Ep.30 ずっとは、わからない。
「で、どうする?」
榊に聞かれ、俺は端末から顔を上げた。
「今日は行かない」
蓮が露骨に肩を落とした。
「行かねえの?」
「行かねえよ」
「なんだよ。今から行けば――」
「お前、片道の距離しか見てないだろ」
「バイクあるじゃん」
「道路が生きてればな」
俺は地図を拡大した。蓮が3か月前に通ったという経路と、真壁の古い地図を重ねる。戦前の道路網は残っているが、現在どこまで使えるかは分からない。途中には河川があり、橋も複数ある。そのうち何本が残っているかさえ不明だ。
「燃料、水、帰路、途中の退避場所。それに自律兵器の位置も分からない。俺の拠点まで18.4km。施設を調べて、同じ日に帰れる保証はない」
「泊まればいいじゃん」
「どこに」
「そのへん」
「お前の探索計画、雑すぎないか?」
「今までそれで生きてる」
『生存していることと、安全な計画であることは同義ではありません』
蓮がピコを見る。
「お前、おっさん側かよ」
『私は事実側です』
「それ一番腹立つやつ」
「気が合いそうで何よりだ」
「どこが?」
『主様。倉田蓮との相性について、現時点で評価可能なデータが不足しています』
「評価しなくていい」
蓮がピコへ顔を近づける。
「なあ。お前、なんでこいつのこと主様って呼んでんの?」
嫌なところへ行った。
『登録上の最高管理権限保持者であるためです』
「おっさんが主様」
蓮が俺を見る。
口元がもう笑っている。
「……何だよ」
「いや」
「言えよ」
「主様」
「やめろ」
『はい、主様』
「お前も乗るな」
『通常通りの呼称です』
真壁が鼻を鳴らした。
榊は露骨に視線を逸らしている。
笑っている。
「榊」
「何だ」
「笑うなら笑え」
「笑ってない」
「顔見せろ」
「今は地図を見ている」
「そっち壁だぞ」
澪まで笑い始めた。
何がそんなに面白いのか分からないまま、アイだけが俺たちを順番に見ている。
「あるじさま」
「お前までやめろ」
「おじさんと、どっち?」
「いや……ならおじさんでいい」
言ってから気づいた。
蓮がさらに笑った。
「自分でおじさん選んだ」
「お前だけは絶対おっさんって呼ぶな」
「おっさん」
「帰れ」
「俺ん家ここ」
反論できなかった。
『主様の敗北を確認』
「ピコ」
『事実側です』
こいつらを一緒にしてはいけない気がしてきた。
しばらくして澪とアイは奈緒に呼ばれ、集落の奥へ戻っていった。アイは途中で一度振り返ったが、俺がまだここにいるのを確認すると、そのまま澪についていった。
昨日までは考えられなかった変化だ。
小さな背中が建物の陰へ消える。
それを見届けてから、俺は地図へ視線を戻した。
「まず道を調べる」
空気を切り替える。
「ピコを飛ばす。ただし通信距離と電力を考えて、何回かに分ける」
『妥当です』
「蓮が通った経路も確認したい。3か月あれば崩落状況は変わる」
「俺も行く」
蓮が言う。
「今日は行かないって言っただろ」
「偵察だろ?」
「お前はピコじゃない」
「知ってる」
『外見上の相違は明確です』
「そういう意味じゃねえよ」
蓮が笑う。
俺は榊を見る。
「こいつ、いつもこうなのか」
「今日はよく喋る方だ」
「これで?」
「お前らが来てから楽しそうだ」
蓮の顔から笑いが少し消えた。
「余計なこと言うなよ」
「事実だ」
『私も事実側です』
「ピコ、お前はちょっと黙ってろ」
『了解しました』
妙に素直だった。
俺は改めて装備を確認する。M-68は12発。長距離探索として考えれば心許ない。敵と戦うための12発じゃない。戦わず帰るために最後まで残しておくべき12発だ。
「久世に聞いてみる」
榊が言った。
「何を?」
「昨日の弾だ。お前の銃と合うものがあるかもしれない」
「見せてもらえるなら助かる。ただし、もらうつもりはない」
「分かってる」
「交換だ」
「それも久世と話せ」
榊が門の方へ歩き出した。
