Ep.28 可能性があります。
一時退避場所へ戻った頃には、日はだいぶ傾いていた。
昨日と同じ建物だった。元が何に使われていたのかは分からない。2階建ての小さな事務所のような造りで、窓の大半は割れ、1階の入口は倒れた棚と金属板で塞げる。寝床として快適とは言い難いが、雨風を凌げて、周囲を確認できる窓があり、何より今のところ自律兵器の痕跡がない。それだけで十分だった。
バイクを建物の裏へ回し、昨日と同じように瓦礫とシートで車体を隠す。ピコは周辺確認のため屋根の高さまで上昇し、俺はM-68を抜いて1階から2階まで確認した。
「いない?」
後ろからアイが覗く。
「今のところはな」
「みおもいない?」
「いるわけないだろ」
「さっきまでいた」
「ここは集落じゃない」
アイは少し考えてから、外を振り返った。
「とおくなった?」
「そこそこな」
「じゃあ、みえない」
「見えない」
「こえも?」
「聞こえない」
「……そっか」
妙に残念そうだった。
『周辺200m以内に継続的な動体反応なし。既知の自律兵器に該当する信号も検出されません』
開いた窓からピコが戻ってくる。
「了解。昨日と同じ部屋使うぞ」
『推奨します』
「ゆか、かたい」
アイが言った。
俺は思わず腰を押さえた。
「……知ってる」
『主様は今朝、起床直後に腰部の硬直を――』
「報告しなくていい」
「おじさん、いたかった?」
「ちょっとな」
「なおった?」
「動いてりゃ気にならん」
アイは俺の腰を見る。
嫌な予感がした。
「さわる?」
「触らなくていい」
「なおす?」
「治さなくていい」
「なお、みおのなおした」
「奈緒さんは元看護師だ。お前は今日初めて擦り傷の手当てを見た7歳だろ」
「ななくらい」
「そこ訂正しなくていい」
アイは不満そうだったが、諦めて階段を上がっていった。
昨日使った2階の部屋へ入る。割れた窓には応急的に板を立て、床には古いシートを敷いたままにしてある。荷物を置き、俺は携帯端末を取り出した。
壁面へ地図を表示する。
病院を中心とした半径5kmの円。その外側へ伸びる、今回初めて実際に通った経路。約6.7km地点の旧警察施設。その先、10~12km圏にある戦時検問所。そしてさらに先へ続く、集落へ向かった経路。
集落そのものの位置は記録しなかった。
俺たちしか使わない端末とはいえ、奪われない保証はない。経路を途中まで残し、その先には何も置かない。
「そこ、みお?」
いつの間にか隣へ来たアイが、壁を指差した。
「違う。そこまでは集落へ行くときに通った道だ」
「みおは?」
「地図にはいない」
「なんで?」
「書いてないから」
「かく?」
「書かない」
「おじさんは?」
「書かない」
「ピコは?」
「書かない」
「アイは?」
「書かない」
「だれもいない」
「地図ってそういうもんじゃないんだよ」
『位置追跡機能を使用すれば、我々3者の現在位置を重ねて表示することは可能です』
「余計なこと教えるな」
「やって」
『可能です』
「やらなくていい」
アイが頬を膨らませる。
俺は無視して表示を切り替えた。
今度は地図ではない。
検問所から持ち帰った記録データだ。
破損率は高い。端末単体では読み出せない領域も多く、前に確認できたのは表層部分だけだった。
「ピコ」
『はい』
「続き、いけるか」
『試行します』
ピコが端末の横へ降りる。2本のアームを伸ばし、片方で接続端子を固定し、もう片方で自分の側面から短いケーブルを引き出した。
「アイ。そこ座ってろ」
「みる」
「壊すなよ」
「こわさない」
「触るな」
「さわらない」
「本当に?」
「……たぶん」
「離れろ」
「まださわってない」
結局、俺の横に座ることで妥協した。
ピコがデータ領域へ接続する。壁面の表示が切り替わり、文字列が流れ始めた。
『破損領域を除外。断片データを時系列および参照関係から再構築します』
