Ep.43 おかえりなさい。
翌朝、脚部支援装置を装着し、病院の外で最終試験を行った。出力は25%。短距離加速を3回、急制動を2回。左右への切り返しと低い瓦礫の乗り越えを試し、最後に斜面で姿勢制御を確認する。
右脚の温度上昇は許容範囲だった。
「これで行ける」
『連続高負荷運用は推奨しません』
「分かってる」
『主様は理解した内容を実行しない場合があります』
「余計な学習してんな」
少し離れたところで見ていたアイが近づいてくる。
「おわり?」
「ああ」
俺は装置の電源を切った。
「今日は集落で話を通す。出るなら明日の朝だ」
「じゅうはってんよん」
「そう」
アイは以前より、その数字を自然に口にするようになっていた。まだ行ったことのない、自分の過去に繋がっているかもしれない場所。それでも焦っている様子はない。地下で約束した「ゆっくり」を、ちゃんと覚えている。
集落へ着くと、榊と久世、それに真壁を交えて必要なことだけ確認した。目的は18.4km先の旧軍技術施設の調査。日帰りを前提とし、地下区画や未知の敵性反応を確認した場合は深追いしない。14.9km地点の物流施設には寄らず、別経路から北東へ回り込む。
「俺も行く」
蓮が言った。
「今回は駄目だ」
「なんで」
「目的地が軍施設だから」
「前も軍の地下入ったじゃん」
「前は入る予定じゃなかった」
「今回は入る予定だから危ない?」
「そういうこと」
蓮は不満そうだったが、久世が横から口を挟んだ。
「今回は残れ」
「冬馬さんまで」
「何かあったとき、こっちにも外を知ってる人間が必要だ」
それで蓮は黙った。久世自身も同行しない。人数を増やせば安全になるとは限らないし、施設内では動きにくくなる。集落側の守りまで薄くする必要はない。
俺たち3人で行く。
真壁が地図上の18.4km地点を指した。
「そこは普通の駐屯地じゃない」
「前にも聞いた」
「だからもう一度言う。俺が知ってるのは通信設備があったことだけだ。何を研究していたかは知らん」
「分かってる」
「戦争末期には、ここを通る通信の一部だけ妙に扱いが違った。経路も閲覧権限もな」
「IS?」
「そこまでは言えん。俺が見たISの文字と、この施設が直接繋がっていた証拠はない」
「それでいい」
事実だけ分かれば十分だった。
帰り際、澪がアイと話していた。何を話しているのかまでは聞こえない。やがて澪が手を振った。
「またね!」
「またね」
アイも手を振り返した。
翌朝、空は薄曇りだった。雨の気配はない。
出発前に装備を確認する。M-68の残弾は10発。脚部支援装置と予備電源、水、食料、ロープ、救急用品、簡易工具。それにピコの予備部品を最低限。
アイも小さな布袋を肩から斜めにかけていた。
「歯ブラシ?」
「ある」
「ハンカチ」
「ある」
「それだけ?」
「うん」
「よし」
『周辺に敵性反応なし』
上空を確認していたピコが降りてくる。
「行くぞ」
バイクを出し、アイを前に乗せる。ピコはいつものように俺の頭へ降りると、両方のアームで髪を掴んだ。
「痛い」
『落下防止です』
「もう少し加減しろ」
『走行開始後に調整します』
「今やれ」
掴む力が少し緩んだ。
アイが振り返る。
「あたま、だいじょうぶ?」
「お前まで心配するな」
「だいじ?」
「大事だよ」
「じゃあ、しんぱいする」
反論できなかった。
エンジンをかけ、病院を離れた。
最初の10kmほどは、すでに通った道を使った。そこから北東へ進路を変え、14.9km地点の物流施設を避けて進む。道路状況が悪化したところでバイクを隠し、残りは徒歩に切り替えた。脚部支援装置はほとんど補助を切り、電力を使うのは必要なときだけにする。
『目的地まで直線距離2.8km』
「機械反応」
『現在なし』
周囲には低い工業施設が並んでいた。屋根の落ちた工場、横倒しになった運搬車、錆びた配管。戦闘で壊されたというより、人が消えてから5年間、そのまま死んでいったような場所だった。
しばらく進むと、倒れかけたフェンスの向こうに低い建物がいくつも見えてきた。
「着いた?」
「たぶんな」
ピコが前へ出る。
『位置情報一致。18.4km地点です』
旧軍技術施設。
想像していたより小さかった。巨大な研究所でも要塞でもなく、外から見れば古びた技術センターにしか見えない。正門の表示も半分ほど脱落し、《技術支援――》という文字だけが残っていた。
俺は門の手前で足を止めた。泥の上に細い跡が残っている。
