Ep.7 わたしの、なまえ?
小さな音がした。
何かが起動するような。
そんな音だった。
俺はM-68を構えたまま、暗闇を睨む。
「ピコ」
『信号、継続しています』
「場所は?」
『変化ありません。カウンター奥です』
少女が俺の服を握る。
さっきより強い。
「おじさん」
「動くな」
「でも」
「いいから」
俺は少女を背中へ隠した。
一歩。
店内へ入る。
割れたガラスを踏む。
足元で音が鳴った。
何も動かない。
店内には、五年前の残骸がそのまま残っている。
倒れた棚。
床に散らばった空のわ。
天井から垂れ下がった配線。
割れた照明。
正面にカウンター。
その奥は暗くて見えない。
「ピコ。照らせ」
『はい』
ピコのライトが点灯する。
白い光が店内を横切った。
カウンター。
床。
奥の棚。
壁。
「……何もないぞ」
『目視可能範囲に対象なし』
「信号は?」
『継続中です』
俺はカウンターへ近づいた。
一歩。
また一歩。
M-68の銃口を暗闇へ向ける。
そのとき。
少女が後ろから声を上げた。
「おじさん!」
「なんだ!」
「あそこじゃない!」
「は?」
振り返る。
少女は店の奥ではなく、床を指差していた。
「した!」
「下?」
次の瞬間だった。
ガンッ。
床が跳ねた。
「っ!」
俺は反射的に後ろへ飛ぶ。
ガンッ。
もう一度。
床に敷かれた金属板が内側から持ち上がる。
「ピコ!」
『地下に動体反応。』
「さっき何もいないって言っただろ!」
『先ほどまで反応はありませんでした。』
ガンッ!
金属板が弾け飛んだ。
「下がれ!」
少女の腕を掴み、引き寄せる。
床下から何かが飛び出した。
金属。
黒い装甲。
四本の細い脚。
胴体らしき部分の中央に赤い光。
大きさは大型犬ほど。
そいつは床へ着地すると、脚を大きく広げた。
ギギギ、と関節が鳴る。
「なんだ、こいつ……」
見たことがない。
だが、何のために作られたものかは考えるまでもなかった。
胴体側面。
折り畳まれていた銃身が展開する。
「伏せろ!」
少女を床へ押し倒す。
直後。
乾いた破裂音。
壁が砕けた。
「っ……!」
撃ってきやがった。
俺は倒れた棚の裏へ少女を引きずり込む。
「ここから動くな!」
「おじさん」
「絶対だぞ!」
「う、うん」
初めて少女の返事に戸惑いが混じった。
俺は棚から身を出す。
照準。
引き金。
銃声。
M-68が跳ねる。
弾丸が機械の胴体へ当たった。
火花。
だが。
止まらない。
「硬ぇな……!」
残弾8。
機械の赤いセンサーが俺を向く。
銃身が動いた。
俺は身を伏せる。
直後、棚が撃ち抜かれた。
金属片が頬を掠める。
「ピコ! 弱点!」
『走査中です』
「急げ!」
俺は反対側へ転がる。
もう一発。
残弾7。
今度は脚の付け根へ当たった。
一本が僅かに沈む。
『主様。前脚基部の装甲が比較的薄いです』
「遅い!」
『走査には時間を要します』
「今それ言うか!」
機械がこちらへ向き直る。
俺は銃口を脚へ向けた。
そのとき。
赤いセンサーが動いた。
俺ではない。
棚の裏。
少女のいる方へ。
「……おい」
機械が止まった。
ほんの一瞬。
赤い光が点滅する。
ザッ。
ノイズ。
どこからか、壊れかけた音声が流れた。
『――照……合……』
「喋った?」
『――識別……信号……』
ピコが機械へセンサーを向ける。
『通信を検知』
「何て言ってる」
『解析中』
赤い光が激しく点滅する。
『――I……S……』
俺の呼吸が止まった。
ゆっくりと少女を見る。
少女も機械を見ている。
『――ゼロ……ゼロ……』
ノイズ。
『――スリー……』
「…………。」
少女が自分を指差した。
「わたし?」
次の瞬間。
機械の赤い光が変わった。
点滅が止まる。
『――対象確認』
声がさっきより鮮明になった。
『――IS-003』
少女の顔から笑顔が消える。
『――最優先――』
ノイズ。
『――破壊対象』
「……は?」
機械の銃口が動いた。
少女へ向く。
「っ!」
俺は少女の前へ飛び出した。
発砲。
弾丸が床を抉る。
間一髪だった。
「走れ!」
少女の手を掴む。
入口へ向かう。
だが、機械が追ってくる。
速い。
四本の脚が床を叩く。
