Ep.44 アイ、わすれたの?
『――おかえりなさい――』
壊れた機械は、それきり黙った。
俺は銃口を下げなかった。
「ピコ」
『武装反応なし。駆動系の大半が損傷しています』
「通信は」
『外部送信なし』
機械は入口に立ったまま動かない。右脚の駆動部が壊れているらしく、機体が僅かに傾いていた。片腕は肩から先がなく、残った外装も錆びている。
敵には見えない。
だからといって、安全とは限らない。
「そこで止まれ」
俺が言う。
機械から返事はない。
アイが背中から顔を出した。
「おかえり?」
「ああ」
「ここ、アイのいえ?」
「それは違う」
即答した。
アイが俺を見る。
「なんで?」
「家は帰りたい場所だろ」
アイは少し考えた。
「びょういん」
「そういうこと」
ここにアイがいた可能性は高い。
だが、いた場所と家は同じじゃない。
機械の頭部が僅かに動いた。
『――IS-003――』
「こいつ、会話できるのか?」
『音声処理機能を確認。試行する価値はあります』
俺は銃を構えたまま聞く。
「IS-003を知ってるのか」
数秒の遅延。
『――管理――対象――』
「ここにいた?」
『――はい――』
アイの指が俺の服を掴む。
「いつまで」
『――記録――検索――』
機械の内部で小さな駆動音がした。
『――最終――管理記録――2063――』
5年前。
「そのあと、どうなった」
長い沈黙。
『――IS-003――接続――』
『――広域――』
ノイズ。
『――停止要求――』
俺は端末を見る。
さっき読んだ記録と一致する。
「何を止めた」
『――自律――戦術――』
音声が途切れる。
ピコが補う。
『自律戦術ネットワークを指している可能性が高いです』
「規模は」
機械が答えようとする。
だが、音にならない。
内部から異音がした。
『記憶装置に多数の破損を確認』
ピコが言う。
「無理に読ませるな」
知りたいことはいくらでもある。
だが、壊れた記録から都合のいい答えを拾っても意味がない。
俺は質問を変えた。
「IS-001と002は?」
初めて、機械の反応が変わった。
頭部が僅かに持ち上がる。
『――001――』
『――002――』
『――戦術実証――』
「ここにいたのか」
『――一時――管理――』
「今は?」
『――不明――』
それだけだった。
現在地も、生死も分からない。
ただ、001と002が単なる計画上の番号ではなく、実際に管理されていた何かだったことは確かになった。
アイが小さく聞いた。
「アイと、おなじ?」
機械の頭部がアイへ向く。
『――同系統――』
アイは自分を指差す。
「こども?」
返答まで時間がかかった。
『――質問――不明――』
「だよな」
外見まで同じとは限らない。
俺はそれ以上聞かなかった。
機械の電源状態が急速に落ちている。
『残存電力、低下』
ピコが告げる。
機械が一歩動こうとした。
右脚がついてこない。
俺は反射的に前へ出たが、機体は壁へ手をついて止まった。
『――IS-003――』
アイが俺の横へ来る。
「なに?」
『――待機――していました――』
アイは黙った。
「誰が?」
俺が聞く。
機械は答えない。
『――003――』
ノイズが増える。
『――帰還――確認――』
『――管理――終了――』
膝に相当する関節が折れた。
機体がゆっくり床へ沈む。
俺は撃たなかった。
『――おかえり――』
音声が途切れた。
頭部の表示灯が消える。
『電源停止』
ピコが言った。
俺はしばらく待った。
再起動はしない。
「しんだ?」
アイが聞く。
「機械だから、人間と同じ死に方ではない」
「ピコも、とまる?」
ピコを見る。
『私は故障または電源喪失によって停止する可能性があります』
アイの顔から表情が消えた。
俺はピコを睨む。
「言い方」
『虚偽を避けました』
それはそうだ。
アイは停止した機械を見ている。
「なおせる?」
俺はしゃがみ、外装を見る。
状態が悪すぎる。
駆動系だけじゃない。内部の腐食も進んでいる。
「直せるとは言えない」
「そっか」
アイはそれ以上言わなかった。
俺たちは端末へ戻った。
全部の記録を見る必要はない。
必要なものだけピコへ保存させる。
IS-003の用途変更。
能力と記憶欠損の関係。
001と002の戦術実証記録。
そして2063年の大規模接続。
最後の項目だけ、一部が残っていた。
《2063――緊急接続》
《複数戦域における自律兵器制御喪失》
《IS-003広域接続を承認》
《接続規模――許容値超過》
《停止要求送信》
《応答数――》
そこから先は壊れている。
次の記録。
