Ep.32 その時は一緒に考える。
病院へ戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。
バイクをいつもの場所へ入れ、エンジンを止める。急に静かになった空間に、冷却されていく金属の小さな音だけが残った。
「おじさん」
「ん?」
「きょう、みじかい」
「十分だろ。往復でそれなりに走ったぞ」
「じゅうよんてんきゅう、いってない」
「行かないって言っただろ」
「じゅうはってんよんも」
「だから行かない」
アイは少し不満そうだった。
距離の数字だけ覚えているらしい。
『本日の最遠到達地点は病院から約8.6kmです』
「ピコ」
『事実の補足です』
「お前最近それ好きだな」
『倉田蓮との会話以降、主様がこの形式に反応する頻度が高いことを確認しています』
やっぱりあいつのせいだった。
アイが俺を見る。
「れん、おもしろい」
「お前まで影響されるなよ」
「あるじさま」
「それもやめろ」
アイが笑った。
俺は荷物を降ろしながら、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。さっきまで《IS-003》という文字列に頭を占領されていたのに、病院へ戻るとこういう会話が普通に始まる。
それがありがたかった。
同時に、少し怖くもあった。
この場所が普通になり始めている。
俺だけじゃない。アイにとっても、ピコにとっても。
だからこそ失敗できない。
居住区画へ戻ると、俺は壁面端末を起動した。病院を中心とした地図が表示される。今日通った経路をピコから転送し、既存情報へ重ねた。5km圏外の空白だった場所に細い線が伸び、7.2km地点には大規模陥没、8.6km地点には新しい記号を置く。
通信設備。
その横に簡単な注記を加えた。
《旧式通信中継器・稼働》
《旧軍技術支援系統との部分一致》
《IS-003受信記録》
送信元については書かない。
まだ分からないからだ。
『信号記録の保存を完了しました』
「元データも残せ」
『保存済みです。加工データと分離しています』
「よし」
アイは壁に映った地図を見ていた。
「ここ」
8.6km地点を指す。
「ああ」
「アイっていったところ」
「IS-003な」
「アイじゃない?」
俺は端末を操作する手を止めた。
「……どうだろうな」
「でも、ゼロゼロさん、アイ?」
「その可能性は高い」
「アイは、アイ」
「ああ」
「ゼロゼロさんも?」
俺は少し考えた。
ここを適当に答えると、あとで面倒なことになる気がした。
「IS-003は、お前についていた番号みたいなものかもしれない」
「ばんごう」
「俺たちが勝手にそう考えてるだけだけどな」
「アイは、ばんごう?」
「違う」
思ったより早く答えていた。
アイが俺を見る。
「IS-003がお前を指していたとしても、それだけがお前じゃない」
「……?」
まだ難しかったらしい。
「お前の名前はアイだ」
「うん」
「今はそれでいい」
「うん」
納得したのかしていないのか分からないまま、アイは頷いた。
ピコだけが黙ってこちらを見ていた。
「何だよ」
『何も発言していません』
「その目やめろ」
『表示装置です』
「分かってる」
俺は今日の探索記録を閉じた。
次に開いたのは、昨日作った遠征候補だった。
目的地は2つ。
14.9km地点の旧軍脚部支援装置。
18.4km地点の旧技術施設。
そして今日、その途中に8.6kmの通信中継器が加わった。
偶然にしては線が綺麗すぎる。
ただし、綺麗だから正しいとは限らない。
「ピコ。今日の信号と、真壁から聞いた18.4km地点の位置関係を出せ」
『表示します』
地図に直線が引かれる。
8.6km地点から北東方向。
その先に18.4km地点。
完全な一直線ではない。だが誤差を考えれば候補には入る。