ガガガガッ、と耳障りな音が迫る。
「ピコ!」
『追跡されています』
「見れば分かる!」
店の外へ飛び出す。
少女の手を引いて走る。
バイクまで距離がある。
間に合わない。
俺は振り返った。
機械が入口から飛び出す。
照準が少女へ向く。
俺ではない。
明らかに。
こいつだけを狙っている。
「なんで……!」
M-68を構える。
前脚の付け根。
照準。
撃つ。
残弾6。
火花。
脚が一本折れた。
機械の身体が傾く。
それでも止まらない。
三本脚で姿勢を立て直す。
「しつこいな!」
少女を背中へ押しやる。
「バイクまで走れ!」
「でも、おじさん」
「行け!」
少女が動かない。
「何してる!」
「おじさんも!」
「俺はあとから行く!」
「いっしょ!」
「いいから行け!」
機械の銃身が動く。
俺は引き金を引いた。
残弾5。
外した。
「くそっ」
機械が撃つ。
地面が弾ける。
俺は少女を抱えて横へ転がった。
肩を強く打つ。
「っ……!」
少女が俺の下から顔を出す。
「おじさん?」
「平気だ」
起き上がる。
機械はもう目の前だった。
近すぎる。
銃を向ける。
機械の銃口もこちらを向く。
いや。
違う。
俺の横にいる少女へ向いている。
『――IS-003』
赤い光。
『――破壊――』
「やらせるかよ」
俺は少女を突き飛ばした。
銃声。
右腕に衝撃が走った。
「ぐっ……!」
M-68が手から落ちる。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
遅れて。
熱い。
右腕を見る。
服が裂けている。
血が流れていた。
「おじさん?」
少女の声。
俺は左手で右腕を押さえる。
「平気だ」
平気なわけがない。
指は動く。
骨まではいっていない。
たぶん掠っただけだ。
「下がってろ」
M-68は数メートル先。
機械との間に落ちている。
取りに行けない。
ピコが機械の周囲を飛ぶ。
『主様、後退してください』
「してるよ!」
『対象が接近しています』
「それも見えてる!」
少女が俺の腕を見ていた。
血。
そこから目を離さない。
「おじさん」
「なんだ」
「それ」
「今はいい」
「赤い」
「血だよ」
「ち?」
「そうだ」
機械が一歩近づく。
俺も一歩下がる。
少女は動かない。
「おい、下がれ」
返事がない。
「おい!」
少女が俺の腕を見ている。
何かがおかしい。
表情がない。
さっきまでとは違う。
「……おじさん」
声が小さい。
「なんだ」
「これが」
少女が血を指差した。
「けが?」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
昨日。
危ないという言葉を説明した。
怪我。
身体が傷つくこと。
「……そうだ」
少女が俺を見る。
「これが、いたい?」
機械が近づく。
「今それどころじゃない! 走れ!」
少女は俺の顔を見ている。
「おじさん、いたい?」
「平気だって!」
嘘だった。
普通に痛い。
だが、そんなことを説明している暇はない。
少女の手を掴もうとする。
その瞬間。
少女が俺の手を避けた。
「……おい?」
一歩。
少女が前へ出る。
「何してる」
さらに一歩。
俺より前へ。
「戻れ!」
少女は止まらない。
機械と向き合う。
赤いセンサーが少女を捉える。
『――IS-003』
銃身が持ち上がる。
「伏せろ!」
少女は動かなかった。
ただ。
機械を見ていた。
「おい!」
俺は少女へ手を伸ばす。
届かない。
そのときだった。
少女の水色の髪が、ふわりと浮いた。
風じゃない。
周囲の空気が震えた。
「……?」
少女自身が一番不思議そうな顔をしていた。
ピコが突然、少女へ向く。
『異常な電磁――』
ブツッ。
声が途切れた。
「ピコ?」
ピコのプロペラが止まった。
そのまま。
ゴトン。
地面へ落ちる。
「おい!」
同時に。
ガソリンスタンドの給油機が点灯した。
五年間死んでいたはずの表示が、一斉に光る。
《888888》
意味のない数字。
店内。
割れた照明が明滅する。
バチッ。
バチバチッ。
周囲から音が鳴る。
「なんだ……?」
少女が自分の両手を見る。
「わたし……」
バチンッ!
