Ep.23 俺を人類代表にすんな。
足跡を見つけてから、検問所の空気が変わった。
「まずここを調べるぞ」
俺たちは検問所の奥へ進んだ。
警察施設に残っていた記録では、戦争末期にここへ弾薬、医療用品、通信設備などが移送されている。記録自体が完全ではなかったから、どれだけ運ばれたのか、最終的にどうなったのかまでは分からない。ただ、何かが残っている可能性だけは十分にあった。
検問所は思っていたより広かった。道路上の監視設備だけじゃない。その裏にはプレハブ式の簡易施設が三棟あり、さらに金属製のコンテナがいくつも並んでいる。奥には土嚢を積んだ射撃位置らしき場所まであった。五年の雨風で土嚢の多くは破れ、土が流れ出し、そこから雑草が伸びている。
アイがそれを見つけた。
「おじさん」
「今度は何だ」
「あれ、はえてる」
「草だな」
「ふくろから」
「中に土が入ってるからな」
「なんで?」
「弾とかから隠れるために積むんだよ」
「つちで?」
「ああ」
アイは土嚢を見る。
俺を見る。
また土嚢を見る。
「つよい?」
「いっぱい重ねればな」
アイが一つへ手を伸ばしかける。
途中で止まった。
そして俺を見る。
「さわっていい?」
「……それはいい」
許可を出すと、アイは指先で古い土嚢をつついた。
ぼふっ。
劣化した布が破れた。
中から湿った土が崩れ落ちる。
「……」
アイが俺を見る。
「こわれた」
「見れば分かる」
「アイが?」
「いや。もうボロボロだったんだろ」
『繊維の劣化が著しく――』
「ピコ、今はいい」
「ごめんなさい?」
「謝らなくていい」
「でも、こわした」
「壊したっていうか、とどめ刺しただけだ」
「とどめ?」
「……今のも覚えなくていい」
「おぼえた」
「だろうな」
最近、こいつの語彙が妙な方向に増えている気がする。
俺のせいか。
たぶん俺のせいだ。
最初のコンテナを開けると、中には壊れた折り畳み机と錆びた棚、空のプラスチックケースがいくつか残っているだけで、使えそうなものはない。床には泥の跡があり、奥の壁には物資の管理番号らしき文字が残っていた。
「次」
二つ目。
ここには古い医療用品が残っていた。
ただし、5年以上放置されていたものだ。包装が破れているものや、水が入った形跡のあるものは使えない。
俺が一つずつ確認していると、アイが横から覗き込んできた。
「これ、けが?」
「怪我したとき使うやつ」
「おじさんのとき?」
「あのときは病院にあったの使っただろ」
アイは俺の右腕を見る。
ガソリンスタンドで撃たれた場所だ。
もう傷自体はかなり塞がっている。
「なおった?」
「ほとんどな」
アイが指で触ろうとする。
「押すなよ」
ぴたり。
「いたい?」
「強く押したらな」
指が引っ込む。
「じゃあ、さわらない」
「それがいい」
『保存状態が良好と思われる医療用品を選別します』
ピコが二本のアームを使い、棚から小さな包装を一つ持ち上げる。
「頼む」
『はい』
アイがそれを見る。
「ピコ、もてる」
『はい』
「いっぱい?」
『重量によります』
「これも?」
アイが大きな医療箱を指差す。
『困難です』
「これは?」
さらに大きな金属ケース。
『不可能です』
「これは?」
壁際の棚。
『アイ』
「なに?」
『私を試していますか』
「うん」
即答だった。
俺は吹き出した。
『主様』
「悪い」
『笑う要素が不明です』
「分かんなくていいよ」
三つ目のコンテナで、ようやく弾薬らしき箱を見つけた。
俺は一瞬期待した。
箱自体は軍用のものだ。錆はあるが、蓋は閉まっている。警察施設で見つけた十二発に続いて、ここでも使える弾が手に入るならかなり助かる。
工具を差し込み、固着した留め具を外す。
蓋を開けた。
「……お」
中には弾が残っていた。
多くはない。
それでも数十発。
「ばん」
アイが横から覗く。
「あるな」
俺は一本手に取った。
その瞬間、期待が萎んだ。
「……違う」