「ピコ」
『確認しています』
四脚型のものではない。一見すると人間の靴跡だが、踵にあたる部分がほとんどなく、前後に細長い。
「古い?」
『降雨後に形成されています』
「昨日か一昨日」
『推定範囲内です』
誰かがいる。あるいは、何かが。
M-68にはまだ触れず、正門を避けて西側の倒れたフェンスから敷地へ入った。アイを俺とピコの間に置く。
「約束覚えてるな」
「はなれない。さわらない。あぶなかったら、かえる」
「よし」
『主様も同様です』
「分かってる」
建物の入口は途中まで開いた状態で止まっていた。こじ開けられた形跡はない。中は暗く、ピコを先に入れて走査させる。
『人間反応なし』
「機械」
『微弱な待機電力を複数検出』
ライトを点けて中へ入った。
受付の先には、倒れた椅子が転がる廊下が続いていた。壁には剥がれかけた案内表示が残っている。
《通信技術区画》
《制御系統試験室》
《地下設備》
その一番下に、《特別管理区画》。
矢印は地下を示していた。
「した」
アイが言う。
「ああ」
『微弱電力も地下から検出されています』
すぐには向かわず、先に1階を確認した。別の出口と階段、裏手の非常口まで把握してから地下階段へ向かう。
途中で、アイが足を止めた。
「どうした」
アイは暗い階下を見ている。
「なんか、いる」
M-68へ手をかけた。
「どこ」
「した」
「機械?」
「わかんない」
ピコが階段を下降し、先を探る。
『私のセンサーでは移動反応を検出できません』
「アイ、どんな感じ」
アイは胸の前で手を握った。
「……よばれてる?」
「声?」
「ちがう」
それ以上は、アイ自身にも説明できないらしい。
「戻る?」
アイは少し考えてから、首を横に振った。
「いく」
「無理するな」
「してない」
地下1階へ降りた。
照明は消えていたが、施設そのものは完全には死んでいない。廊下の端に、小さな緑色の表示灯がひとつだけ点いている。
数歩進んだところで、カチ、と頭上の天井灯が点いた。
続いて前方でも、カチ、と音がする。さらにその奥でも照明が点き、俺たちの進行方向へ順番に光が伸びていった。
14.9km地点の地下で見たのと同じだった。
「やっぱりここか」
『電力供給源を確認中。本施設内部から、地下保守網へ給電されています』
あの日、物流施設の地下まで流れていた電気。その供給元が、ここだった。
廊下を進むにつれ、設備の状態が良くなっていく。壁に並ぶ端末も、手前のものは死んでいたが、奥にはまだ待機灯の残っているものがあった。
その先で、頑丈な扉が行く手を塞いだ。
《特別管理区画》
電子ロックには触れていない。それでも表示が勝手に点灯した。
《BIOLOGICAL AUTHORIZATION》
B-03と同じだった。
《SEARCHING》
数秒後、表示が切り替わる。
《IS-003》
《AUTHORIZED》
ロックが外れた。
アイが俺を見る。
「また」
「ああ」
扉を少しだけ開け、ピコに内部を走査させる。
『人間反応なし』
「機械」
『……1』
扉にかけた手を止めた。
「動いてる?」
『待機状態。約32m先』
「武装」
『現位置から判別不能』
「アイ、俺の後ろ」
「うん」
「ピコ、前」
『了解』
扉の先には短い廊下があり、その奥が広い部屋になっていた。この部屋だけは照明が生きている。
中央にあったのは、人型の機械ではなかった。古い軍用端末を中心に複数の機材を接続した、大型の通信制御機だった。
ピコがゆっくり近づく。
『待機電力の発生源です』
「さっきの機械反応はこれ?」
『はい』
少なくとも、見た目に武器らしいものはない。正面の画面は消えており、その前には椅子が1脚だけ置かれていた。
アイが俺の背後から覗く。
「これ?」
「たぶん」
「よんでた?」
「分からない」
その瞬間、画面が点いた。
俺はM-68を抜く。ピコが高度を上げ、アイが俺の服を掴んだ。
《IS NETWORK》
《LOCAL NODE:ACTIVE》
《SUBJECT DETECTED》
《IS-003》
銃口は下げない。さらに文字が続いた。
《BIO-SIGNAL CONFIRMED》
《CONTROL AUTHORITY CONFIRMED》
『外部通信を検出』
「切れるか」
『試行します』
画面に《CONNECTING》の表示が出る。
「ピコ、止めろ」
『遮断処理中』
アイの髪が僅かに浮いた。
