Ep.35 死ぬかと思った。
俺の声と同時に、久世が蓮の背中を押した。
「南側!」
物流施設の壁沿いに、倒れた車両が数台並んでいる。その先には建物の搬入口があった。シャッターは途中まで落ちているが、人間なら下をくぐれる。
蓮が走る。久世が続く。
アイも俺の袖から手を離し、2人を追った。
『――IS――』
四脚型の音声が続く。
俺は振り返らず、撃たれる前に射線を切る。
『射撃動作』
ピコの声。
俺は左へ跳んだ。
直後、背後で乾いた発砲音が響いた。
さっきまで俺がいた場所のコンクリートが弾ける。破片が頬を掠めた。
「アイ、走れ!」
「うん!」
アイが搬入口へ滑り込む。
蓮、久世も入った。
俺が最後にシャッターの下をくぐる。
2発目。
金属板に弾丸が当たり、耳を刺すような音が倉庫内へ響いた。
「奥!」
俺たちはそのまま走った。
施設内部は広い。天井の一部が落ち、中央には鉄骨と瓦礫が積み重なっている。搬送用の棚が何列も倒れ、通路を塞いでいた。
『敵性個体2。施設外周を移動中』
ピコが低空でついてくる。
「入ってくる?」
蓮が息を切らしながら聞く。
「入口はある」
「じゃなくて」
「来ると思え」
俺は周囲を見る。
戦う場所じゃない。
逃げるための場所として見る。
久世が右側を指した。
「奥に扉」
「確認する」
ピコが先行する。
俺たちは倒れた棚の陰へ入った。
アイがすぐ隣にいる。
「怪我は」
「ない」
「蓮」
「ない」
「久世」
「俺の心配はいらない、お前こそ」
全員無傷。
俺は自分の頬を触った。
指に少し血がつく。
破片で切っただけだ。
アイが見つけた。
「おじさん、ち」
「掠っただけ」
「けが」
「あとで」
「でも」
「今は逃げる」
アイは口を閉じた。
それでも俺の頬を見ている。
『奥の扉は通行可能です。外部へ接続する作業通路を確認』
「出口は?」
『北西側に1か所』
北西。
まずい。
敵が来た方向に近い。
「他は」
『現時点では確認できません』
久世が地図を見る。
「南側に抜けたい」
「俺もだ」
来た道を戻れば9.7km地点のバイクまで戻れる。
だが搬入口はもう使えない。
「蓮。ここ、前に入ったか」
「外だけ。中は初めて」
なら案内は期待できない。
外から音がした。
カッ。
カッ。
カッ。
四脚の足音。
近い。
久世が拳銃を構える。
「来るぞ」
俺はM-68を握った。
できれば使いたくない。
だが温存して死ぬのはもっと馬鹿だ。
『1体、搬入口へ接近』
ピコが告げる。
「もう1体」
『位置不明。建物外周へ移動した可能性があります』
挟むつもりか。
ただ巡回しているだけなのか。
判断できない。
俺は蓮を見る。
「奥の扉まで行け」
「おっさんは」
「後ろ見る」
「またそれ?」
「またって何だ」
「自分だけ残るやつ」
こんなときに。
「残らねえよ。最後に走るだけだ」
蓮はまだ何か言いたそうだったが、久世が肩を押した。
「行け」
蓮が走る。
「アイも」
俺が言う。
アイは動かなかった。
「アイ」
「おじさんも」
「行く」
「いっしょ」
「アイ」
「いっしょ」
譲らない。
足音が近づく。
今ここで言い争っている時間の方が危険だ。
「……分かった。俺の前」
「うん」
「止まるな」
俺たちは移動を始めた。
アイが前。
俺が後ろ。
ピコは俺の肩の横。
倒れた棚を越える。
その瞬間、搬入口のシャッターが大きく歪んだ。
金属が軋む。
四脚型が身体を押し込んでいる。
「急げ!」
シャッターが持ち上がる。
赤いセンサー。
黒い前脚。
銃口。
『射撃動作』
「伏せろ!」
アイの背中を押す。
銃声。
棚の商品箱が弾けた。
俺は振り向きざまにM-68を構えた。
赤いセンサーではない。