「ちがう?」
M-68の弾より長い。
口径も違う。
『規格を照合します』
ピコが近づく。
数秒後。
『M-68との互換性はありません』
「だよな」
「つかえない?」
「俺の銃にはな」
アイが弾とM-68を見比べる。
「ばん、なのに?」
「弾にも種類があるんだよ」
「おなじじゃない?」
「同じじゃない。銃に合った弾じゃないと使えない」
「ちいさいのと、おおきいの?」
「それもある」
アイは少し考える。
そしてM-68を指差した。
「これ、すききらいある?」
「銃が?」
「うん」
「……まあ、食える弾が決まってるって意味なら」
『弾薬は摂食物ではありません』
「例えだよ」
『不適切な比喩です』
「分かりやすいだろ」
アイはM-68を見る。
「すききらい」
「ほら覚えた」
『誤学習です』
「お前が訂正しろ」
『すでに試みています』
結局、その弾薬は置いていくことにした。
銃本体が見つかれば使える可能性はあるが、今の俺たちにはただの重りだ。場所と規格だけ端末へ記録する。
「……大事に使わねえとな」
「じゅうに」
「ああ」
「ばん、しない?」
「できればな」
「じゃあ、ずっとじゅうに」
「そうなると最高なんだけどな」
『その場合、武器を携行する意義について――』
「お守りでいいんだよ」
『宗教的意味でしょうか』
「違う」
『では――』
「ピコ」
『はい』
「黙ろう」
『了解しました』
その後も物資区画を調べたが、状況は似たようなものだった。
ただ、調べていくうちに妙なことに気づいた。
「……これ」
コンテナの奥。
床に積まれていた箱の一つを持ち上げる。
その下だけ、埃の色が違う。
箱自体も周囲のものより汚れていない。
「ピコ」
『確認します』
「これ、最近動かされてるな」
『その可能性が高いです』
「いつ?」
『正確な時期は特定できません』
「それでいい」
無理に数字を出させても意味がない。
五年間放置されていた場所と、最近誰かが触った場所。
それくらいの違いが分かれば十分だ。
さらに調べる。
保存食が入っていたらしいケースは空。
飲料水用の容器も空。
弾薬箱も、状態の良さそうなものほど中身がない。
一方で、重い工具や用途の限られる装備は残されている。
偶然じゃない。
「選んでるな」
「えらんでる?」
「使えるものだけ持っていってる」
アイが空の箱を見る。
「だれが?」
俺は答えず、入口の向こうへ目を向けた。
泥に残った靴跡。
「……たぶん、あれをつけた奴らだ」
「ひと?」
「ああ」
『少なくとも、人間がこの場所を利用している可能性は上昇しました』
「近くに住んでると思うか?」
『判断材料が不足しています』
「だよな」
それでも、わざわざここまで物資を取りに来ているなら、活動範囲内ではあるはずだ。
俺たちはさらに奥の簡易施設へ移った。
元は指揮所か事務所だったらしい。入口の扉は半分外れ、内部には机が並んでいる。壁には剥がれかけた配置図。奥には通信設備らしき機械が残っていた。
もちろん電源は死んでいる。
「ピコ」
『確認します』
「使えそう?」
『外部電源を接続すれば、一部端末が起動する可能性があります』
「やるか」
携帯電源を取り出す。
昨日の警察施設でも似たことをやったばかりだ。
配線を確認し、死んだ回路を避けて端末へ繋ぐ。
アイは横でじっと見ている。
「さわらないぞ」
「わかってる」
「えらい」
「きょう、いっかいめ」
「まだ数えてんのかよ」
電源を入れる。
一度。
反応なし。
「死んでる?」
『待ってください』
二度目。
画面の端に白い線が走った。
「お」
古い起動画面が現れる。
「生きてるな」
『記憶装置に多数のエラーがあります』
「読めるところだけでいい」
ファイル一覧を開く。
大半が破損。
警備記録。
物資管理。
避難誘導。
負傷者搬送。
通信障害。
どれも戦争末期の日付だ。
俺は一つずつ開いていく。
《自律兵器識別系統更新》
