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アイは、生きている。  作者: LALA
第4章 IS計画
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33/46

Ep.32 その時は一緒に考える。


 病院へ戻ったのは昼を少し過ぎた頃だった。

 バイクをいつもの場所へ入れ、エンジンを止める。急に静かになった空間に、冷却されていく金属の小さな音だけが残った。

 「おじさん」

 「ん?」

 「きょう、みじかい」

 「十分だろ。往復でそれなりに走ったぞ」

 「じゅうよんてんきゅう、いってない」

 「行かないって言っただろ」

 「じゅうはってんよんも」

 「だから行かない」

 アイは少し不満そうだった。

 距離の数字だけ覚えているらしい。

 『本日の最遠到達地点は病院から約8.6kmです』

 「ピコ」

 『事実の補足です』

 「お前最近それ好きだな」

 『倉田蓮との会話以降、主様がこの形式に反応する頻度が高いことを確認しています』

 やっぱりあいつのせいだった。

 アイが俺を見る。

 「れん、おもしろい」

 「お前まで影響されるなよ」

 「あるじさま」

 「それもやめろ」

 アイが笑った。

 俺は荷物を降ろしながら、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。さっきまで《IS-003》という文字列に頭を占領されていたのに、病院へ戻るとこういう会話が普通に始まる。

 それがありがたかった。

 同時に、少し怖くもあった。

 この場所が普通になり始めている。

 俺だけじゃない。アイにとっても、ピコにとっても。

 だからこそ失敗できない。

 居住区画へ戻ると、俺は壁面端末を起動した。病院を中心とした地図が表示される。今日通った経路をピコから転送し、既存情報へ重ねた。5km圏外の空白だった場所に細い線が伸び、7.2km地点には大規模陥没、8.6km地点には新しい記号を置く。

