なし。

 「おい」

 側面の手動再起動スイッチを押す。

 数秒。

 何もない。

 少女が心配そうに覗き込む。

 「こわれた?」

 「……分からん」

 「なおせる?」

 「たぶん」

 「ほんと?」

 「ああ」

 俺はもう一度スイッチを押した。

 数秒。

 小さな電子音。

 少女が顔を上げる。

 「!」

 ピコのセンサーが弱く点灯した。

 『――再……起動……』

 「ピコ!」

 少女が笑った。

 『システム……診断……』

 「大丈夫か?」

 数秒の沈黙。

 『主様』

 「なんだ」

 『非常に不快な経験でした』

 「無事ならいい」

 少女がピコへ顔を近づける。

 「ピコ、だいじょうぶ?」

 『現在、自己診断中です』

 「だいじょうぶ?」

 『回答保留』

 「だいじょうぶ?」

 『回答保留』

 「だいじょうぶ?」

 『……おそらく』

 「よかった!」

 少女が笑う。

 俺はそんな二人を見ながら、停止した機械へ目を向けた。

 さっきまで動いていた兵器。

 今は完全に沈黙している。

 偶然。

 そんなわけがない。

 少女に照準が向いた。

 直後に異常が起きた。

 しかも。

 こいつは少女を知っていた。

 IS-003。

 最優先破壊対象。

 「ピコ」

 『はい』

 「さっきの記録、残ってるか?」

 『確認します』

 数秒。

 『一部欠損しています』

 「残ってる部分だけでいい」

 『兵器から発信された音声および通信信号の一部を保存しています』

 「病院に戻ったら解析できるか?」

 『可能です』

 「頼む」

 俺は停止した兵器へ近づいた。

 念のためM-68を拾う。

 残弾5。

 銃口を向けながら、足で機体を軽く蹴る。

 反応なし。

 完全に止まっている。

 「こいつも調べたいな」

 『回収を推奨します』

 「重さは?」

 『推定62キログラム』

 「無理だな」

 『一部部品のみ回収する方法があります』

 「それでいく」

 しゃがもうとして、右腕に痛みが走った。

 「っ……」

 少女がすぐにこちらを見る。

 「いたい?」

 「……少しな」

 初めて正直に答えた。

 少女が俺の腕へ近づく。

 血はもうかなり減っている。

 それでも服は赤く染まっていた。

 少女がじっと見る。

 「これが、いたい」

 「ああ」

 「わたしが?」

 「何が」

 「わたしが、した?」

 俺は少女を見る。

 どうやらピコが落ちたことだけじゃなく、俺の怪我まで自分のせいだと思っているらしい。

 「違う」

 「でも」

 「あいつが撃った」

 停止した兵器を指差す。

 「お前じゃない」

 少女は黙った。

 それから俺の服の袖を掴んだ。

 「……なおる?」

 「ああ」

 「ほんと?」

 「この程度ならな」

 「そっか」

 少しだけ表情が戻る。

 俺はその頭を左手で軽く撫でた。

 「それより」

 少女を見る。

 「お前、何した?」

 「わかんない」

 「何かしただろ」

 「してない」

 「本当に?」

 「うん」

 嘘をついているようには見えない。

 少女自身、自分の身に何が起きたのか理解していない。

 ピコがふらつきながら浮上する。

 いつもよりプロペラ音が不安定だ。

 『主様』

 「なんだ」

 『先ほどの現象について、一点報告があります』

 「言ってくれ」

 『私が機能停止する直前、極めて強力な電磁場の変動を検知しました』

 俺は少女を見る。

 「発生源は?」

 ピコのセンサーが少女へ向いた。

 『IS-003周辺です』

 少女もピコを見る。

 「わたし?」

 『はい』

 「……そうか」

 やっぱり。

 偶然じゃない。

 少女が両手を見る。

 「わたし、ピコおとした?」

 『その可能性は高いです』

 「……ごめんなさい」

 俺は思わず少女を見る。

 少女は俯いていた。

 昨日まで、何をしても楽しそうに笑っていた。

 怒られてもすぐ別のものに興味を向けた。

 そんなこいつが。

 初めて、自分がしたことで誰かに何かが起きたと理解している。

 ピコが少女の前まで飛ぶ。

 『謝罪を受理します』

 少女が顔を上げる。

 『ただし、次回は事前に申告してください』

