Ep.4 誉めてねーよポンコツ。
バイクを病院の裏口に停め、エンジンを切った。
さっきまで響いていた駆動音が消え、辺りが急に静かになる。
「着いたぞ」
返事がない。
俺は自分の前に座らせていた少女を見る。
「……おい?」
少女はハンドルの辺りを見つめたまま固まっていた。
「どうした」
「…………。」
「おい」
「もういっかい。」
「……は?」
少女が勢いよく振り返った。
「もういっかい、やりたい!」
目が輝いている。
どうやら怖かったわけではないらしい。
「やらない」
「なんで!?」
「着いたからだよ」
「もういっかい!」
「あとでな」
「いま!」
「あとで」
「いま!」
「……ピコ」
『はい』
俺の頭にしがみついていたピコが返事をする。
「なんとかしてくれ」
『不可能です』
「即答かよ」
『少女の要求を拒否する権限は、主様にあります』
「役に立たねえなお前ほんと」
『ありがとうございます』
「褒めてねーよポンコツ」
少女が俺とピコを交互に見る。
それから突然、声を上げて笑った。
「ふたり、おもしろいね!」
「そうか?」
「うん!」
俺はバイクから降りた。
少女も真似して降りようとする。
だが、足が地面まで届いていない。
「んっ……」
短い脚を必死に伸ばしている。
「お、おい、ちょ待て待て」
脇に手を入れて、そのまま持ち上げる。
「わっ」
軽い。
思っていた以上に軽かった。
そのまま地面へ下ろす。
少女は自分の足が地面についたことを確認すると、すぐにバイクを振り返った。
ぺたぺたと車体を触る。
「これ、なに?」
「バイク」
「ばいく」
「ああ」
「ばいく!」
気に入ったらしい。
「これ、はやいね」
「まあな」
「もっとはやくできる?」
「できる」
「やって!」
「やらない」
「なんで?」
「危ないから」
「あぶないって?」
「……」
早速きた。
俺は少女を見る。
少女も俺を見る。
純粋に答えを待っている顔だ。
「怪我するかもしれないってことだ」
「けが?」
「身体が傷つくこと」
少女は自分の腕を見る。
「きずつく?」
「……痛くなることだ」
「いたい?」
俺は頭を掻いた。
「そこからか……」
『主様』
「なんだ」
『説明が後退しています』
「うっせーな分かってるよ」
少女が首を傾げる。
俺は少し考えて、少女の頬を指先で軽くつまんだ。
「む」
「こういうのがもっと強くなる感じだ」
「むー」
「分かったか?」
「わかんない」
「だろうな」
指を離す。
少女は自分の頬を触った。
別に痛そうな様子はない。
そもそも痛みというものを知っているのか。
それすら怪しくなってきた。
「まあいい。とりあえず、勝手にバイクには触るな」
「なんで?」
「危ないから」
「あぶないって?」
「今説明しただろ」
「わかんなかった」
「……じゃあ俺がいないときは触るな」
「なんで?」
「頼むから言うこと聞いてくれ……」
少女はきょとんとした。
それから、にこっと笑う。
「わかった!」
「本当か?」
「うん!」
返事だけはめちゃくちゃいい。
信用していいのか分からない。
俺はバイクから荷物を降ろした。
地下で回収した工具類だ。
結局、全部を運ぶのは諦めた。
今日は使えそうなものだけ選び、残りは後日回収することにした。
工具の入った袋を肩に掛ける。
少女がその様子をじっと見ている。
「それ、なに?」
「工具」
「こうぐ?」
「ああ」
「なにするの?」
「物を直したりする」
「なおす?」
「壊れたものを使えるようにするんだ」
少女は少し考えた。
そして、病院を見上げた。
「これも?」
「ん?」
「これも、なおすの?」
俺も病院を見上げる。
割れた窓。
黒ずんだ外壁。
崩れた一角。
植物が這い上がっている場所もある。
「……これは無理だな」
「なんで?」
「これは壊れすぎ」
「そっか」
少女は残念そうでもなく、ただ納得したように頷いた。
「行くぞ」
俺が歩き出すと、少女もついてくる。