「どれくらいかかる」
『不明です』
「珍しい答えだな」
『正確な予測に必要な情報が不足しています』
「1時間?」
『可能性があります』
「2時間?」
『可能性があります』
「朝まで?」
『可能性があります』
「便利だな、その答え」
『はい』
「褒めてない」
アイが俺とピコを交互に見る。
「ともだち?」
「何が」
「おじさんと、ピコ」
唐突だった。
俺は表示から目を離す。
「なんでそうなる」
「きょう、みおにきいた」
覚えたばかりの言葉を使いたいらしい。
アイは自分の小さな鞄を抱えながら続ける。
「またあいたいひと。いっしょにいたいひと。ともだち」
「まあ、そう説明したな」
「おじさん、ピコといっしょ」
「長いな」
「またあいたい?」
「毎日いるからな」
「じゃあ、ともだち?」
答えに困った。
俺が黙っていると、ピコが先に答えた。
『私と主様の関係を一般的な人間関係へ分類することは適切ではありません』
「ほら」
『ただし、主様との行動継続は私の基本的な運用状態です』
アイが首を傾げる。
「いっしょにいたい?」
『質問が主観的です』
「いたくない?」
『そのようには述べていません』
「じゃあ、いたい?」
『2択への単純化は推奨できません』
「ピコ」
『はい』
「逃げてないか」
『質問の意味が不明です』
俺は笑った。
アイはまだ納得していない。
「じゃあ、アイとピコは?」
『同居人です』
「ともだちじゃない?」
『否定していません』
「ともだち?」
『否定していません』
「じゃあ、ともだち」
『……』
ピコの2本の青い表示が、一度だけ点滅した。
『データ解析を継続します』
「逃げたな」
『処理負荷を考慮した合理的判断です』
アイが笑った。
それから鞄を胸元へ引き寄せる。
「アイ、ともだちふたり」
「2人?」
「みおと、ピコ」
「俺は?」
アイが俺を見る。
「おじさん」
「分類が雑すぎるだろ」
「おじさんは、おじさん」
「……そうかよ」
『主様。落胆を検知』
「してない」
『訂正。否定反応を検知』
「解析に集中しろ」
夕方は、そんなくだらないやり取りをしながら過ぎていった。外が暗くなる前に携帯食を少し口へ入れる。アイも欲しがったので半分渡した。昼に食ったばかりだと言ったが、「おいしいから」という理由で押し切られた。
日没後、室内の光源は最低限に落とした。外から見つかる可能性を減らすためだ。
アイは眠らない。
だから俺が横になってからも、壁際に座り、鞄から歯ブラシを出して眺めたり、ピコの解析画面を覗いたりしていた。
「触るなよ」
「さわらない」
「その距離は触る奴の距離だ」
「みてるだけ」
「ピコ、監視しとけ」
『了解しました』
「アイも、ほじょする」
『補助対象がありません』
「みる」
『それは見学です』
「ほじょ」
『見学です』
「ほじょ」
『……補助見学と定義します』
「負けたな」
俺が言うと、ピコの目がこっちを向いた。
『主様は睡眠してください』
「はいはい」
床へ身体を横たえる。
やっぱり硬い。
明日の腰を想像しただけで嫌になる。それでも昨日よりは早く眠れた。
途中で何度か目を覚ましたが、異常はなかった。ピコのローター音と、ときどき小さく聞こえるアイの声だけが、暗い部屋の中に残っていた。
翌朝。
「おじさん」
肩を揺すられて目を開けた。
アイの顔が近い。
「……近い」
「おきた?」
「今な」
「ピコが、できた」
「何が」
「わからない」
「じゃあなんで起こした」
「できたっていった」
身体を起こす。
予想通り腰が重い。
『主様』
ピコが端末の横に浮いていた。
『解析可能な領域について、再構築が完了しました』
「全部か?」
『いいえ。復元率は31.8%です』
「十分だ」
端末を手に取る。
壁へ表示。
前に意味を成さなかった文字列の一部が、項目として並んでいた。
《自律兵器識別系統更新》