《IS-003神経記録異常》
《接続継続》
さらに次。
《強制切断――失敗》
俺は眉を寄せた。
「誰かが止めようとした?」
『記録上はその可能性があります』
「それでもアイは続けた?」
『主体的判断か、自動処理かは不明です』
そこは重要だ。
勝手に美談にはできない。
誰かに命令されたのかもしれない。
システムが自動で続けたのかもしれない。
アイ自身が選んだのかもしれない。
今は分からない。
最後の断片。
《接続終了》
《IS-003生体反応――安定》
《記憶領域――》
欠損。
それで終わっていた。
少なくとも、アイは生き残った。
代わりに、何かを失った。
おそらく大量の記憶を。
アイが画面を見ている。
「アイ、みんなとめた?」
「全部かは分からない」
「でも、とめた?」
「たくさん止めた可能性はある」
「ひと、たすかった?」
俺は答える前に記録を見る。
そこまでは残っていない。
「分からない」
アイは少し残念そうにした。
「知りたい?」
「うん」
「俺もだ」
それだけ言った。
分からないことを、分かったことにはしない。
ピコが保存を終える。
『必要記録の取得完了』
「帰るぞ」
アイが意外そうに俺を見る。
「もう?」
「ああ」
「ほかにも、ある」
端末にはまだ大量のデータがある。
「ある。でも今日必要なのは取った」
それに、足跡の主が分かっていない。
施設内に俺たち以外の何かがいる可能性は残っている。
長居する理由はない。
アイは少し考えてから頷いた。
「かえる」
部屋を出る前、アイが停止した機械の前で立ち止まった。
「どうした」
「ずっと、まってた?」
「そう言ってたな」
「5ねん?」
「たぶん」
アイは機械を見る。
「アイ、おぼえてない」
返事を待っているようだった。
俺は何も言わない。
アイは自分で続けた。
「でも、おかえりって、いった」
「ああ」
「じゃあ」
少し考える。
「ありがとう」
停止した機械は答えなかった。
アイは俺のところへ戻ってきた。
俺たちは特別管理区画を出た。
地下廊下を戻る途中、ピコが突然止まる。
『主様』
「敵?」
『いいえ』
「じゃあ何」
『先ほど保存した2063年記録と、私の破損記録領域に共通する時刻情報を検出しました』
俺の足が止まる。
「同じ日?」
『同日です』
アイも止まる。
「何時」
『IS-003広域接続開始の約2時間17分前。私は主様と共に別の戦域にいました』
嫌な感覚が戻ってくる。
《中継――》
《復旧》
《避難――》
《命令――》
《通信断》
「それ以上は?」
『現時点では復元できません』
「なら後だ」
『了解』
無理に掘らない。
今はアイの記録だけでも十分重い。
地上へ出る。
曇っていた空から、僅かに光が差していた。
「おじさん」
「ん?」
「アイ、わすれたの、いっぱい?」
「ああ」
「もどる?」
俺は歩きながら答える。
「分からない」
「もどらなかったら?」
その質問には少し考えた。
「困る?」
アイが逆に聞き返す。
「お前は?」
「わかんない」
正直な答えだった。
「みおのこと、わすれたくない」
「ああ」
「ピコも」
『はい』
「おじさんも」
俺は何も言わなかった。
アイが俺の袖を掴む。
「わすれたら?」
「そのとき考える」
「おじさん、いなくなる?」
「ならない」
即答した。
アイが俺を見る。
「アイが、おぼえてなくても?」
「ああ」
「なんで?」
「お前が忘れたからって、俺まで忘れる必要ないだろ」
アイは黙った。
数歩歩く。
袖を掴む手は離れない。
「じゃあ」
「ん?」
「もういっかい、おしえて」
俺はアイを見る。
「何を」
「おじさん。ピコ。みお。びょういん」
少し間を置いて、
「アイのなまえも」
俺は前を向いた。
「分かった」
『私も補助します』
「ピコも?」
『はい』
アイは少し笑った。
「じゃあ、だいじょうぶ」
その言葉が、本当にそうなのかは分からない。
記憶を失うことがどれほど怖いのか、アイ自身もまだ理解しきれていない。
俺だって分かっていない。
それでも今は、それでよかった。
帰路につく前に、俺は一度だけ施設を振り返った。
5年前。
アイはここから何かへ接続し、多くの自律兵器を止めた可能性がある。
そして過去を失った。
同じ日、俺とピコにも何かがあった。
別々だったはずの3人の過去が、同じ日に向かって伸び始めている。
だが、それを今日全部知る必要はない。
俺たちは病院へ帰る。
知ったことを持って帰る。
次に進むのは、そのあとでいい。
アイが俺の袖を引いた。
「おじさん」
「何」
「かえろ」
「ああ」
俺たちは歩き出した。




