Ep.40 また、現在の呼称はアイです。
病院へ戻ると、持ち帰った資材を処置室へ運び込んだ。
電源ユニットは脚部支援装置の横へ。治具と矯正器具は作業台へ。交換用のケーブルと端子類は、種類ごとに分けて空いたケースへ入れる。
アイも自分で持ってきた袋を床へ置いた。
「てつだった」
「ああ。助かった」
アイは満足そうに頷いた。
『運搬重量は主様より少量でした』
「比較しなくていい」
『事実です』
「ピコも、もってない」
アイが言う。
ピコの青い目が止まった。
『私は周辺警戒および経路確認を担当していました』
「もってない」
『役割分担です』
「アイは、もった」
『はい』
「アイのかち」
「何の勝負だよ」
『勝敗条件が設定されていません』
アイは少し考えた。
「じゃあ、アイのかち」
『論理的に成立していません』
地下で自分に反応する扉を見つけた直後とは思えない会話だった。
だが、そのくらいでいい。
俺は電源ユニットを脚部支援装置へ接続する準備を始めた。
あの階段へ降りるのは明日以降。
先に装備を直す。
地下で何が待っているか分からない以上、使える手札は増やしておきたい。
ピコに変換回路の設計を任せ、俺は右脚のフレーム修正に取りかかった。
持ち帰った治具で固定する。
曲がった箇所へ一気に力を加えるのではなく、少しずつ戻す。金属疲労の状態が分からない。焦って割れば終わりだ。
『偏位、3.9mm』
「まだだな」
矯正する。
測る。
『3.1mm』
もう一度。
『2.2mm』
アイが横から覗く。
「なおってる?」
「少しずつ」
「いっかいで、なおさない?」
「無理にやると壊れる」
「ゆっくり?」
「ああ」
アイは曲がったフレームを見る。
「アイも?」
手が止まった。
「何が」
「むかしのアイ、ゆっくり?」
たぶん、明日地下へ行く話をしている。
俺は工具を置いた。
「そうだな」
「いっかいで、ぜんぶしらない?」
「ああ」
「こわれる?」
子供の言葉は時々、答えに困る。
「物みたいに壊れるとは限らない。でも、嫌になったら途中でやめていい」
「アイが?」
「お前が」
「おじさんが、しりたくても?」
「ああ」
アイは黙って俺を見る。
「なんで?」
「お前の昔だからだよ」
少し考えたあと、アイは頷いた。
「じゃあ、ゆっくり」
「そうしよう」
俺は作業へ戻った。
それ以上説明する必要はなかった。
夕方までかけて、右脚の偏位は1.1mmまで戻った。
完全ではない。
だが、あと少しだ。
電源の変換回路も形になった。
ピコの診断では、明日には低出力での動作試験まで進められる可能性がある。
その日はそこで作業を終えた。
翌朝。
最初にやったのは、地下へ行く準備ではなかった。
脚部支援装置の試験だった。
「主様。最終確認を推奨します』
「してる」
『右膝関節軸、偏位0.7mm。推定許容範囲内』
昨日からさらに修正した。
交換したケーブルも正常。
通信モジュールは切断済み。
電源は地下施設から回収した蓄電ユニットへ変更している。
重量は増えたが、許容範囲だ。
俺は腰部フレームを持ち上げた。
「着けるぞ」
アイが近づく。
「アイ、みる」
「離れて見ろ」
「なんで?」
「俺が転んだら巻き込む」
アイがすぐ2歩下がった。
「もっと」
さらに下がる。
「そこ」
装着する。
腰。
大腿部。
膝。
脛。
足首。
細い金属フレームが両脚の外側に沿う。
装甲服のように身体を覆うものではない。関節の動きを補助する骨組みだ。
固定具を締める。
少し重い。
電源を入れる。
低い起動音。
『制御系統起動』
ピコが周囲を飛ぶ。
『出力制限30%。外部通信機能なし。各関節センサー正常』
「立つ」
「もう、たってる」
「そういう意味じゃない」
体重を左右へ移す。
装置が追従する。
僅かな遅れ。
右膝に違和感はない。
1歩。