《特別識別対象》
《生体認証情報》
《――IS――》
その下に、新しく復元された断片がある。
《識別系統:第7種》
《参照権限:制限》
《転送先:――技術――》
《照合対象:IS-0――》
数字の後ろが潰れている。
さらに下。
《通常兵器識別規格との互換――》
《生体情報照合――》
《中央承認――不要》
「中央承認不要?」
『文脈が欠落しているため、意味は確定できません』
「現場だけで処理できるって意味にも見えるな」
『可能性はあります』
嫌な感じがした。
旧軍の識別系統で、特別扱いされた生体情報。
しかも中央の承認を必要としない何か。
「ほかは?」
『断片的な通信経路番号および設備識別番号があります』
表示が切り替わる。
数字と英字の羅列。
俺には見覚えがなかった。
ピコにも完全な照合はできないらしい。
ただ、一つだけ気になる。
『この通信規格の一部は、戦争末期に使用された旧軍系統と一致します』
「お前の記録にある?」
『規格のみです。設備番号は該当なし』
「真壁なら分かるか」
『可能性はあります』
昨日、榊から聞いた名前。
戦争中、通信設備の復旧に関わっていた男。
俺は表示を閉じた。
「持っていくか」
「どこ?」
アイが聞く。
「集落」
途端に顔が明るくなる。
「みお!」
「今日は澪に会いに行くのが目的じゃない」
「みお、いる」
「いるだろうけど」
「ともだち」
「分かったから」
俺は立ち上がり、窓の外を見る。
空は曇っていたが、雨はない。
ただ、すぐに集落へ向かうつもりはなかった。
先に確認する場所がある。
病院だ。
俺たちの家。
『主様』
ピコが俺の意図を読んだように声を出す。
『夜間監視結果について報告があります』
「言ってくれ」
『病院方向において、以前確認された複数の自律兵器由来信号は継続して検出されていません』
俺は振り返った。
「ゼロか?」
『現在取得可能な範囲ではゼロです。ただし、障害物および距離による検出限界があります』
「いなくなったとは言えない」
『はい』
アイが俺を見る。
「おうち?」
「ああ」
その一言だけで分かったらしい。
アイは立ち上がった。
「かえる?」
「まず近くまで行く。安全を確認してからだ」
「かえる?」
「安全ならな」
「かえりたい」
俺は少しだけ黙った。
あの病院を拠点にしたのは俺だ。
壁が残っていた。部屋があった。医療施設だっただけあって、使える設備も多少残っていた。守りやすく、周辺を見渡せた。地下施設へ続く古い給電線まで生き残っていた。
最初は、それだけだった。
5年間、俺はあそこを拠点と呼んできた。
家なんて言ったことはなかった。
こいつが来るまでは。
「……じゃあ、帰れるか見に行くぞ」
「うん」
荷物をまとめ、地図を更新する。今回の探索経路、旧警察施設、検問所、その先で確認した道。その情報を保存し、端末を腰のポーチへ戻した。
外へ出る。
朝の街は静かだった。風が壊れた窓枠を抜け、どこかで金属板を鳴らしている。
バイクを引き出し、エンジンをかける。
アイがいつものように前へ乗る。
ピコが俺の頭へ2本のアームでしがみついた。
「飛ばないのか?」
『移動効率を優先します』
「昨日は飛んでただろ」
『主様の頭部は安定しています』
「褒められてる気がしない」
アイが笑う。
俺はアクセルを開いた。
病院まで一直線には戻らない。
周辺を大きく回り、複数方向から確認する。敵が残っているなら、正面から帰宅するほど馬鹿なことはない。
崩れた街路を抜け、いつもの探索圏へ戻る。
見慣れた廃墟が増えていく。地図に記録した倒壊地点。通れなくなった道路。何度も部品を取った廃車。遠くには汚れた水面が鈍く光っている。
アイも気づいたらしい。
「しってるところ」
「ああ」
「おうち、ちかい?」
「まだだ」
「もう?」
「まだ」
少し走る。
「もう?」
「まだ」
さらに走る。