指が止まった。
「ピコ」
『確認しています』
開く。
文字の半分が潰れている。
それでも断片は読めた。
《――識別情報更新》
《友軍自律兵器――》
《特別識別対象――》
その先は文字化け。
さらに下。
《生体認証情報――》
《照合――》
《IS――》
そこで途切れていた。
俺は画面を見たまま動かなかった。
アイが隣から覗き込む。
「アイ?」
「……分からん」
「アイってある」
「ISだ」
「アイ?」
「似てるけど違う」
『IS-003との関連性は否定できません』
「分かってる」
俺は次のページを開こうとしたが、どれも破損したものばかり。
「くそ」
『復旧処理を試行します』
「頼む」
ピコが端末と接続する。
アイは画面を見る。
さっきまで物珍しそうにあちこち眺めていたのに、今は妙に静かだった。
「アイ」
「なに?」
「これ、見たことあるか?」
画面を指す。
アイはしばらく見つめた。
「……ない」
「思い出さなくていい。見たことあるかだけ」
「ない」
「そうか」
『現時点で復旧可能な追加領域は限定的です』
ピコが言う。
『ただし、この記録が軍用自律兵器の識別情報に関するものであることは確実です』
俺は端末から回収できるデータだけコピーした。
「持ち帰って調べる」
「おうちで?」
「ああ」
「かえったら?」
「帰ったらな」
アイが小さく頷く。
外へ出る頃には、雲の切れ間が少し広がっていた。
相変わらず空は灰色だが、雨はほぼ止んでいる。
俺は息を吐いた。
「次」
「ひと?」
「ああ」
ようやく、そっちだ。
最初に見つけた靴跡へ戻る。
雨で輪郭が崩れているため、そのまま辿るのは難しい。だが、意識して探し始めると他にも痕跡があった。
監視所の裏。
切れたフェンスの近く。
泥の上に残る複数の窪み。
さらに奥へ進んだところで、アイが止まった。
「おじさん」
「どうした」
「これ」
地面を指差している。
ロープだった。
古いフェンスと倒れた支柱を結びつけるように巻かれている。
俺は近づく。
ロープ自体は新品じゃない。
だが結び目が妙にしっかりしている。
周囲の金属には錆が浮いているのに、ロープが擦れた場所だけ色が違った。
「……最近触ってるな」
『その可能性が高いです』
「なんで、むすぶ?」
「ここ通るとき邪魔だから、倒れないようにしたんじゃないか」
実際、その横には人一人が通れる程度の隙間がある。
偶然じゃなく、誰かが通り道を作っている。
俺たちはその先へ進んだ。
今度はコンテナの陰の壁際だけ地面が乾いている。
そこに古い木箱が置かれていた。
ただの箱かと思ったが、位置がおかしい。
壁を背にして座るには、ちょうどいい高さだ。
近くには小さな缶。
そして黒くなった地面。
俺はしゃがんだ。
「……焚き火か」
アイもしゃがむ。
「ひ?」
「ああ」
「だれか、ここで?」
「火を使った」
指先で炭を触る。
冷たい。
当然だ。
「いま?」
「今じゃない」
「きのう?」
「分からん」
アイは黒い跡をじっと見る。
「ここで、たべた?」
「かもな」
「おじさんみたいに?」
「たぶん」
「おなか、へった?」
俺は少しだけアイを見る。
「人間ならな」
「ねた?」
「それは分からん」
「おじさんみたいに?」
「……お前の中で人間の基準、俺になってない?」
アイが首を傾げる。
「おじさん、にんげん」
「そうだけど」
『現時点でアイが日常的に観察可能な人間は主様のみです』
「なんか嫌だな、それ」
『理由が不明です』
「俺を人類代表にすんな」
「じんるいだいひょう」
「覚えなくていい」
「おぼえた」
「最近こればっかだな」
焚き火跡の周囲にも足跡が残っていた。
やはり一人ではなさそうだ。
俺は立ち上がり、さらに周囲を確認する。
そこで、またアイが動いた。
「おじさん」
「今度は何だ」
返事がない。
見る。
アイは数メートル離れた泥の前でしゃがんでいた。
「勝手に離れるな」
「これ」
