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アイは、生きている。  作者: LALA
第3章 生存者
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21/46

Ep.20 いらない、はぶらしある。

 


挿絵(By みてみん)


 迂回路は、地図で見るよりずっと細かった。

 かつては二車線あったはずの道路も、今では片側を倒壊した建物の外壁が塞ぎ、残った部分には放置車両が斜めに突っ込んでいる。雨で濡れた瓦礫は黒く光り、その隙間から伸びた草がタイヤに触れるたび、しゃり、と小さな音を立てた。

 速度は出せない。

 俺は両足をすぐ地面につけられる程度まで速度を落とし、前方の路面を確かめながら進んだ。アイもさっきまでみたいに空を見上げることはなくなり、俺の前でじっと進行方向を見ている。

 雨はもう、珍しがって眺めていられる量じゃなくなっていた。

 淡い水色の髪はすっかり濡れ、額や頬に張りついている。白っぽい服も肩の辺りから色が濃くなり始めていた。

 「寒くないか?」

 「さむい?」

 「身体、冷たくなってない?」

 アイは自分の腕を触った。

 「ちょっと、つめたい」

 「寒いとは思わない?」

 少し考える。

 「……わかんない」

 「そうか」

 身体が冷えることと、それを不快な寒さとして感じることが、こいつの中ではまだうまく結びついていないらしい。

 俺は道路脇の軒が残っている建物を見つけ、バイクを寄せた。

 「ちょっと待て」

 「どうしたの?」

 「そのままだとびしょ濡れになる」

 荷物から薄手の防水シートを取り出す。物資を雨から守るために入れていたものだが、端を折ってアイの肩へ掛けた。

 「なにこれ」

 「雨よけ」

 アイは自分の身体を見下ろした。サイズなんて当然合っていない。小さな身体を覆ったせいで、ほとんどシートが歩いているように見える。

 「……でかいな」

 「おおきい」

 「まあ、濡れるよりマシだろ」

 『主様』

 ピコが俺の横へ降りてくる。

 「お前はいらねえぞ」

 『まだ何も要求していません』

 「どうせ防水がどうとか言うんだろ」

 『私の外装は通常の降雨を想定した防滴構造です』

 「ほらな」

 『主様もかなり濡れています』

 「俺はいい」

 アイが防水シートの隙間から顔を出した。

 「おじさんも、はいる?」

 「無理だろ」

 「ここ」

 小さな手で自分の横を持ち上げる。

 どう見ても入れない。

 「気持ちだけもらっとく」

 「きもち?」

 「……今度教える」

 「また?」

 「今は走る方が先」

 雨粒がシートを叩き始めた。

 さっきより明らかに強い。

 俺は再びバイクを出した。

 迂回路を抜けるのに十五分近くかかった。途中で一度、道路が完全に水に沈んでいる場所に出くわし、また端末へ《冠水・深度不明》と記録した。

 そこからさらに西へ回り込む。

 俺の知っている印は、もうほとんど地図上にない。

 代わりに増えていくのは、今日初めて追加する記録ばかりだった。

 崩落。

 通行不能。

 冠水。

 倒木。

 そして、危険そうな場所には暫定的な注意印。

 端末の中では一本の線でしかなかった道が、実際に走ってみると何度も途切れている。

 「……6.7kmキロって、こんな遠かったか」

 『直線距離と実際の移動距離は異なります』

 「分かってる」

 『現在までの走行距離は――』

 「言わなくていい」

 『了解しました』

 アイが前から振り返ろうとする。

 「前向いてろ」

 「ピコ、なにいおうとした?」

 『現在までの――』

 「ピコ」

 『了解しました』

 「なんで?」

 「俺が疲れるから」

 「きくと?」

 「聞くと」

 「へんなの」

 「人間はそういうもんなの」

 『一般化するには根拠が不足しています』

 「お前ら今日仲いいな」

 雨の中でも、二人はいつも通りだった。

 それが少し助かった。

 さらに二十分ほど進んだところで、街の様子が変わり始めた。

 建物の崩れ方が酷い。

 窓が割れているとか、外壁が剥がれているとか、そういう程度じゃない。道路に面した建物のいくつかは正面から大きく抉られ、内部の床や階段がむき出しになっていた。交差点の一角には焼け焦げた車両が何台も固まって残っている。

