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アイは、生きている。  作者: LALA
第3章 生存者
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Ep.26 ここは避難所じゃない。

 建物の中は、外から見たより狭かった。もともとは小さな事務所だったのだろう。入口脇には倒れた受付台があり、その奥にいくつかの机が並んでいる。窓ガラスの半分は割れ、代わりに透明な樹脂板と木材が打ちつけられていた。ここが廃墟をそのまま使っている場所ではなく、人の手で何度も直されながら使われ続けている場所なのだというのは一目瞭然だ。

 榊は奥の机まで歩くと、椅子をひとつ引いた。

 「座ってくれ」

 「いいのか?」

 「立ったまま話す理由もないだろ」

 「それもそうか」

 俺は椅子に腰を下ろした。

 榊は向かい側に座ったが、久世の姿はない。入口にも別の人間を立たせていないらしい。

 俺がそれに気づいたのを見たのか、榊が言った。

 「冬馬なら門に戻った」

 「俺と二人でいいのか?」

 「二人じゃないだろ」

 榊の視線がピコへ向く。

 『正確には三者です』

 「数えなくていい」

 『訂正します。二名と一機です』

 「もっといらねえよ」

 榊の口元がわずかに緩んだ。

 「変わった機械だな」

 「俺もそう思う」

 『否定します』

 「そこは否定するんだな」

 ピコが二本の青い目を榊へ向ける。

 『私は正常です』

 「だそうだ」

 「なるほど」

 榊はそれ以上ピコについて追及せず、机の上に置かれていた金属製のカップを端へ寄せた。

 「まず、こっちのことから話そう。さっき言った通り、ここには26人いる」

 俺は黙って聞く。

 「子供が3人。あとは大人だ。全員がずっとここにいたわけじゃない。最初は7人だった。途中で拾ったり、向こうから来たりして、今の人数になった」

 「いつから?」

 「ここを使い始めて3年ちょっとだ」

 思っていたより長い。

 外から見えた補修の跡にも納得がいった。

 「水は?」

 「雨水と井戸。井戸は昔のものを直した。ただし、飲む分は濾過して煮沸してる」

 「食料」

 「聞くまでもないだろ」

 「余裕はないか」

 「ない」

 即答だった。

 榊はそこで少しだけ身を乗り出した。

 「だから最初に言っておく。ここは避難所じゃない」

 声は穏やかだった。

 追い出そうとしているわけでも、脅しているわけでもない。ただ事実を確認している。

 「来た人間全員を養えるほど、俺たちには余裕がない。薬も燃料も弾も足りない。寝る場所くらいなら用意できるが、それ以上は交換が基本だ」

 「その方が分かりやすい」

 「助かるよ」

 俺としても、一方的に面倒を見てもらうつもりはなかった。むしろ何でも無償で差し出される方が怖い。この世界でそんな善意だけを頼りに26人も生かせるはずがない。

 「それで」

 榊が俺を見る。

 「お前たちは何を持ってる?」

 「今ここに、って意味なら大したものはない」

 「そうじゃない。交換できるものだ」

 俺は少し考えた。

 病院の場所はまだ言わない。地下施設も同じだ。燃料の残量も、水の量も、こいつらが信用できると分かるまでは伏せる。

 だが、渡せるものは物資だけじゃない。

 「情報」

 榊の眉が動いた。

 「どんな?」

 「この辺りから南西側に10キロ程度進んだところが俺の拠点。そこから半径5キロ程度ならかなり歩いてる。通れる道路、崩落地点、水を確保できる場所、燃料が残ってる場所。旧式の自律兵器を見た区域も記録してある」

