Ep.34 正確にはずっとそれ以前からです。
翌朝、俺たちは日の出から1時間ほど経った頃に病院を出た。空は薄い雲に覆われていたが、雨の気配はない。昨日ピコが出した予測も変わっておらず、少なくとも昼過ぎまでは天候が大きく崩れる可能性は低かった。
バイクの後部には、いつもより多めの荷物を固定してある。水、食料、工具、ロープ、応急処置用品、予備電源。それに回収物を固定するためのベルトを数本。14.9km地点にあるという脚部支援装置がどれほど壊れているのか分からない以上、持ち帰れる保証はない。それでも、持ち帰れる状態だったのに道具が足りないというのは避けたかった。
アイは俺の前に座り、小さな鞄を身体の前へ回して両手で押さえていた。中身は歯ブラシと、昨日澪からもらった薄黄色のハンカチだけだ。
ピコが俺たちの横を飛ぶ。
『集落までの既知経路上に異常信号は検出されません』
「そのまま見てろ」
『了解』
エンジン音が朝の街に響く。
病院が背後へ遠ざかっていった。
集落へ着いたとき、入口にはすでに久世と蓮がいた。
久世は小型の背嚢を背負い、腰には拳銃とナイフを下げている。昨日より装備が増えていたが、軍人だった頃の完全装備には程遠い。今の世界では、使えるものを必要なだけ持つ。それが普通だ。
蓮はというと、やたら大きな工具袋を肩から提げていた。
「遠足か?」
俺が言うと、蓮が工具袋を見る。
「回収するんだろ?」
「だからって全部持ってくる奴があるか」
「何が必要か分かんねえし」
「必要な物だけ選ぶのが準備だ」
「おっさん細かいな」
「32歳におっさん連呼すんな」
「俺17だぞ。十分おっさん」
「15年しか違わねえだろ」
「15年は長いだろ」
『私の稼働期間を基準にした場合――』
「ピコは入ってくるな」
『了解』
蓮が笑った。
「おはよう、ピコ」
『おはようございます、倉田蓮』
「今日もかわいいな」
『評価基準が不明です』
「その返し好き」
『そうですか』
やっぱりこいつらは妙に相性がいい。
その横で、アイは集落の中を見ていた。
誰かを探している。
「澪ならまだ中だ」
久世が言った。
アイが振り向く。
「みお、ねてる?」
「起きてる。奈緒さんに止められてる」
「なんで?」
「お前について行くって言ったから」
アイが目を丸くした。
「みおも?」
「行かない」
俺と久世の声が重なった。
アイが俺たちを交互に見る。
「なんで?」
「8歳を連れて行けるか」
「アイ、なな」
「お前も本当なら置いていきたい」
「やだ」
即答だった。
「知ってる」
集落の奥から足音が聞こえた。
澪だった。
奈緒も一緒にいる。
澪は走りかけて、途中で奈緒を見て歩きに変えた。
「アイ」
「みお」
2人が向かい合う。
澪はアイの鞄を見る。
「持ってきた?」
アイが嬉しそうに鞄を開ける。
「ある」
中から薄黄色のハンカチを取り出した。
「ほんとに持ってきた」
「アイの」
「使った?」
「つかってない」
「使ってよ」
「よごれる」
昨日と同じやり取りだ。
澪が困った顔をする。
「洗えばいいんだって」
アイは少し考えてから、ハンカチをまた丁寧に畳んだ。
「あとで」
「絶対使わないやつじゃん」
8歳に見抜かれている。
奈緒がこちらへ来た。
「気をつけて」
俺たち全員に向けた言葉だった。
「ああ」
「特に蓮」
「なんで俺だけ」
「あなたが一番余計なことするから」
「俺、信用なさすぎない?」
久世が答える。
「実績だ」
「昨日も聞いたよ」
奈緒は次にアイを見る。
「アイも。ユウさんから離れないこと」
「うん」
アイが俺の服を掴む。