俺は近づいた。
最初は何を見ているのか分からなかった。
泥。
水溜まり。
靴跡。
さっきから何度も見ているものだ。
でも。
小さい。
俺の靴跡より遥かに小さい。
アイが自分の足をその横へ置いた。
ぴったりではない。
それでも、かなり近い。
「ちいさい」
「ああ」
「アイと、おなじ?」
俺はしゃがみ込んだ。
形を見る。
小型の靴。
大人のものじゃない。
「……たぶん、子供だ」
「こども」
「ああ」
アイは自分の靴を見る。
また足跡を見る。
「アイみたいな?」
「見てみないと分からん」
「ちいさい?」
「たぶんな」
「おじさんより?」
「子供だからな」
アイの目が少しだけ輝いた。
「いる?」
「だから、まだ分からんって」
「みたい」
「分かったから落ち着け」
「みたい」
「二回言わなくていい」
「みたい」
「増やすな」
『要求の強度を示している可能性があります』
「分析しなくていい」
俺はもう一度、小さな足跡を見た。
これも雨で崩れている。
ただ、他の足跡と同じ方向へ続いていた。
大人だけじゃない。
子供もいる。
それだけで、頭の中の想像が変わる。
単独の略奪者。
武装した集団。
移動中の兵士。
そういう可能性だけじゃなくなった。
生活している人間がいるのかもしれない。
家族が。
集落が。
それでも、警戒を解く理由にはならない。
子供がいる集団だから安全だなんて保証はどこにもない。
「追うぞ」
アイが立ち上がる。
「こども?」
「足跡を」
「こども」
「足跡」
「こどもの?」
「……そうかもしれない足跡」
「うん」
嬉しそうだな、こいつ。
検問所を出る。
足跡は途中で途切れた。
昨日の雨で流されたらしい。
それでも、人の手が入った痕跡は続いている。
崩れた塀の一部だけが取り除かれている。
倒木には別のロープが巻かれ、通路を塞がないよう固定されている。
瓦礫の山にも、人一人が通れる細い道ができていた。
「……これ、結構使ってるな」
『継続的に利用されている経路である可能性があります』
「だよな」
俺たちは慎重に進んだ。
アイは俺のすぐ後ろ。
今度は勝手に何かへ触ろうとしない。
足跡を見つけても走り出さない。
検問所で子供の痕跡を見つけてから明らかに興奮しているのに、ちゃんと我慢している。
成長したな。
ほんの少し前まで、気になるものがあれば即座に触っていたのに。
さらに30分ほど進んだところで、俺は足を止めた。
「……ん?」
何かが違う。
アイも止まる。
ピコが振り返る。
「おじさん?」
「静かに」
耳を澄ますが、何も聞こえない。
でも、微かに匂う。
濡れた土でもない、錆でもない、古い油でもない、焦げた匂い。
ただし、火事の跡のような鼻につく臭いじゃない。
もっと柔らかい、木が燃えた匂い。
「ピコ」
『はい』
「煙、分かるか」
ピコが少し上昇した。
『確認します』
アイが鼻を動かす。
「におい」
「分かるか?」
「うん」
「何の匂いか分かる?」
首を振る。
「火だ」
「ひ?」
「ああ」
「だれか?」
「……かもしれない」
数十秒後、ピコが戻ってきた。
『北東方向。約800メートル先に微量の煙を確認しました』
「火事?」
『大規模な燃焼ではありません。煙量は少量です』
俺は息を吐いた。
焚き火か、調理か、暖を取っているか……何でもいい。
少なくとも、自然に燃えている規模じゃない。
「バイクは?」
『このまま接近すればエンジン音を察知される可能性があります』
「だよな」
俺たちは一度バイクを置いた場所まで戻るのではなく、検問所から少し離れた経路上に残してきた移動装備を確認し、そこから先は完全に徒歩へ切り替えることにした。車体は道路から見えない建物の陰へ押し込み、雨で汚れた古いシートや瓦礫を使って輪郭だけ隠す。完璧じゃないが、通りすがりに見つかる可能性は下がる。
アイがバイクを見る。
「おいてく?」
「ちょっとだけな」
「とられない?」
「それも含めて隠した」
