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アイは、生きている。  作者: LALA
第1章 IS-003
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Ep.5 食ってみるか?


挿絵(By みてみん)


 それからしばらく、俺は地下施設から持ち帰った工具の整理を続けた。

 その間、少女は一度も大人しくしていなかった。

 窓。

 地図。

 工具箱。

 ベッド。

 椅子。

 床に置いた俺の荷物。

 目に入るものを片っ端から見て回っている。

 ただ、何にでも質問してくるわけではなかった。

 分からないものを見つけると、まず触る。

 持ち上げられそうなら持ち上げる。

 動きそうなら動かす。

 それでも分からなければ、ようやく俺かピコのところへ持ってくる。

 今もそうだった。

 「おじさん」

 「なんだ」

 「これ」

 振り返る。

 少女が俺の靴下を持っていた。

 「……どこから持ってきた」

 「あそこ」

 ベッドの脇を指差す。

 昨日脱いだやつだ。

 「返せ」

 「これなに?」

 「靴下」

 「くつした?」

 「ああ」

 「なにするの?」

 「足に履く」

 「こう?」

 腕に通した。

 「違う」

 「じゃあ、こう?」

 頭に被ろうとする。

 「なんでそうなる」

 『主様は、足に履くと説明されています』

 ピコが横から言う。

 「あしってどれ?」

 俺は固まった。

 「……そこからか」

 自分の足を指差す。

 「これ」

 少女が自分の足を見る。

 「これ、あし?」

 「ああ」

 「じゃあ、これは?」

 膝を指差す。

 「膝」

 「これは?」

 「太もも」

 「これは?」

 「肩」

 「これは?」

 「肘」

 「これは?」

 「おいおいおいちょっと待て」

 俺は止めた。

 このままでは人体の説明だけで日が暮れる。

 少女は不満そうに頬を膨らませた。

 『人体には多数の部位名称があります』

 「お前余計なこと言うな」

 少女は靴下を俺へ返した。

 俺はそれを受け取る。

 「あと、勝手に人の物を漁るな」

 「なんで?」

 「俺のだから」

 「おじさんの?」

 「ああ」

 少女は少し考えた。

 「わたしのは?」

 その一言で手が止まった。

 少女は俺を見ている。

 「お前の?」

 「うん」

 俺は部屋を見回した。

 少女が持ってきたもの。

 空っぽの布袋。

 それだけだ。

 服も靴も、元々地下にあったものだろう。

 本人の所有物と言えるのかは分からない。

 「……ないな」

 「ない?」

 「ああ」

 「そっか」

 それだけ言って、少女はまた窓の方へ歩いていった。

 別に残念そうでもない。

 物を持つという感覚自体、まだよく分かっていないのかもしれない。

 俺は工具箱を閉じた。

 時計を見る。

 もう昼をかなり過ぎている。

 地下施設へ戻って残りの工具を運ぶつもりだったが、今日はやめた方がよさそうだ。

 予定が完全に狂った。

 原因は言うまでもない。

 窓際を見る。

 少女は床にしゃがみ込み、外を眺めていた。

 「……まあ、いいか」

 予定なんて、明日に回せばいい。

 腹が減った。

 俺は部屋の隅に置いてある保存食を取った。

 包装を開ける。

 パリ、と小さな音がする。

 その瞬間。

 少女が振り返った。

 じっと俺の手元を見る。

 「なんだ?」

 「それなに?」

 「飯」

 「めし」

 「昨日説明しただろ」

 「わかんなかった」

 「そうだったな」

 俺は保存食を一口齧った。

 少女の目が丸くなる。

 立ち上がり、こちらへ歩いてくる。

 俺のすぐ前まで来ると、口元をじっと見つめた。

 「……近い」

 「いま、なにしたの?」

 「食った」

 「くった?」

 「ああ」

 「どうして?」

 「腹が減ったから」

 「はらへった?」

 「そう」

 少女が俺の腹を見る。

 「なくなったの?」

 「何が」

 「おなか」

 「なくなってない」

 「へったんでしょ?」