前脚の付け根。
装甲の継ぎ目。
引き金を引く。
1発。
反動。
命中。
四脚型の前脚がわずかに沈んだ。
止まらない。
2発目。
同じ場所。
金属片が飛ぶ。
右前脚の動きが崩れた。
『敵性個体、機動性能低下』
「十分!」
倒す必要はない。
俺は走った。
10発。
残り10発。
奥の扉を抜ける。
久世と蓮が待っていた。
「閉めるぞ!」
久世と2人で鉄製扉を引く。
重い。
錆びた蝶番が悲鳴を上げる。
蓮も加わった。
3人で押し込む。
扉が閉じる。
「何か!」
蓮が周囲を見る。
床に落ちていた鉄棒を久世が拾い、取っ手へ差し込んだ。
直後。
扉に衝撃が走る。
2回目。
鉄棒が軋む。
「長くは持たない」
久世が言う。
「分かってる」
作業通路は細かった。
左側に壁、右側には設備用の配管が並んでいる。
先は薄暗い。
ピコが前へ飛ぶ。
『北西出口まで約64m』
「行く」
俺たちは走った。
背後でもう一度、扉が鳴る。
足音を止めない。
30m。
40m。
そのときピコが急停止した。
『停止』
俺も止まる。
久世がぶつかりそうになった。
「何だ」
『前方、敵性反応』
最悪だった。
もう1体。
北西出口の外。
待っていた。
蓮が小さく吐き捨てる。
「挟まれたじゃん」
「見れば分かる」
後ろでは扉が叩かれている。
前にはもう1体。
通路には横へ逃げる場所がない。
俺は周囲を見る。
「ピコ、別経路」
『探索します』
「急げ」
『実行中です』
アイが俺の服を掴んでいる。
「おじさん」
「大丈夫」
また根拠のない言葉が出る。
前方から赤い光が見えた。
出口の向こう。
四脚型がこちらを覗き込んでいる。
まだ距離がある。
だが通路へ入れば、真正面だ。
『――生体反応――』
機械音声が響く。
『――照合――』
アイの身体が僅かに強張った。
俺はその前へ出る。
『――IS-003――』
赤い光が強くなる。
『――最優先――』
俺はM-68を構えた。
『――確保――』
引き金に置いた指が止まった。
確保。
ガソリンスタンドでは違った。
《最優先破壊対象》。
今の個体は、確かにそう言った。
確保。
久世も聞いていた。
「ユウ」
「ああ」
意味を考えるのは後だ。
四脚型が通路へ踏み込む。
『射撃動作』
「下がれ!」
銃声。
壁から火花が飛ぶ。
俺は配管の陰へ身体を寄せる。
撃ち返さない。
距離がある。
狭い通路で正面から撃ち合えば、こちらが不利だ。
背後。
大きな金属音。
最初の1体が扉を破り始めている。
「ピコ!」
『右側、7m先。設備点検口を確認』
見る。
配管の間に小さな金属扉。
「どこに繋がる」
『図面情報なし』
「開く?」
『不明』
「そればっかだな!」
俺は走った。
点検口の取っ手を掴む。
動かない。
錆びている。
「蓮、工具!」
「はい!」
蓮が工具袋を開く。
バールを投げる。
受け取る。
隙間へ差し込む。
「久世!」
久世が俺の意図を理解し、銃を構えたまま前方を警戒する。
「来るぞ!」
「10秒!」
「5秒でやれ!」
「無茶言うな!」
力をかける。
金属が軋む。
開かない。
もう一度。
体重を乗せる。
バキッ。
錆びた固定部が外れた。
扉が数cm開く。
「ピコ!」
『確認』
ピコが隙間から入る。
1秒。
2秒。
『通行可能。設備用縦坑です。下方約3.4mに床面』
「降りられる?」
『梯子あり』
「行くぞ!」
蓮が扉を開く。
中は暗い。
縦梯子が下へ続いている。
「蓮から!」
「アイじゃなくて?」
「下で受けろ!」
「了解!」
蓮が降りる。
前方から銃声。
久世が身体を引く。
「近い!」
「分かってる!」
蓮が下から声を上げる。
「着いた!」
「アイ!」
アイが梯子へ手をかける。