 戦闘があった場所だ。

 俺は自然と速度を落とした。

 『主様』

 「ああ」

 『周辺に複数の金属反応があります』

 「動いてる?」

 『現時点では確認できません』

 「なら近づかない」

 道路の左側。

 雨に濡れた瓦礫の間から、黒ずんだ金属片が突き出している。よく見れば、何かの装甲板だった。さらに先には、ひっくり返った小型無人車両らしき残骸もある。

 五年前から、ずっとここにあるのかもしれない。

 だからといって、全部死んでいるとは限らない。

 俺は嫌というほど知っている。

 「アイ」

 「なに?」

 「この辺では勝手にバイクから降りるなよ」

 「うん」

 「何か見つけても触るな」

 「うん」

 「俺が止まれって言ったら――」

 「とまる」

 「隠れろって言ったら?」

 「かくれる」

 「走れって言ったら?」

 「はしる」

 「よし」

 アイは少し間を置いてから言った。

 「おじさん」

 「なんだ」

 「アイ、ちゃんとおぼえてる」

 「……そうだな」

 褒めろ、と言っているわけじゃない。

 ただ事実を伝えているだけなんだろう。

 それでも俺は、濡れた水色の頭を軽く撫でた。

 「えらい」

 アイが目を丸くした。

 「えらい?」

 「ああ」

 「なにが?」

 「覚えてたから」

 少し考えてから、口元が緩む。

 「アイ、えらい」

 「自分で言うな」

 『記憶保持能力については現時点で異常は――』

 「ピコ。それは今いい」

 『了解しました』

 何気ない一言だった。

 なのに、なぜか引っかかった。

 記憶。

 ガソリンスタンドでアイが起こした、あの現象。

 あれが何なのかは、まだ分からない。

 ピコを完全に停止させ、死んでいたはずの機械を狂わせ、四脚兵器の動きを止めた。

 今日もアイは使おうとした。

 俺たちを助けるために。

 もし、あそこで止めなかったら。

 何が起きていた?