「もう?」
「ピコ」
『病院までの推定移動時間、現在速度で――』
「教えなくていい」
「なんで?」
「お前が数え始めるからだ」
アイは不満そうに前を向いた。
やがて、病院から約1km離れた場所でバイクを止めた。
ここから先は歩く。
エンジン音を近づけたくない。
「アイ」
「うん」
「ここからいつものやつだ」
「とまる。かくれる。はしる。かってにさわらない」
「よし」
「えらい?」
「覚えてたからな」
少し嬉しそうにする。
ピコを先行させる。
俺はM-68を抜いた。
残弾12発。
瓦礫の陰を使いながら進む。
道路には、古い機械の足跡が残っていた。
四脚型。
複数。
病院を囲んでいた連中のものだ。
だが新しくはない。泥の乾き方を見る限り、少なくとも昨夜ここを通った痕跡ではない。
足跡は病院から離れる方向へ続いていた。
『前方、動体反応なし』
ピコが戻る。
『病院外周を確認。稼働状態の既知自律兵器は確認できません』
「建物内は?」
『外部から確認可能な範囲では反応なし』
「入るぞ」
「おうち?」
アイが小さな声で聞く。
俺は病院を見る。
4階建ての建物。
一部が崩れ、窓は割れ、外壁は煤けている。初めて見た人間なら、住もうとは思わないだろう。
それでも。
「ああ」
俺は答えた。
「帰るぞ」
アイが笑った。
非常口へ回る。
逃げ出したときの痕跡が残っていた。壊れた扉、床に散った破片、焼けた配線。内部へ入っても油断はしない。ピコを先頭に、俺、アイの順で進む。
暗い廊下。
見慣れた案内板が壁に残っている。
その一部には、地下施設から送った電力がまだ生きていた。廊下の奥で、1本だけ照明が点いている。
アイがそれを見る。
「ついてる」
「発電機も無事らしいな」
『供給電圧を確認。大きな異常なし』
「あとで地下側も確認する」
階段を上がる。
俺たちが使っていた区画へ近づく。
扉を開けた。
荒れていた。
逃げるときに置いていった物。倒れた棚。床へ落ちた容器。自律兵器との戦闘で飛び散った破片。
それでも、残っている。
アイが俺の横から中へ入った。
何も言わない。
自分が使っていた場所を見る。
歯を磨いた場所。
食事をした場所。
壁へ地図を映した場所。
それから、小さな鞄に手を触れた。
「アイ」
呼ぶと振り返る。
「……ただいま」
俺は一瞬、答えるのが遅れた。
誰に教わったんだ、その言葉。
聞こうとして、やめた。
前にもあった。
俺が教えた覚えのない言葉を、こいつは時々知っている。
「おじさん?」
「ああ」
俺はM-68を下ろした。
「ただいま」
『帰還を確認しました』
ピコが言う。
アイがピコを見る。
「ピコも、ただいま」
『はい。ただいま』
アイは満足そうに笑った。
帰ってきたからといって、すぐに元の生活へ戻れるわけじゃなかった。
まずやったのは、俺たちが使っていた区画の確認だった。アイには勝手に奥へ行かないよう言い聞かせ、ピコには廊下と隣接する病室の走査を任せる。俺はM-68を手にしたまま、一部屋ずつ扉を開けていった。ベッドの下、倒れた棚の向こう、カーテンの裏。人間なら隠れられる場所、自律兵器なら潜める場所を順番に潰していく。
『3階東側区画、動体反応なし。既知の自律兵器由来信号も検出されません』
「了解」
『小型生物と思われる反応を1件確認』
「場所は?」
『旧処置室です』
俺は足を止めた。
「大きさ」
『推定全長22cm』
「……それ鼠じゃないか?」
『可能性が高いです』
「放っとけ」
後ろからアイが覗き込んだ。
「ねずみ?」
「たぶんな」
「みたい」
「駄目」
「なんで?」
「噛まれる」
「かむ?」
「歯で」
アイが口元へ手を当てる。
「いたい?」
「たぶんな」
「みおより?」
「澪を痛みの基準にするな」
『一般的な鼠による咬傷は感染症の危険も――』
「ピコ。そこまで教えなくていい」
「かんせんしょう?」