 通信設備。

 その横に簡単な注記を加えた。

 《旧式通信中継器・稼働》

 《旧軍技術支援系統との部分一致》

 《IS-003受信記録》

 送信元については書かない。

 まだ分からないからだ。

 『信号記録の保存を完了しました』

 「元データも残せ」

 『保存済みです。加工データと分離しています』

 「よし」

 アイは壁に映った地図を見ていた。

 「ここ」

 8.6km地点を指す。

 「ああ」

 「アイっていったところ」

 「IS-003な」

 「アイじゃない?」

 俺は端末を操作する手を止めた。

 「……どうだろうな」

 「でも、ゼロゼロさん、アイ?」

 「その可能性は高い」

 「アイは、アイ」

 「ああ」

 「ゼロゼロさんも?」

 俺は少し考えた。

 ここを適当に答えると、あとで面倒なことになる気がした。

 「IS-003は、お前についていた番号みたいなものかもしれない」

 「ばんごう」

 「俺たちが勝手にそう考えてるだけだけどな」

 「アイは、ばんごう?」

 「違う」

 思ったより早く答えていた。

 アイが俺を見る。

 「IS-003がお前を指していたとしても、それだけがお前じゃない」

 「……?」

 まだ難しかったらしい。

 「お前の名前はアイだ」

 「うん」

 「今はそれでいい」

 「うん」

 納得したのかしていないのか分からないまま、アイは頷いた。

 ピコだけが黙ってこちらを見ていた。

 「何だよ」

 『何も発言していません』

 「その目やめろ」

 『表示装置です』

 「分かってる」

 俺は今日の探索記録を閉じた。

 次に開いたのは、昨日作った遠征候補だった。

 目的地は2つ。

 14.9km地点の旧軍脚部支援装置。

 18.4km地点の旧技術施設。

 そして今日、その途中に8.6kmの通信中継器が加わった。

 偶然にしては線が綺麗すぎる。

 ただし、綺麗だから正しいとは限らない。

 「ピコ。今日の信号と、真壁から聞いた18.4km地点の位置関係を出せ」

 『表示します』

 地図に直線が引かれる。

 8.6km地点から北東方向。

 その先に18.4km地点。

 完全な一直線ではない。だが誤差を考えれば候補には入る。

 『本日受信した信号のみから送信地点を18.4km地点と断定することはできません』

 「分かってる」

 『中継経路も不明です』

 「それも分かってる」

 『では補足を終了します』

 「最初からそうしてくれ」

 アイが地図の14.9km地点を指した。

 「これは?」

 「蓮が見つけた機械」

 「ピコみたいな?」

 『私は脚部支援装置ではありません』

 「ピコ、あしない」

 『ありません』

 「ほしい?」

 『不要です』

 「つけたら?」

 『構造上、不可能です』

 アイはピコの下を見る。

 当然、何もない。

 「……おもしろい」

 『評価基準が不明です』

 蓮と会わせた影響がもう出ている。

 俺は地図を拡大した。

 「こいつは人間が装着する機械だ。たぶん腰から下を補助する」

 「おじさん、つける?」

 「使えるならな」

 『現物を確認していないため、稼働可能性は不明です』

 「壊れてるって話だったしな」

 「なおす?」

 「直せるなら」

 アイが俺を見る。

 「おじさん、なおすのすき?」

 不意の質問だった。

 「好き?」

 「ピコも、バイクも、びょういんも、なおす」

 俺は少し考える。

 好きだからやっている、という発想がなかった。

 壊れている。

 必要だ。

 だから直す。

 戦争中からずっとそれだけだった。

 「……使えるものを捨てるのが嫌なんだよ」

 「なんで?」

 「直せるなら、まだ使えるだろ」

 「ピコも?」

 俺はピコを見る。

 黒い画面に2本の青い光。

 外装には何度直したか分からない傷が残っている。

 「まあな」

 『私は現在正常稼働しています』

 アイはピコへ近づいた。

 側面の傷を指先でそっと触る。

 「これ」

 『その損傷は戦時中のものです』

 アイの指が止まった。

 「せんそう」

 「ああ」

 「ピコも、いた?」

 『いました』

 「おじさんも?」

 「いた」

 アイは俺とピコを交互に見る。

 これまでにも戦争という言葉は何度も聞かせている。街が壊れた理由も、自律兵器が残っている理由も、ある程度は説明した。