二歩ほど遅れて。
また二歩。
そして急に走って、俺の横へ並ぶ。
少しすると、また何かに目を奪われて遅れる。
その繰り返しだった。
病院の入口に着くまでの十数メートルが、妙に長い。
「おじさん」
「だからおじさんじゃないよ。なに?」
「あれなに?」
少女が指差した。
錆びた車椅子だった。
「車椅子」
「くるまいす?」
「ああ」
「ばいく?」
「違う」
「のれる?」
「乗れるけど」
少女が車椅子へ走っていく。
「おい、ちょ待てヨ」
間に合わなかった。
少女は座席によじ登り、ちょこんと座った。
「うごかない」
「そりゃそうだ」
「ばいくはうごいたよ?」
「あれにはエンジンがあるからな」
「えんじん?」
「……」
俺は少女を見た。
少女は期待した目で俺を見ている。
「ピコ」
『はい』
「任せた」
『エンジンとは、燃料などのエネルギーを機械的な動力へ変換する装置です』
「…………。」
少女が固まった。
『理解できましたか?』
「できない!」
『そうですか』
「説明下手だなお前」
『正確な説明です』
「7歳くらいの子どもにする説明じゃないだろ」
『年齢は推定値です』
「そこじゃねえよ」
少女がまた笑い始めた。
どうやら俺とピコが話しているだけで面白いらしい。
俺はひとつ、ため息をついて車椅子の後ろへ回った。
「ちゃんと掴まってろ」
「うん?」
ハンドルを握る。
そして少しだけ押した。
車輪が回る。
「わっ!」
少女の顔が一気に明るくなった。
「うごいた!」
「動くよ」
「もっと!」
「やだよ」
「もっともっと!」
「荷物持ってんだぞ」
「もっと!」
「……」
仕方なく、病院の入口まで押していく。
ガラガラと古い車輪が音を立てる。
少女は両手で肘掛けを掴みながら、楽しそうに足を揺らしていた。
『主様』
「なんだ」
『移動効率が低下しています』
「誰のせいだと思ってる」
『主様の判断です』
「お前マジ解体するぞ」
病院の中へ入る。
少女の表情が少し変わった。
さっきまで外のあちこちを見ていた目が、今度は暗い廊下をゆっくり見回している。
「ここ、なに?」
「病院」
「びょういん?」
「ああ。今は俺が住んでる」
「おじさんのおうち?」
俺は少し考えた。
家。
そう呼んだことはなかった。
2ヶ月前に見つけて、雨風を凌げて、ある程度安全だったから使っているだけだ。
「……まあ、そんなもんだ」
「おうち!」
なぜか少女が嬉しそうに言った。
「今日からお前もここに住むんだよ」
少女が俺を見る。
「わたしも?」
「ああ」
「ここにいていいの?」
「そのつもりで連れてきた」
少女は黙った。
さっきまで絶えず動いていた視線が止まる。
「どうした?」
「……ここにいていい?」
「ああ」
もう一度答える。
少女は俺を見つめた。
それから、ゆっくり笑った。
「そっか」
それだけだった。
大喜びするでもない。
飛び跳ねるでもない。
ただ、どこか安心したような顔をした。
俺は車椅子から少女を降ろした。
「まず部屋に行くぞ」
「おへや?」
「ああ」
階段へ向かう。
少女は俺についてきた。
一段。
二段。
三段。
途中で足を止める。
「どうした?」
「これ、おもしろい」
「階段が?」
「うん」
少女は一段降りた。
そして上がる。
また降りる。
また上がる。
「……何してんだ?」
「のぼったり、おりたり!」
「見れば分かる」
「おもしろいよ?」
「俺には分からん」
「おじさんもやる?」
「毎日やってる」
「いっしょ!」
「何がだよ」
どうやら何を見せても楽しめるらしい。
ある意味、羨ましい。
ようやく二階まで上がり、自分の部屋へ戻る。
扉を開けた。
少女が俺の後ろから顔を覗かせる。
「ここだ」
少女は恐る恐る部屋へ入った。
最初にベッドを見る。
次に工具箱。
壁の地図。
燃料容器。
調理器具。
そして、窓。
少女は真っ先に窓へ走った。
「おい、走るな」
聞いていない。
窓枠に両手をつき、外を見る。