給油機の表示が消えた。
照明が割れる。
俺の腰につけていた通信機から激しいノイズが流れた。
ザザザザザザッ!
「っ……!」
そして。
機械が発砲した。
いや。
しようとした。
カチッ。
銃口から何も出ない。
『――エ……ラー……』
赤いセンサーが激しく明滅する。
『――IS……003……』
脚が震える。
『――排……除……』
ガクン。
機械の身体が傾いた。
『――排除……』
もう一度。
『――排……』
赤い光が消えた。
沈黙。
俺は動けなかった。
少女も動かなかった。
風だけが通り抜ける。
しばらくして。
少女が振り返った。
「……おじさん」
俺は答えられない。
少女は困ったような顔をしている。
「いまの、なに?」
「……俺が聞きたい」
少女が自分の手を見る。
握る。
開く。
何も起きない。
「わたしがやったの?」
「分からない」
「ピコ!」
少女が地面に落ちたピコへ駆け寄る。
しゃがみ込む。
「ピコ?」
返事がない。
「ピコ!」
箱型の身体を両手で持ち上げようとする。
重いらしく、少ししか浮かない。
「おじさん! ピコうごかない!」
「待て」
俺は右腕を押さえながら近づいた。
左手でピコを持ち上げる。
外装に損傷は見当たらない。
「ピコ」
反応なし。
「おい」
側面の手動再起動スイッチを押す。
数秒。
何もない。
少女が心配そうに覗き込む。
「こわれた?」
「……分からん」
「なおせる?」
「たぶん」
「ほんと?」
「ああ」
俺はもう一度スイッチを押した。
数秒。
小さな電子音。
少女が顔を上げる。
「!」
ピコのセンサーが弱く点灯した。
『――再……起動……』
「ピコ!」
少女が笑った。
『システム……診断……』
「大丈夫か?」
数秒の沈黙。
『主様』
「なんだ」
『非常に不快な経験でした』
「無事ならいい」
少女がピコへ顔を近づける。
「ピコ、だいじょうぶ?」
『現在、自己診断中です』
「だいじょうぶ?」
『回答保留』
「だいじょうぶ?」
『回答保留』
「だいじょうぶ?」
『……おそらく』
「よかった!」
少女が笑う。
俺はそんな二人を見ながら、停止した機械へ目を向けた。
さっきまで動いていた兵器。
今は完全に沈黙している。
偶然。
そんなわけがない。
少女に照準が向いた。
直後に異常が起きた。
しかも。
こいつは少女を知っていた。
IS-003。
最優先破壊対象。
「ピコ」
『はい』
「さっきの記録、残ってるか?」
『確認します』
数秒。
『一部欠損しています』
「残ってる部分だけでいい」
『兵器から発信された音声および通信信号の一部を保存しています』
「病院に戻ったら解析できるか?」
『可能です』
「頼む」
俺は停止した兵器へ近づいた。
念のためM-68を拾う。
残弾5。
銃口を向けながら、足で機体を軽く蹴る。
反応なし。
完全に止まっている。
「こいつも調べたいな」
『回収を推奨します』
「重さは?」
『推定62キログラム』
「無理だな」
『一部部品のみ回収する方法があります』
「それでいく」
しゃがもうとして、右腕に痛みが走った。
「っ……」
少女がすぐにこちらを見る。
「いたい?」
「……少しな」
初めて正直に答えた。
少女が俺の腕へ近づく。
血はもうかなり減っている。
それでも服は赤く染まっていた。
少女がじっと見る。
「これが、いたい」
「ああ」
「わたしが?」
「何が」
「わたしが、した?」
俺は少女を見る。
どうやらピコが落ちたことだけじゃなく、俺の怪我まで自分のせいだと思っているらしい。
「違う」
「でも」
「あいつが撃った」
停止した兵器を指差す。
「お前じゃない」
少女は黙った。
それから俺の服の袖を掴んだ。
「……なおる?」
「ああ」
「ほんと?」
「この程度ならな」
「そっか」
少しだけ表情が戻る。
俺はその頭を左手で軽く撫でた。
「それより」
少女を見る。
「お前、何した?」
「わかんない」
「何かしただろ」
「してない」
「本当に?」
「うん」
嘘をついているようには見えない。
少女自身、自分の身に何が起きたのか理解していない。
ピコがふらつきながら浮上する。
いつもよりプロペラ音が不安定だ。
『主様』
