Ep.42 けむり。
翌朝、ピコの異常は再発しなかった。
飛行制御、通信、センサー、電源。どれも正常だった。昨夜の0.8秒だけを除けば、故障と呼べるものは見つからない。
俺は診断画面を閉じた。
「今日はどうする?」
アイが聞いた。
「今日も、集落に寄ってから、少し先を見る」
「じゅうはってんよん?」
「そこまで行かない」
外側の状況をもう少し知っておきたい。14.9km地点では新しい機械の痕跡があった。目的地だけ見て突っ込む理由はない。
それに脚部支援装置も、実地で一度試しておく必要がある。
俺は装置を身につけた。
出力25%。
右脚の温度上昇を考え、連続稼働時間には制限をかける。
『制御正常』
「異常出たらすぐ言え」
『了解』
アイが俺の脚を見る。
「ころばない?」
「昨日も聞いたな」
「きょうも」
「転ばないようにする」
それで納得したらしい。
病院を出た。
集落へ着くと、蓮が入口近くで自転車を弄っていた。
俺を見るなり手を止める。
「おっさん、それ」
視線は脚へ向いている。
「直したの?」
「一応」
「一応で軍用品履いて歩いてくんなよ」
「まだ試験中だ」
蓮がしゃがみ込む。
「うわ、ほんとに直ってる。右側あんな曲がってたのに」
「触るな」
「触ってないって」
『接触まで残り6.2cmでした』
「ピコ、お前細かいな」
『事実です』
蓮が立ち上がった。
「で、どこ行くの」
「東側を少し見る」
「俺も――」
「今日はいい」
「まだ最後まで言ってないけど」
「どうせ来るって言うだろ」
「言う」
「だからいい」
蓮は露骨に不満そうな顔をしたが、今回は食い下がらなかった。
代わりに声を落とす。
「昨日の夕方、東から戻った奴がいる」
「集落の人間?」
「うん。こっから4kmくらい先まで薬になりそうなもの探しに行ってた人。変なの見たって」
「機械?」
「違う」
蓮は東を指した。
「煙」
俺は黙る。
「火事じゃない。細く上がってて、しばらくしたら消えたって」
「場所は」
「ここから東北東。」
煙。
機械は火を焚かない。
自然火災なら、わざわざ細く上がって消えるのも妙だ。
人間の可能性がある。
「榊は知ってる?」
「知ってる。まだ確認はしてない」
予定を変えた。
人がいるなら、先に把握しておいた方がいい。
榊と久世にも話を通し、目撃地点だけ確認する。
今回は蓮を連れていかなかった。
距離は短い。
確認だけして帰る。
俺とアイとピコの3人で集落を出た。
「おじさん」
「ん?」
「けむり、ひと?」
「かもしれない」
「みおみたいな?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない」
「わるいひと?」
「それも分からない」
アイは前を見る。
「わからない、いっぱい」
「外はそんなもんだ」
『約400m先に新しい移動痕を確認』
ピコが高度を下げた。
俺は止まる。
「人?」
『車輪痕です』
道路の端へ寄る。
土が露出した場所に細い跡があった。
自転車。
古いものではない。
昨日の雨のあとについた痕だ。
「1台?」
『少なくとも2台』
「方向」
『北東』
煙の目撃方向と一致する。
進む。
それから1kmほど先で、今度は俺が見つけた。
錆びていない空き缶
中に灰。
簡易的な火入れに使ったらしい。
「最近だな」
『周辺走査。人間反応なし』
「進むぞ」
さらに先。
道路が大きく崩れ、正面からは通れなくなる。
迂回して古い住宅地へ入った。
そこでピコが急停止した。
『主様』
「何」
『前方に人間反応』
身体が自然に低くなる。
「数」
『3』
「距離」
『約170m』
「武器は」
『遮蔽物により判別不能』
俺はM-68には触れなかった。
まだ必要ない。
アイを後ろへ下げる。
「俺から離れるな」
「うん」
ゆっくり進む。
廃車の陰の崩れた塀、その先に人影が見えた。
3人の大人。
こちらにも気づいた。
向こうが止まる。
俺も止まる。
距離は70mほど。
1人が長い物を持っている。
銃に見える。
だが構えてはいない。
俺は両手を見える位置へ出した。
「敵意はない」
声を張る。
返事はすぐには来なかった。
やがて中央の男が叫ぶ。
「どこから来た!」
「西だ」
集落の位置は言わない。
「何人いる!」
「それを初対面で答える奴いるか?」
沈黙。
横にいた女が何か言った。
中央の男が少しだけ肩を落とす。
「……まあ、そうだな」
会話はできるらしい。
「そっちは?」
俺が聞く。
「通りすがりだ」
「煙を上げた?」