『盗難の可能性を完全に排除することはできません』
「不安煽るなよ」
「とうなん?」
「覚えなくていい」
『他者の所有物を無断で――』
「ピコ」
『はい』
「今じゃない」
『了解しました』
「アイ」
「うん」
俺はしゃがみ、目線を合わせた。
「ここから先、絶対に俺から離れるな」
アイも俺を見る。
「うん」
「人がいても勝手に近づくな」
「うん」
「呼ばれても?」
少し考える。
「いかない」
「俺が行けって言うまで?」
「いかない」
「危ないと思ったら?」
「かくれる」
「俺が走れって言ったら?」
「はしる」
「触るなって言ったら?」
「さわらない」
「よし」
頭を撫でる。
アイが少しだけ笑う。
「きょう、にかいめ」
「そこは忘れないんだな」
『正確です』
「お前も数えてたの?」
『記録しています』
「もういい」
歩き出す。
ここから先は、さっきまでより遅い。
建物の陰を使い、開けた道路を避ける。
ピコも高度を上げない。白っぽい機体は空に浮かべば意外と目立つ。俺の近くを低く飛び、必要なときだけ先を見る。
煙の匂いは、少しずつ強くなっていった。
そして、最初に見つけたのは煙じゃなかった。
洗濯物だった。
「……マジか」
俺は半壊したビルの陰で止まった。
道路の向こうの、二棟の建物の間にロープが張られている。
そこに布が掛かっていた。
つぎはぎだらけの古い服が、何枚も。
それでも、ただ放置されているものじゃない。
きちんと広げて干されている。
風が吹くたびに、濡れた街の中でゆっくり揺れていた。
アイが俺の脇から覗こうとする。
「下がれ」
すぐ戻る。
「なに?」
「服」
「ふく?」
「ああ」
「だれの?」
「分からん」
もう少しだけ位置を変える。
その先。
廃ビルと廃ビルの間が、廃材で塞がれている。
ただ積んだだけじゃない。
金属板や木材、コンクリート片、古いフェンス。
使えるものを組み合わせ、明らかに人の手で壁を作っている。
さらに屋上には、雨水を集めるためらしい大きなシート。
そこから何本もの管が下へ伸びている。
「……いるな」
『継続的な居住活動を示す構造物が複数確認できます』
「人数分かる?」
『現時点では不明です』
「それでいい」
俺は少し高い場所を探した。
近くに、二階部分まで階段が残っている建物がある。
そこへ移動する。
床が抜けていないことを確認し、慎重に上がる。
アイもついてくる。
窓際には寄せない。
俺だけが壁の陰から覗く。
見えた……思っていたより大きい。
一つの建物に籠もっているわけじゃない。
道路の一角そのものを塞ぎ、複数の建物を利用している。
入口らしい場所には簡易的な門。
その上に足場。
見張り台。
煙はその奥から上がっている。
そして、人が動いているのまで確認できる。
俺は息を止めた。
遠すぎて顔までは分からないが、大人。
上着を着ている。
手には長いものを持っている。
銃か。
棒か。
いや、この距離じゃ断定できない。
人影は壁の上を歩き、途中で立ち止まった。
周囲を見ている。
見張りだ。
俺はすぐに身体を引いた。
「いた?」
アイが囁く。
「ああ」
その瞬間。
アイが窓へ行こうとする。
俺は襟元を掴んだ。
「ぐえ」
「行くなって言っただろ」
「みたい」
「さっき約束した」
「……」
「何て言った?」
「いかない」
「今何しようとした?」
「……いこうとした」
「だろ?」
「ちょっと」
「ちょっとでも駄目」
「……うん」
しょんぼりする。
でもここは譲れない。
「安全って分かってから」
「いつ?」
「調べてから」
「ながい?」
「分からん」
「……」
「そんな顔すんな」
「してない」
「してる」
もう一度、俺だけが外を見る。
見張りの人間はまだいる。
別の場所でも動きがあった。
一人。
いや、二人。
荷物を運んでいる。
奥の建物から誰かが出てくる。
人が、生きている。
5年前の痕跡じゃない。
今、歩いている。
