Ep.37 おじさんは、しりたい?
集落で一通り報告を終えた頃には、日がかなり西へ傾いていた。
「聞き間違いじゃないんだな」
榊が確認する。
『音声記録を保持しています』
ピコが答える。
『対象は《IS-003》《最優先》《確保》と発声しました』
「以前は破壊対象だったんだろ」
「ああ」
俺は頷いた。
「ガソリンスタンドの個体は、はっきり《最優先破壊対象》と言った」
「同じ種類の機械なのに命令が違う」
「外見は同系統だ。中身まで同じかは分からない」
久世が腕を組む。
「製造時期か、所属か。それとも最後に受けた命令が違うか」
「どれもあり得る」
戦争末期の命令系統は、まともな状態ではなかった。
通信網は寸断され、部隊単位で異なる命令を抱えたまま孤立した。中央から更新された命令が届いた機械もあれば、届かなかった機械もある。5年経った今でも動いている連中が、同じ命令を共有していると考える方が不自然なのかもしれない。
ただし。
破壊と確保。
単なる優先順位の違いではない。
「真壁にも聞かせるか」
榊が言った。
「頼む。ただ、今すぐ答えが出るとは思ってない」
「本人も同じことを言うだろうな」
たぶん最初に「知らん」と言う。
そのあと知っている範囲だけ話す。
あの爺さんはそういう人間だ。
集落を出る前に、アイが戻ってきた。
洗ったハンカチを両手で持っている。まだ湿っていた。薄黄色の布には、黒い糸で縫われた歪な花と、その近くにうっすら赤黒い染みが残っている。
「落ちなかったか」
「ちょっと、のこった」
「嫌?」
アイは首を横に振った。
「これでいい」
そう言って、丁寧に畳む。
澪も後ろから来た。
「お母さんが、乾くまで鞄に入れない方がいいって」
「うん」
「ちゃんと乾かしてね」
「うん」
「あと、次は自分の血には使わないで」
「なんで?」
「……自分の血にも使っていいや」
澪が自分で分からなくなったらしい。
「ハンカチだから、使いたいときに使えばいいよ」
「わかった」
アイは納得した。
澪が俺を見る。
「ユウさん」
「ん?」
「もう血出さないでね」
「努力する」
「絶対じゃないの?」
「外で絶対って言う奴は信用するな」
澪が怪訝な顔をした。
横から奈緒が言う。
「つまり、気をつけるって」
「最初からそう言ってよ」
「すみません」
8歳に怒られた。
アイが俺を見て、少し笑った。
俺たちは集落を出た。
帰路に敵は出なかった。
病院へ着いた頃には、空の端が橙色に染まり始めていた。
非常口の前でエンジンを止める。
静けさが戻る。
アイが先に降りた。
「ただいま」
誰もいない廃病院に声が響く。
『帰還を確認』
ピコが続く。
俺もバイクを押しながら中へ入った。
「ただいま」
返事をする人間はいない。
それでも、最近は言うようになった。
回収した脚部支援装置は1階の空いている処置室へ運び込んだ。
ここは窓が残っていて、昼なら作業灯を使わなくても手元が見える。電力を復旧してからは夜間の作業もできるようになった。
床に古いシートを敷く。
その上へ3つに分けた装置を並べた。
腰部。
左脚。
損傷した右脚。
アイは少し離れた場所にしゃがんでいる。
「近づきすぎるなよ」
「みる」
「見るだけ」
「てつだう」
「何を」
「みる」
「それは手伝いじゃない気がするんだよな」
『監視要員として定義すれば作業参加に含めることは可能です』
「じゃあ監視頼む」
「うん」
アイが真剣な顔になった。
何を監視しているのかは分からない。
俺は工具を並べた。
「ピコ、まず制御部」
『了解』
腰部フレームの外装を外す。
内部には小型の制御基板と駆動制御装置が収まっていた。浸水した形跡は少ない。密閉構造が生きていたらしい。
問題は電源だ。
バッテリーは完全に死んでいる。
右脚の損傷も大きい。
それでも、使える部品は残っていた。
『制御基板に物理的破損なし』
「生きてる可能性は?」
『あります。ただし通電前に絶縁状態の確認を推奨』
「分かってる」
右脚を調べる。
外側フレームが曲がっている。
膝関節の軸も僅かにずれていた。
「これが面倒だな」
『修正には治具が必要です』
「作る」
『病院内の設備のみでは精度不足の可能性があります』
「地下施設から使えそうな物を持ってくる」
『候補を検索します』
アイが手を上げた。
学校じゃない。
「何」
「なおる?」
俺は装置を見る。
「たぶんな」
「いつ?」
「まだ分からない」
「ピコは?」
『現段階で修復完了時刻の算出は不可能です』
「ピコも、わからない」
「嬉しそうに言うな」
アイが笑う。
俺は左脚部の外装を外した。
こちらは状態がいい。
アクチュエータも見た限り破損していない。
端子を清掃し、ピコの簡易診断機能を接続する。
『内部制御系統へアクセスを試行』
「待て」
ピコが止まる。
「外部通信機能があるか先に見ろ」
今日のことがある。
旧軍装備を不用意に起こして、また何かへ信号を飛ばされるのは御免だ。
『確認します』
数十秒。
『短距離軍用データリンク機能を確認』
「切れる?」
『物理的切断が可能です』
「切る」
『了解』
通信モジュールへ繋がる線を外す。
アンテナ部も切り離す。
これで少なくとも勝手に外へ喋る可能性は下がる。
「もういい」
『アクセス開始』
ピコの目が細かく明滅する。
俺はその間に右脚の泥を落とす。