 「そういう意味じゃない」

 「?」

 説明が難しい。

 俺は保存食を見た。

 少し考える。

 「食ってみるか?」

 少女が首を傾げた。

 「たべる?」

 「ああ」

 「どうやるの?」

 「口に入れて、噛んで、飲み込む」

 少女は俺の口を見る。

 それから自分の口元を触った。

 「ここ?」

 「そう」

 俺は保存食を少しだけちぎった。

 「ほら」

 少女が手を出す。

 その掌に小さな欠片を乗せた。

 少女はそれをじっと見つめる。

 匂いを嗅ぐでもない。

 警戒するでもない。

 ただ、不思議そうに観察している。

 「これを?」

 「口に入れる」

 「うん」

 少女は素直に口へ入れた。

 そのまま止まった。

 「噛め」

 もぐ。

 「そう」

 もぐもぐ。

 少女の眉が少し動いた。

 「どうだ?」

 もぐもぐ。

 返事がない。

 「おい?」

 少女は口を動かしながら俺を見る。

 「これ、なに?」

 「だから飯だよ」

 「ちがう」

 「何が?」

 少女は困ったような顔をした。

 言葉を探しているらしい。

 やがて。

 「へんなの」

 「感想それかよ」

 『味覚について尋ねているのではありませんか?』

 ピコが言った。

 「味?」

 少女が首を傾げる。

 「舌で感じるやつだ」

 「した?」

 「口の中にあるだろ」

 少女が口を開けた。

 「あー」

 「見せなくていい」

 口を閉じる。

 また噛む。

 「……これが、あじ?」

 「たぶんな」

 「へんなの!」

 少女が笑った。

 どうやら嫌ではないらしい。

 「飲み込めるか?」

 「のみこむ?」

 またそこからだった。

 「口の中のやつを、そのまま喉の奥に入れるんだ」

 少女は少し考えた。

 ごくん。

 喉が小さく動いた。

 「できた!」

 「そりゃよかった」

 少女は自分の腹を触った。

 「どこいった?」

 「腹」

 「ここ?」

 「ああ」

 「いるの?」

 「いるっていうか……」

 俺は説明を諦めた。

 「まあ、そんな感じ」

 少女は自分の腹をじっと見る。

 しばらくして、俺の保存食を見る。

 「もういっこ」

 「気に入ったのか?」

 「わかんない」

 「じゃあなんで欲しいんだ」

 「もういっかいやりたい」

 味ではなく、食べるという行為そのものが面白いらしい。

 俺はもう一欠片渡した。

 少女は今度は迷わず口へ入れた。

 もぐもぐと噛む。

 「へんなの」

 「毎回言うのか、それ」

 「うん!」

 それから三回ほど繰り返したところで、俺は止めた。

 「もう終わり」

 「なんで?」

 「お前が食べても大丈夫なのか分からないからだ」

 少女が不満そうな顔をする。

 「だいじょうぶだよ?」

 「何を根拠に言ってんだ」

 「だいじょうぶだから」

 「根拠になってない」

 『現時点では体調変化は確認されません』

 「だからって食わせ続けるわけにもいかないだろ」

 少女は俺の手に残った保存食をじっと見ている。

 「見るな」

 「みてないよ」

 「見てるだろ」

 「みてない」

 視線は完全に保存食へ向いている。

 俺は残りを口へ入れた。

 「あっ!」

 「俺の飯だ」

 「なくなった!」

 「食ったからな」

 「ずるい!」

 「何がだよ」

 『所有者は主様です』

 「ピコはだまってて!」

 『拒否されました』

 「お前らもう仲良いな。2人でどっかで遊んでてくれ頼むから」

 そんなことをしているうちに、時間は過ぎていった。

 午後は病院の中を少女に見せて回った。

 使っている部屋。

 物資を置いている部屋。

 入ってはいけない場所。

 床が崩れている場所。

 近づかない方がいい窓。

 少女は意外にも、一度説明した場所については覚えていた。

 ふざけているように見えて、記憶力はかなりいい。

 「ここは?」

 「はいっちゃだめ!」

 「理由は?」

 「ゆかがこわれてる!」

 「じゃあこっちは?」

 「はいっていい!」

 「よし」

 『学習速度は良好です』

 ピコが言う。

 少女が胸を張った。

 「すごい?」

 『はい』

 「わたし、すごい!」