 考えても答えは出ない。

 だからこそ、使わせたくなかった。

 分からないものを、便利だからという理由だけで使わせる気にはなれない。

 「おじさん?」

 「ん?」

 「また、へんなかお」

 「してねえよ」

 「してる」

 『表情筋の状態から、平常時より眉間に――』

 「分析すんな」

 『了解しました』

 雨の向こうに、大きな建物が見えてきた。

 最初は灰色の塊にしか見えなかったが、近づくにつれて輪郭がはっきりしてくる。四階建て。道路に面した正面部分は一部崩れているものの、建物そのものはまだ残っている。

 外壁に取り付けられていた文字は半分以上落ちていた。

 それでも、残った形で分かる。

 「……着いた」

 アイが顔を上げる。

 「けいさつ?」

 「ああ」

 旧警察施設。

 目的地だ。

 正面玄関の前には、錆びた車両が二台残されていた。一台は横転し、もう一台は壁へ突っ込んだ状態で止まっている。入口付近には簡易バリケードの残骸もあった。

 俺は正面から少し離れた建物の陰へバイクを入れた。

 エンジンを切る。

 雨音が一気に大きくなった。

 屋根。

 車。

 アスファルト。

 あらゆる場所を雨が叩いている。

 ピコが俺の頭から離れ、宙へ浮いた。

 『周辺走査を開始します』

 「頼む」

 俺はバイクを降りた。

 アイも続こうとする。

 「待て」

 ぴたりと止まる。

 「ここ?」

 「ああ。まずピコが見る」

 「わかった」

 ちゃんと止まった。

 「……ほんと嫌だな、これ」

 仕方なく工具袋から短いバールを抜いた。

 銃の代わりになるようなものじゃない。

 それでも素手よりはマシだ。

 ピコが正面玄関の上まで飛び、割れた窓の近くで静止する。二つのプロペラの回転数を落とし、内部を確認していた。

 数十秒。

 『主様』

 「どうだ」

 『一階部分に活動中の機械反応は確認できません。生体反応についても、現在検出可能な範囲にはありません』

 「電波は?」

 『微弱な残留信号を複数確認。ただし、稼働中の通信機器によるものかは不明です』

 「奥は?」

 『建物構造による遮蔽があります』

 つまり、中に入らなきゃ分からない。

 いつものことだ。

 俺はアイを見る。

 防水シートの中から顔だけを出している。

 「入るぞ」

 「うん」

 「俺の後ろ」

 「うん」

 「ピコは前」

 『了解』

 正面玄関へ近づく。

 割れたガラス扉は片側が完全に外れ、床に倒れていた。雨水が中まで吹き込み、入口付近には浅い水溜まりができている。

 俺は足元を確認しながら中へ入った。

 暗い。

 外が雨で暗いせいもある。

 受付らしきカウンターは倒れ、椅子や書類棚が床へ散乱していた。天井の一部は落ち、濡れた床には黒ずんだ紙が何枚も張りついている。

 匂いも病院とは違った。

 湿気。

 黴。

 錆。

 それに、古い焼け跡の臭い。

 五年経っても、焦げた場所には独特の空気が残る。

 アイが俺の後ろから中を覗く。

 「ここに、ひといた?」

 「昔はな」

 「いっぱい?」

 「たぶん」

 「いまは?」

 「分からん」

 『現在確認できる範囲ではゼロです』

 「ピコ」

 『はい』

 「そういう言い方すると怖えよ」

 『事実です』

 アイが俺の服を掴んだ。

 「こわい?」

 「俺が?」

 「うん」

 「……ちょっとな」

 「おじさんも?」

 「ああ」

 アイは少し考えた。

 それから、俺の服を掴んでいた手に力を入れた。

 「じゃあ、いっしょ」

 何が、とは聞かなかった。

 「そうだな」

 ピコが受付の奥へ光を向ける。

 壁に案内表示が残っていた。

 文字の一部は剥がれているが、まだ読める。

 受付。

 事務室。

 留置区画。

 証拠品保管。

 そして奥に、装備管理区画。

 俺は最後の文字を見る。

 「……あそこだな」

 『武器保管設備が存在した可能性があります』

 「行ってみる」

 受付カウンターを回り込む。

 床にはいろいろ落ちていた。

 古い端末。

 割れたマグカップ。

 警棒らしきもの。

 雨で濡れた紙の束。

 アイが何かを見つけ、しゃがみ込もうとした。

 「アイ」

 ぴたりと止まる。

 「……さわらない」

 「そう」

 アイはしゃがまず、その場から指差した。

 「これ、なに?」

 床に転がっていたのは、小さな金属製の徽章だった。

 「たぶん警察の……」

 俺も近づく。

 だが、手を伸ばす前に止めた。

 別に必要なものじゃない。

 「飾りみたいなもんだ」

 「もってかない?」

 「持ってかない」

 「なんで?」

 「必要ないから」

 アイは徽章を見る。

 「きれい」

 「欲しいのか?」

 アイが俺を見る。

 それから、また徽章を見る。

 少し考えた。

 「……いらない」

 「そうか」

 「はぶらしある」