今から実演する必要はない。
「あと、怪我したら隠さない」
「うん」
「ユウさんも」
「俺?」
「あなたもです」
「分かった」
「返事が軽い」
「分かりました」
奈緒はようやく頷いた。
澪がアイを見る。
「帰ってくる?」
「かえる」
「今日?」
アイが俺を見る。
「その予定だ」
俺が答えると、アイも頷いた。
「きょう、かえる」
「じゃあ待ってる」
澪が言った。
アイは少し考えたあと、
「またね」
と言った。
「うん。またね」
2人が手を振る。
俺たちは集落を出た。
移動はバイクと自転車を使うことになった。
俺のバイクにはアイを乗せる。ピコは飛行。久世と蓮は集落に残っていた2台の自転車を使う。
速度は当然、俺たちが合わせることになる。
「おっさんだけ楽じゃね?」
後ろから蓮が言った。
「代わるか?」
「バイク?」
「アイと」
「そっちかよ」
「運転させるわけないだろ」
「俺、乗れるけど」
「知らん」
「今度貸して」
「嫌だ」
『主様は車両の貸与に消極的です』
「ピコ、説得して」
『拒否します』
「仲良くなったと思ったのに」
『認識に相違があります』
久世が横で小さく笑った。
蓮が前へ出る。
「次、右」
「理由は」
「真っ直ぐ行くと道ない」
「崩落?」
「ビルが倒れてる」
「いつ確認した」
「3か月前」
俺はピコを見る。
『先行確認します』
ピコが高度を上げる。
数分後に戻ってきた。
『倉田蓮の情報と一致。直進路は大型構造物により閉塞しています』
蓮が得意そうに俺を見る。
「ほら」
「3か月前の情報がまだ使えただけだ」
「褒めろよ」
「よく覚えてたな」
「……普通に褒めるんだ」
「何を期待してたんだよ」
右折する。
道路は細くなった。住宅地だった場所だ。倒壊した家屋の間を縫うように進む。舗装は割れ、植物の根が路面を持ち上げている。
9.7km地点。
そこでバイクを止めた。
道路の先に瓦礫が積み重なっている。
蓮が自転車から降りる。
「ここから歩き」
「前も?」
「うん」
「バイク置いて大丈夫か」
久世が周囲を見る。
「隠せる場所がある」
道路脇に半地下式の駐車場が残っていた。入口の一部は崩れているが、人間が通るには十分な隙間がある。
ピコを先に入れる。
『内部に人間および稼働機械反応なし』
「よし」
バイクと自転車を奥へ入れ、外から見えにくい位置に置く。俺は燃料系統を閉じ、簡単な盗難防止処置を施した。
蓮が見ている。
「何」
「いや、盗む奴いる?」
「人間がいるって分かっただろ」
「まあ」
「使えるバイクなんて見つけたら俺でも欲しい」
「おっさんなら盗む?」
「持ち主がいたら交渉する」
「いなかったら?」
「もらう」
「盗むじゃん」
「持ち主がいなけりゃ拾得だ」
『戦後社会における所有権制度は事実上――』
「ピコ、今その話いらない」
『了解』
荷物を背負う。
アイもバイクから降りた。
ここから約5km。
大人なら歩ける距離だ。
アイにも身体的な疲労はほとんどない。
問題は道だ。
「アイ」
「うん」
「ここからは俺の後ろ」
「まんなか」
昨日の言葉を覚えている。
俺は久世を見る。
久世が頷いた。
先頭を俺。
次にアイ。
その後ろに久世。
最後尾を蓮。
ピコは前方と上空を往復する。
「これなら真ん中だ」
「うん」
アイは満足した。
歩き始める。
バイクのエンジン音がなくなると、街は急に広く感じた。自分たちの足音だけが路面に響く。風が建物の隙間を通り抜け、どこかで剥がれかけた金属板が不規則に鳴っている。
崩れた高架が見えてきた。
蓮の話にあった場所だ。