「なんだ」
『先ほどの現象について、一点報告があります』
「言ってくれ」
『私が機能停止する直前、極めて強力な電磁場の変動を検知しました』
俺は少女を見る。
「発生源は?」
ピコのセンサーが少女へ向いた。
『IS-003周辺です』
少女もピコを見る。
「わたし?」
『はい』
「……そうか」
やっぱり。
偶然じゃない。
少女が両手を見る。
「わたし、ピコおとした?」
『その可能性は高いです』
「……ごめんなさい」
俺は思わず少女を見る。
少女は俯いていた。
昨日まで、何をしても楽しそうに笑っていた。
怒られてもすぐ別のものに興味を向けた。
そんなこいつが。
初めて、自分がしたことで誰かに何かが起きたと理解している。
ピコが少女の前まで飛ぶ。
『謝罪を受理します』
少女が顔を上げる。
『ただし、次回は事前に申告してください』
「わかんないもん」
『では不可能です』
「うん」
『訂正します。申告は不要です』
「うん!」
少女が少しだけ笑った。
俺も息を吐く。
「とにかく、ここに長居するのはまずい」
『同意します』
「燃料だけ確認する」
少女が俺の袖を掴んだまま離さない。
「お前は俺から離れるなよ」
「うん」
さっきまでとは違う、小さな返事だった。
俺たちは停止した兵器を避け、地下タンクの確認へ向かった。
幸い、タンクそのものは残っていた。
問題は中身だ。
ピコに確認させる。
『液体反応を確認』
「量は?」
『正確な測定は困難ですが、完全に空ではありません』
「燃料の種類は?」
『採取が必要です』
俺は簡易ポンプを取り出した。
右腕が使いにくい。
少女がそれを見ている。
「わたし、やる?」
「無理だ」
「できるよ?」
「やり方知らないだろ」
「おしえて」
俺は少女を見る。
さっきまでなら断っていた。
だが片腕では面倒なのも事実だ。
「……じゃあ、これ持ってろ」
ホースを渡す。
少女が両手で持つ。
「こう?」
「ああ。そこから動かすな」
「うん」
俺がポンプを操作する。
少女は珍しく真剣な顔でホースを押さえていた。
しばらくして。
液体が上がってくる。
容器の底へ落ちる。
少量。
色を確認する。
匂い。
「ピコ」
『簡易分析します』
ピコがセンサーを近づける。
数秒。
『軽油系燃料と推定』
「軽油か」
地下施設で見つけた発電設備の表示を思い出す。
まだ型式までは確認できていない。
使えるかもしれない。
少なくとも、調べる価値はある。
「持って帰るぞ」
『はい』
容器へ必要な量だけ移す。
大量に運ぶのは後だ。
今日は他に優先すべきことができた。
俺は停止した兵器へ戻った。
ピコの指示で、外装の一部を開く。
中から記録装置らしき部品と通信モジュールを外す。
少女は少し離れたところから見ていた。
さっきまでなら絶対に近寄ってきたはずだ。
でも今は来ない。
「どうした?」
「…………。」
「おい」
少女が停止した兵器を見る。
「これ」
「ああ」
「わたしのこと、きらい?」
予想していなかった質問だった。
「……どうだろうな」
「きらいだから、うったの?」
「分からない」
俺は部品を袋へ入れた。
「機械が誰かを嫌うかどうかなんて知らん」
『私は嫌悪に類似する評価を行う場合があります』
「話をややこしくするな」
『失礼しました』
少女が兵器を見る。
「でも、わたしをこわそうとした」
「……そうだな」
「なんで?」
「それをこれから調べるんだよ」
「わかる?」
「分からん」
少女の顔が曇る。
「でも」
俺は立ち上がった。
「分からないなら、調べればいい」
少女を見る。
「お前が誰なのかも」
少女が俺を見る。
「わたし?」
「ああ」
その言葉を口にしてから。
少し引っかかった。
誰なのか。
IS-003。
それは名前なのか。
番号なのか。
そもそも、こいつ自身はそれを名前だと思っているのか。
「……なあ」
「なに?」
「IS-003って呼ばれて、どう思う?」
「どう?」
「自分の名前だと思うか?」
少女は首を傾げた。
「なまえ?」
俺は一瞬黙った。
そういえば。
名前というもの自体、教えていなかった。
「俺を呼ぶとき、お前は『おじさん』って言うだろ」
「うん!」
「それは名前じゃない」