 だが、俺とピコがその中にいたという事実を、こいつはまだ具体的には知らない。

 「いっしょ?」

 『はい』

 ピコが答えた。

 「いつから?」

 『戦時中からです』

 「ずっと?」

 『長期間にわたり行動を共にしています』

 アイは少し考えた。

 「ともだち?」

 「違う」

 『分類不能です』

 ほぼ同時だった。

 俺はピコを見る。

 「お前、そこは否定しろよ」

 『主様との関係を単語ひとつに分類することは困難です』

 「主様」

 アイが呟く。

 「だからそれは俺の名前じゃない」

 「ピコだけ?」

 「ああ」

 「なんで?」

 『登録上、主様が私の最高管理権限保持者だからです』

 昨日蓮にもした説明だ。

 それ以上はピコも言わなかった。

 アイは「ふうん」と小さく言って、またピコの傷を見る。

 「おじさんが、なおした」

 『はい』

 「だから、いまいる?」

 今度はピコが少しだけ黙った。

 演算にしては長い。

 『その理解で、大きな誤りはありません』

 「そっか」

 アイは嬉しそうに笑った。

 なぜこいつが嬉しそうなのか、俺には分からなかった。

 俺は地図へ視線を戻す。

 「明日、もう一度集落へ行く」

 アイがすぐ振り向く。

 「みお?」

 「遊びに行くんじゃない」

 「みお、いる?」

 「いるだろうけど」

 「じゃあ、みお」

 「話聞け」

 『主様。目的は久世冬馬との協議ですか』

 「ああ」

 18.4kmまで行くなら、集落側の情報は欲しい。特に久世は元軍人だ。真壁とは違う視点で、あの地域の危険性を知っている可能性がある。

 それともうひとつ。

 蓮だ。

 14.9km地点を実際に見たのはあいつだ。場所だけ聞いて俺たちだけで行くこともできるが、崩落した道路の迂回路まで含めれば、現地を歩いた人間の案内は価値がある。

 ただし、17歳を危険な場所へ連れ出す判断を俺一人でする気はない。

 「蓮のことも久世に聞く。あいつがどこまで行ったのか、何を見たのかも詳しく確認したい」

 『妥当です』

 「その上で、14.9km地点まで行くか決める」

 「じゅうはってんよんは?」

 「その後だ」

 アイは地図を見る。

 「とおい?」

 「ああ」

 「でも、いく?」

 俺は18.4kmの印を見た。

 「行く」

 「なんで?」

 「お前のことを調べるためだ」

 アイが自分を指す。

 「アイ」

 「ああ」

 「おじさん、しりたい?」

 「知りたい」

 「アイも」

 少し間があった。

 「でも」

 「ん?」

 「アイ、いまのアイ、しってる」

 意味を取るのに少し時間がかかった。

 「どういう意味だ」

 アイは自分の胸に手を置く。

 「アイは、アイ」

 それから鞄を触る。

 「これは、アイの」

 歯ブラシと金属のカップが入っている。

 「みお、ともだち」

 「ああ」

 「ピコも」

 『友人分類については以前承認済みです』

 「おじさんは、おじさん」

 「俺だけ雑じゃない?」

 アイが笑う。

 俺も少し笑った。

 だが、こいつが言おうとしていることは分かった。

 自分の過去は知らない。

 IS-003が何なのかも知らない。

 それでも、今の自分については少しずつ知っている。

 最初に地下で会ったときとは違う。

 あの頃のこいつには、自分の物すらなかった。

 「じゃあ、昔のお前も調べよう」

 「むかしのアイ?」

 「そうだ」

 「いた?」

 「たぶんな」

 アイは考える。

 「いまのアイと、おなじ?」

 答えに困った。

 同じ身体なら同じなのか。

 記憶がなければ違うのか。

 そもそもIS-003だった頃のこいつが、今と同じ人格だったのかさえ分からない。

 「分からない」

 結局、それしか言えなかった。

 アイは不満そうにはしなかった。

 「じゃあ、しらべる」

 「ああ」

 「いっしょに」

 「ああ」

 『私も同行します』

 「ピコも」

 『はい』

 アイは満足したように頷いた。

 その日の午後は、遠征の準備に使った。

 バイクの整備をやり直し、燃料の残量を確認する。工具を整理し、使っていなかった携帯用の牽引ロープも引っ張り出した。もし14.9km地点の脚部支援装置を回収するなら、重量次第では人力で持ち帰れない。分解できるか、バイクで牽引できるか、現物を見るまで分からない。