金属フレームが動く。
2歩。
3歩。
思ったより自然だ。
「歩ける」
アイが言う。
「歩くためだけならいらないんだけどな」
廊下へ出る。
障害物のない区間を選んだ。
「ピコ。制御見ろ」
『監視中です』
軽く走る。
最初の数歩は自分の脚だけ。
補助が入った瞬間、身体が前へ押された。
速い。
予想より強い。
俺はすぐ止まった。
「出力25」
『変更』
もう一度。
今度はいい。
自分の動きに半歩先回りされる感覚が薄くなった。
短く加速。
減速。
方向転換。
右。
左。
装置が姿勢の崩れを補正する。
「おじさん、はやい」
アイが廊下の端から見ている。
「まだ遅い方」
「もっと?」
「出せる。でも出さない」
「ころぶから?」
「それもある」
『主様の年齢を考慮すると関節保護は――』
「老人扱いするな」
『老人とは発言していません』
「言い方がそうだった」
アイが笑う。
俺は次に、床へ置いた木片を越えた。
小さく跳ぶ。
着地。
装置が膝と足首を補助する。
衝撃が明らかに少ない。
使える。
戦うためではなく、動くための装備として。
これなら敵に狙われたとき、射撃姿勢へ入る前の兆候をピコが拾えば、遮蔽物へ飛び込む時間を少し稼げる。
少し。
それで十分だ。
銃弾より速くなる必要なんてない。
撃たれる場所に残らなければいい。
『主様』
「何」
『右脚駆動部温度が上昇しています』
俺は即座に止まった。
「どれくらい」
『許容範囲内ですが、左脚との差が11.4℃』
「やっぱり右は駄目か」
電源を切る。
無理はしない。
「連続使用は短時間だな」
『現状では推奨します』
「あとで調整する」
装置を外す。
アイが近づいてきた。
「なおった?」
「半分くらい」
「つかえる?」
「短い時間なら」
「おじさん、たすかる?」
昨日と同じ質問だった。
俺は装置を見る。
「そのために使う」
アイが俺を見る。
「アイも、たすける?」
「ああ」
「おじさんも?」
また念を押された。
「ああ」
今度は迷わず答えた。
「俺も」
アイは頷いた。
「じゃあ、いい」
それで試験は終わった。
装置は病院に残すことにした。
まだ信頼できる状態ではない。
M-68。
10発。
ライト。
予備電源。
水。
ロープ。
簡易工具。
救急用品。
必要なものだけを持つ。
アイの鞄には歯ブラシと、乾いた薄黄色のハンカチ。
「行くぞ」
「うん」
『出発します』
昨日と同じ道を歩く。
地下施設へ到着。
発電設備を確認。
異常なし。
保守区画へ進む。
B-03。
昨日開いた扉は、そのままだった。
表示部には何も出ていない。
「ピコ」
『周辺に人間反応なし。稼働機械反応なし』
「下は」
『確認可能範囲に異常なし』
俺はアイを見る。
「行くか?」
アイは開いた扉を見る。
それから俺の袖を掴んだ。
「いく」
「嫌になったら言え」
「うん」
「分からない物には触るな」
「うん」
「勝手に先へ行かない」
「うん」
『主様』
「何」
『私にも確認事項があります』
「言ってみろ」
『危険を確認した場合、調査継続より撤退を優先してください』
俺はピコを見る。
「俺に?」
『はい』
「分かってるよ」
『再確認です』
アイが俺を見る。
「おじさんも、やくそく」
「分かった」
「うん」
階段へ入った。
俺が先頭。
アイが中央。
ピコが後ろから周囲を監視する。
階段は狭かった。
壁はコンクリートではなく、金属板で補強されている。天井には細い配線が何本も走っていた。
1階分ほど降りる。
踊り場。
さらに下。
昨日ピコが測った通り、約4m。
最下部に着く。
扉はなかった。
短い通路が続いている。
俺はライトを向けた。
左右の壁は白い。
上階とは明らかに造りが違う。
汚れてはいるが、病院や保守区画よりずっと密閉性が高い。
「研究施設か?」
『構造上、その可能性があります』