上部は中央から折れ、巨大なコンクリート片が道路へ落ちている。その下に、人が1人ずつ通れる程度の隙間が残っていた。
「ここ」
蓮が前へ出ようとする。
俺は腕で止めた。
「ピコ」
『確認します』
「前は通れた」
蓮が言う。
「3か月前だろ」
「慎重すぎ」
「死んでから慎重になっても遅い」
ピコが隙間へ入る。
数十秒後。
『通行可能です。ただし上部構造に複数の亀裂があります。滞在は推奨しません』
「一人ずつ行く」
俺が先に抜ける。
暗い。
頭上には何十tあるのか分からないコンクリートが乗っている。立ち止まりたい場所ではない。
反対側へ出る。
周囲を確認。
「アイ」
向こうから小さな身体が現れる。
アイは途中で上を見ようとした。
「止まるな」
「うん」
小走りで抜けてくる。
次に久世。
最後に蓮。
全員が抜けた直後、上から小石がぱらぱらと落ちた。
蓮が振り返る。
「前こんなのなかった」
「だから3か月前なんだよ」
今度は反論しなかった。
そこから先は、さらに荒れていた。
道路の半分が植物に飲まれている。放置された車両が何台も並び、窓ガラスはほとんど残っていない。ところどころに火災の跡があり、外壁が黒く焼けた建物もある。
アイが一台の車を見る。
「これも、うごかない?」
「たぶんな」
「なおせる?」
「状態次第」
「ぜんぶ?」
「全部直してどうすんだよ」
「いっぱいのれる」
「誰が乗る」
「みお」
「8歳に運転させるな」
「なお」
「まあ奈緒なら……」
何の話をしているんだ。
久世が後ろで笑った。
「随分喋るようになったな、その子」
「最初はほとんど何も知らなかった」
「いまもしらない」
アイが言う。
「自分で言うな」
「おじさん、わからないいっぱい」
久世が吹き出した。
「言われてるぞ」
「余計なこと覚えさせたの誰だ」
『私は事実を提示したのみです』
「お前だよ」
しばらく歩いたところで、ピコが止まった。
『前方に痕跡』
全員の空気が変わった。
俺はM-68へ手をかける。
「何の」
『地表面を確認します』
ピコが高度を下げる。
道路脇の泥。
そこに細い窪みが残っていた。
俺と久世が近づく。
蓮とアイは少し後ろで止めた。
「これ?」
久世がしゃがむ。
俺も見る。
細い脚部。
人間の靴跡ではない。
先端が2つに分かれている。
「蓮」
「それ。前も見た」
「同じ場所?」
「もうちょい先にもあった」
ピコが測定する。
『少なくとも2系統の足跡が重複しています』
「新しさは」
『昨日の降雨後に形成されたものが含まれています』
全員が黙った。
蓮の顔から軽さが消える。
「昨日?」
『はい』
3か月前の痕跡じゃない。
今もいる。
俺は周囲を見る。
窓。
路地。
屋上。
瓦礫。
「方向は」
『北東へ移動しています』
俺たちの進行方向だった。
久世が立ち上がる。
「戻るか?」
俺は地図を見る。
目的地まで約3km。
判断に迷う距離だ。
「音は」
『現時点で機械駆動音なし』
「電磁反応」
『既知の自律兵器に一致する反応なし』
「足跡は何時間前」
『降雨終了時刻を基準とした場合、最大でも約18時間以内。ただし正確な時刻の特定は不可能です』
久世が俺を見る。
俺は蓮を見る。
「ここから先、退避できる建物は」
蓮はすぐ答えた。
「物流施設までに2つ。ひとつは地下のある店。もうひとつは小さい工場」
「距離」
「店が800mくらい。工場はその先」
覚えている。
案内役としては十分だ。
「店まで進む。そこで再確認する」
久世が頷く。
「異常があれば戻る」
「ああ」
蓮も頷いた。
アイだけが足跡を見ている。
「アイ」
「うん」
「約束」