遅かった。
俺は額を押さえた。
帰ってきて早々、質問が増えた。
ひと通り確認を終え、安全と判断してからM-68をホルスターへ戻した。アイはようやく自由を許されたと思ったらしく、すぐに自分が使っていた部屋へ走っていく。
「走るな」
「はしってない」
「今走っただろ」
「もう、とまった」
「そういう問題じゃない」
聞く気がない。
俺は諦めて、床に倒れていた棚を起こした。
数日前、この場所で四脚兵器を止めるために、使えるものは何でも使った。その結果がこれだ。床には割れた容器や金属片が散り、壁には弾痕とは違う深い傷が残っている。火災報知設備から引き出した配線もそのままだった。
ピコが2本のアームで小さな破片を拾う。
『居住環境としての評価が低下しています』
「誰のせいだと思ってる」
『自律兵器です』
「正論だな」
『はい』
アイも破片を一つ拾おうとする。
「待て」
手を止めた。
「それは触るな。切れる」
「じゃあ、これは?」
「それも」
「これ」
「駄目」
「これ」
「……それはいい」
アイが嬉しそうに拾ったのは、ただの空になった布袋だった。
「どこ?」
「そっちの箱に入れとけ」
「うん」
運ぶ。
戻ってくる。
また拾う。
「これは?」
「いい」
「これは?」
「いい」
「これは?」
「それは駄目」
「なんで?」
「尖ってる」
「これは?」
「アイ」
「なに?」
「お前、片付けしたことなかったか?」
少し考える。
「ある」
「じゃあ、なんで全部聞く」
「まちがえたら、おじさんおこる」
「……まあ、そうだな」
「だからきく」
筋は通っている。
俺は返事に困った。
『学習結果として適切です』
「お前まで褒めるな」
三人で片付け始めると、思ったより早かった。正確には二人と一機だが、ピコの2本のアームは細かい作業には俺より器用だ。割れたものを分別し、使えるものを戻し、濡れた布を干す。アイには危険のない軽いものだけを任せた。
やがて、アイが1つの金属製のカップを拾った。
「あ」
「どうした」
「これ」
見覚えがある。
こいつが初めて水を口にしたときに使ったやつだ。
少し凹んでいたが、割れてはいない。
アイは両手で持ち上げる。
「アイ、これつかった」
「覚えてたか」
「みず」
「ああ」
「おいしくなかった」
「水に味を求めるな」
「ごはんのほうがおいしい」
「比較対象がおかしい」
アイはカップをじっと見ると、捨てる方ではなく、残す方の箱へ入れた。
俺は何も言わなかった。
片付けが終わる頃には、昼をだいぶ過ぎていた。
次は設備だ。
壁面端末を起動し、地下施設から来ている給電状態を確認する。MEDICAL系統は生きている。電圧は安定しているが、いつまでも発電機任せにはできない。燃料は有限だ。
「ピコ。地下側の監視ログ」
『取得します』
数秒後、壁面に数値が並ぶ。
地下施設の発電機に致命的な異常はない。燃料消費も想定範囲内。水タンクの残量は前回の推定からわずかに減っている。
「72L前後か」
『誤差を含みます』
「分かってる」
この数字は重い。
俺一人ならまだしも、今はアイがいる。もっとも、本人は水を必要としていないらしいが、それを前提に生活する気にはなれなかった。歯も磨くし、汚れれば洗う。食事だってする。
生活するなら水は使う。
しかも湖は使えない。汚染が酷い。南の浄水施設も死んでいる。
「水、ない?」
アイが画面を見る。
「ある。ただ、増えない」
「みおのところ、あった」
「あっちは井戸と雨水があるらしいな」
「もらう?」
「簡単にはもらえない」
「なんで?」
「向こうにも26人いるからだ」
アイが少し考える。
「みんなの?」
「そう」
昼に教わった言葉を思い出したらしい。
「アイのじゃない」
「そういうこと」
「じゃあ、とらない」
「ああ」
こういうところは早い。教えたことが別の状況に繋がり始めている。