俺も続こうとしたところで、後ろから真壁に呼び止められた。
「ユウ」
振り返る。
真壁は建物の入口に立っていた。
「何だ」
「さっきのデータ」
視線が俺の端末へ落ちる。
「消すなよ」
「消さない」
「複製は」
「ピコにある」
『保存済みです』
「ならいい」
真壁はそれだけ言って戻ろうとする。
「真壁さん」
足が止まる。
「助かった」
「まだ何も分かっとらん」
「それでもだ」
真壁は振り返らなかった。
「死ぬなよ」
短い言葉だった。
「……急だな」
「その距離は、今の東京じゃ近所じゃない」
「分かってる」
「分かっとらん奴ほどそう言う」
「じゃあ何て言えばいい」
「知らん」
「やっぱり怒ってるだろ」
「怒っとらん」
扉が閉まった。
やっぱり怒っているようにしか聞こえなかった。
久世は門近くの見張り台の下にいた。
榊が事情を説明すると、黙って俺のM-68を見た。
「弾、1発抜けるか」
「ああ」
弾倉から1発だけ抜いて渡す。
久世は手の中で確認すると、腰の袋から古い弾薬を1発取り出した。
並べる。
俺も覗き込んだ。
「……違うな」
「やっぱりか」
薬莢の長さも底部も僅かに違う。
似てはいる。
だが似ているだけだ。
無理に使えば銃を壊す。最悪、撃った側が怪我をする。
「他にもある」
久世が言った。
「全部確認していいか?」
「ああ。ただ、期待するな。拾った場所も年代もバラバラだ」
木箱が運ばれてきた。
中に入っていたのは数十発。種類も状態も統一されていない。錆の浮いたもの、変色したもの、比較的新しいもの。俺と久世、それにピコで1発ずつ確認していく。
蓮は最初こそ覗いていたが、5分ほどで飽きた。
「地味だな」
「弾薬確認に派手さを求めるな」
「ピコなら見ただけで分かんないの?」
『外形寸法のみであれば高速判別可能です。ただし薬莢状態、腐食、変形、雷管状態については個別確認を推奨します』
「便利じゃん」
『ありがとうございます』
「褒められると普通に喜ぶんだ」
『肯定的評価として受領しました』
「かわいいな、お前」
ピコの2本の青い縦目が蓮を向いた。
『評価基準が不明です』
「そういうとこ」
「蓮」
「ん?」
「ピコを持って帰るなよ」
「持って帰んねえよ」
『私は自力飛行が可能です』
「じゃあ勝手についてきてよ」
『却下します』
「即答じゃん」
「当たり前だ」
結局、互換する弾はなかった。
数十発を調べて成果なし。
残弾12発は変わらない。
残念ではあるが、妙な弾を無理に使うより遥かにいい。
「悪かったな」
久世が言う。
「何が」
「期待させた」
「確認できただけ十分だ」
俺はM-68へ弾を戻す。
「そっちは貴重なんだろ」
「貴重じゃない弾なんて、もうない」
その言葉に俺は頷いた。
戦争が終わって5年。
工場が動いていない以上、撃つたびに世界から弾が1発消える。
俺がこの数日で使った弾も、もう戻ってこない。
「だからできれば戦いたくない」
久世が言う。
「同感だ」
「軍にいた奴ほどそう言うな」
「撃てば解決するなんて思ってる奴は、だいたい撃たれたことがない」
久世が俺を見る。
ほんの一瞬だけ、表情が変わった。
それ以上は何も言わなかった。
たぶん、それで十分だった。
その日の午後、俺たちは集落を出た。
目的は病院へ戻ること。そして次の探索に必要な準備を始めること。
門の前には澪とアイがいた。
「アイ、また来る?」
澪が聞く。
アイは俺を見る。
「来るかもしれないし、来ないかもしれない」
「おじさん、わからない?」
「先のことはな」
アイは少し考えたあと、澪を見る。
「またくる」
俺を見る。
「くる」
「俺に決定権ないの?」
「ある」
「じゃあ聞けよ」
「またくる?」
「……来られたらな」
「くる」
結局決まっていた。
澪が笑う。
「じゃあ待ってる」
アイは小さく頷いた。
「みお」
「なに?」
「またね」
澪が一瞬だけ目を丸くした。
それから笑った。