今、物を運んでいる。
今、煙を上げている。
そのときだった。
奥の路地を、小さな影が横切った。
俺は目を細める。
「……」
もう一度。
今度は少し長く見えた。
小さい。
大人じゃない。
子供だ。
何かを抱えて走っている。
すぐに建物の中へ消えた。
俺の服が引かれた。
「おじさん」
「待て」
「ちいさいの、いた?」
俺は振り返った。
「見えたのか?」
「ちょっと」
「窓に近づいた?」
「ちかづいてない」
ピコを見る。
『約束された位置から移動していません』
「そうか」
「アイ、えらい?」
「……今それ聞く?」
「えらい?」
「えらいよ」
「きょう、さんかいめ」
緊張してるのが馬鹿らしくなってくる。
「子供だと思う」
「こども」
「ああ」
「アイみたいな?」
「……大きさは、まあ」
「みたい」
「今日は駄目」
「なんで?」
「向こうが俺たちをどう思うか分からないから」
「ひとなのに?」
「人だからだよ」
アイにはまだ分からないだろう。
機械なら、敵か味方かは比較的単純だ。
撃ってくるなら敵。
撃ってこないなら、とりあえず様子を見る。
人間はそうはいかない。
笑いながら近づいて撃つ奴もいる。
食料一つで殺す奴もいる。
助ける奴もいる。
見捨てる奴もいる。
法律も秩序も、今のこの街にはない。
まして、向こうから見れば俺たちも正体不明だ。
銃を持った男。
見たこともない子供。
空を飛ぶ機械。
警戒しない方がおかしい。
「おじさん」
「ん?」
「こわい?」
不意に聞かれた。
「……まあな」
「ひと、こわい?」
「分からない奴は怖い」
「アイも?」
俺はアイを見る。
「最初はな」
「アイ、こわかった?」
「地下で会ったとき?」
「うん」
少し考える。
あの地下施設。
薄暗い部屋。
IS-003。
食べ物も水も知らず、何も分からないまま俺を見ていた少女。
「……怖いっていうより、面倒そうだと思った」
「めんどう?」
「忘れろ」
『当時の主様は帰還後も複数回――』
「ピコ」
『はい』
「それ以上言ったら電源切るぞ」
『脅迫を確認しました』
「確認だけしとけ。お前の専門業務だろ」
アイが笑っている。
俺はもう一度、壁の向こうを見る。
5年間、俺はこの街を死んだ街だと思っていた。
正確には、そう思った方が生きやすかったのかもしれない。崩れた家。止まった車。誰も戻ってこない店。古い死体。壊れた端末。命令だけを抱えたまま動き続ける兵器。歩けば歩くほど、ここには「もういない」という証拠ばかりが増えていった。
でも、今は違う。
誰かが道を直している。
誰かが物資を集めている。
誰かが服を洗っている。
誰かが火を焚いている。
そして、その場所を子供が走っている。
俺の袖が、小さく引かれた。
「おじさん」
「なんだ」
「ここ、おうち?」
俺はバリケードの向こうを見た。
昨日、アイに言った。
家は、帰る場所だと。
「……たぶんな」
「だれかの?」
「ああ」
「いっぱいの?」
「たぶん」
アイはしばらく黙っていた。
それから、子供が消えた建物の方を見た。
「アイみたいなのも、いる」
「ああ」
向こうがどんな連中なのかはまだ分からない。
だから今日は近づかない。
まず見る。
人数や、武器、人の出入り。
どう暮らしているのか。
そして、話が通じる相手なのか。
焦る必要はない。
俺たちはようやく見つけたんだから。
この街に残っている、俺たち以外の「今」を。
「帰るぞ」
アイが俺を見上げる。
「おうち?」
「違う。昨日のところ」
「きのうのところ」
「だから名前にすんなって」
『地図上の正式名称を《きのうのところ》へ変更しますか』
「するな」
『了解しました』
「アイ、きのうのところ、すき」
「なんでだよ」
「おじさん、へんなかみだった」
「……お前がやったんだろ」
アイが笑う。
俺は小さく息を吐いた。
知らない人間を見つけた直後だというのに、こいつはいつも通りだった。