『主様』
ピコの声で画面を見る。
『病院外周の再走査が完了しました』
「結果」
『稼働状態の自律兵器は確認されません。ただし、四脚型と思われる移動痕を3方向で確認しました』
「方向は」
地図が表示される。
病院から北西。
東。
南東。
どれも離れている。
「散ったのか」
『可能性があります』
「俺たちを探して?」
『断定できません』
当然だ。
だが、あの連中がアイを狙ってここへ来たのは間違いない。
問題は、俺たちが戻ったことを知られたかどうかだ。
「しばらく外で火は使わない。夜も光は最小限。アイ」
「うん」
「窓際に立つな」
「なんで?」
「外から見える」
「だれに?」
「敵に」
さっきまで明るかった顔が少しだけ固くなる。
「まだ、いる?」
「分からない。だから気をつける」
「……うん」
『病院自体が再度標的となる可能性も考慮すべきです』
「分かってる」
ここが家になったからといって、安全になったわけじゃない。
むしろ逆だ。
アイがここにいると知られれば、また来るかもしれない。
そのとき12発で何ができる。
俺は腰のM-68へ触れた。
久世の言葉を思い出す。
規格を確認してからだ。
あいつらのところに適合弾があるなら、交換できる可能性はある。
それも次に集落へ行く理由になる。
「外の奴も見とくか」
「そとの?」
アイが聞く。
「前に来た四本脚」
表情が変わった。
あの機械が何をしたかは覚えている。
「こわした?」
「1機はな」
「みる?」
「俺とピコがな」
「アイも」
「駄目」
「なんで?」
「お前を狙ってた機械だぞ」
「もう、うごかない?」
「それを確認するんだ」
「じゃあ、みる」
「だから――」
『主様』
ピコが割り込む。
『完全停止が確認された場合、観察自体の危険性は低いと判断します』
俺はピコを見る。
「お前、最近こいつ寄りじゃないか?」
『事実に基づいて回答しています』
アイが嬉しそうにピコを見る。
「ともだち」
『その情報との因果関係はありません』
「ともだち」
『……否定はしません』
俺はため息をついた。
「確認してからだ。俺がいいと言うまで近づくな」
「うん」
病院の外へ出た。
空はまだ明るい。
風が少し強くなっていた。
壊れた外壁に沿って進み、撃退した機体の1つが倒れている場所へ向かう。
黒い装甲が見えてくる。
4本の細い脚。
大型犬ほどの胴体。
中央の赤いセンサーは完全に消えていた。
ガソリンスタンドで遭遇したものと、ほぼ同系統。ただしこちらは傷が多い。
「ここ」
俺はアイを止める。
「この線より前に来るな」
足元のひび割れを指す。
「せん?」
「それ」
アイがひびを見下ろす。
片足をぎりぎり手前に置いた。
「ここまで?」
「そう」
もう片方も揃える。
「はい」
「よし」
ピコが機体へ近づく。
『電源反応なし。補助電源反応なし。通信反応なし』
「罠の可能性」
『低いと判断します』
俺も近づく。
M-68は抜いたままだ。
機体の側面装甲には、俺が撃った跡が残っている。脚部関節にも損傷。銃架は完全に死んでいる。
ピコが外部端子を探す。
『接続口を確認』
「読めるか」
『試行します』
2本のアームで装甲の一部を開き、内部端子へ接続する。
数秒。
10秒。
20秒。
アイは約束した位置から動かない。
ただ、身体だけ前へ傾いている。
「落ちるぞ」
「おちない」
「そこまでして見るな」
「みたい」
『内部記録領域へのアクセスを確認』
俺は機体へ視線を戻す。
「何が残ってる」
『大半が破損しています。戦闘直前の識別記録を抽出します』
ピコの前面モニターに文字が流れる。
識別。
照合。
対象選択。
優先順位。
そして。
『記録を確認』
「読め」
『対象識別――IS-003』
アイが反応した。
俺は黙って続きを待つ。
『対象分類――特別生体識別対象』
「生体」
検問所で拾ったデータにもあった言葉だ。