「おじさんじゃないの?」
「そこじゃない」
思わず眉間を押さえる。
「人には、それぞれ呼ぶための名前があるんだよ」
「ピコみたいに?」
「そう」
少女がピコを見る。
「ピコは、ピコ」
『はい』
次に俺を見る。
「おじさんは?」
「俺にもある」
「なに?」
「……」
俺は答えかけて。
少しだけ止まった。
ずいぶん長い間、自分の名前を口にしていなかった。
この世界になってから、名乗る相手なんてほとんどいなかったからだ。
「俺は、ユウだ。」
「……それが、おじさんの名前?」
「今はお前の話だ」
俺はため息をついた。
「IS-003は呼びにくい」
「そう?」
「ああ」
「じゃあ、どうするの?」
「……」
IS。
アイエス。
003。
その文字を頭の中で繰り返す。
そして。
「アイ」
少女が瞬きをした。
「……あい?」
「ああ」
「なにそれ?」
「お前の名前」
少女は固まった。
「わたしの?」
「ああ」
「わたしの、なまえ?」
「嫌なら別のを考えるけどな」
少女は返事をしなかった。
肩に掛けた布袋へ手を伸ばす。
中から、今朝渡した歯ブラシを取り出した。
それを見る。
次に俺を見る。
「これ、わたしの」
「ああ」
少女が自分の胸へ手を置いた。
「あいも?」
俺は一瞬、意味が分からなかった。
そして気づく。
「……ああ」
少女を見る。
「それも、お前のだ」
少女は黙った。
歯ブラシを見る。
自分の胸を見る。
そして。
ゆっくり笑った。
「アイ」
自分で言う。
もう一度。
「アイ」
今度は少し嬉しそうに。
「わたし、アイ?」
「ああ」
「アイ!」
少女が笑った。
さっきまでの曇った表情が消えていく。
「ピコ!」
『はい』
「わたし、アイ!」
『認識しました』
「おじさん!」
「おじさんじゃない、ユウだ。」
「わたし、アイ!」
「分かったよ」
「アイ!」
「ああ」
「えへへ」
少女――アイは、何度も自分の名前を口にした。
たった二文字。
それだけなのに。
よほど気に入ったらしい。
俺は回収した部品をバイクへ積む。
燃料容器も固定する。
最後に、停止した兵器を見る。
IS-003。
最優先破壊対象。
そして。
アイ。
同じ少女を指しているはずなのに。
俺には、その二つがまったく別のもののように思えた。
「帰るぞ、アイ」
少女が振り返った。
一瞬だけ。
自分が呼ばれたことに気づくまで間があった。
そして。
「うん!」
嬉しそうに走ってくる。
俺はその姿を見ながら、M-68をホルスターへ戻した。
残弾5。
燃料は確保した。
正体不明の兵器から、部品も回収した。
目的だけを見れば、成果は十分だ。
だが。
来たときよりも、分からないことは増えている。
なぜ旧軍の兵器がアイを知っていた。
なぜ破壊対象に指定されている。
さっきの力は何だった。
そして。
地下にいたこいつは、本当は何者なんだ。
エンジンをかける。
アイを前へ乗せる。
ピコは少し迷ってから、いつものように俺の頭へしがみついた。
「故障したばっかなんだから無理すんなよ」
『飛行より安全と判断しました』
「俺の頭は着陸地点じゃないぞ」
『現時点では最適です』
前に座っていたアイが笑う。
「ピコ、そこすきだね!」
『好みではありません』
「すきなんだ!」
『違います』
「すき!」
『違います』
少しだけ。
いつもの調子が戻った。
俺はアクセルを開ける。
バイクがゆっくり走り出す。
ガソリンスタンドが遠ざかっていく。
アイは俺の腕に掴まりながら、何度か後ろを振り返っていた。
さっき自分を殺そうとした兵器を見ているのか。
それとも、初めて自分の知らない自分を見つけた場所を見ているのか。
俺には分からない。
やがてガソリンスタンドが建物の陰へ消えた。
その瞬間。
アイは前を向いた。
「おじさん」
「なんだ」
「アイって、いいね」
風に混じって、小さな声が聞こえた。
俺は少しだけ口元を緩める。
「ああ」
そして。
「だから俺はおじさんじゃない」
「おじさん!」
「……もういい」
バイクは廃墟の街を走っていく。
俺たちはまだ知らなかった。
五年間、沈黙していたものが。
この日を境に、少しずつ動き始めていたことを。