 「基準そこなの?」

 『アイの現在の所有物は歯ブラシのみです』

 「知ってるよ」

 アイは肩から掛けた小さな袋を押さえた。

 その中にある一本の歯ブラシを確認するように。

 俺は少し笑って、歩き出した。

 廊下の奥へ進むほど、外の雨音が遠くなる。代わりに聞こえてくるのは、天井のどこかから落ちる水滴と、俺たちの足音だった。

 ピコの光が前方を照らす。

 途中にいくつか部屋があったが、まずは目的を優先する。

 装備管理区画。

 案内表示を追って一階の奥へ進むと、やがて普通の事務室とは明らかに違う扉が現れた。

 分厚い金属扉。

 横には電子錠。

 当然、電源は落ちている。

 俺は扉へ手を当てた。

 「……ここか」

 『表示を確認』

 ピコが扉の横へ寄る。

 汚れを小さな腕で拭った。

 文字が現れる。

 《装備保管室》

 その下に、さらに小さく注意書き。

 《許可職員以外立入禁止》

 「当たりっぽいな」

 「たま、ある?」

 「開けてみないと分からん」

 俺は電子錠を見る。

 完全に死んでいる。

 「ピコ。開けられる?」

 『電子認証による解錠は困難です』

 「物理的には?」

 『扉自体の破壊を推奨します』

 「簡単に言うな」

 『主様が質問しました』

 「そうだけど」

 俺は工具袋を下ろした。

 バール。

 ハンマー。

 ドライバー。

 簡易切断工具。

 持ってきた中で使えそうなものを床へ並べる。

 アイが横から覗き込む。

 「こわす?」

 「できればな」

 「アイ、やる?」

 「何を」

 「こわす」

 「どうやって」

 アイが扉を見る。

 その瞬間。

 「駄目」

 「まだなにもしてない」

 「今、絶対なんかしようとしただろ」

 「みただけ」

 「髪浮かせるなよ」

 アイは自分の髪を両手で押さえた。

 「うかせない」

 「よし」

 『現在、浮遊は確認されていません』

 「分かってる」

 俺はしゃがみ込み、錠前周辺を調べた。

 電子錠は死んでいる。

 だが、非常時用の機械式解錠機構がある。

 問題は鍵がないこと。

 「……壊すしかねえか」

 バールの先端を隙間へ差し込む。

 力を込める。

 びくともしない。

 もう一度。

 金属が軋む。

 「硬っ……」

 『主様』

 「なんだ」

 『右側面の壁内部に固定ボルトがあります』

 「先に言えよ」

 『現在確認しました』

 「どこ」

 ピコが光を向ける。

 俺は工具を替えた。

 外装板を外す。

 錆びたネジが一本折れる。

 悪態をつきながらさらに外す。

 アイは隣でじっと見ている。

 五分。

 十分。

 十五分。

 外では雨が強くなっていた。

 ようやく固定機構の一部が露出する。

 「……これ切れば?」

 『解錠できる可能性は高いです』

 「最初からこれ見つけろよ」

 『外装によって遮蔽されていました』

 「はいはい」

 切断工具を差し込む。

 古い金属が悲鳴を上げる。

 何度か位置を変え、最後にバールを差し込んで体重をかけた。

 ガンッ。

 内部で何かが外れた。

 扉が数センチ開く。

 「……開いた」

 「おお」

 アイが素直に感心した。

 「おじさん、えらい」

 「だろ?」

 『所要時間18分42秒です』

 「解体するぞお前」

 扉を押す。

 重い。

 錆びた蝶番が低い音を立てながら、ゆっくり開いていった。

 ピコの光が中へ差し込む。

 棚。

 金属製のロッカー。

 装備ラック。

 いくつも並んでいる。

 俺の心臓が少し速くなる。

 「……頼むぞ」

 一歩、中へ入った。

 最初の棚。

 空。

 次。

 空。

 ロッカーを開ける。

 空。

 別の棚。

 空。

 嫌な予感がする。

 「……おい」

 奥へ進む。

 壁際には、銃器を固定していたと思われるラックが並んでいた。

 全部、空だった。

 残っているのは切れた固定バンドと、古い整備用品くらい。

 「マジかよ……」

 アイが俺を見る。

 「ない?」

 「見れば分かるだろ」

 『組織的に搬出された可能性があります』

 「5年前にな」

 床を見る。

 棚を見る。

 箱を開ける。

 空。

 空。

 空。

 苛立ちが込み上げる。

 病院を追われて。

 弾を全部使って。

 雨の中、ここまで来て。

 これか。

 「……クソ」

 『主様』

 「分かってる。まだ全部見てない」

 俺は奥へ進んだ。

 小さな保管棚がある。

 鍵は壊れていた。

 開ける。

 古いホルスター。

 警棒。

 手錠。

 使い道の分からない装備品。

 弾はない。

 「次」

 隣。

 医療用品。

 ほとんど使用期限切れ。

 それでも包帯や未開封の器具は使えるかもしれない。

 「これは後で見る」

 さらに奥。

 最下段。

 金属箱が一つだけ残っている。

