↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイは、生きている。  作者: LALA
第2章 灯り
PR
18/47

Ep.17 ここはお前の家でもあるだろ。

 「上等だ」

 問題は、どうやって使うかだ。

 スプリンクラーが生きている。それだけで目の前の機械が勝手に壊れてくれるほど、この世界は都合よくできていない。

 だが、水そのものが目的じゃない。

 俺は視線を巡らせた。

 渡り廊下の先。壁際に赤い非常灯、その下に古い防火設備の操作盤がある。さらに奥には防火扉。火災時に区画を分断するための、分厚い鋼鉄製の扉だ。

 五年前から開いたままになっているが、電気が戻った今なら――。

 「ピコ、防火扉も動くか?」

 『作動回路への通電は確認しています。ただし、実際の閉鎖動作は未確認です』

 「十分だ」

 『十分ではありません』

 「今は十分なんだよ」

 四脚兵器が一歩踏み出した。

 カン。

 床を叩く硬質な音が、廊下に反響する。

 銃身は俺へ向いている。

 さっきまでとは違う。

 アイへの射線を塞いでいる俺を、明確に排除しようとしている。

 「アイ」

 「うん」

 「俺が走ったら、ピコと一緒にあっちまで走れ」

 防火扉の向こうを指す。

 アイもそちらを見る。

 「おじさんは?」

 「すぐ行く」

 「また、すぐ?」

 「今度は本当にすぐだ」

 アイは不安そうに俺を見る。

 「一緒がいい」

 「分かってる」

 俺は目の前の四脚兵器から視線を外さないまま答えた。

 「だから、向こうで待ってろ」

 少し間があって。

 袖を掴んでいた指が離れた。

 「……わかった」

 「ピコ」

 『準備しています』

 「三、二、一で行く」

 『了解』

 消火斧を握る手に力を込める。

 目の前の機械まで三十メートル弱。

 こっちには銃弾がない。

 向こうにはある。

 まともに考えれば勝負にもならない。

 だから、勝負をしなければいい。

 「三」

 四脚兵器の銃身が微かに動く。

 「二」

 赤い光が俺の胸元をなぞる。

 「一」

 息を吸う。

 「走れ!」

 三人が同時に動いた。

 俺は右。

 アイとピコは左。

 四脚兵器の銃身が一瞬だけ迷う。

 俺か。

 アイか。

 ほんの一瞬。

 それで十分だった。

 『――IS-003』

 銃身がアイを追う。

 「こっちだ!」

 俺は手にしていた消火斧を投げた。

 斧が回転しながら廊下を飛ぶ。

 狙いなんてない。

 当たれば儲けもの。

 金属音。

 斧は四脚兵器の胴体にぶつかり、黒い装甲を滑って床へ落ちた。

 傷一つついていない。

 だが、赤い光が俺へ戻る。

 「そうだ。俺を見ろ」

 銃声。

 身体を投げ出す。

 弾丸が頭上を抜け、背後の窓ガラスを粉々に砕いた。

 床へ肩から落ちる。

 痛い。

 右腕の傷まで一緒に疼いた。

 「っ……!」

 起き上がる。

 アイはもう防火扉の向こうだ。

 ピコもいる。

 「ピコ!」

 『作動させます』

 操作盤の警告灯が点滅した。

 ビーッ、ビーッ、と聞き慣れない警報が病院中へ鳴り響く。

 アイが驚いて天井を見上げた。

 「なに?」

 『火災警報です』

 「かじ?」

 『後ほど説明します』

 天井から音がした。

 ガコン。

 続いて、廊下の奥。

 長年動いていなかった機構が、錆を削りながら目を覚ます。

 防火扉がゆっくりと動き始めた。

 「動いた……!」

 遅い。

 想像以上に遅い。

 四脚兵器も気づいた。

 黒い脚が床を蹴る。

 走ってくる。

 「もっと速く閉まれよ!」

 『設備に要求してください』

 「今してる!」

 俺も走る。

 防火扉との距離、十五メートル。

 敵は後ろ。

 十メートル。

 扉が半分まで閉まる。

 アイが向こう側から俺を見ている。

 「おじさん!」

 「そのままいろ!」

 背後から金属音。

 近い。

 振り返らない。

 あと五メートル。

 銃声。

 右側の壁が弾けた。

 破片が首筋を掠める。

 三メートル。

 扉の隙間が狭くなる。

 「ピコ!」

 『残り約一・四メートル』

 「俺の幅じゃねえ!」

 『扉の開口幅です』

 「分かってるよ!」

 最後の数歩を全力で蹴る。

 身体を横にする。

 隙間へ飛び込む。

 床を滑った。

 直後。

 四脚兵器も飛び込んできた。

 「閉まれ!」

 重い衝突音が響いた。

 防火扉が四脚兵器の前脚を挟み込む。

 金属同士が激しく擦れ、耳障りな音が廊下に響いた。

 黒い脚が暴れる。

 一本。

 その隙間から胴体の一部と赤い光が覗いている。

 『――IS――003――』

 「しつこいんだよ……!」