「アイ」
「してない」
分かっている。ガソリンスタンドのときとは違う。アイ自身が何かを起こしているんじゃない。装置の方が、アイを使って外部へ接続しようとしている。
《CONNECTION――》
表示が乱れた。
『外部通信遮断』
画面が暗くなり、俺は息を吐いた。
「勝手に繋げるな」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
やがて画面が再び点灯する。
《OFFLINE MODE》
《ARCHIVE AVAILABLE》
「記録だけ見られる?」
『可能性があります』
「外へ繋がないまま?」
『はい』
俺はアイを見る。
「どうする」
「アイがきめる?」
「ああ」
アイは画面を見つめ、少し考えた。
「みる」
「分かった。ただし、変な反応が出たらすぐ切る」
「うん」
M-68を戻し、ピコに端末を調べさせる。
『外部通信回路を物理遮断します』
その間も、俺は出入口から目を離さなかった。敷地の外に残っていた足跡が気になる。誰かがここまで来たのか。それとも、別の場所へ向かったのか。
数分後、ピコが告げた。
『遮断完了』
「開け」
端末には大量の記録が残っていた。全部を見る必要はない。ピコにIS関連だけを抽出させる。
《PROJECT IS》
《IS-001》
《IS-002》
《IS-003》
続いて、これまで見つからなかった完全な記録が表示された。
《IS-001/戦術実証個体》
《IS-002/戦術実証個体》
《IS-003/戦術実証計画より除外》
「じっしょう?」
「試すために作られたってことだと思う」
「アイは?」
「途中で外された」
次の記録が開く。
《IS-003用途変更》
《自律戦術ネットワーク緊急停止系統》
《生体電磁信号による広域認証》
ここまで来れば、ほぼ間違いない。アイの能力は偶然じゃない。自律兵器を止めるために与えられたものだ。
《認証優先度:最上位》
《通常指揮系統を上書き》
だから自律兵器はアイに反応する。そして、アイはネットワークに対する「鍵」になる。
次の記録で、俺は目を止めた。
《運用上の重大リスク》
《広域接続時、IS-003神経記録領域への不可逆的影響を確認》
「ピコ」
『確認しています』
《接続規模と記憶欠損に相関》
「きおく?」
アイが俺を見る。
俺は答えず、続きを読んだ。
《大規模接続禁止》
《緊急時を除き使用不可》
《記憶欠損は回復不能となる可能性あり》
ガソリンスタンドで能力を使ったあと、少なくとも俺が気づく範囲で、アイは何も忘れていなかった。
だが、規模が違えば。
初めてアイを見つけた日のことを思い出す。名前も過去もなく、食べることさえ知らなかった少女。
「……5年前」
『可能性があります』
「何かを止めた?」
『現時点では断定できません』
「でも、それなら……」
袖を引かれた。
「おじさん」
画面から目を離す。
「アイ、わすれた?」
嘘はつかない。
「その可能性がある」
「これ、つかったから?」
「かもしれない」
アイは自分の頭に触れ、少し黙った。
「なおる?」
画面には《回復不能となる可能性あり》とある。確定ではない。それでも、軽々しく大丈夫とは言えなかった。
「分からない」
アイは泣かなかった。ただ考えるように黙ってから、もう一度聞いた。
「またつかったら?」
「もっと忘れるかもしれない」
袖を掴む指に、少しだけ力が入った。
そのとき、部屋の外で金属音が響いた。
カン。
俺とピコが同時に振り返る。
『移動反応』
「距離」
『廊下。約21m』
「人間?」
『判別中。接近しています』
M-68を抜き、アイを背後へ下げた。
廊下から足音が近づいてくる。遅く、不規則で、片方を引きずるような音だった。
銃口を入口へ向ける。
やがて、廊下の奥から影が現れた。
人の形に近い。
だが、人間ではない。
細い金属脚に胴体。片腕だけが残った古い機械だった。武器らしいものも、赤く光るセンサーも見当たらない。壊れかけた整備用の機械にも見える。
俺は撃たなかった。
機械は部屋の入口で止まり、頭部にあたる部分をゆっくりとアイへ向けた。
『――IS――』
ノイズ混じりの声だった。
引き金に指をかける。
『――003――』
アイが俺の背中に隠れた。
機械はそれ以上近づいてこない。
そして、途切れ途切れの音声で言った。
『――おかえりなさい――』
誰も動かなかった。