俺を見る。
「おじさんもくる?」
「行く」
「ほんと?」
「行くから早くしろ!」
アイが降りる。
小さな身体が暗闇へ消える。
「ついた!」
下から声。
「久世!」
「先行け!」
「お前が先!」
「どっちでもいいだろ!」
『敵性個体、距離19m』
「久世、行け!」
今度は久世が折れた。
梯子へ入る。
俺は通路を見る。
赤いセンサーが近づく。
M-68を構える。
ピコが俺の横へ来る。
「お前も下行け」
『主様と同行します』
「命令」
『最高管理権限命令として受理しますか』
こんなときに確認するな。
「受理しろ!」
『了解』
ピコが縦坑へ入る。
俺は最後にもう一度通路を見る。
四脚型。
15m。
銃口が動く。
俺は梯子へ身体を入れた。
その瞬間、視界の端で赤い光が強くなった。
発砲。
弾丸が点検口に当たる。
耳元で金属が弾けた。
俺は梯子を滑るように降りた。
「閉めろ!」
上から手を伸ばし、点検扉を引く。
閉まる。
完全には固定できない。
「離れろ!」
全員が縦坑の下から横へ伸びる狭い空間へ移動する。
数秒後。
上で衝撃。
だが扉は開かなかった。
四脚型の身体では点検口が狭すぎる。
俺は壁に背をつけ、息を吐いた。
暗い。
ピコの青い目だけが近くを照らしている。
「全員いるか」
「いる」
久世。
「いるよ」
蓮。
「いる」
アイ。
『稼働中です』
ピコ。
「よし」
誰も欠けていない。
それだけ確認する。
蓮が床へ座り込んだ。
「死ぬかと思った」
「さっき死なねえって言ってたろ」
「撤回していい?」
「早いな」
「外、怖すぎ」
久世が息を整えながら言う。
「だから言っただろ」
「久世さんも来たじゃん」
「俺は怖くないとは言ってない」
それは正しい。
怖くない奴が生き残るわけじゃない。
怖くても必要なことをする奴が、生き残る可能性を少し上げるだけだ。
「おじさん」
アイが俺の袖を引く。
「ん?」
指が俺の頬へ向く。
血。
忘れていた。
「これくらい平気だ」
「けが、かくさない」
奈緒の言葉を覚えている。
「隠してない」
「なおす」
「今?」
「いま」
「ここで?」
「けがしたら、きれいにする」
それも教えた。
俺は周囲を見る。
すぐ移動する必要はなさそうだ。
「分かったよ」
荷物から応急処置用品を出そうとする。
アイが先に自分の鞄を開いた。
俺は手を止めた。
アイが取り出したのは、薄黄色のハンカチだった。
澪からもらったもの。
昨日から汚れるのを嫌がっていたやつだ。
「それ使うの?」
アイは頷いた。
「ち、ふく」
「汚れるぞ」
「うん」
迷わなかった。
アイはハンカチを俺の頬へ当てた。
少し痛い。
「いて」
「いたい?」
「ちょっとな」
アイは力を弱める。
布に赤い染みが広がった。
昨日なら、たぶん嫌がった。
自分の物だから。
汚したくないから。
でも今は違う。
「みおに怒られるぞ」
「なんで?」
「もらった次の日に血つけた」
「みお、つかってっていった」
「……そうだったな」
「だから、つかう」
俺は何も言えなくなった。
久世が荷物から消毒用品を出して渡してくる。
「ちゃんとやれ」
「ああ」
簡単に傷を処置する。
深くない。
問題ない。
アイは血のついたハンカチを見ていた。
「洗えば落ちる」
俺が言う。
「うん」
「病院戻ったら洗おう」
「うん」
アイは丁寧に畳もうとして、やめた。
血がついていることに気づいたらしい。
少し考えてから、鞄の外側へ結びつける。
持ち物が増えたから大事なのではない。
必要なときに使う。
それでも手放さない。
それでいい。
「で」
久世が言った。
「ここ、どこだ」
現実へ戻る。
ピコが周囲を照らす。
縦坑の下には細い設備通路が続いていた。