 埃を被っていた。

 他の箱とは少し違う。

 棚の奥へ押し込まれ、前には壊れた装備ケースが積まれていた。

 俺はそれをどかした。

 「ピコ」

 『確認します』

 箱の側面を照らす。

 文字。

 擦れている。

 それでも、一部は読めた。

 弾薬管理番号。

 口径。

 俺は息を止めた。

 「……おい」

 『はい』

 「これ」

 『M-68の使用規格と一致する可能性があります』

 「可能性じゃなくて確認しろ」

 『開封が必要です』

 「する」

 留め具を外す。

 一つ。

 二つ。

 錆びついた蓋を持ち上げる。

 中を見る。

 「……あった」

 アイが横から覗く。

 「たま?」

 「ああ」

 弾薬。

 大量じゃない。

 箱の大半は空だった。

 それでも、隅にいくつか残っている。

 俺は一本ずつ取り出した。

 状態を見る。

 腐食。

 変形。

 湿気。

 使えないものを除く。

 ピコも横から確認する。

 『一発目、使用非推奨』

 「次」

 『使用可能と推定』

 「次」

 『使用可能』

 「次」

 『腐食あり。非推奨』

 一本ずつ。

 一本ずつ。

 床へ並べていく。

 やがて確認が終わった。

 俺は使える弾だけを数える。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 八。

 九。

 十。

 十一。

 十二。

 そこで終わった。

 「……十二発」

 『はい。使用可能と推定される弾薬は十二発です』

 多くはない。

 以前なら不安になる数字だ。

 けれど今は。

 ゼロだった。

 そこから十二になった。

 俺は一本を手に取った。

 小さな金属の塊。

 こんなものが、今はやけに頼もしく見える。

 アイが俺の顔を覗く。

 「うれしい?」

 「まあな」

 「いっぱい?」

 俺は十二発を見る。

 「……ちょっとだけ」

 「ちょっと?」

 「ああ。でも十分だ」

 『無駄撃ちを避ける必要があります』

 「分かってる」

 俺はM-68を抜いた。

 マガジンを外し、状態を確認してから弾を込めていく。

 一発ずつ。

 金属同士が触れる小さな音が、静かな保管室に響く。

 アイがじっと見ていた。

 「それで、ばんってできる?」

 「ああ」

 「よかった」

 「何が?」

 アイは少し考えた。

 「おじさん、まもれる」

 手が止まった。

 「……逆だろ」

 「?」

 「俺がお前を守るために使うんだよ」

 「でも、おじさんも?」

 「俺も何だ」

 「まもる」

 俺はアイを見る。

 本人は何も変なことを言ったつもりはないらしい。

 「……そうだな」

 最後の一発を込めた。

 「三人ともだ」

 『私にも防御対象としての優先順位がありますか』

 「なんでそこで確認すんだよ」

 『重要です』

 「あるよ」

 『了解しました』

 「満足か?」

 『記録しました』

 「そうかよ」

 俺はM-68を戻した。

 少なくとも、丸腰ではなくなった。

 それだけで呼吸が少し楽になる。

 「残りも調べるぞ」

 「まだ?」

 「ああ。せっかく来たんだ。弾だけ持って帰る……」

 言いかけて止まった。

 帰る。

 今すぐ病院へは帰れない。

 アイも気づいたのか、何も言わなかった。

 俺は棚へ向き直る。

 「……使えるもんは全部見る」

 『了解しました』

 保管室をさらに調べる。

 医療用品。

 予備のライト。

 使えるか分からない携帯通信機。

 工具。

 古い防護装備。

 持てる量には限界があるから、その場で選別する。

 その途中だった。

 「おじさん」

 「ん?」

 アイが部屋の奥に立っていた。

 「こっち」

 「勝手に離れんなよ」

 「はなれてない」

 確かに数メートルだ。

 「何だ?」

 アイが指差している。

 そこには棚と棚の間に挟まれるように、小さな机があった。

 上には古い端末。

 当然、電源は入っていない。

 だが、その横。

 机の下に、紙ではない薄い記録媒体が何枚か落ちていた。

 さらに壁には、別の施設名が記された古い電子掲示板。

 俺は近づく。

 汚れを払う。

 表示は死んでいる。

 「ピコ。これ読めるか」

 ピコが近づいた。

 『外部給電を行えば、端末が起動する可能性があります』

 「壊れてない?」

 『確認が必要です』

 「やってみる」

 ピコと一緒に端末の裏側を調べる。

 電源系統は古い。

 でも完全に焼けてはいない。

 俺は携帯電源を取り出し、変換ケーブルを繋いだ。

 「壊すなよ」

 『その発言は私に向けたものですか』

 「俺とお前両方」

 『適切です』

 電源を入れる。

 何も起きない。

 五秒。

 十秒。

 「駄目か?」

 その瞬間。

 端末の端に、小さな光が点いた。

 画面が一度だけ白く明滅する。