数m先にガラス窓。
その向こうは部屋になっていた。
机。
椅子。
壁面端末。
倒れた棚。
人はいない。
「ここ、アイいた?」
アイが聞く。
「分からない」
「おぼえてない」
「無理に思い出すな」
「うん」
最初の部屋へ入る。
ピコが端末へ近づく。
『電源なし』
「起こせる?」
『外部給電が必要です』
「後回し」
机の上には紙がない。
記録媒体もほとんど撤去されている。
意図的に片づけられたように見える。
壁に表示。
《B-03 CONTROL》
その下に、
《AUTHORIZED PERSONNEL ONLY》
さらに奥へ進む。
廊下の左側に小部屋が3つ。
右側には大きなガラス窓。
窓の向こうに、何かが並んでいる。
俺は足を止めた。
ベッド。
いや。
医療用の寝台に近い。
3台。
そのうち2台は空。
最後の1台には透明な覆いがついている。
アイが俺の横へ来ようとする。
「待て」
俺が先に入る。
ピコが走査する。
『生体反応なし。有害ガス反応なし』
「入っていい」
アイが来る。
部屋の壁には医療機器らしき装置が並んでいる。
ほとんど停止している。
俺は寝台を見る。
番号が振られていた。
最初。
《001》
次。
《002》
最後。
《003》
アイも見つけた。
「さん」
俺は答えない。
003の寝台だけ、他の2つと形が違う。
透明な覆い。
複数のケーブル。
生体モニター。
そして側面に、小さな文字。
《IS-003》
アイが近づく。
触れない。
ただ見る。
「これ」
「ああ」
「アイ?」
「お前に使われてた可能性はある」
「ここで?」
「たぶんな」
アイは寝台を見る。
何かを思い出す様子はない。
怖がってもいない。
ただ、知らない物を見るように見ている。
「寝てた?」
「かもしれない」
「ねる、いらないのに?」
俺は答えられなかった。
ピコが003の装置を調べる。
『生体維持装置に類似。ただし既知の医療規格と一致しません』
「動く?」
『停止しています』
「記録は」
『端末が存在します』
寝台の横。
小型端末。
電源は死んでいる。
俺は予備電源を取り出した。
「起こせるか」
『試行可能です。ただし外部通信機能を先に遮断します』
「やれ」
ピコが端末を開く。
数分かけて通信部を切り離す。
その後、予備電源を接続した。
画面が点く。
古い起動表示。
文字。
《PROJECT IS》
《BIOLOGICAL INTERFACE DEVELOPMENT》
俺は黙って読む。
次。
《SUBJECT》
《IS-003》
そして。
《STATUS:BIOLOGICAL》
アイが画面を見る。
「ばいお?」
「生き物って意味に近い」
「アイ、いきもの?」
「ああ」
そこは迷わない。
「生きてるだろ」
アイが自分の手を見る。
「うん」
画面が切り替わる。
ピコがデータを読み込む。
『記録領域の大半が消去されています』
「残ってるものだけ」
『抽出します』
断片が表示される。
《人工生体――》
欠損。
《ヒト由来細胞――》
欠損。
《代謝維持――独立――》
欠損。
俺の視線が止まった。
人由来細胞。
代謝維持。
アイが食べなくても死なない理由。
水を飲まなくても生きている理由。
普通の人間と違う。
でも機械でもない。
『追加記録』
ピコが表示する。
《IS-003》
《戦闘配備:非承認》
《任務変更》
その下。
《EMERGENCY CONTROL INTERFACE》
昨日見た言葉。
さらに続く。
《AUTONOMOUS TACTICAL NETWORK》
俺の指が止まる。
自律戦術ネットワーク。
「ピコ」
『はい』
「つまり」
『IS-003は、自律兵器ネットワークに対する緊急制御インターフェースとして設計、あるいは再設計された可能性があります』
ガソリンスタンド。
四脚型。
停止したピコ。
