Ep.16 3名での移動を推奨します。
『――最優先破壊対象』
二機の機械音声が、ほとんど同時に重なった。
その言葉を聞いた瞬間、考えるより先に身体が動いた。
俺はアイの肩を抱き寄せ、そのまま搬入口の脇に積まれた古いコンテナの陰へ押し込む。
直後、銃声。
耳をつんざく破裂音とともに、さっきまで俺たちがいた場所で火花が弾けた。鉄扉に穴が穿たれ、剥がれた塗装と金属片がぱらぱらと地面へ落ちる。
「頭下げてろ!」
「う、うん!」
アイが両手で頭を抱える。
俺はコンテナの端から顔を出した。
2機。
距離は30mほど。
黒い装甲に覆われた胴体を低く構え、四本の細い脚でゆっくりとこちらへ近づいてくる。歩くたびに脚先がアスファルトを叩き、硬質な音を響かせた。
赤い光は、2つともこちらへ向いている。
いや、違う、俺じゃない。
俺のすぐ後ろにいるアイを見ている。
M-68を握り直す。
残り2発しかない、倒そうとするな。
必要なのは、ほんの数秒だ。
俺は1機の脚へ狙いをつけた。
胴体よりずっと細い、しかも動いている。
外せば終わる。
息を吐く。
照準の中へ前脚の関節が入ったところで、引き金を絞る。
銃声。
金属が弾けた。
右前脚の関節から火花が散り、一本の脚が不自然な方向へ折れる。機体が大きく傾き、そのまま横倒しになった。
だが、壊れてはいない。
残った3本の脚が路面を掻き、身体を起こそうとしている。
それでいい。
今だけ動けなければいい。
「あと1発……」
もう1機が動いた。
細い脚が地面を蹴る。
大型犬ほどの黒い機体が、低い姿勢のまま一気に距離を詰めてくる。
胴体側面の銃身がこちらへ向いた。
「くそっ!」
撃つ。
最後の1発。
弾丸は銃身の付け根に命中した。
火花。
銃身が跳ね上がる。
ほぼ同時に敵も発砲した。
弾丸は俺たちの頭上を抜け、病院の壁へ突き刺さった。
M-68のスライドが後退したまま止まる。
空になった。
分かっていたはずなのに、その感触は思った以上に心細かった。
5年間、こいつには何度も助けられてきた。
手の中にあるだけで、最低限の選択肢は残されていると思えた。
だが、今はただの鉄の塊だ。
「……最悪だ」
『主様』
頭上からピコの声。
『感想は後ほど推奨します』
「分かってる!」
俺はM-68を腰へ戻し、鍵を掴んだ。
今度は入った。
回す。
固い。
「開け……!」
錆びた錠前が抵抗する。
背後では、脚を撃たれた一機が路面を引っ掻いている。
もう一機も銃身を損傷しただけだ。
走ることはできる。
カン。
カン。
カン。
金属音が近づく。
「おじさん」
「もうちょい!」
「きてる」
「分かってる!」
力を込める。
ガチン、と内部で何かが動いた。
「開いた!」
鉄扉を引く。
隙間ができた瞬間、アイの背中を押した。
「入れ!」
アイが中へ滑り込む。
俺も続く。
「ピコ!」
『退避します』
ピコが2つのプロペラを唸らせ、こちらへ一直線に飛んでくる。
その後ろ。
黒い四脚兵器が迫っていた。
10メートル。
8メートル。
5メートル。
「早くしろ!」
『最大速度です』
「もっと頑張れ!」
『精神論による推進力の増加は確認されていません』
「いいから来い!」
ピコが扉を通過する。
俺は全体重をかけて鉄扉を閉めた。
直後。
ドンッ、と扉全体が震えた。
「っ……!」
外から何かがぶつかった。
蝶番が軋む。
アイがびくりと肩を震わせた。
俺は扉を押さえたまま叫ぶ。
「アイ! そこの棒!」
アイが周囲を見回す。
「ぼう?」
「長いやつ! それ!」
壁際に転がっていた鉄パイプを指差す。
アイはすぐに駆け寄り、両手で持ち上げた。
「これ?」
「そう!」
受け取り、扉の取っ手と壁側の金具へ斜めに噛ませる。
長くは持たない。
それでも、ないよりマシだ。
もう一度。
ドンッ。
鉄パイプが震えた。
「奥行くぞ」