 ピコには今日の通信記録の解析を続けさせた。

 夕方になっても新しい情報はほとんど出なかった。

 『受信データの大部分が欠損しています』

 「復元できそうか」

 『時間を要します』

 「どれくらい」

 『不明です』

 「珍しく曖昧だな」

 『不明なものを正確に不明と回答しています』

 「真壁みたいになってきたな」

 『評価を保留します』

 アイは床に座り、金属のカップを磨いていた。

 どこから見つけたのか、古い布で表面を擦っている。

 「何してんだ」

 「きれいにする」

 「飲み物入れるのか?」

 「いれない」

 「じゃあ何で」

 「アイのだから」

 理由になっているような、なっていないような。

 俺は隣にしゃがんだ。

 カップの縁には小さなへこみがある。錆はほとんどないが、細かな傷が何本も走っている。価値なんてない。物資として考えれば、置いていっても困らない。

 それでもアイには必要らしい。

 「歯ブラシも磨くなよ」

 「みがくもの?」

 「違う。磨く方」

 アイが歯ブラシを取り出そうとする。

 「出さなくていい」

 「なんで?」

 「話がややこしくなる」

 アイは首を傾げた。

 俺は立ち上がる。

 そのとき、ピコが低い音を出した。

 『主様』

 「解析終わった?」

 『一部のみ』

 俺は端末へ戻る。

 『8.6km地点で受信した信号の末尾から、追加情報を復元しました』

 「出せ」

 画面に文字列が現れる。

 ほとんどは欠損していた。

 《――IS-003――》

 《――照合――》

 《――再――》

 その下。

 短い文字列だけが比較的綺麗に残っている。

 《接続要求》

 俺は画面を見たまま黙った。

 「送信元からか?」

 『その可能性が高いですが、断定できません』

 「何に接続しようとしてる」

 『不明です』

 「アイに?」

 『IS-003を対象としている可能性はあります』

 背後から足音がした。

 アイが隣へ来る。

 「これ、アイ?」

 画面のIS-003を指す。

 「かもしれない」

 「せつぞく?」

 「繋がるって意味だ」

 「なにと?」

 「それを今調べてる」

 アイは画面を見る。

 怖がっている様子はない。

 むしろ知りたそうだった。

 「つながったら?」

 俺は答える前にピコを見る。

 『結果を予測できません』

 「じゃあ繋がない」

 即答した。

 アイが俺を見る。

 「なんで?」

 「何が起きるか分からないから」

 「でも、わかるかも」

 「何が」

 「アイ」

 俺は黙った。

 こいつはちゃんと理解している。

 危険なものかもしれない。

 それでも、自分が何者なのか分かる可能性がある。

 だから気になる。

 それは当然だ。

 「調べるのはいい」

 俺は言った。

 「でも、分からないものにいきなり触るのは駄目だ」

 「さわらない」

 「繋がるのも同じだ」

 「……うん」

 少しだけ納得していない顔だった。

 俺はそれ以上言わなかった。

 夜になると、病院の一角だけに灯りが残った。

 電力を節約するため、使わない区画は落としている。長い廊下の途中から先は暗闇に沈み、俺たちの生活している場所だけが薄く照らされていた。

 アイは床に座っていた。

 歯を磨いている。

 その横をピコがゆっくり飛んでいる。

 俺はバイク用の工具を整理しながら、明日の持ち物を確認していた。

 「おじさん」

 「ん?」

 「むかしのアイ、わるい?」

 手が止まった。

 「何でそう思う」

 「アイのこと、こわす」

 自律兵器のことだ。

 「IS-003だから?」

 「分からない」

 「わるいから?」

 「それも分からない」

 アイは歯ブラシを口から出した。

 「また、わからない」

 「悪かったな」

 「おじさん、わからないいっぱい」

 「世の中そんなもんだ」

 『主様の知識量に関する評価ではありません』

 「お前は黙ってろ」

 アイが小さく笑う。

 それから歯磨きを再開した。

 しばらくして口をすすぎ、歯ブラシを丁寧に拭く。小さな鞄へ戻す。

 「もしな」

 俺は工具を置いた。

 アイが見る。

 「昔のお前が何かしてたとしても、それだけで今のお前が悪いことにはならない」

 「なんで?」

 「今のお前がやったことじゃないかもしれないからだ」

 「でも、むかしもアイだったら?」

 難しいところを突いてくる。

 「……だったら、知ってから考えればいい」

 「なにを?」

 「何をしたのか。なんでやったのか。それからどうするのか」

 「どうする?」

 「これからだよ」

 アイはしばらく俺を見ていた。

 「これから、アイがきめる?」

 「ああ」

 「おじさんじゃなくて?」

 「お前のことだからな」

 「ピコでも?」

 『私は情報提供および補助を行います』

 「そういうこと」

 アイは自分の鞄を抱えた。

 「じゃあ、アイがきめる」

 「ああ」

 「わからなかったら?」

 「そのときは一緒に考える」

 「うん」

 アイは嬉しそうに頷いた。

 そのあと、何を思ったのか俺の隣まで来て座った。

 肩が触れるほど近い。

 「狭いんだけど」

 「ここがいい」

 「向こう空いてるだろ」

 「ここ」

 「……好きにしろ」

 『選択権を尊重した結果です』

 「お前までまとめるな」

 ピコのローター音が小さく響く。

 アイは笑った。

 俺は工具を一本ずつケースへ戻した。

 明日、久世と話す。

 その先で、14.9km地点へ向かう。

 さらに先には18.4km地点がある。

 そこに何があるのかは分からない。

 IS-003。

 接続要求。

 5年前から残る軍の通信。

 そして、アイが失った過去。

 調べれば、今まで知らなくて済んだものまで知ることになるだろう。

 それでも行く。

 隣を見ると、アイは金属のカップを抱えていた。

 過去のことを何ひとつ覚えていない少女が、自分で選んだ物だけは大事そうに持っている。

 俺はその姿を見て、少しだけ思った。

 過去が何だったとしても。

 それを知ったあと、こいつが何を選ぶのか。

 たぶん本当に大事なのは、そっちだ。

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