アイがじっと見ている。
「退屈じゃないのか」
「たいくつ?」
「何もすることなくて嫌になること」
アイは考える。
「いま、いやじゃない」
「そうか」
「おじさん、なにしてるか、みてる」
「面白い?」
「わかんない」
「正直だな」
『アクセス成功』
ピコの声で手を止める。
「状態」
『機体識別情報を取得』
「読め」
『旧陸上戦術装備規格。下肢機動支援装置。試験配備型』
久世の記憶と一致する。
『装着者の走行、加速、減速、段差踏破、姿勢制御を補助する装備です』
「想定通りだな」
『ただし』
嫌な接続詞だ。
「何」
『最終稼働記録が残っています』
俺は手を止めた。
「いつ」
『記録時刻の一部が破損しています。年のみ取得可能』
「2063?」
『はい』
戦争が終わった年。
「内容は」
『展開します』
処置室の壁に、ピコが簡易表示を投影した。
文字列が並ぶ。
大半は破損している。
装着者情報。
部隊番号。
電源残量。
関節負荷。
その中に、短い記録が残っていた。
《緊急退避》
《第3保守区画》
《通信断》
《北東施設――》
そこで途切れている。
俺は画面を見る。
「北東施設」
『記録上の正式名称は欠損』
「位置は?」
『座標情報なし』
だが候補はひとつある。
18.4km地点。
俺は続きへ目を走らせた。
《――IS系統》
指が止まる。
アイも壁を見ていた。
文字をどこまで読めているのかは分からない。
「ピコ」
『解析中です』
表示が切り替わる。
破損したデータの中から、読める部分だけが抽出される。
《IS系統通信――優先》
《接続要求――》
《認証――》
昨日、8.6km地点で受けたものと同じ言葉。
接続要求。
「装備そのものがISと繋がるのか?」
『断定できません。この記録が本装備の通信ログなのか、周辺ネットワークから受信した情報なのか判別不能です』
「つまり、これだけじゃ分からない」
『はい』
アイが壁を見ながら言った。
「アイ?」
俺は振り返る。
「これも、アイ?」
壁には《IS》の文字。
「関係はあると思う」
「むかしの?」
「ああ」
アイはしばらく黙っていた。
「おぼえてない」
「それでいい」
「いい?」
「覚えてないものを無理に思い出そうとする必要はない」
アイが俺を見る。
「おじさんは、しりたい?」
「知りたい」
そこは誤魔化さない。
「でも、お前に無理させてまで知りたいわけじゃない」
「なんで?」
「順番が違うからだ」
アイには分かりにくかったらしい。
「じゅんばん?」
「昔のお前が何だったかより、今のお前がどうしたいかの方が先」
アイは自分の胸に手を置いた。
「いまのアイ」
「ああ」
「むかしも、アイ?」
俺は答えるまで少し時間がかかった。
「それを調べてる」
「ちがったら?」
「違っても、お前が消えるわけじゃない」
アイは黙った。
それから、肩から下げた鞄に触れた。
中には歯ブラシ。
外側には、乾ききっていない薄黄色のハンカチ。
「みおは?」
「何が」
「むかしのアイ、ちがっても、ともだち?」
「あいつに聞いてみろ」
「おじさんは?」
今度はすぐ答えた。
「俺は変わらん」
アイの指が鞄から離れた。
「そっか」
それだけだった。
でも、表情が少し緩んだ。
『主様』
ピコが呼ぶ。
「続き見つかった?」
『断片データを1件復元』
壁の表示が変わる。
文字は短かった。
《IS計画》
俺は息を止める。
その下。
《生体――》
欠損。
《戦術――》
欠損。
《IS-001》
《IS-002》
《IS-003》
3つの番号が並んでいた。
アイが小さく言う。
「いち」
「ああ」
「に」
「ああ」
「さん」
自分を指差す。
「アイ」
俺は壁を見る。
「たぶんな」
『追加情報を検索します』
ピコが解析を続ける。
だが、すぐに答えは出なかった。
残っているデータそのものが少なすぎる。
数分後。
『現時点で復元可能な情報は以上です』
「そう簡単にはいかないか」
『はい』
俺は壁の投影を消した。
IS計画。
ようやく名前だけは掴んだ。
だが、分かったことより分からないことの方が多い。
001。
002。
003。
少なくともアイ以外にも2つ存在していた。
人間なのか。
機械なのか。
今も存在するのか。
何も分からない。
俺は脚部支援装置へ視線を戻した。
「今日はここまで」
『修復作業を終了しますか』
「ああ。頭が回らん」
朝から20km以上動いて、撃たれて、地下へ逃げて、重い軍用品を運んできた。
これ以上続ければミスをする。
工具を片づける。
アイはまだ壁があった場所を見ていた。
「アイ」
「うん」
「腹減ったか」
「へってない」
「そうだったな」
「でも、たべる?」
「食う」
「アイも」
「じゃあ行くぞ」
処置室を出る。
廊下には復旧した照明が点いている。
少し前まで真っ暗だった病院だ。
アイが俺の横を歩く。
数歩進んだところで、袖を掴んだ。
俺は何も言わなかった。
そのまま歩く。
IS-003が何だったのかは、まだ分からない。
IS-001とIS-002が何なのかも分からない。
だが少なくとも今、俺の袖を掴んで歩いているこいつは、番号じゃない。
そのことだけは、調べる必要もなかった。
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