 「わかんないもん」

 『では不可能です』

 「うん」

 『訂正します。申告は不要です』

 「うん!」

 少女が少しだけ笑った。

 俺も息を吐く。

 「とにかく、ここに長居するのはまずい」

 『同意します』

 「燃料だけ確認する」

 少女が俺の袖を掴んだまま離さない。

 「お前は俺から離れるなよ」

 「うん」

 さっきまでとは違う、小さな返事だった。

 俺たちは停止した兵器を避け、地下タンクの確認へ向かった。

 幸い、タンクそのものは残っていた。

 問題は中身だ。

 ピコに確認させる。

 『液体反応を確認』

 「量は?」

 『正確な測定は困難ですが、完全に空ではありません』

 「燃料の種類は?」

 『採取が必要です』

 俺は簡易ポンプを取り出した。

 右腕が使いにくい。

 少女がそれを見ている。

 「わたし、やる?」

 「無理だ」

 「できるよ?」

 「やり方知らないだろ」

 「おしえて」

 俺は少女を見る。

 さっきまでなら断っていた。

 だが片腕では面倒なのも事実だ。

 「……じゃあ、これ持ってろ」

 ホースを渡す。

 少女が両手で持つ。

 「こう?」

 「ああ。そこから動かすな」

 「うん」

 俺がポンプを操作する。

 少女は珍しく真剣な顔でホースを押さえていた。

 しばらくして。

 液体が上がってくる。

 容器の底へ落ちる。

 少量。

 色を確認する。

 匂い。

 「ピコ」

 『簡易分析します』

 ピコがセンサーを近づける。

 数秒。

 『軽油系燃料と推定』

 「軽油か」

 地下施設で見つけた発電設備の表示を思い出す。

 まだ型式までは確認できていない。

 使えるかもしれない。

 少なくとも、調べる価値はある。

 「持って帰るぞ」

 『はい』

 容器へ必要な量だけ移す。

 大量に運ぶのは後だ。

 今日は他に優先すべきことができた。

 俺は停止した兵器へ戻った。

 ピコの指示で、外装の一部を開く。

 中から記録装置らしき部品と通信モジュールを外す。

 少女は少し離れたところから見ていた。

 さっきまでなら絶対に近寄ってきたはずだ。

 でも今は来ない。

 「どうした?」

 「…………。」

 「おい」

 少女が停止した兵器を見る。

 「これ」

 「ああ」

 「わたしのこと、きらい?」

 予想していなかった質問だった。

 「……どうだろうな」

 「きらいだから、うったの?」

 「分からない」

 俺は部品を袋へ入れた。

 「機械が誰かを嫌うかどうかなんて知らん」

 『私は嫌悪に類似する評価を行う場合があります』

 「話をややこしくするな」

 『失礼しました』

 少女が兵器を見る。

 「でも、わたしをこわそうとした」

 「……そうだな」

 「なんで?」

 「それをこれから調べるんだよ」

 「わかる?」

 「分からん」

 少女の顔が曇る。

 「でも」

 俺は立ち上がった。

 「分からないなら、調べればいい」

 少女を見る。

 「お前が誰なのかも」

 少女が俺を見る。

 「わたし?」

 「ああ」

 その言葉を口にしてから。

 少し引っかかった。

 誰なのか。

 IS-003。

 それは名前なのか。

 番号なのか。

 そもそも、こいつ自身はそれを名前だと思っているのか。

 「……なあ」

 「なに?」

 「IS-003って呼ばれて、どう思う?」

 「どう?」

 「自分の名前だと思うか?」

 少女は首を傾げた。

 「なまえ?」

 俺は一瞬黙った。

 そういえば。

 名前というもの自体、教えていなかった。

 「俺を呼ぶとき、お前は『おじさん』って言うだろ」

 「うん!」

 「それは名前じゃない」

 「おじさんじゃないの?」

 「そこじゃない」

 思わず眉間を押さえる。

 「人には、それぞれ呼ぶための名前があるんだよ」

 「ピコみたいに?」

 「そう」

 少女がピコを見る。

 「ピコは、ピコ」

 『はい』

 次に俺を見る。

 「おじさんは?」

 「俺にもある」

 「なに?」

 「……」

 俺は答えかけて。

 少しだけ止まった。

 ずいぶん長い間、自分の名前を口にしていなかった。

 この世界になってから、名乗る相手なんてほとんどいなかったからだ。