「つかわない」
「それも。俺から離れるな」
アイは俺の服を掴んだ。
「はなれない」
進む。
さっきまでの会話は消えた。
俺と久世は自然に視線を左右へ分ける。俺が右を見ると、久世は左を見る。打ち合わせはしていない。
身体が覚えている。
後ろの蓮も無駄口を叩かない。
蓮の言っていた店が見えた。
低い2階建て。
看板は落ちている。入口のシャッターは半分開いたまま錆びていた。
ピコを入れる。
『内部に稼働機械反応なし。人間反応なし』
「入る」
店内は暗かった。
商品棚の大半は倒れ、床には空の容器や腐食した金属片が散らばっている。奥に階段がある。
「地下?」
俺が聞く。
蓮が頷く。
「倉庫。前に見た」
「使えそうか」
「逃げ込むだけなら」
ピコを先行させる。
地下にも反応はない。
退避場所として記録する。
俺たちは1階の窓際で数分休止した。
水を一口飲む。
久世も周囲を見ながら補給する。
蓮は壁に背を預けた。
「なあ」
「何だ」
「さっきの足跡、黒いやつ?」
「まだ分からない」
「検問所にいたってやつ」
「似た脚なら可能性はある」
「おっさん、それと戦ったことあるんだろ」
「ああ」
「何体?」
「数えるほど暇じゃなかった」
『主様が確認した――』
「ピコ」
『中止します』
蓮が笑いそうになって、やめた。
「強い?」
「銃が効かないわけじゃない。でも撃ち合いたい相手じゃない」
「じゃあどうする」
「見つからない」
「見つかったら」
「逃げる」
「逃げられなかったら」
「撃つ」
「分かりやす」
「生き残る方法なんて大体そんなもんだ」
蓮は黙った。
久世が俺を見る。
「軍にいた頃も?」
「もっと面倒だった」
「命令があるからな」
「ああ」
短い会話だった。
それ以上は話さない。
アイが俺の隣で水筒を見ている。
「飲むか?」
「のむ」
水筒を渡す。
必要はない。
それでもアイは少し飲んだ。
「おいしい?」
蓮が聞く。
アイは考える。
「みず」
「感想それ?」
「みずのあじ」
「まあ水だしな」
『成分上、微量の――』
「ピコ、それ以上いらない」
『了解』
緊張がほんの少しだけ緩んだ。
5分後、再出発した。
ここまでくると建物の種類が変わった。住宅が減り、倉庫や工場が増える。道路も広くなるが、その分、見通しが良すぎる。
隠れる場所が少ない。
ピコを高く飛ばしすぎるのも危険だ。こちらの位置を知らせる可能性がある。
高度を10m以下に制限する。
蓮が小声で言った。
「もうすぐ」
「物流施設?」
「うん」
俺はM-68の位置を確かめる。
久世も同じことをした。
道路の先に、大きな建物が見えてきた。
屋根の一部が落ちている。
敷地を囲っていたフェンスは倒れ、入口のゲートは横向きに潰れていた。
その奥。
車両が並んでいる。
大型トラック。
作業車。
そして、色の褪せた軍用車両らしきもの。
「ここ」
蓮が言った。
「前はあの裏」
指したのは敷地の北側だった。
『主様』
ピコが止まる。
「何」
『微弱な電源反応を検出』
俺は動きを止めた。
「どこだ」
『敷地内部。複数』
久世が小さく息を吐く。
「複数?」
『はい。ただし出力は極めて低く、稼働中の自律兵器とは一致しません』
「車両の残留電源?」
『可能性があります』
「他は」
『通信信号なし。移動反応なし』
俺は敷地を見る。
静かだ。
風で草が揺れているだけ。
「蓮。前に来たとき、電気は」
「気づかなかった」
「光ってる物は」
「なかったと思う」
3か月前。
昨日の足跡。
現在の微弱電源。
どれも単独なら大した情報じゃない。
重なると嫌な感じがする。