「でも、ここ――」
「いいから!」
アイの手を取る。
搬入口から続く廊下は薄暗い。
病院の中でも普段ほとんど使わない区画だ。床には古い台車や段ボールが散乱し、天井の一部が崩れている。
復旧させた電気も、ここまでは回していない。
ピコが前へ出た。
胴体から照明を点け、暗闇を照らす。
『前方に障害物。左側を推奨します』
「分かった」
三人で走る。
背後から、また扉を叩く音。
一度。
二度。
三度。
間隔が妙に規則正しい。
破壊できる場所を探っているようにも聞こえた。
「ピコ。あいつら入ってこられるか?」
『搬入口の扉は旧式ですが鋼製です。即座の突破は困難と推定します』
「即座じゃなきゃ?」
『時間の問題です』
「だよな」
階段へ向かう。
病院の構造なら俺の方が詳しい。
ここで暮らし始めてから、使える通路と使えない通路は一通り確認してある。
正面から撃ち合えないなら、建物そのものを使うしかない。
「二階へ上がる。そこから中央棟に渡る」
『了解』
「アイ、離れるな」
返事がない。
「アイ?」
足を止める。
アイは数歩後ろにいた。
暗い廊下の真ん中で立ち止まり、搬入口の方を見ている。
淡い水色の髪が、わずかに揺れていた。
「……またか」
俺はすぐに戻る。
アイの横顔は妙に静かだった。
怖がっていないわけじゃない。
小さな手は固く握られている。
それでも、その視線は扉の向こうにいる機械へ向けられていた。
「アイが、とめられる」
「駄目だ」
「さっきも」
「駄目だ」
「でも――」
「何が起きるか分かってないだろ」
アイが俺を見る。
「ガソリンスタンドでお前が何かしたのは分かってる。あいつが止まったのも、たぶんお前が原因だ。でもな」
言葉を切る。
あのときの光景が脳裏に蘇る。
突然狂った電子機器。
ノイズまみれになった通信。
糸が切れたみたいに地面へ落ちたピコ。
そして何より。
あの現象を起こした本人が、何をしたのかすら理解していなかった。
「お前自身に何が起きるか分からない」
「アイは、へいきだった」
「一回だけだろ」
「でも」
「それにピコまで落ちた」
アイがピコを見る。
ピコは少しだけ高度を下げた。
『事実です』
「ピコ、いたかった?」
『痛覚はありません。ただし、前回の強制停止は機体にとって好ましい状態ではありません』
アイの眉が下がる。
「……ごめん」
『謝罪は不要です。意図的な行為ではなかったと判断しています』
俺はしゃがみ、アイの肩に手を置いた。
「だから今は使うな。何なのか分かるまでは」
「でも、おじさんのたま、もうない」
思わず黙った。
見てたのか。
アイの視線が、俺の腰のM-68へ落ちる。
「もう、ばんってできない」
「……よく見てんな、お前」
「アイがやれば、みんなたすかる」
その言葉に、一瞬返事ができなかった。
こいつは少し前まで、怪我が何なのかも知らなかった。
痛いという感覚を言葉として理解していなかった。
それが今は、自分が何かをすれば俺たちを助けられると考えている。
成長と言えば聞こえはいい。
でも、だからって、正体も分からない力を使わせていい理由にはならない。
「助かるかどうかも分からない」
俺は言った。
「だから、今は俺の言うこと聞け」
アイはしばらく俺を見ていた。
やがて、小さく頷く。
「……わかった」
「よし」
立ち上がる。
その瞬間。
『主様』
ピコが振り返った。
『外部の機体配置に変化があります』
「どうなった」
『三機が病院周囲へ分散しています。一機は搬入口付近。センサーを損傷した個体は移動速度が低下しています』
「残りは?」
『一機を見失いました』
嫌な言い方だった。
「見失った?」
『はい』
「どこで」
『建物北側です』
俺は頭の中で病院の見取り図を広げる。
北側。
搬入口とは反対。
そこには――。
「……非常階段」
『同意します』
血の気が引いた。