「うん。またね」
誰に教わったのか聞こうとして、やめた。
アイは時々、俺が教えていない言葉を知っている。
《ただいま》もそうだった。
そのたびに、こいつの中に何かが残っているのだと思わされる。
記憶なのか。
知識なのか。
もっと別の何かなのか。
今は分からない。
「おっさん」
バイクへ向かおうとしたところで蓮に呼ばれた。
振り返る。
「もう完全にそれで固定したのか」
「主様の方がいい?」
「おっさんでいい」
また自分で選んでしまった。
「次、あの脚のやつ見に行くんだろ」
「ああ」
「壊れてるぞ」
「見れば分かる」
「結構重いと思う」
「それも見れば分かる」
「場所、ちょっと分かりにくい」
「それは見ても分からない」
「だろ?」
得意そうな顔をする。
「だから俺がいる」
「まだ同行させるって決めてない」
「なんで?」
「危険だから」
「おっさんよりこの辺詳しいけど」
「おっさん言うな」
「そこ気にする?」
『主様は32歳です』
「ピコ!」
『事実です』
蓮が腹を抱えて笑った。
俺は本気で、ピコを蓮から遠ざけた方がいい気がしてきた。
バイクを隠した場所まで戻る。
アイを前へ乗せる。
ピコが飛んでくる。
蓮が手を振った。
「じゃあな、おっさん!」
「次呼んだら置いてくぞ!」
「案内できなくなるぞ!」
「地図ある!」
「細かい場所知らねえだろ!」
くそ。
正しい。
『主様』
「何だ」
『倉田蓮は有用であると判断します』
「分かってるよ」
『同時に、主様の精神的負荷を増大させる傾向があります』
「それも分かってる」
「れん、おもしろい」
前に座ったアイまで参加する。
「お前まで気に入ったのか」
「うん」
味方が減っていく。
エンジンを始動する。
久しぶりに聞くような気がする音が、崩れた街へ響いた。
帰り道、アイは何度も振り返った。
集落はすぐに建物の向こうへ消えた。それでもしばらく後ろを見ていた。
「見えないぞ」
「うん」
「忘れ物か?」
「ない」
小さな鞄を触る。
中には歯ブラシが入っている。
「じゃあどうした」
少し考えてから、アイが答えた。
「みお、いた」
「ああ」
「れんも」
「ああ」
「なおも。さかきも。くぜも。まかべも」
「いたな」
「また、いる?」
その質問の意味を考える。
次に行ったときも、同じ人間がそこにいるのか。
たぶん、そういう意味だ。
「いると思う」
「ずっと?」
答えに詰まった。
崩れた街が流れていく。
窓のない建物。
錆びた車。
雑草に覆われた道路。
5年前まで、ここにも「ずっと続く」と思われていた生活があった。
「ずっとは、分からない」
俺は答えた。
アイが前を向く。
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
病院へ戻ったのは、空が橙色に染まり始めた頃だった。
周囲を確認してからバイクを入れる。敵の新しい痕跡はない。ピコにも異常な信号は拾えていない。
アイが先に廊下へ入る。
薄暗い廊下の一部には、地下施設から送った電力で灯りが点いている。
アイが振り返った。
「ただいま」
「ああ。ただいま」
『帰還を確認しました。ただいま』
いつの間にか、それが普通になっていた。
荷物を置き、端末を起動する。
壁へ地図を表示した。
病院を中心とした半径5km。
そこから北東へ伸びる探索経路。
6.7km地点の旧警察施設。
10~12km地点の戦時検問所。
そして、その先。
新しい地点を2つ追加する。
14.9km。
旧軍脚部補助装備。
18.4km。
旧技術施設。
ただし、集落そのものの正確な位置は記録しない。
俺たち以外の誰かに端末を奪われる可能性はゼロじゃない。
「遠くなった」
アイが地図を見上げて言った。
「ああ」
最初は病院の周りだけだった。
食料を探す。
水を探す。
燃料を探す。
それだけだった地図が、少しずつ外へ伸びている。
今はその先に、人間がいる。