「わあ……」
小さな声が漏れた。
俺は荷物を床へ置いた。
「そんなに珍しいか?」
「たかい!」
「二階だからな」
「いっぱいみえる!」
少女は窓に額がつきそうなくらい顔を近づけている。
その横へピコが飛んでいった。
『窓へ体重を掛けすぎないでください』
「なんで?」
『ガラスが破損する可能性があります』
「がらす?」
『目の前にある透明な板です』
少女がガラスを触る。
「これ?」
『はい』
こんこん、と指で叩く。
『強く叩かないでください』
こんこん。
『強く叩かないでください』
こんこんこん。
『警告を理解していますか?』
「うん!」
こんこんこんこん。
『理解と行動が一致していません』
俺は工具を整理しながら笑いそうになるのを堪えた。
こいつを連れてきたのは間違いだったかもしれない。
少なくとも、静かな生活は今日で終わったらしい。
少女はしばらく窓の外を眺めていた。
やがて、壁に端末で写し出された地図に気づく。
「おじさん、これなに?」
「地図」
「ちず?」
「ああ。この辺りが描いてある」
少女が近づいてくる。
俺の横から地図を見上げる。
「おじさんのおうちは、ここ?」
小さな指が適当な場所を指した。
「そこは違う」
「じゃあここ?」
「違う」
「ここ?」
「違う」
「どこ?」
俺は病院の位置を指差した。
「ここ」
少女がじっと見る。
「ちっちゃい」
「地図だからな」
「わたしは?」
「は?」
「わたし、どこ?」
「お前?」
「うん」
俺は少し考えた。
そして、昨日書き込んだ食品店の位置を指差す。
「ここにいた」
少女はそこを見る。
次に、病院を見る。
また食品店を見る。
指で二つの場所をなぞる。
「ここから、ここにきたの?」
「ああ」
「ばいくで?」
「そう」
少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、ここがわたしのおうち?」
指先が病院の印の上で止まった。
俺は一瞬、答えに詰まった。
昨日まで、ここは俺が生き延びるための拠点でしかなかった。
寝る場所。
物を置く場所。
雨風を凌ぐ場所。
それ以上でも、それ以下でもない。
家なんて呼ぶ気はなかった。
けれど。
少女は俺の答えを待っている。
「……まあ、そうなるな」
「そっか!」
少女は病院の印を指で何度も触った。
「ここ、おうち!」
「分かったから」
俺は工具箱を開いた。
回収してきた工具を一つずつ中へ入れていく。
その横で、少女はまだ地図を眺めている。
やがて、小さな声が聞こえた。
「おうち……」
さっきより静かな声だった。
俺は手を止める。
少女は地図を見たままだった。
その言葉が何を意味するのか、本当に理解しているのかは分からない。
ただ、何度か確かめるように呟いていた。
「ここ、おうち」
俺は何も言わず、工具の整理を再開した。
部屋の中では、ピコのプロペラ音が小さく響いている。
昨日までと同じ部屋。
同じベッド。
同じ工具箱。
同じ地図。
なのに、一人増えただけで、妙に狭くなったような気がした。
……まず、寝る場所をどうするか。
俺はベッドを見る。
次に少女を見る。
そして床を見る。
「……ピコ」
『はい』
「ベッド、もう一個必要だな」
『同意します』
「どっかに残ってたよな」
『三階の病室に複数あります』
「あとで運ぶか」
『はい』
少女が振り返った。
「べっど?」
「寝るところだよ」
「ねる?」
俺の手が止まった。
少女はきょとんとしている。
嫌な予感がした。
「……お前、寝るって分かるか?」
「わかんない」
「目を閉じて、しばらく動かなくなるやつ」
「しないよ?」
「…………。」
俺はピコを見る。
ピコもこちらを向いた。
数秒の沈黙。
『主様』
「言うな」
『ベッドは不要である可能性があります』
「言うなって」
少女だけが、何のことか分からないまま楽しそうに笑っていた。
「じゃあ、夜は何してるんだ?」