『本日受信した信号のみから送信地点を18.4km地点と断定することはできません』
「分かってる」
『中継経路も不明です』
「それも分かってる」
『では補足を終了します』
「最初からそうしてくれ」
アイが地図の14.9km地点を指した。
「これは?」
「蓮が見つけた機械」
「ピコみたいな?」
『私は脚部支援装置ではありません』
「ピコ、あしない」
『ありません』
「ほしい?」
『不要です』
「つけたら?」
『構造上、不可能です』
アイはピコの下を見る。
当然、何もない。
「……おもしろい」
『評価基準が不明です』
蓮と会わせた影響がもう出ている。
俺は地図を拡大した。
「こいつは人間が装着する機械だ。たぶん腰から下を補助する」
「おじさん、つける?」
「使えるならな」
『現物を確認していないため、稼働可能性は不明です』
「壊れてるって話だったしな」
「なおす?」
「直せるなら」
アイが俺を見る。
「おじさん、なおすのすき?」
不意の質問だった。
「好き?」
「ピコも、バイクも、びょういんも、なおす」
俺は少し考える。
好きだからやっている、という発想がなかった。
壊れている。
必要だ。
だから直す。
戦争中からずっとそれだけだった。
「……使えるものを捨てるのが嫌なんだよ」
「なんで?」
「直せるなら、まだ使えるだろ」
「ピコも?」
俺はピコを見る。
黒い画面に2本の青い光。
外装には何度直したか分からない傷が残っている。
「まあな」
『私は現在正常稼働しています』
アイはピコへ近づいた。
側面の傷を指先でそっと触る。
「これ」
『その損傷は戦時中のものです』
アイの指が止まった。
「せんそう」
「ああ」
「ピコも、いた?」
『いました』
「おじさんも?」
「いた」
アイは俺とピコを交互に見る。
これまでにも戦争という言葉は何度も聞かせている。街が壊れた理由も、自律兵器が残っている理由も、ある程度は説明した。
だが、俺とピコがその中にいたという事実を、こいつはまだ具体的には知らない。
「いっしょ?」
『はい』
ピコが答えた。
「いつから?」
『戦時中からです』
「ずっと?」
『長期間にわたり行動を共にしています』
アイは少し考えた。
「ともだち?」
「違う」
『分類不能です』
ほぼ同時だった。
俺はピコを見る。
「お前、そこは否定しろよ」
『主様との関係を単語ひとつに分類することは困難です』
「主様」
アイが呟く。
「だからそれは俺の名前じゃない」
「ピコだけ?」
「ああ」
「なんで?」
『登録上、主様が私の最高管理権限保持者だからです』
昨日蓮にもした説明だ。
それ以上はピコも言わなかった。
アイは「ふうん」と小さく言って、またピコの傷を見る。
「おじさんが、なおした」
『はい』
「だから、いまいる?」
今度はピコが少しだけ黙った。
演算にしては長い。
『その理解で、大きな誤りはありません』
「そっか」
アイは嬉しそうに笑った。
なぜこいつが嬉しそうなのか、俺には分からなかった。
俺は地図へ視線を戻す。
「明日、もう一度集落へ行く」
アイがすぐ振り向く。
「みお?」
「遊びに行くんじゃない」
「みお、いる?」
「いるだろうけど」
「じゃあ、みお」
「話聞け」
『主様。目的は久世冬馬との協議ですか』
「ああ」
18.4kmまで行くなら、集落側の情報は欲しい。特に久世は元軍人だ。真壁とは違う視点で、あの地域の危険性を知っている可能性がある。
それともうひとつ。
蓮だ。
14.9km地点を実際に見たのはあいつだ。場所だけ聞いて俺たちだけで行くこともできるが、崩落した道路の迂回路まで含めれば、現地を歩いた人間の案内は価値がある。
ただし、17歳を危険な場所へ連れ出す判断を俺一人でする気はない。
「蓮のことも久世に聞く。あいつがどこまで行ったのか、何を見たのかも詳しく確認したい」
『妥当です』