 ノイズ。

 黒。

 またノイズ。

 そして。

 古い文字列が表示された。

 『起動を確認』

 「読めるデータから見ろ」

 『検索します』

 ピコが接続する。

 大量のファイルが並ぶ。

 ほとんど破損。

 勤務記録。

 避難誘導。

 物資受領。

 負傷者移送。

 戦争末期の日付が続いている。

 俺は画面を流していく。

 その中に、一つ。

 《装備移送》

 という記録があった。

 「これ」

 開く。

 文字の一部が欠けている。

 それでも内容は読めた。

 戦況悪化に伴い、保管武器、弾薬、医療物資の一部を別地点へ移送。

 移送先。

 臨時検問所。

 俺は端末の地図を呼び出した。

 「ピコ。位置照合」

 『照合します』

 数秒後。

 地図上に印が表示された。

 俺たちが今いる旧警察施設から、さらに先。

 病院を基準にすれば十キロを越える。

 以前から存在だけは記録していた場所。

 戦時中の検問所跡。

 『一致しました』

 「……ここか」

 アイが俺の横から画面を見る。

 「また、とおい?」

 「ああ」

 「どれくらい?」

 「ここより遠い」

 「いく?」

 すぐには答えなかった。

 外を見る。

 割れた小窓の向こうでは、雨が白い筋になって落ちている。

 かなり強くなっていた。

 ここで止まるという選択肢もある。

 弾は手に入った。

 今日の目的の一つは達成している。

 でも病院には戻れない。

 戻ったところで、あの四脚兵器がまだ周辺を探している可能性が高い。

 それなら。

 「……行く価値はある」

 『同意します。ただし』

 「雨だろ」

 『はい』

 「分かってる」

 俺は記録を端末へ移す。

 そのとき、別のファイル名が目に入った。

 《検問所 物資受領記録》

 その下。

 《軍管理物資》

 さらに。

 《通信設備》

 弾薬だけじゃない。

 戦時中、軍と警察の物資がそこを通っていた。

 もしかしたら、今日俺たちを襲った兵器について何か残っている可能性もある。

 アイについても。

 期待はしない。

 でも、見る価値はある。

 「次はここだ」

 俺は検問所の位置を目的地として登録した。

 アイがその印を見つめる。

 「もっと、しらないところ?」

 「ああ」

 「おじさんも?」

 「ああ」

 「ピコも?」

 『現地情報は保有していません』

 アイは少し考えた。

 そして。

 「じゃあ、三人ともおなじ」

 「何が?」

 「しらない」

 俺は少し笑った。

 「……そうだな」

 外で雷が鳴った。

 低い音が、遠くの街を震わせる。

 アイがびくっと肩を揺らした。

 「なに!?」

 俺は思わずそっちを見る。

 アイも目を丸くして俺を見る。

 数秒。

 「……雷」

 「かみなり?」

 「ああ」

 「てき?」

 「違う」

 「こわれる?」

 「普通は壊れねえよ」

 『落雷による設備損傷の可能性は――』

 「今それ言うな」

 『了解しました』

 また遠くで光った。

 少し遅れて、低い音。

 アイは今度は逃げなかった。

 ただ、俺の袖を掴んだ。

 「またきた」

 「ああ」

 「いっぱい?」

 「今日は多いかもな」

 アイは割れた窓の向こうを見る。

 怖い。

 でも見たい。

 そんな顔だった。

 俺は荷物をまとめ直した。

 十二発の弾。

 使えそうな医療用品。

 記録データ。

 そして、新しい目的地。

 病院から六・七キロ。

 俺たちの生活圏を初めて越えて辿り着いた場所で、地図はさらにその先を指していた。

 外は雨。

 その向こうは、俺も知らない街だ。

 「行くぞ」

 「うん」

 『了解しました』

 俺たちは旧警察施設を出た。

 外へ一歩踏み出した瞬間、屋根を叩いていた雨がそのまま身体へ降りかかってくる。

 アイが防水シートを頭まで引き上げた。

 「いっぱい」

 「だから言ったろ」

 「さっきより、いっぱい」

 「それも見れば分かる」

 『主様の発言が私に類似してきています』

 「誰のせいだと思ってんだ」

 バイクのところまで走る。

 荷物を固定し、アイを前へ乗せる。

 俺も跨がった。

 ピコが頭へしがみつく。

 「よし」

 エンジンをかける。

 雨音に、低い駆動音が混じった。

 旧警察施設を背にして、俺は前を見る。

 道路の先は、雨で白く霞んでいた。

 端末の地図では、そこに道がある。

 でも、その道が本当に残っているのかは分からない。

 その先に何がいるのかも。

 「おじさん」

 「ん?」

 「また、ちず、かく?」

 俺は少しだけ笑った。

 「ああ」

 アクセルを回す。

 「ここから先も、俺たちで書く」

 バイクは雨の中へ走り出した。

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