また3人が顔を見合わせる。
今度は女が答えた。
「昨日なら私たち」
「何のために」
「仲間への合図」
人がいる。
少なくとも、この3人だけではない。
男の視線が俺の後ろへ動いた。
アイを見ている。
俺は半歩ずれる。
視線を遮る。
男はそれ以上見なかった。
「子供連れで歩いてんのか」
「事情がある」
「そうか」
深掘りしてこない。
助かる。
「この辺に機械は?」
俺が聞く。
男の表情が変わった。
「見たのか」
「質問に質問で返すな」
「……2日前に見た」
「種類」
「四つ脚。黒い奴」
予想通りだ。
「何体」
「1体だけ。北へ行った」
14.9km地点の2体と同一かは分からない。
「他には」
「飛んでる小さいのを1機。昨日の朝」
偵察機。
俺は頭の中で位置を記録する。
男が今度は俺の脚を見る。
「それ、軍のか?」
脚部支援装置。
隠しようがない。
「拾い物を直した」
「動くのか」
「少しだけ」
男は妙な顔をした。
「直せる奴がいるのか」
「いる」
俺とは言わない。
向こうも聞かなかった。
しばらく互いに距離を保ったまま情報を交換した。
水場。
崩落路。
機械を見た方角。
それだけ。
名前も聞かなかった。
別れる直前、女がアイを見る。
「その子、いくつ?」
俺が答える前に、アイが言った。
「わかんない」
女が困った顔をする。
「そうなの?」
「うん」
「私は37」
なぜ自分の年齢を返した。
アイも困っている。
俺は少し笑いそうになった。
女も笑った。
それだけだった。
3人は北東へ。
俺たちは西へ戻る。
しばらく歩いてから、アイが聞いた。
「ともだち?」
「違う」
「てき?」
「今のところ違う」
「じゃあ、なに?」
「知らない人」
アイが考える。
「しらないけど、はなす?」
「ああ」
「てきじゃない?」
「知らない奴が全部敵だったら、世界中と戦うことになる」
「たいへん」
「だから話す」
アイは振り返る。
3人の姿はもう見えない。
「また、あう?」
「分からない」
「なまえ、しらない」
「必要なら次に聞けばいい」
「つぎ、ある?」
「それも分からん」
アイは少し黙った。
「でも、いた」
「何が」
「ひと」
俺も一度振り返った。
崩れた住宅地。
誰もいないと思っていた場所に、自転車の跡があり、灰があり、人間がいた。
集落だけじゃない。
外にもまだ人はいる。
当たり前のことなのかもしれない。
だが、この5年間、俺は当たり前だと思わなくなっていた。
集落へ戻る頃には、空が薄く曇っていた。
榊へ会った3人と機械の情報だけ伝える。
煙の主は人間だった。
北東にも別の集団がいる可能性がある。
それで十分だ。
病院へ戻ったのは夕方だった。
脚部支援装置を外し、ピコにログを確認させる。
右脚も問題なし。
次の探索には持っていける。
アイが地図を見ながら言った。
「次はそこ?」
俺は地図を見る。
今日の移動痕と人間との遭遇地点を追加する。
「そのつもりだ」
「みんなで?」
「ピコとは行く」
「アイは?」
「……お前もだ」
アイが俺を見る。
「いい?」
「お前に関係する場所だ。危険なら帰る。それを守れるなら」
「まもる」
即答だった。
『主様』
ピコが呼ぶ。
「何」
『先ほど取得した移動ログの保存中、旧記録との一致を検出しました』
「また戦争中の?」
『はい』
俺はピコを見る。
昨日の0.8秒。
「何が一致した」
『地理情報です』
壁の地図に1点が表示される。
病院でも、地下施設でもない。
18.4km地点でもない。
もっと遠い。
今の地図の端。
「ここ?」
『戦時中、主様と私が通過した記録があります』
俺は位置を見る。
覚えている。
場所そのものではない。
方向を。
あの頃、何度も向かった東京側の戦域。
「何の任務だ」
ピコが沈黙した。
数秒。
『記録が破損しています』
「またか」
『ただし、断片を確認できます』
「出せ」
短い文字が表示された。
《中継――》
《復旧》
《避難――》
《命令――》
《通信断》
そこから先はない。
俺は画面を見た。
胸の奥に、嫌な感覚だけが残る。
内容は出てこない。
でも知っている。
これは忘れたんじゃない。
思い出したくない方だ。
「おじさん?」
アイの声で、画面を消した。
「今日は終わり」
「みない?」
「今はな」
アイは俺を見ていたが、追及しなかった。
俺は地図だけ残した。
その先に広がる、まだほとんど知らない土地。
そこにはアイの過去だけじゃない。
どうやら俺たちが置いてきたものまで残っているらしかった。