「その上で、14.9km地点まで行くか決める」
「じゅうはってんよんは?」
「その後だ」
アイは地図を見る。
「とおい?」
「ああ」
「でも、いく?」
俺は18.4kmの印を見た。
「行く」
「なんで?」
「お前のことを調べるためだ」
アイが自分を指す。
「アイ」
「ああ」
「おじさん、しりたい?」
「知りたい」
「アイも」
少し間があった。
「でも」
「ん?」
「アイ、いまのアイ、しってる」
意味を取るのに少し時間がかかった。
「どういう意味だ」
アイは自分の胸に手を置く。
「アイは、アイ」
それから鞄を触る。
「これは、アイの」
歯ブラシと金属のカップが入っている。
「みお、ともだち」
「ああ」
「ピコも」
『友人分類については以前承認済みです』
「おじさんは、おじさん」
「俺だけ雑じゃない?」
アイが笑う。
俺も少し笑った。
だが、こいつが言おうとしていることは分かった。
自分の過去は知らない。
IS-003が何なのかも知らない。
それでも、今の自分については少しずつ知っている。
最初に地下で会ったときとは違う。
あの頃のこいつには、自分の物すらなかった。
「じゃあ、昔のお前も調べよう」
「むかしのアイ?」
「そうだ」
「いた?」
「たぶんな」
アイは考える。
「いまのアイと、おなじ?」
答えに困った。
同じ身体なら同じなのか。
記憶がなければ違うのか。
そもそもIS-003だった頃のこいつが、今と同じ人格だったのかさえ分からない。
「分からない」
結局、それしか言えなかった。
アイは不満そうにはしなかった。
「じゃあ、しらべる」
「ああ」
「いっしょに」
「ああ」
『私も同行します』
「ピコも」
『はい』
アイは満足したように頷いた。
その日の午後は、遠征の準備に使った。
バイクの整備をやり直し、燃料の残量を確認する。工具を整理し、使っていなかった携帯用の牽引ロープも引っ張り出した。もし14.9km地点の脚部支援装置を回収するなら、重量次第では人力で持ち帰れない。分解できるか、バイクで牽引できるか、現物を見るまで分からない。
ピコには今日の通信記録の解析を続けさせた。
夕方になっても新しい情報はほとんど出なかった。
『受信データの大部分が欠損しています』
「復元できそうか」
『時間を要します』
「どれくらい」
『不明です』
「珍しく曖昧だな」
『不明なものを正確に不明と回答しています』
「真壁みたいになってきたな」
『評価を保留します』
アイは床に座り、金属のカップを磨いていた。
どこから見つけたのか、古い布で表面を擦っている。
「何してんだ」
「きれいにする」
「飲み物入れるのか?」
「いれない」
「じゃあ何で」
「アイのだから」
理由になっているような、なっていないような。
俺は隣にしゃがんだ。
カップの縁には小さなへこみがある。錆はほとんどないが、細かな傷が何本も走っている。価値なんてない。物資として考えれば、置いていっても困らない。
それでもアイには必要らしい。
「歯ブラシも磨くなよ」
「みがくもの?」
「違う。磨く方」
アイが歯ブラシを取り出そうとする。
「出さなくていい」
「なんで?」
「話がややこしくなる」
アイは首を傾げた。
俺は立ち上がる。
そのとき、ピコが低い音を出した。
『主様』
「解析終わった?」
『一部のみ』
俺は端末へ戻る。
『8.6km地点で受信した信号の末尾から、追加情報を復元しました』
「出せ」
画面に文字列が現れる。
ほとんどは欠損していた。
《――IS-003――》
《――照合――》
《――再――》
その下。
短い文字列だけが比較的綺麗に残っている。
《接続要求》
俺は画面を見たまま黙った。
「送信元からか?」
『その可能性が高いですが、断定できません』
「何に接続しようとしてる」
『不明です』
「アイに?」
『IS-003を対象としている可能性はあります』