「走るぞ」
今度はアイもすぐについてきた。
階段を駆け上がる。
二階。
廊下へ出る。
ここには電気が通っている。
天井の蛍光灯が数本だけ白い光を落とし、薄暗い院内を途切れ途切れに照らしていた。
少し前まで、この灯りを見てアイはあんなに喜んでいた。
今は逆に、それが嫌だった。
外から見える。
「ピコ、二階の照明落とせるか」
『分電盤を操作する必要があります』
「遠いな」
『約80メートルです』
「後回し」
中央棟へ向かう。
アイの手を引いたまま走る。
曲がり角。
診察室。
待合室。
壊れた自動ドア。
いつもの病院なのに、今日はまるで別の場所に感じた。
俺たちが寝て。
飯を食って。
アイが歯を磨いて。
ピコがくだらない訂正を入れて。
少しずつ、ただの廃墟じゃなくなってきた場所。
そこへ、あいつらが入り込もうとしている。
腹の底から苛立ちが込み上げる。
「……ふざけやがって」
「おじさん?」
「なんでもない」
中央棟へ続く渡り廊下へ出る。
そのとき。
ピコが急停止した。
『停止してください』
俺も足を止める。
「何だ」
『音響反応』
静かになる。
俺たち三人の動きが止まると、病院の中から音が消えた。
風。
遠くで鳴る金属。
古い建物の軋み。
そして。
カン。
下からだった。
アイが俺の袖を掴む。
カン。
もう一度。
階段の方から。
カン。
カン。
一定の間隔で、硬いものが床を叩く。
俺は腰のM-68へ手を伸ばしかけて――止めた。
弾はない。
その事実が、さっきよりずっと重く感じる。
『主様』
ピコの黒い画面に浮かぶ二本の青い光が、廊下の奥へ向いた。
『建物内部に反応』
「何階」
『同階です』
カン。
音が近づく。
「距離」
『約35メートル』
俺は周囲を見回した。
武器になるものは、壁に掛かった消火斧しかない。
銃相手にどこまで役に立つ?
考えている間にも音は近づく。
アイの指が、俺の袖をさらに強く握った。
「おじさん」
「大丈夫だ」
口から勝手に出た。
何が大丈夫なのか、自分でも分からない。
それでも、アイの前で「分からない」とは言えなかった。
俺は壁の消火斧を外した。
重い、しかも、M-68より遥かに頼りない。
でも、何もないよりはマシだ。
「ピコ。アイ連れて反対側へ」
『拒否します』
「は?」
『主様一名を残す行動は、現状では生存率を低下させます』
「じゃあどうすんだよ」
『三名での移動を推奨します』
「……珍しくまともだな」
『常に合理的です』
「はいはい」
後退する。
アイもついてくる。
だが。
カン。
音が止まった。
廊下の角。
ちょうど30メートルほど先。
何もいない。
白い壁だけが見える。
数秒。
10秒。
動きを止めて、息を殺す。
やがて、壁の向こうから、細い黒い脚が一本だけ現れた。
床へ触れる。
カン。
続いて二本目。
そして、黒い装甲に覆われた胴体がゆっくりと姿を見せる。
中央の赤い光が灯った。
『――IS-003』
「……やっぱりか」
俺は一歩、アイの前へ出る。
「いい加減にしろよ」
『――最優先破壊対象』
「番号で呼ぶんじゃねえ」
赤い光が俺へずれる。
初めてだった。
こいつが、アイ以外のものを明確に障害として捉えた。
俺は斧を構える。
勝てるとは思っていない。
それでも退くつもりもなかった。
「こいつは――」
言いかけた、そのとき。
『主様』
ピコの声が割り込む。
『提案があります』
「今かよ!」
『今です』
四脚兵器の銃身がこちらへ向く。
ピコが続ける。
『当院の旧式防火設備を利用できます』
「……防火設備?」
視線を上げる。
天井。
そこに並ぶスプリンクラー。
その意味を理解するまで、一秒。
「ピコ」
『はい』
「それ、使えるんだな?」
『一部系統は、電力復旧時に通電を確認しています』
四脚兵器の赤い光が強くなる。
俺は笑った。
「上等だ」