「ピコだけ先に行かせる?」
久世が言う。
「いや」
俺は首を振った。
「ピコを失いたくない」
『私は偵察機能を有しています』
「知ってる。でも今回は近い」
『合理性はあります』
久世が俺を見る。
「大事なんだな」
「5年一緒にいればな」
『正確にはずっとそれ以前からです』
「今訂正いる?」
『事実です』
蓮が小声で笑った。
アイはピコを見る。
それから俺を見る。
「みんないっしょ?」
「ああ」
「まんなか?」
「今日はそれ好きだな」
俺は敷地を見た。
「俺と久世が前。アイと蓮が後ろ。ピコは低空で俺の近く」
「俺も後ろ?」
蓮が言う。
「不満か」
「いや、17歳だから?」
「案内役だからだ。お前が撃たれたら帰り道の情報が減る」
「言い方ひどくね?」
「生きて帰れって意味だ」
蓮は一瞬だけ黙った。
「……分かった」
俺たちは物流施設の敷地へ入った。
足元には割れたガラスと小石が散らばっている。音を立てないよう踏む場所を選ぶ。軍用車両の脇を通る。外装は錆び、タイヤは潰れていた。
ピコが一台ずつ走査する。
『電源反応。車両内部の非常用蓄電系統と思われます』
「生きてるのか」
『出力0.7%。実用不能です』
「他は」
『同様です』
少しだけ安心する。
蓮が前方を指した。
「あっち」
物流施設の壁沿い。
倒れた軍用車両の向こうに、それはあった。
最初は人間が倒れているように見えた。
だが近づくにつれて輪郭が分かる。
腰を囲う金属フレーム。
左右の大腿部に沿う細い支持材。
膝関節の外側に小型の駆動部。
そこから脛へ伸び、足首近くまで続く補助フレーム。
装甲ではない。
人間を覆うものではなく、人間の動きを外側から支える構造だ。
右脚側は途中から大きく曲がり、外装が割れている。ケーブルが露出し、泥と錆が付着していた。
「これ」
蓮が言った。
俺は近づかず、まず周囲を見る。
「ピコ」
『走査します』
青い目が明滅する。
数秒。
『外部電源反応なし。内部蓄電部、完全放電。起動信号なし』
「罠は」
『爆発物反応は確認できません。ただし完全な安全保証は不可能です』
「十分だ」
俺はしゃがんだ。
触れる前に全体を見る。
かなり古い。
戦時中の物だろう。
腰部フレームには擦れた識別文字が残っているが、半分以上消えている。
軍の装備であることだけは、残った規格番号から判断できた。
「どう?」
蓮が後ろから聞く。
「壊れてる」
「それは俺でも分かる」
「でも、思ってたよりマシだ」
「直せる?」
「まだ分からない」
俺は右膝部を見る。
外装を少しずらす。
内部のアクチュエータは変形している。
ただし、完全に潰れてはいない。
配線の断裂。
関節軸の歪み。
電源系統は死んでいる。
制御部は――。
「ピコ」
『はい』
「ここ読めるか」
ピコが近づく。
小さな身体を傾け、露出した接続端子を見る。
『旧軍下肢機動支援装置。制御規格を確認』
「使える?」
『現状では使用不能です』
「直したら」
『詳細診断が必要です』
「持ち帰れる?」
『総重量、推定18.7kg』
蓮が目を見開く。
「重っ」
「思ったより軽い」
「おっさん基準?」
「軍用品としてはな」
久世がしゃがむ。
「これ、俺がいた頃にも似たのがあった」
「使ったことは?」
「ない。別の部隊で試験運用してたのを見ただけだ」
「評判は」
「速い。でも扱いづらい。転ぶと派手」
『適切な調整なしに使用した場合、装着者の関節損傷リスクがあります』
「ほら」
久世が言う。
「直してから考える」
俺はフレームを見た。
使える。
そう思った。