背後から足音がした。
アイが隣へ来る。
「これ、アイ?」
画面のIS-003を指す。
「かもしれない」
「せつぞく?」
「繋がるって意味だ」
「なにと?」
「それを今調べてる」
アイは画面を見る。
怖がっている様子はない。
むしろ知りたそうだった。
「つながったら?」
俺は答える前にピコを見る。
『結果を予測できません』
「じゃあ繋がない」
即答した。
アイが俺を見る。
「なんで?」
「何が起きるか分からないから」
「でも、わかるかも」
「何が」
「アイ」
俺は黙った。
こいつはちゃんと理解している。
危険なものかもしれない。
それでも、自分が何者なのか分かる可能性がある。
だから気になる。
それは当然だ。
「調べるのはいい」
俺は言った。
「でも、分からないものにいきなり触るのは駄目だ」
「さわらない」
「繋がるのも同じだ」
「……うん」
少しだけ納得していない顔だった。
俺はそれ以上言わなかった。
夜になると、病院の一角だけに灯りが残った。
電力を節約するため、使わない区画は落としている。長い廊下の途中から先は暗闇に沈み、俺たちの生活している場所だけが薄く照らされていた。
アイは床に座っていた。
歯を磨いている。
その横をピコがゆっくり飛んでいる。
俺はバイク用の工具を整理しながら、明日の持ち物を確認していた。
「おじさん」
「ん?」
「むかしのアイ、わるい?」
手が止まった。
「何でそう思う」
「アイのこと、こわす」
自律兵器のことだ。
「IS-003だから?」
「分からない」
「わるいから?」
「それも分からない」
アイは歯ブラシを口から出した。
「また、わからない」
「悪かったな」
「おじさん、わからないいっぱい」
「世の中そんなもんだ」
『主様の知識量に関する評価ではありません』
「お前は黙ってろ」
アイが小さく笑う。
それから歯磨きを再開した。
しばらくして口をすすぎ、歯ブラシを丁寧に拭く。小さな鞄へ戻す。
「もしな」
俺は工具を置いた。
アイが見る。
「昔のお前が何かしてたとしても、それだけで今のお前が悪いことにはならない」
「なんで?」
「今のお前がやったことじゃないかもしれないからだ」
「でも、むかしもアイだったら?」
難しいところを突いてくる。
「……だったら、知ってから考えればいい」
「なにを?」
「何をしたのか。なんでやったのか。それからどうするのか」
「どうする?」
「これからだよ」
アイはしばらく俺を見ていた。
「これから、アイがきめる?」
「ああ」
「おじさんじゃなくて?」
「お前のことだからな」
「ピコでも?」
『私は情報提供および補助を行います』
「そういうこと」
アイは自分の鞄を抱えた。
「じゃあ、アイがきめる」
「ああ」
「わからなかったら?」
「そのときは一緒に考える」
「うん」
アイは嬉しそうに頷いた。
そのあと、何を思ったのか俺の隣まで来て座った。
肩が触れるほど近い。
「狭いんだけど」
「ここがいい」
「向こう空いてるだろ」
「ここ」
「……好きにしろ」
『選択権を尊重した結果です』
「お前までまとめるな」
ピコのローター音が小さく響く。
アイは笑った。
俺は工具を一本ずつケースへ戻した。
明日、久世と話す。
その先で、14.9km地点へ向かう。
さらに先には18.4km地点がある。
そこに何があるのかは分からない。
IS-003。
接続要求。
5年前から残る軍の通信。
そして、アイが失った過去。
調べれば、今まで知らなくて済んだものまで知ることになるだろう。
それでも行く。
隣を見ると、アイは金属のカップを抱えていた。
過去のことを何ひとつ覚えていない少女が、自分で選んだ物だけは大事そうに持っている。
俺はその姿を見て、少しだけ思った。
過去が何だったとしても。
それを知ったあと、こいつが何を選ぶのか。
たぶん本当に大事なのは、そっちだ。