 俺は床に転がったまま、近くにあった金属製の椅子を掴んだ。

 持ち上げる。

 挟まった脚へ叩きつけた。

 一度。

 金属音。

 二度。

 「おじさん」

 「来るな!」

 三度目。

 関節部から火花が散った。

 それでも脚は引っ込まない。

 向こう側で機体が防火扉へ身体をぶつけるたび、扉全体が震える。

 『主様、離れてください』

 「なんで!」

 『閉鎖機構へ過負荷が発生しています』

 「それ先に――」

 ガンッ。

 防火扉が数センチ押し戻された。

 赤い光が見える。

 まずい。

 俺は椅子を捨てて後退した。

 「アイ、下がれ!」

 アイが二歩、三歩と後ろへ下がる。

 ピコも高度を上げた。

 その瞬間。

 天井から大量の水が降ってきた。

 「うわっ!」

 冷たい。

 スプリンクラーだ。

 一本だけじゃない。

 渡り廊下一帯の散水設備が一斉に作動し、薄暗い病院の中へ雨のように水を撒き始める。

 床が見る間に濡れていく。

 アイが両手を広げた。

 「みず!」

 「今は喜ぶとこじゃない!」

 「でも、いっぱい!」

 『アイ。後退を継続してください』

 「うん!」

 妙に楽しそうな返事をしながらも、今度は素直に下がっていく。

 俺も距離を取った。

 防火扉の向こうでは、四脚兵器がまだ暴れている。

 水が黒い装甲を伝い、床へ落ちる。

 壊れない。

 当然だ。

 軍用兵器がスプリンクラー程度でショートするなら、雨の日は戦争にならない。

 だが。

 「ピコ」

 『はい』

 「次だ」

 『準備しています』

 俺は床を見る。

 水が広がっている。

 そして、その先。

 壁際には、壊れかけた電源設備。

 五年前のまま放置されていた配線の一部が、剥き出しになっている。

 電気が戻ったからこそ使える。

 そして、電気が戻ったからこそ危険なもの。

 「できるか?」

 『該当区画のみであれば可能です』

 「俺たち側まで流すなよ」

 『保証はできません』

 「おい」

 『旧設備です』

 「……だよな」

 俺はアイを見る。

 「もっと下がれ」

 「どこまで?」

 「足元が乾いてるところまで」

 アイが床を見ながら後ろへ下がる。

 「ここ?」

 「もうちょい」

 「ここ?」

 「そこ」

 俺も水から離れる。

 ピコが壁際の設備へ飛んだ。

 細いアームを伸ばす。

 『実行します』

 「やれ」

 バチン。

 何かが切り替わる音。

 一瞬だけ何も起きない。

 次の瞬間。

 水浸しになった廊下の向こうで、青白い火花が走った。

 四脚兵器の身体が跳ねる。

 『――――』

 音声が途切れた。

 赤い光が激しく明滅する。

 黒い四本脚が痙攣するように床を叩き、防火扉に挟まっていた一本が力を失った。

 焦げたような臭いが漂う。

 数秒。

 赤い光が消えた。

 静かになった。

 スプリンクラーの水音だけが残る。

 俺はしばらく動けなかった。

 「……止まった?」

 アイが俺の後ろから顔を出す。

 「たぶんな」

 『機体からの電波発信が停止しました』

 「じゃあ止まったってことでいいだろ」

 『機能停止と完全破壊は異なります』

 「今日くらい俺を安心させろよ」

 『事実と異なる報告はできません』

 「知ってるよ」

 息を吐く。

 一機。

 ようやく一機だ。

 しかも倒したというより、病院の設備を総動員して無理やり止めただけ。

 外にはまだいる。

 脚を壊したやつ。

 銃身を壊したやつ。

 センサーを壊したやつ。

 無傷の個体もいる。

 そしてM-68は空。

 とてもじゃないが、全部相手にできる状況じゃない。

 『主様』

 ピコがこちらへ戻ってくる。

 「今度は何だ」

 『外部の三機が移動を開始しました』

 「……どっちへ」

 『病院を包囲するように分散しています』

 予想はしていた。

 それでも、実際に聞くと胃が重くなる。

 「逃げ道を潰してるのか」

 『その可能性があります』

 「賢いな」

 『旧軍用自律兵器としては妥当な行動です』

 「褒めてねえよ」

 俺は濡れた髪を掻き上げた。

 どうする。

 正面玄関は駄目。

 搬入口も駄目。

 北側には非常階段から一機侵入してきた。

 このまま病院の中を逃げ回っていても、いつか追い詰められる。

 それに。

 俺はアイを見る。

 こいつらの目的がアイなら、病院に留まり続ける限りここへ集まってくる。

 今日は五機。

 次も五機とは限らない。

 十機かもしれない。

 もっと来るかもしれない。

 アイも、俺の視線に気づいた。

 「……おじさん」

 「なんだ」

 「アイのこと、さがしてる?」

 返事に詰まった。

 誤魔化す意味はない。

 もう本人も見ている。

 「……たぶんな」