友達がいる。
そして、アイの過去へ繋がっているかもしれない場所がある。
『主様』
ピコが地図の14.9km地点を示した。
『脚部補助装備を回収する場合、現地修復ではなく搬送を前提とすることを推奨します』
「俺もそう思う。蓮の話だけじゃ故障箇所が分からない」
『電源系、制御系、駆動部のいずれが損傷しているかも不明です』
「持って帰れれば、ここでばらせる」
「おじさん、なおす?」
アイが聞く。
「直せそうならな」
「ピコみたいに?」
手が止まった。
ピコがアイを見る。
「……まあ、似たようなもんだ」
「ピコも、おじさんなおした?」
何気ない質問だった。
俺はピコを見る。
傷だらけの外装。
左右で微妙に違うローター基部。
何度交換したか覚えていない配線。
戦争が終わるより前から残っている傷もある。
『はい』
ピコが答えた。
アイの目が少し大きくなる。
「こわれた?」
『複数回』
「いっぱい?」
『「いっぱい」の定義によります』
「ピコ」
『少なくない回数です』
「いたかった?」
ピコの青い目が止まった。
『痛覚機構はありません』
「じゃあ、へいき?」
『機能停止は望ましくありません』
アイは少し考えた。
「こわれても、おじさんなおす?」
『可能な範囲では』
アイが俺を見る。
「なおす?」
「ああ」
「ぜったい?」
「直せるならな」
アイは頷いた。
それで納得したらしい。
けれど俺は、なぜかその会話が引っかかった。
壊れたら直す。
機械なら、それで済むこともある。
部品を替える。
配線を繋ぐ。
動かなければ原因を探す。
ピコにはそれを何度もやってきた。
だが。
俺はアイを見る。
アイは壁の地図を眺めていた。
水色の髪が、照明の下で淡く光っている。
こいつに同じことができるのか。
あのガソリンスタンドで起きたこと。
自律兵器を止めた力。
その正体すら、まだ俺たちは知らない。
「明日は準備だ」
俺は言った。
「燃料と水を確認する。ピコは経路の再計算。俺はバイクを見る」
『了解しました』
「アイは?」
「お前は――」
言いかける。
アイがじっと待っている。
何か仕事をもらえると思っている顔だ。
「荷物の確認」
「ほじょ?」
「補助だ」
「できる」
「勝手に物を増やすなよ」
「ふやさない」
「本当に?」
「……たぶん」
「今の間は何だ」
アイが小さく笑った。
その夜、病院は静かだった。
外では風が吹いている。割れた窓の向こうで、どこかの金属板が一定ではない間隔で鳴っていた。
俺は寝る前に、もう一度地図を見た。
18.4km。
数字にすれば、それだけだ。
けれど俺にとっては、この2か月でほとんど踏み出さなかった場所だった。
生きるだけなら、遠くへ行く必要はなかった。
水を探して。
食料を探して。
燃料を探して。
危険な場所を避ける。
それを繰り返せばいい。
今は違う。
俺たちは、生きるためだけじゃない理由で外へ向かおうとしている。
アイが何者なのか。
なぜ兵器がこいつを狙うのか。
IS-001。
IS-002。
IS-003。
その答えを探すために。
背後で小さな足音がした。
振り返る。
アイが立っている。
「どうした」
「ねる」
「寝なくても平気なんだろ」
「うん」
「じゃあ何で」
アイは少し考えた。
「おじさん、ねる」
「俺は寝るよ」
「ピコも?」
『私は休止状態へ移行可能です』
「じゃあ、アイも」
そう言って、いつもの場所へ向かう。
必要だからじゃない。
俺たちがするから、自分もする。
それだけだ。
「おやすみ」
アイが言う。
「ああ。おやすみ」
『おやすみなさい、アイ』
足音が遠ざかる。
俺はしばらく地図を見たあと、端末の表示を落とした。
暗くなった壁から、18.4kmという数字が消える。
明日から、その距離を縮める準備を始める。
その先に何があるのかは分からない。
ただ一つ分かっているのは、もう俺一人の探索じゃないということだった。