 「俺は、ユウだ。」

 「……それが、おじさんの名前?」

 「今はお前の話だ」

 俺はため息をついた。

 「IS-003は呼びにくい」

 「そう?」

 「ああ」

 「じゃあ、どうするの?」

 「……」

 IS。

 アイエス。

 003。

 その文字を頭の中で繰り返す。

 そして。

 「アイ」

 少女が瞬きをした。

 「……あい?」

 「ああ」

 「なにそれ?」

 「お前の名前」

 少女は固まった。

 「わたしの?」

 「ああ」

 「わたしの、なまえ?」

 「嫌なら別のを考えるけどな」

 少女は返事をしなかった。

 肩に掛けた布袋へ手を伸ばす。

 中から、今朝渡した歯ブラシを取り出した。

 それを見る。

 次に俺を見る。

 「これ、わたしの」

 「ああ」

 少女が自分の胸へ手を置いた。

 「あいも?」

 俺は一瞬、意味が分からなかった。

 そして気づく。

 「……ああ」

 少女を見る。

 「それも、お前のだ」

 少女は黙った。

 歯ブラシを見る。

 自分の胸を見る。

 そして。

 ゆっくり笑った。

 「アイ」

 自分で言う。

 もう一度。

 「アイ」

 今度は少し嬉しそうに。

 「わたし、アイ?」

 「ああ」

 「アイ!」

 少女が笑った。

 さっきまでの曇った表情が消えていく。

 「ピコ!」

 『はい』

 「わたし、アイ!」

 『認識しました』

 「おじさん!」

 「おじさんじゃない、ユウだ。」

 「わたし、アイ!」

 「分かったよ」

 「アイ!」

 「ああ」

 「えへへ」

 少女――アイは、何度も自分の名前を口にした。

 たった二文字。

 それだけなのに。

 よほど気に入ったらしい。

 俺は回収した部品をバイクへ積む。

 燃料容器も固定する。

 最後に、停止した兵器を見る。

 IS-003。

 最優先破壊対象。

 そして。

 アイ。

 同じ少女を指しているはずなのに。

 俺には、その二つがまったく別のもののように思えた。

 「帰るぞ、アイ」

 少女が振り返った。

 一瞬だけ。

 自分が呼ばれたことに気づくまで間があった。

 そして。

 「うん!」

 嬉しそうに走ってくる。

 俺はその姿を見ながら、M-68をホルスターへ戻した。

 残弾5。

 燃料は確保した。

 正体不明の兵器から、部品も回収した。

 目的だけを見れば、成果は十分だ。

 だが。

 来たときよりも、分からないことは増えている。

 なぜ旧軍の兵器がアイを知っていた。

 なぜ破壊対象に指定されている。

 さっきの力は何だった。

 そして。

 地下にいたこいつは、本当は何者なんだ。

 エンジンをかける。

 アイを前へ乗せる。

 ピコは少し迷ってから、いつものように俺の頭へしがみついた。

 「故障したばっかなんだから無理すんなよ」

 『飛行より安全と判断しました』

 「俺の頭は着陸地点じゃないぞ」

 『現時点では最適です』

 前に座っていたアイが笑う。

 「ピコ、そこすきだね!」

 『好みではありません』

 「すきなんだ!」

 『違います』

 「すき!」

 『違います』

 少しだけ。

 いつもの調子が戻った。

 俺はアクセルを開ける。

 バイクがゆっくり走り出す。

 ガソリンスタンドが遠ざかっていく。

 アイは俺の腕に掴まりながら、何度か後ろを振り返っていた。

 さっき自分を殺そうとした兵器を見ているのか。

 それとも、初めて自分の知らない自分を見つけた場所を見ているのか。

 俺には分からない。

 やがてガソリンスタンドが建物の陰へ消えた。

 その瞬間。

 アイは前を向いた。

 「おじさん」

 「なんだ」

 「アイって、いいね」

 風に混じって、小さな声が聞こえた。

 俺は少しだけ口元を緩める。

 「ああ」

 そして。

 「だから俺はおじさんじゃない」

 「おじさん!」

 「……もういい」

 バイクは廃墟の街を走っていく。

 俺たちはまだ知らなかった。

 五年間、沈黙していたものが。

 この日を境に、少しずつ動き始めていたことを。

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