『優先命令――』
一瞬、ピコが止まる。
『最優先破壊』
風が吹いた。
乾いた草が、壊れた道路を転がっていく。
「……やっぱりか」
偶然じゃない。
ガソリンスタンドの1機だけでもない。
こいつらは共通の何かを参照している。
5年前の命令が、今も残っている。
「その命令、どこから来てる」
『参照元を追跡します』
数秒後。
『不明』
「消えてる?」
『いいえ』
ピコの答えが少し違った。
『参照先情報そのものが、この機体内には保存されていません』
「外部照合か」
『その可能性があります。ただし、戦闘時に継続的な外部通信を行った記録はありません』
「じゃあ何を見てた」
『不明です』
俺は眉を寄せた。
中央の指示がなくても、こいつはアイを見た瞬間にIS-003と判断した。それだけなら機体内部の識別情報で説明できる。
だが、その識別情報の元がない。
まるで命令だけが、規格の奥に焼き付いている。
「ピコ。その部分だけ抜けるか」
『可能です』
「検問所のデータとまとめろ」
『了解しました』
「まかべ?」
後ろからアイの声。
俺は振り返る。
「覚えてたのか」
「さっき、いった」
「そうだったな」
アイは黒い機体を見る。
「まかべ、これわかる?」
「分からないかもしれない」
「じゃあ、きく?」
「ああ」
俺は立ち上がった。
「聞いてみる」
そのとき、アイが1歩こちらへ来ようとした。
「待て」
ぴたりと止まる。
「線」
俺が言う。
アイは足元を見る。
ひび割れ。
自分で決めた境界。
「あ」
1歩下がった。
「わすれた」
「今思い出したならいい」
「えらい?」
「半分な」
「はんぶん」
少し不満そうだ。
俺は機体から離れ、アイのところまで戻った。
「これでいい」
「ぜんぶ?」
「何が」
「えらい」
「……はいはい。偉い」
満足そうに笑う。
ピコが俺の横まで戻ってくる。
『主様』
「なんだ」
『追加情報があります』
「言え」
『機体内の識別規格を、検問所から回収した通信経路情報と照合しました』
「一致した?」
『完全一致ではありません。ただし、共通する識別ヘッダを確認しました』
俺の表情が変わったのが、自分でも分かった。
検問所。
この機体。
別々の場所で見つけたデータが、同じものを指し始めている。
『さらに、旧軍通信規格との部分一致を確認』
「軍か」
『その可能性は高いと判断します』
アイが俺を見る。
「ぐん?」
「ああ」
「おじさんの?」
俺は少しだけ答えに詰まった。
「……昔いたところが使ってた規格に近いってことだ」
「おじさんも、ぐん?」
「ああ」
「これも?」
アイが黒い機体を見る。
「それはまだ分からない」
旧軍規格だからといって、それだけで所属まで断定はできない。戦争末期には鹵獲品も転用された。互換化された装備もあった。敵味方の規格が入り乱れた現場を、俺は嫌というほど見てきた。
だが、検問所の記録。
生体識別。
IS。
そして、この機体に残った《IS-003》。
もう偶然で片づけるには、線が繋がりすぎている。
俺はM-68をホルスターへ戻した。
「明日、集落へ行く」
「みお?」
「真壁だ」
「みおも?」
「たぶんいる」
「じゃあ、みおとまかべ」
「目的の順番が逆だ」
『アイにとっては正しい可能性があります』
「お前まで言うな」
アイが笑った。
俺はもう一度、足元の黒い機体を見る。
5年前に終わった戦争の残骸。
それが今も命令を抱えたまま残り、7歳くらいにしか見えない少女を殺そうとしている。
だったら知るしかない。
ISとは何なのか。
誰がアイをそう呼び始めたのか。
なぜ殺せという命令だけが、戦争の終わった世界に残っているのか。
今のところ、その手掛かりに最も近いのは一人だけだった。
真壁宗一郎。
戦争中、通信設備の復旧に関わっていた男。
俺たちは明日、もう一度集落へ向かうことにした。