「よる?」
「暗くなってからだよ」
少女は首を傾げた。
「くらくなったら?」
いや、そうだった。
この子はずっとあの暗い地下室で暮らしてたんだった。
「ああいや、えっとだから、その……」
「べつになにも」
「何もって……ずっと起きてるのか?」
「うん」
「朝まで?」
「あさ?」
「ずっと」
「うん」
少女は当たり前のように頷いた。
俺は額を押さえた。
食事をしない。
水も飲まない。
そして、眠らない。
どんどん人間から遠ざかっていく。
見た目だけなら、どこにでもいる子どもなのに。
「ピコ」
『はい』
「こいつの身体、簡単に調べられるか?」
少女が俺を見る。
「しらべる?」
「痛いことはしない」
「いたいって?」
「……そうだったな」
忘れていた。
俺は少女の頭に手を置いた。
「じっとしてればいい」
「わかった!」
『簡易走査を実行します』
ピコが少女の前まで飛んでいく。
少女は興味津々でピコを見つめている。
『動かないでください』
「うん!」
『動かないでください』
「うん!」
『動いています』
「うん!」
「止まれって言われてんだよ」
俺が肩を掴むと、ようやく大人しくなった。
ピコのセンサーが少女の身体を上から下へ向けられる。
小さな電子音。
数秒。
また電子音。
俺は黙って待った。
やがて、ピコが少し後ろへ下がった。
『走査を終了しました』
「どうだ?」
『生命活動を確認しています』
「それは見れば分かる」
『体温、脈拍、呼吸を確認』
「普通なのか?」
わずかな間があった。
『判断できません』
「……は?」
俺はピコを見る。
『比較可能な生体情報が不足しています』
「人間と比べればいいだろ」
『比較しています』
「じゃあ何が分からない?」
ピコが少女へセンサーを向けたまま止まる。
『複数の数値に矛盾があります』
「矛盾?」
『はい』
「具体的には?」
『現時点では測定誤差との区別ができません』
俺は眉を寄せた。
「もう一回やれ」
『実行します』
再び電子音が鳴る。
少女はじっとしていられなくなったのか、目だけを動かしてピコを追っていた。
数秒後。
『結果は同一です』
「機械の故障じゃないのか?」
『自己診断では異常ありません』
「……そうか」
結局、何も分からない。
ただ一つ分かったのは、分からないことが増えたということだけだった。
少女が俺を見上げる。
「おわった?」
「ああ」
「じゃあ、あそんでいい?」
「好きにしろ。ただし壊すなよ」
「わかった!」
少女はすぐに窓の方へ走っていった。
俺はその背中を見る。
走る。
笑う。
喋る。
呼吸もしている。
触れば温かい。
どう見ても普通の子どもだ。
それなのに、食べない。
飲まない。
眠らない。
俺は壁の地図へ目を向けた。
食品店。
その地下。
非常用設備室。
そして、さらに奥にあった小さな部屋。
あそこには、まだ何か残っている。
壊れた端末も。
読めなかった記録も。
IS-003という番号の意味も。
「……もう一回、調べる必要があるな」
『地下施設をですか?』
「ああ」
『少女についても?』
俺は窓際を見る。
少女はガラスに顔を近づけ、外を飛んでいる鳥を夢中で追っていた。
「それも含めてだ」
今すぐ答えが出るとは思っていない。
それでも。
あの地下には、こいつが何者なのかを知る手掛かりがある。
そんな気がした。
「おじさん!」
突然呼ばれた。
「なんだ」
「あれ!」
少女が窓の外を指差している。
「飛んでる!」
「鳥だよ」
「とり!」
少女が嬉しそうに笑う。
「ピコといっしょ!」
『異なります』
「いっしょ!」
『異なります』
「とべるよ?」
『飛行原理が異なります』
「いっしょ!」
『異なります』
俺は二人を放っておいて、工具の整理へ戻った。
今考えても仕方がない。
どうせ夜になれば分かる。
本当にこいつが一睡もしないのか。
そのときの俺は、まだその程度にしか考えていなかった。