 「自分で言うな」

 「おじさんより?」

 『比較項目によります』

 「そこは否定しろよ」

 夕方。

 部屋へ戻る頃には、窓から入る光が橙色に変わっていた。

 少女はそれにもすぐ気づいた。

 「おじさん」

 「今度はなんだ」

 「そと、ちがう」

 窓の外を見る。

 街が夕日に照らされている。

 崩れた建物の壁も。

 割れた道路も。

 遠くに残っている鉄塔も。

 全部が薄い橙色に染まっていた。

 「ああ。もう夕方だからな」

 「ゆうがた?」

 「もうすぐ暗くなる時間」

 少女は窓際へ行った。

 俺も少し離れたところから外を見る。

 この景色は何度も見た。

 特別綺麗だと思ったこともない。

 むしろ、夕方になると探索できる時間が終わるという目安でしかなかった。

 少女は違った。

 窓に両手をつき、何も言わずに見ている。

 「……どうした?」

 返事がない。

 少女の横顔を見る。

 笑っていなかった。

 怖がっているわけでもない。

 ただ、じっと夕日を見ている。

 「きれい」

 初めて聞いた言葉だった。

 俺は少し驚いた。

 「……綺麗って言葉は知ってるのか」

 「うん」

 「誰に教わった?」

 少女は俺を見る。

 「わかんない」

 「……そうか」

 また一つ。

 分からないことが増えた。

 少女は知らない言葉が多い。

 人間なら当たり前に知っていることを知らない。

 なのに、時々こうして俺が教えていない言葉を使う。

 どこで覚えたのか。

 誰から教わったのか。

 本人は覚えていない。

 俺は何も言わず、少女と同じ景色を見た。

 太陽が少しずつ建物の向こうへ沈んでいく。

 「なくなる」

 少女が言った。

 「明日になればまた出てくる」

 「ほんと?」

 「ああ」

 「なんで?」

 「……それ、説明すると長いぞ」

 「ききたい!」

 「今度な」

 「いま!」

 「今度」

 「いま!」

 「今度」

 『主様』

 「なんだ」

 『説明を先送りしています』

 「うるさい」

 やがて、太陽が完全に沈んだ。

 病院の中が暗くなる。

 俺はランタンを点けた。

 小さな光が部屋を照らす。

 少女は今度はランタンへ寄っていく。

 「これは?」

 「ランタン」

 「らんたん」

 「触るなよ」

 伸びていた手が止まった。

 「……なんで?」

 「熱いから」

 「熱い?」

 また説明が必要らしい。

 俺はため息をついた。

 長い夜になりそうだった。

 そして、その予想は半分だけ当たった。

 夜十一時を過ぎた頃。

 俺はベッドへ横になった。

 少女はまだ起きている。

 床に座り、ピコを眺めていた。

 「まだ眠くならないのか?」

 「ねむい?」

 「寝たくなる感じ」

 「ならないよ」

 やはり分からないらしい。

 「……そうか」

 俺は枕に頭を乗せた。

 「俺は寝るからな」

 「ねるの?」

 「ああ」

 少女が近づいてくる。

 ベッドの横に立つ。

 「どうするの?」

 「目を閉じる」

 「それだけ?」

 「そのうち意識がなくなる」

 「いしき?」

 「……もういい。見てろ」

 俺は目を閉じた。

 数秒。

 気配が動かない。

 目を開ける。

 少女が至近距離から俺の顔を覗き込んでいた。

 「近い」

 「まだ?」

 「何が」

 「ねた?」

 「お前が見てたら寝れない」

 「なんで?」

 「気になるから」

 「じゃあ、みない!」

 少女が両手で自分の目を塞いだ。

 指の隙間から完全に見えている。

 「……それでいい」

 もう説明するのも面倒だった。

 再び目を閉じる。

 しばらくすると、少女の声がした。

 「おじさん」

 「……なんだ」

 「まだ?」

 「頼むから寝かせろ」

 「わかった」

 ────数秒。

 「おじさん」

 「なんだよ」

 「まだ?」

 「ピコ」

 『はい』

 「こいつをなんとかしてくれ」

 『承知しました』

 ピコが少女の前へ飛んでいく。

 『主様への発話を停止してください』

 「なんで?」

 『睡眠を妨害しています』

 「すいみん?」