壁には太いケーブル束。
錆びた配管。
床には浅く水が溜まっている。
『位置情報を照合中』
「物流施設の地下?」
蓮が聞く。
『その可能性が高いです』
俺は壁を見る。
古い表示板がある。
汚れを手で拭う。
文字が出た。
《地下設備連絡路》
その下。
《第3保守区画》
さらに小さな文字。
半分消えている。
俺はライトを近づけた。
《軍用車両整備設備――》
久世が覗き込む。
「ここ、ただの物流倉庫じゃなかったのか」
「少なくとも戦争中は違ったらしいな」
蓮が周囲を見る。
「俺、こんなの知らなかった」
「外から分からないようにしてたんだろ」
ピコが壁のケーブルを走査する。
『旧軍規格を確認』
俺は眉を寄せた。
まただ。
旧軍。
通信設備。
脚部支援装置。
そしてこの地下。
偶然にしては、軍関係の設備が続きすぎている。
「ピコ。ここから18.4km地点の方向は」
『北東です』
「距離」
『直線で約4.6km』
久世が俺を見る。
俺も地図を見る。
現在地はおよそ13.8kmから14km。
地上で見つけた脚部支援装置は14.9km地点として蓮が記憶していたが、GPSも測量もない。多少の誤差はある。
そして18.4km地点は、この先。
「繋がってると思う?」
蓮が聞いた。
「まだ分からない」
「またそれ」
「分からないものを分かったって言うよりマシだ」
真壁の言葉が、そのまま出た。
ピコが設備通路の奥を向く。
『主様』
「何」
『微弱電流を検出』
全員が黙った。
「どこ」
『前方』
「距離」
『推定不能。ケーブルを介しています』
俺は壁のケーブルを見る。
完全に死んでいると思っていた設備。
その一部だけに、まだ電気が流れている。
「なんの」
アイが聞いた。
俺は答えなかった。
代わりにピコを見る。
『現時点では不明です』
アイが俺を見る。
「ピコも、わからないいっぱい」
こんな場所で少し笑いそうになった。
「そうだな」
『未知情報が多い環境では正常な状態です』
「言い訳するな」
『説明です』
そのときだった。
通路の奥。
暗闇の中で、小さな光が点いた。
一度消える。
また点く。
非常灯だった。
1つ、その先でもう1つ、さらに奥でも順番に。
俺たちのいる場所へ向かってではない。
奥へ誘導するように、古い照明が一本の線になって点灯していく。
蓮が立ち上がった。
「おっさん」
「ああ」
誰もスイッチには触れていない。
ピコも操作していない。
最後の非常灯が点く。
同時に、壁の奥で何かが起動する低い音が響いた。
『外部からの電力供給を確認』
「どこから」
『追跡します』
数秒。
ピコの青い目が明滅する。
『供給方向、北東』
「戻るぞ」
蓮が俺を見る。
「え?」
「地上の敵が離れるまで待つ。脚部支援装置を回収できるなら回収して帰る」
「この先は?」
「今日は行かない」
「でも」
「予定を変える理由にはならない」
久世が小さく頷いた。
「俺も賛成だ」
蓮は明かりの続く通路を見る。
少し悔しそうだったが、やがて頷いた。
「分かった」
アイだけはまだ奥を見ていた。
「アイ」
呼ぶと、こちらを向く。
「いかないの?」
「今日はな」
「なんで?」
「帰るって言ったからだ」
「みおに?」
「ああ」
「みんなで?」
俺は頷いた。
「みんなで」
アイはもう一度、奥の光を見る。
それから俺のところへ戻ってきた。
「じゃあ、かえる」
その答えに、俺は少しだけ安心した。
奥に何があるかは分からない。
だが、知りたいから進むことと、帰るべきときに帰ることは別だ。
俺たちはもう、答えだけを追いかけているわけじゃない。
帰る場所がある。
待っている奴がいる。
その事実の方が、今はずっと重要だった。