 「なんで?」

 「分からん」

 「アイが、なにかした?」

 「それも分からん」

 アイは黙る。

 さっきまで水を見て少し楽しそうにしていた顔から、表情が消えていく。

 小さな手が、自分の服の裾を掴んだ。

 「アイがいるから?」

 「何が」

 「あれ、くる?」

 胸の奥が嫌な感じにざらついた。

 「まだ分からねえよ」

 「でも、アイのこと、さがしてた」

 「……ああ」

 「おじさんは、さがしてなかった」

 「そうだな」

 「ピコも」

 『私に対する優先度は低いと推定されます』

 「ピコ」

 『事実です』

 アイは俯いた。

 長い沈黙ではなかった。

 ほんの数秒だ。

 それでも、その数秒の間にこいつが何を考えているのか、なんとなく分かってしまった。

 だから。

 次の言葉が出る前から、腹が立った。

 「アイ、ここにいないほうがいい?」

 やっぱり。

 「……なんでそうなる」

 「だって」

 アイは顔を上げる。

 「ここ、おうちでしょ」

 「ああ」

 「あれ、アイをさがしてる」

 小さな指が、廊下の向こうを指した。

 動かなくなった黒い兵器。

 「アイがいなくなったら、あれもいなくなる?」

 分からない。

 たぶん。

 可能性は高い。

 理屈だけで考えれば、そうだ。

 こいつらがIS-003を追っているなら、アイが病院から離れれば追跡対象も移動する。

 この場所は助かるかもしれない。

 俺も。

 ピコも。

 でも。

 そんな理屈を七歳くらいにしか見えないこいつが、自分から口にするのが気に入らなかった。

 「勝手に決めんな」

 「でも――」

 「ここはお前の家でもあるだろ」

 アイが止まった。

 水色の瞳が、少しだけ大きくなる。

 「……アイの?」

 「そう言っただろ」

 「でも、あれがくる」

 「だからって、お前だけ出ていけば解決って話にはならねえよ」

 「なんで?」

 「お前一人でどこ行くんだ」

 アイが黙る。

 「飯はいらない。水もいらない。寝なくても平気。たぶん、お前だけならどっかで生きていけるのかもしれない」

 言いながら、自分で嫌になる。

 それは確かに、アイなら可能なのかもしれない。

 でも、生きていることと。

 一人でいていいことは別だ。

 「でもな」

 俺はしゃがんだ。

 アイと目線を合わせる。

 「ここにいていいって言ったのは俺だ」

 アイが俺を見る。

 「だから、お前が勝手にいなくなるのは駄目だ」

 「……おじさんが、きめる?」

 「俺も決めない」

 「じゃあ、だれ?」

 「三人で決める」

 アイが瞬きをする。

 俺はピコを見る。

 ピコの黒い画面には、いつもの二本の青い光。

 『私も含まれていますか』

 「当たり前だろ」

 『確認しました』

 「そこは普通に喜べよ」

 『喜悦を表現する必要性を検討しています』

 「もういい」

 アイが、ほんの少し笑った。

 それでいい。

 今は、それで。

 俺は立ち上がった。

 「ただし」

 現実は変わらない。

 外にはまだ敵がいる。

 弾もない。

 病院の位置も知られた。

 これまでみたいに、近場を回って食料を拾って帰るだけじゃ済まなくなった。

 「ここにいるなら、ここを守る方法を考えないとな」

 「まもる?」

 「ああ」

 腰のM-68を軽く叩く。

 「まず弾だ」

 空の銃が、乾いた音を返した。

 「それから、あいつらが何なのか。なんでお前を狙ってるのか」

 アイが俺を見る。

 「わかる?」

 「分からん」

 「……また、わからん」

 「うるせえな。これから調べるんだよ」

 「どこで?」

 その問いに、すぐには答えなかった。

 頭の中に、地図を思い浮かべる。

 俺たちが普段探索している範囲より、もっと先。

 警察施設。

 戦時中に使われていた検問所。

 旧軍の補給施設。

 危険だから避けていた場所はいくつもある。

 今までは行く必要がなかった。

 でも。

 もう、そうも言っていられない。

 「遠くまで行く」

 「とおく?」

 「ああ」

 「バイクで?」

 「ああ」

 アイの顔が少し明るくなる。

 「三人で?」

 俺は答える前にピコを見る。

 『反対しても同行するものと推測します』

 「よく分かってんじゃねえか」

 それからアイを見る。

 「三人でだ」

 「うん!」

 返事だけはやたら元気だった。

 外にはまだ兵器がいる。

 ここから出る方法すら、まだ考えていない。

 それでも。

 少なくとも一つだけ決まった。

 逃げるためじゃない。

 ここへ帰ってくるために。

 俺たちは、今までより遠くへ行かなきゃならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。