 『主様が現在行おうとしている行為です』

 少女が俺を見る。

 「じゃあ、しゃべっちゃだめ?」

 『はい』

 「いつまで?」

 『主様が起床するまでです』

 「きしょう?」

 『主様が喋り始めるまでです』

 少女は少し考えた。

 「わかった」

 今度こそ静かになった。

 俺は目を閉じる。

 疲れていたらしい。

 意識は思っていたより早く落ちた。

 次に目を開けたとき。

 部屋はまだ暗かった。

 時計を見る。

 午前3時17分。

 喉が渇いて目が覚めたらしい。

 身体を起こす。

 そして。

 「…………。」

 少女がいた。

 窓際に座っている。

 月明かりの中で膝を抱え、外を見ていた。

 「……おい」

 少女が振り返る。

 「おはよう!」

 「まだ朝じゃない」

 「そうなの?」

 「まだ三時だ」

 「さんじ?」

 俺は水を飲んだ。

 少女を見る。

 「お前、ずっと起きてたのか?」

 「うん」

 「何してた?」

 「そとみてた」

 「ずっと?」

 「うん」

 眠そうな様子はない。

 目を擦ってもいない。

 欠伸もしない。

 昼間とまったく同じ顔をしている。

 「疲れないのか?」

 「つかれる?」

 「身体が重くなったり、動きたくなくなったり」

 少女は少し考えた。

 「ならないよ」

 「……そうか」

 ピコを見る。

 部屋の隅で充電設備に接続されている。

 こいつですら電力を補給している。

 なのに。

 少女は何も必要としていない。

 食事も。

 水も。

 睡眠も。

 俺は少しだけ考えた。

 「ピコ」

 小声で呼ぶ。

 数秒後、センサーが点灯した。

 『はい』

 「こいつ、ずっと起きてたか?」

 『はい』

 「一度も寝てない?」

 『睡眠状態への移行は確認されていません』

 少女は窓際から俺たちを見ている。

 「何してた?」

 『主に外部を観察していました』

 「それだけ?」

 『はい』

 俺は少女を見る。

 少女はにこっと笑った。

 「おじさん、もうねないの?」

 「寝るよ」

 「そっか」

 「……お前は?」

 「そとみてる」

 当然のように答える。

 俺はそれ以上聞かなかった。

 ベッドへ戻る。

 横になり、毛布を掛けた。

 目を閉じる前に、もう一度だけ窓際を見る。

 少女はすでに外へ視線を戻していた。

 月明かりが水色の髪を薄く照らしている。

 その小さな背中だけを見ていれば、夜更かししている普通の子どもにしか見えない。

 けれど。

 普通の子どもなら、食べる。

 水を飲む。

 疲れる。

 眠る。

 こいつには、そのどれもない。

 俺は目を閉じた。

 明日。

 東のガソリンスタンドへ向かう。

 本当なら、こいつはここに置いていくべきだ。

 危険な場所へ子どもを連れていく理由なんてない。

 そう考えて。

 すぐに別の問題に気づいた。

 こいつを一人でここに置いていく。

 俺の頭に、昼間の光景が浮かんだ。

 車椅子。

 階段。

 窓ガラス。

 ランタン。

 バイク。

 「…………。」

 無理だ。

 俺は毛布を鼻まで引き上げた。

 「ピコ」

 『はい』

 「明日、こいつも連れてくぞ」

 『賢明な判断です』

 「ここに置いとく方が危険だからな」

 『同意します』

 「……俺の生活、急に面倒になったな」

 『主様自身が連れてきました』

 「分かってるよ」

 窓際から声が飛んできた。

 「おじさん!」

 「今度はなんだ」

 「あれなに?」

 「どれだよ」

 「おそら! ひかってる!」

 「星だよ」

 「ほし?」

 「ああ」

 「いっぱいある!」

 「そうだな」

 「おじさんもみて!」

 「明日な」

 「いま!」

 「俺は寝る」

 「いま!」

 「寝る」

 「いまー!」

 俺は枕へ顔を埋めた。

 やっぱり連れてくるんじゃなかったかもしれない。

 そんなことを考えながら。

 俺はいつの間にか、もう一度眠っていた。

 窓際では、少女が一人、初めて見る星空をいつまでも眺めていた。

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