 榊の表情が変わった。

 ほんの少しだが、さっきまでより明らかに興味を示した。

 「地図があるのか?」

 「ある」

 俺がピコを見る。

 ピコは何も言わず、腹部側の接続端子から短いケーブルを出した。

 「データで管理してる」

 「見せてもらえるか?」

 「全部は無理だ」

 即答すると、榊は俺を見たあと、頷いた。

 「当然だな」

 話が早い。

 「交換する情報を決めるなら見せる」

 「分かった。じゃあ、こっちからも出そう」

 榊は机の引き出しを開けた。中から古い携帯端末を取り出す。画面には細いひびが入っていたが、電源を入れるとまだ表示された。

 「俺たちも周辺は調べてる。主に北と東だ。お前が南西を持ってるなら、かなり重なる部分が少ない」

 「東はどこまで?」

 「遠いところで九キロくらい。ただし毎回行けるわけじゃない。通れる道も変わる」

 互いに一瞬だけ黙った。

 「昨日、検問所を見た」

 俺が言うと、榊の指が止まった。

 「西側の?」

 「知ってるのか」

 「知ってる。ただ、俺たちはあまり近づかない」

 「理由は?」

 「昔、あの周辺で何度か機械を見た」

 俺は背筋をわずかに起こした。

 「どんな機械だ」

 「四脚のやつだ。黒い装甲で、犬をでかくしたような形」

 ガソリンスタンド。

 病院。

 頭の中に二つの光景が重なった。

 「いつ?」

 「最後に見たのは半年くらい前だ。それより前にも何度かある。ただ、最近は見てない」

 『機体形状について追加情報を要求します』

 ピコが口を挟んだ。

 榊がそちらを見る。

 『全高、脚部構造、搭載火器、光学センサーの形状を可能な範囲で』

 「急に喋るな。びっくりするだろ」

 『重要情報です』

 「それはそうだが」

 榊は少し考え、手で高さを示した。

 「このくらいだったと思う。脚は四本。細い。胴体の横に銃みたいなものがついてた。前に赤い光があった」

 同型と見ていい。

 ピコもそう判断したらしい。

 『過去に遭遇した個体との外形的一致点が複数存在します』

 榊の目が俺に戻った。

 「遭遇したことがあるのか?」

 「ああ」

 「一度?」

 「何度も」

 「……よく生きてるな」

 「俺もそう思う」

 これは本音だった。

 5年もあれば運だけで片づけられない場面はいくらでもあったが、それでも最後の一線では運に助けられたことも多い。

 榊が机に肘をつく。

 「最近、妙なんだ」

 「何が」

 「機械だよ」

 俺は黙った。

 「完全に止まってたわけじゃない。昔からたまに動いてる奴はいた。だから俺たちも、危険な場所は避けてきた。でもここ一週間くらいで、遠くから機械音を聞いたって話が増えた」