敵の弾丸を見てから避けるような馬鹿げた使い方じゃない。遮蔽物から遮蔽物への移動、射線から外れるための初動、瓦礫を越えるときの補助、急停止や方向転換。今まで身体だけでやっていた動作を少しでも補助できるなら、それだけで生存率は上がる。
特に。
アイにあれを使わせないためには。
俺自身が、もう少し動けた方がいい。
「持って帰る」
俺は言った。
蓮が笑う。
「やっぱり」
「分解する。腰部と左右の脚部を分ければ運べる」
『工具が必要です』
「ある」
蓮が工具袋を持ち上げる。
「だから持ってきた」
「全部はいらなかったけどな」
「まだ言う?」
俺は工具を受け取ろうとした。
その瞬間。
ピコのローター音が変わった。
『主様』
短い声だった。
俺は即座に手を止める。
「何」
『音響反応』
久世が立つ。
俺もM-68へ手を伸ばす。
「方向」
『北側。距離推定170m』
全員が黙る。
聞こえない。
風。
草。
金属板。
それだけ。
『周期的駆動音』
俺にはまだ聞こえない。
だがピコは拾っている。
「数」
『最低1』
昨日の足跡が頭をよぎる。
「隠れる」
久世が即座に動いた。
蓮の肩を掴み、倒れた軍用車両の陰へ押し込む。
俺はアイを見る。
言う前に、アイが俺の袖を掴んだ。
「こっち」
腰を低くして車両の陰へ移動する。
ピコもローター出力を落とし、俺の肩の近くへ降りた。
全員が隠れる。
『距離、142m』
近づいている。
M-68を抜く。
久世も銃を抜いた。
蓮は武器を持っていない。工具袋を胸元へ引き寄せ、息を殺している。
アイが俺の腕に触れた。
「おじさん」
小声。
「大丈夫だ」
根拠はない。
それでも言う。
『距離、103m』
ようやく俺にも聞こえた。
カッ。
カッ。
カッ。
金属が硬い地面を叩く音。
脚だ。
ひとつではない。
少し遅れて、別の音が重なる。
久世と目が合う。
2体。
少なくとも。
『視認可能位置まで接近』
ピコが囁くような音量で告げる。
俺は倒れた車両の下から向こうを見る。
最初に見えたのは細い黒い脚だった。
次に胴体。
黒い装甲。
中央の赤いセンサー。
ガソリンスタンドで見たものと同系統。
大型犬ほどの四脚型自律兵器。
1体。
その後ろから、もう1体。
2体は道路から物流施設の敷地へ入ってくる。
こちらを見てはいない。
巡回。
あるいは何かを探している。
『既知個体との外形一致率、91.2%』
ピコが告げる。
俺は銃を構えない。
まだ撃つ必要はない。
見つかっていないなら、撃たない。
赤いセンサーが左右へ動く。
1体目が止まった。
俺の背中に冷たいものが走る。
センサーがこちらへ向く。
『訂正─100%』
止まる。
数秒。
また動く。
違う方向へ。
まだだ。
アイの手が俺の袖を強く掴む。
俺はその手の上へ自分の手を重ねた。
動くな。
声には出さない。
アイも動かなかった。
四脚型の1体が、俺たちが見つけた脚部支援装置へ近づく。
赤いセンサーが壊れたフレームを走査する。
『――旧軍装備――』
機械音声が微かに聞こえた。
『――識別――』
もう1体が止まる。
俺は呼吸を浅くする。
『――照合――』
ピコの青い目がわずかに明滅した。
嫌な言葉だ。
昨日も見た。
照合。
四脚型の頭部が動く。
赤いセンサーが地面をなぞる。
そして。
こちらへ向いた。
『――生体反応――』
まずい。
久世の指が引き金へ移る。
俺もM-68を上げる。
『――複数――』
アイが小さく息を吸う。
次の瞬間。
四脚型の赤いセンサーが強く光った。
『――IS――』
俺は立ち上がった。
「走れ!」
銃声より先に、全員が動いた。