狂った電子機器。
全部が繋がる。
アイが画面を見る。
「アイ、くろいの、とめる?」
「……そういう目的だった可能性がある」
「なんで?」
「戦争で、機械がたくさん使われたからだ」
「アイが、とめる?」
「ああ」
「じゃあ、いいこと?」
俺は答えなかった。
いいこと。
悪いこと。
そんな簡単な話じゃない。
止めるために作られた。
だから良い。
そう言ってしまえば、こいつの存在理由をまた誰かの都合で決めることになる。
「それは、お前が決めなくていい」
「なんで?」
「昔の目的だからだ」
アイが俺を見る。
「いまは?」
「今のお前が何をするかは、お前が決める」
アイはしばらく黙った。
「アイ、まだわかんない」
「それでいい」
ピコが別の記録を復元する。
『主様』
「何」
声が少し変わった。
『重要度の高い記録を確認』
画面に警告色の枠が出る。
《DIRECTIVE》
《IS-003 LOSS PROTOCOL》
その下。
俺は読んだ。
《IS-003喪失時》
《最優先破壊対象》
部屋が静かになった。
アイも文字を見ている。
全部は読めなくても、《IS-003》は分かる。
「はかい」
アイが言った。
俺は画面を消そうとした。
「待って」
アイが言う。
手が止まる。
「アイの?」
嘘はつけない。
「ああ」
「アイ、こわす?」
俺は画面を見る。
命令文。
兵器が今も守っている命令。
「お前が敵に取られたり、管理できなくなったときの命令だったんだと思う」
「なんで、こわす?」
「お前を使われないためだ」
「だれに?」
「敵に」
アイは少し考える。
「アイ、もの?」
その質問だけは、すぐに答えられた。
「違う」
「でも、つかう」
「昔の奴らはそう考えてたのかもしれない」
「おじさんは?」
「思ってない」
「ピコは?」
『IS-003を装備品として扱う根拠はありません』
アイがピコを見る。
『また、現在の呼称はアイです』
アイの目が少しだけ大きくなる。
俺もピコを見る。
「お前、たまにいいこと言うな」
『通常通り事実を述べました』
「そうかよ」
アイが画面へ戻る。
しばらく見たあと、自分から言った。
「アイ、ものじゃない」
「ああ」
「アイは、アイ」
「ああ」
それ以上はいらなかった。
ピコが記録を保存する。
まだ残っている。
001。
002。
任務変更。
誰がアイをここへ置いたのか。
なぜ003だけが戦闘配備されなかったのか。
そして、なぜ5年前にアイの記憶が失われたのか。
だが、今日はもう十分だった。
俺は端末から予備電源を外した。
画面が消える。
「戻るぞ」
アイが003の寝台を見る。
「もう?」
「ああ」
「まだ、ある」
「あるな」
「みない?」
「今日はここまで」
アイは寝台と俺を交互に見た。
「ゆっくり?」
昨日の言葉を覚えている。
「そう。ゆっくり」
アイは頷いた。
「じゃあ、かえる」
俺たちは部屋を出た。
001と002の寝台には触れなかった。
まだ空のまま。
それが何を意味するのかも、今は決めない。
階段を上がる。
B-03の扉を抜ける。
保守区画。
さらに地上へ。
外へ出ると、空は曇っていた。
風が吹く。
アイの薄い水色の髪が揺れる。
アイは空を見上げた。
「おじさん」
「ん?」
「アイ、つくられた?」
足が止まった。
ピコも止まる。
俺は少し考えてから答えた。
「たぶんな」
「おじさんは?」
「俺は普通に生まれた」
「ピコは?」
『製造されました』
アイが俺とピコを見る。
「ちがう」
「ああ」
「でも、いっしょ?」
俺は頷いた。
「今はな」
アイはそれで納得したのか、それ以上聞かなかった。
歩き出す。
数歩先へ行ってから戻ってきて、いつものように俺の袖を掴んだ。
ピコが俺たちの横を飛ぶ。
作られ方が違う。
生き方も違う。
それでも帰る方向は同じだった。