 一週間。

 嫌な数字だった。

 地下施設の発電機を動かした時期と近い。病院の古い通信設備が何かを送った可能性もある。そして、その少し前にはガソリンスタンドでアイが能力を使っている。

 どれが原因なのか。

 そもそも関係があるのか。

 まだ分からない。

 「どの方向だ」

 「北西と西。見た人間はいない。音だけだ」

 『時刻、継続時間、音響特性について記録はありますか』

 「記録まではしてない。ただ、冬馬なら詳しく覚えてるかもしれない」

 「後で聞かせてくれ」

 「構わない」

 俺は少し迷ってから、検問所で見つけた情報の一部を出すことにした。

 「検問所の端末が生きてた」

 榊の目が細くなる。

 「まだ?」

 「外から電源を取られてた。誰かが最近触った可能性がある」

 「俺たちじゃない」

 「だろうな」

 「なぜそう思う?」

 「最近、人が入った跡があった。実用品だけ選んで持っていってる。それに、あんたたちがやったなら検問所を避けてるとは言わない」

 榊はしばらく黙ったあと、頷いた。

 「他にもいるってことか」

 「可能性は高い」

 「何人くらいだ」

 「そこまでは分からない」

 俺は続けた。

 「弾薬も残ってた。ただ、俺の銃には合わなかったから置いてきた」

 「種類は?」

 俺が答えるより先に、ピコが型式と規格を簡潔に告げた。

 榊の目がわずかに見開く。

 「場所は?」

 「それは交換だ」

 「……徹底してるな」

 「26人を3年も生かしてる人間に言われたくない」

 榊が初めて少し楽しそうに笑った。

 「分かった。弾が必要なら、冬馬に確認させる。余ってるとは約束できないが、使えるものがあれば交換できる」

 「助かる」

 「それと」

 榊が端末を置いた。

 「お前、軍にいたのか?」

 やっぱり来たか。

 「久世から聞いた?」

 「あいつがそう見えたと言ってた」

 「いた」

 隠す理由もない。

 「技術系だ。前線にも出た」

 「だから機械に詳しいのか」

 「まあな」

 「あの飛んでるのも?」

 榊がピコを見る。

 『私にはピコという識別呼称があります』

 「ピコも軍のものだったのか?」

 俺は一瞬だけピコを見た。

 黒い画面に二本の青い線。傷だらけの外装。左右で微妙に色の違う部品。五年間見慣れすぎて、もう違和感すら感じない姿だ。

 「……昔はな」

 それだけ答えた。

 榊も、それ以上は聞かなかった。

 ありがたい。

 「じゃあ、旧軍の施設を探してるっていうのは、昔の部隊か何かを?」

 「違う」

 「なら、何を探してる?」

 今度はすぐには答えなかった。

 検問所で見つけた文字が頭に浮かぶ。

 《特別識別対象》

 《生体認証情報》

 《IS――》

 そして、外で澪と話しているはずの小さな少女。

 ここでISという文字まで出すべきか。

 いや、まだ早い。

 「調べたいことがある」

 「それはさっきも聞いた」

 「今はそれ以上言えない」

 榊は俺の顔を見た。

 長い沈黙にはならなかった。

 「分かった」

 意外なほどあっさり引いた。

 「聞かないのか?」

 「聞いて答えるなら、さっき答えてるだろ」

 「……まあな」

 「ただし」

 榊の声が少し低くなる。

 「それがここにいる26人を危険に巻き込む話なら、別だ」

 俺は答えなかった。

 答えられなかった。

 アイを追ってきた自律兵器。

 病院を包囲した5機。

 あいつらがここまで追ってくる可能性を、俺は否定できない。

 榊は俺の沈黙をどう受け取ったのか、表情を変えなかった。

 「今すぐ話せとは言わない。俺たちだって、お前に全部話したわけじゃないからな」

 「……助かる」

 「でも、泊まるなら話は別だ」

 「今日は泊まるつもりはない」

 「ならいい」

 そこは明確だった。

 こいつは優しいんじゃない。

 線を引くのが上手い。

 だから26人をまとめられるのかもしれない。

 外から甲高い笑い声が聞こえた。

 俺は反射的に窓を見る。

 割れたガラスの代わりに張られた樹脂板の向こうを、小さな影が二つ走っていった。

 片方は澪。

 もう片方は、水色の髪。

 「……走ってるな」

 言い終わる前に、外から声がした。

 「いたっ!」

 椅子を引いたのは俺より榊の方が早かった。

 だが、次に聞こえた声で止まる。

 「澪! だから走らない!」

 奈緒だ。

 俺も立ちかけた身体を戻した。

 「……あっちの子か」

 『音声識別。三枝澪と推定』

 「そういうの今いらない」

 榊が少し笑う。

 「気になるなら行っていいぞ」

 「いや」

 「顔が行ってるけどな」

 「どんな顔だよ」

 今日二回目だった。

 俺は誤魔化すように椅子へ深く座り直す。

 その数秒後、今度はアイの声が聞こえた。

 「みお、いたい?」

 「ちょっと」

 「けが?」

 「たぶん」

 「ち、でた?」

 「ちょっとだけ」

 「なおる?」

 「これくらいなら治るよ」

 そこまで聞こえて、俺は動くのをやめた。

 ガソリンスタンドで、アイが俺に聞いた言葉と同じだった。

 これが怪我。

 これが痛い。

 治る?

 あのときは全部、俺が教えた。

 今はもう、別の誰かに同じ言葉を使っている。

 『主様』

 ピコが小さく呼ぶ。

 「なんだ」

 『また複雑な表情をしています』

 「お前、その機能壊れてんじゃねえのか」

 『自己診断では正常です』

 「今度ちゃんと調べる」

 『不要です』

 榊が俺たちを見ながら首を傾げたが、説明する気はなかった。

 「話を戻そう」

 俺が言う。

 「ああ」

 「交換については後で詰める。それより、もうひとつ聞きたい」

 「何だ?」

 「この辺りに、まだ使えそうな軍の施設はあるか?」

 榊はすぐには答えなかった。

 腕を組み、記憶を探るように天井へ視線を向ける。

 「使えるかは知らない。ただ、軍が使ってた場所ならいくつか聞いたことはある」

 「聞いた?」

 「俺が行ったわけじゃない」

 「誰からだ」

 「ここにいる年寄りだ。戦争中、この辺りで通信関係の仕事をしてた」

 俺の意識が少しだけ鋭くなる。

 「軍人?」

 「違う。民間の技術者だったらしい。軍の通信設備の復旧にも駆り出されてたと言ってた」

 通信設備。

 軍施設。

 検問所に残されていた《通信設備》のファイル。

 繋がるかどうかは分からない。それでも聞く価値はある。

 「話せるか?」

 「今日はやめた方がいい」

 「なんで」

 「機嫌が悪い」

 「いつならいいんだ」

 榊は少し考えた。

 「たぶん明日も悪い」

 「じゃあいつだよ」

 「だいたいいつも悪い」

 「駄目じゃねえか」

 『交渉難度が高い人物と推定します』

 「正解だ」

 榊が即答した。

 どうやらその点については、この集落の代表とピコの見解が一致したらしい。

 「真壁宗一郎」

 榊はそう言って、机の端に置かれていた端末を指で軽く叩いた。

 「古い通信機器とか記録は、あの人が一番詳しい。お前が持ってるデータを見せれば、何か分かるかもしれない」

 真壁。

 俺はその名前だけ覚えておく。

 今すぐ会う必要はない。むしろ検問所から持ち帰ったデータを一度ピコと整理してからの方がいいだろう。

 「分かった。今日はいい」

 「そうしてくれ。いきなり連れていくと、俺が怒られる」

 「代表なんだろ?」

 「代表でも怒られるときは怒られる」

 「大変だな」

 「そっちほどじゃない」

 榊が窓の向こうを見る。

 俺もつられて視線を向けた。

 今度はアイが見えた。

 しゃがみ込んだ澪の隣で、同じようにしゃがんでいる。奈緒が澪の膝を見ている間、アイはその手元を食い入るように覗き込んでいた。

 澪が何か言う。

 アイが答える。

 奈緒が二人に何か言って、澪が笑う。

 少し遅れて、アイも笑った。

 地下で初めて見つけたとき、あいつの世界には何もなかった。

 食べ物も、水も、空も、鳥も、痛みも、自分の名前さえ知らなかった。

 それが今は、俺の知らないところで誰かと話している。

 「……子供は早いな」

 榊が言った。

 「何が」

 「仲良くなるのが」

 俺は窓の向こうを見たまま答えた。

 「そうみたいだな」

 そして少しだけ、不思議に思った。

 俺はあいつにいろんなものを教えてきたつもりだった。

 でもたぶん、俺には教えられないものの方が、ずっと多い。

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